九段下会議の考え方 (十)

*****国際社会の現実を認識せよ*****

伊藤: 結局、こうした動きに対する反撃の根本は、やはり保守思想とは何ぞやというところまでいくのだと思いますが、その保守思想の一つの重要な要素として、この社会に完全平等なんてない、社会というものは本質的に不平等なものであるといった常識を取り戻すことが大切ですね。

西尾: 国際社会に完全な正義なんてない。

伊藤: 人々は自由でもないし、そしてみんなが善意なんてこともありえない。とりわけ国際社会は悪意に満ち満ちている。それにどう対抗して、したたかに、譲れないものを守っていくかということを考えるのが保守の原点だと思うのですが。

西尾: 例えば、多くの日本人はイラク問題を巡ってドイツとフランスがアメリカの行動に反対したことをさながら平和主義の錦の御旗のように思っているかも知れないけれども、それは日本の知識人とテレビが言っているだけです。ドイツもフランスも、取り巻いている国際環境が最早防衛問題から解放されてしまって、何も恐怖がないために、少なくともアメリカに拘束されるのはいやだ、イラクの利権はヨーロッパにもあるのだ、ということを言いたいために反対したのです。平和主義の仮面の下にはしたたかな駆け引きがあるわけです。

 どんな場合でも全くそうです。フランスなどはかつてイラクに原子炉を売っていた。この原子炉は完成する前にイスラエルが爆撃しましたが、つまりはイラクの大量破壊兵器につながるようなことをフランスは裏でやっていたのです。
 
 フランスと言えば、東アジアに対する対応はものすごく悪質です。今は中国にすりよっていますが、台湾にラファイエット号という軍艦を売ったことがありました。このときは大変な汚職が起こって何人も自殺するような大事件になった。フランスという国は、他国に武器弾薬を売るのが唯一の経済力を維持する方策であり、どこに武器を売る場合にも、莫大な汚職を犯すので有名です。しかも、ラファイエット号の場合は、中国が猛烈に反発したら、今度は中国を黙らせるために江沢民に金を渡し、そのリベートまで取っていたというのだから驚きます。
 
 しかし、これが世界の現実の姿なんです。そうした凄い現実の上で世界が動いているということを知らないから、さっき言ったように、日本人は誰かがかわいそうだと思ったり、国際社会の中で日本が悪いことをしたということを認めることが道徳であるかのように誤解しているのです。
 
 
伊藤: やはり無葛藤社会の中から道徳なんて生まれないわけであって、むしろ性悪説的な社会というものをよりリアルに認識すればこそ、そこからの脱出を求めて道徳の必要性というものに気がつくのではないでしょうか。

 ところが、戦後はまさに皆が善い人だという無葛藤社会の幻想からスタートして道徳を考えようとしたが故に、全く変なことになっているということではないでしょうか。
 
 
西尾: 戦前も大衆は無葛藤社会の中に生きていたのではないかと思いますが、指導者は意外と葛藤社会を見ていたと思いますね。ところが、今の日本はリーダー、知識人も含めて政官財のリーダーがみんなダメになっている。少し前までは、大蔵省でも日銀でも経済官僚は愛国心や国益の観念がもっとあったような気がしますが・・・・・。

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