九段下会議の考え方 (八)

*****仕掛けられた「上からの革命」*****

西尾: そうですね。九段下会議のマニフェストの最大の要点は、いま伊藤さんが言われたように、そういう攻撃を仕掛けているのが官僚や指導者や、権力の側に回りだしているということです。それに国民の多くはあまり気が付いていません。ちょっと象徴的な部分を読み挙げてみましょう。
 《国の中のどこの誰かというのでも、どの党のどの勢力がというのでも必ずしもなく、広く現代の知性の中に狂気が宿っている。革命を諦めていない知性がなお根強く存在する。共同体を破壊し、社会をアトムと化した「個体」に還元してしまうファナティックな情念は、かつて青年たちの反体制運動の中にのみ存在した。しかしそれが今や官僚や政治家の中枢を動かし、保守政党の政治家の中にさえ息づいている。そして、権力の大きな部分を徐々に形成し始めている。・・・・・彼らは政府の審議会などにもぐりこみ「上からの革命」を実行し始めているが、そのことに気付いている人は少ない。》

 夫婦別姓運動やばかばかしい政教分離訴訟、あるいはジェンダーフリー教育や男女共同参画基本法の各自治体への様々な形の働きかけというものに対して、こう警告しているわけです。

 さらにこうも言っています。

 《人権、有効、環境、フェミニズムといったことばが野党や学生運動などのいわゆる批判勢力の専用語であるあいだは、その社会は健全な安定構造を保っていた。しかし思わぬかたちでこれらのことばが主流をなし、権力の一部を握るようになった日本の新しい事態は、社会が秩序の崩壊へ向けてまっしぐらに進んでいるしるしだと言っても過言ではない。》

 僕は、この点で一番影響が大きかったと思うのは、野中広務と加藤紘一など、今や失脚した自民党の悪魔的な左翼勢力、保守内左翼です。彼らはたくさんの悪い法律を置いていきました。それは彼らの主導というよりも、彼らを利用した左翼勢力の勝利と言ってもよい。その最大のものが男女共同参画社会基本法でした。

伊藤: それをいうなら河野洋平も付け加える必要がありますね。彼が自民党総裁をやったということが、こういう連中の活動の基盤をさらに拡大し、そうした事態につながっていったと言えます。

八木: 憲法改正も棚上げしてそのままですからね。自民党が保守政党と自己認識しているのであれば、彼らには居場所はなかったはずです。それなのに彼らが執行部を握り、連立相手の社会党の主張を実現するために尽力した。自民党が社会党の片棒を担いだのです。

伊藤: にもかかわらず、宮沢や加藤はもちろん、の中だって経世会の幹部ですから、「保守本流」ということになる。一体、彼らのどこが「保守」なのでしょうか。

八木: 保守という言葉を定義しないままに、自民党は保守という言葉を使ってきました。吉田茂の嫡流を保守と言っていたのです。吉田茂が果たして保守ということを自覚していたかどうかは分りません。しかし、保守という言葉が明確に理念として使われるようになったのは、比較的最近ではないのでしょうか。

伊藤: そうですね。吉田の保守というのは、経済優先ということを別にすれば、やはり親米と皇室尊崇でしょう。結局、それがいつのまにか二つともなくなって、経済優先ということだけになり、保守本流が妙なものになってしまったのです。要するに、経済優先のために左翼に対してソフトな政策をとって対立を好まないのが保守本流だということになりました。

西尾: 今だってそうなのです。「国家解体阻止宣言」にはこう書きました。

《なにかにつけ「改革」が叫ばれているが、改革というなら国家の大本を改めるのが本筋である。国家の大本は憲法、教育、軍事、そして外交である。優勢や道路の改革が重要でないというのではない。経済の構造が無意味だというのではない。しかし行政や経済構造の改革はどこまでも二次的である。その意味では「小泉改革」は「二次的改革」にすぎない。》

つまり、私に言わせれば、小泉内閣は改革の内閣とはとても思えない。根本の考えが見えていない。ただ一種の時間を引き伸ばしているというような感じです。

伊藤: 先ほど左翼の思想が保守政党の内部にもぐりこんだという話をしたわけですが、もう一つ重要なのは、国際的なネットワークというか、日本人の国連信仰を利用した仕掛けがあるということです。

日本の左翼は、国連の人権委員会や女性差別撤廃委員会、子どもの権利委員会などに出かけてロビー活動をして、そこで自分達の主張を取り上げさせる。女性差別撤廃条約や児童の権利条約を利用した、あるいは慰安婦のクマラスワミ報告やマクドゥーガル報告などを出させて、それを金科玉条のように掲げて日本国内に降ろしてくる。そういう仕組みがあるのです。

しかしアメリカの保守系シンクタンクのへりテージ財団がかつて報告書を書いているように、国連は安全保障理事会などは別として、特に文化の面に関しては左翼が主導権を握っている。

しかも、そこでは、さきほど述べたように「甘い言葉」が使われる。日本でも昨年、イラク戦争の最中に日本ユニセフ協会が戦争で傷ついている子供たちがいるという新聞広告を出しました。イラクの子供がかわいそうだ、
だからイラク戦争は間違いだという話にしたいのです。そういう形で国連を利用した活動が行われている。

これは、学校での国旗掲揚、国歌斉唱の問題でも同じことです。強制はいけないとか、思想良心の自由とか、子供たちにストレスを与えてはいけないとか、多様な生き方があるだとか、自分らしく生きるだとか、甘いことばをさんざん振りまくのです。

それで結局、結果として何がもたらされるのかといえば、人間精神の衰弱であり、社会や国家の生命力の衰弱です。

伊藤: 適切な例えかどうか分かりませんが、イラクでサダム・フセインというのが明確な敵として存在したときは、これを倒せばよかったわけです。しかし倒したあとでむしろ大変な混乱状況が起こってきた。これとある意味で似たようなもので、共産主義が形として現れているときは、みんなも警戒する。しかしそれが倒れたら、今度はそれが内面化して見えなくなってしまう。それが今の一番の問題ではないのかと思うのです。

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