九段下会議の考え方 (九)

*****新たな「革命戦略」*****

西尾: 今の話を世界的な共産主義の流れから見ると、1968年のチェコのソビエト離れが切っ掛けとなって、あそこで確実に共産主義の運動は衰弱し、内向化するのです。西側の共産主義運動は、繁栄し平等になって豊かな社会の中でいかに革命運動を行うべきかということを考え始めた。これがまさに全共闘がぶつかった問題だったのです。それで、彼らはソ連は理想ではない、しかし革命は永遠だということを言っていた。それが反帝国主義・反ソ連となり、さらに人間革命、自己革命というところに流れていったのです。

 つまり、マルクス主義に幻想を持たない人たちは、とうの昔にマルクスに魅力を失っていました。彼らが唱えていた程度の平等は、高度産業社会の中であらかた実現した。同時に、平等で繁栄している社会では人間が衰弱している。それを見て、その弱くなった人間を使ってどのように革命を起こすのかという戦略に変ったわけです。つまり革命は変質したのです。変質した革命思想を抱いてみんな社会の体制の中に入ってしまった。もちろん、過激な勢力は赤軍派のように外へ飛び出しますが、それ以外の人たちは体制の中でずっと共産主義の感情と情熱を抱いて生きてきたのです。

 そこから、「自分らしく生きろ」とか、「一人でも弱い者がいてはいけない」とかいうような無限平等論的な主張も出てくるのです。つまり世の中には一定の不平等がなければ成り立たないという常識がないのです。そういうことが結果として精神の衰弱を招くわけですが、衰弱を招かせようとは思っていないのです。繁栄と平等が引き起した精神の衰弱をどう捉えて自分達の革命理論を新しい時代にフィットさせていくかということを考えてやっている。彼らの論理は、それはそれで一貫しているわけです。とはいえ、彼らがやったことは日本の破滅であり解体です。

八木: 『正論』5月号に、漫画家のさかもと未明さんが、職業には貴賎はないということを実践するために、いい大学を卒業した女性がアダルトビデオの女優になったという話を紹介しています。

 自分がやっていることを、密かに恥ずかしく思って、しかし強がりでそういうことを言っている分にはいいのですが、そうではなく、本気で職業に貴賎はないと思っているというのです。先ほど西尾先生がおっしゃった無限平等論とでも呼ぶべき考えがあって、それが社会を激しい勢いで壊していっているのです。

 最近の例でいえば、3月の初めに非嫡出子の戸籍の記載を問題とした判決がでました。あれも子供は親を選べないだとか、嫡出子か非嫡出子かが分かるように戸籍に記載するのはけしからんとか、かわいそうではないか、という話です。しかし、それを言い始めたら、家族の枠組みや秩序は全部壊れてしまいます。そもそも非嫡出子というのは、一般的なパターンで言えば、男が奥さん以外の女性との間にできた子供です。その子供を奥さんとの間にできた子供と同じように扱えということになれば、家族は壊れてしまいます。

 しかし、かわいそうだという感情論に対して、いやそれは違う、世の中には完全には平等にならないものがあるのだと反論できる人たちが余りにも少なくなってしまっている。九段下会議で出した政策提言の内容も大体、まず確信的な左翼が火をつけて、あとは一般の人たちが、かわいそうだ、かわいそうだということで、政府や行政の中に入り込んで作られた問題がほとんどです。子供たちに勉強をさせすぎるのはかわいそうだというところからゆとり教育が出てきたし、税金を払っているのに外国人に痴呆参政権さえ与えないのはかわいそうだといって話が外国人地方参政権の話になっていった。

西尾: 拉致事件でも、これを契機に日本人の認識は少しは深まったようにも思いますが、大半の日本人は曽我さんがかわいそうだ、横田めぐみちゃんはかわいそうだという次元ではないでしょうか。同じように、瀋陽事件のハンミちゃんもかわいそうだと言うのです。

 ところが、だれも拉致事件は人権の問題ということよりはむしろ国家主権の問題なのだということをいいません。総理さえ言わない。人権侵害事件だというふうな解釈でいこうとするわけです。むしろ被害者のご家族の方がはるかに国家主権の問題だという自覚をもっておられる。

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