『スーチー女史は善人か』解説(二)

変見自在 スーチー女史は善人か (新潮文庫) 変見自在 スーチー女史は善人か (新潮文庫)
(2011/08/28)
高山 正之

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『スーチー女史は善人か』 高山正之著  解説西尾幹二 

 氏は外国の悪口ばかり言っているという誤解があるが、それは違う。第五章の「タイへの恩は忘れない」は、日本が困ったときにそっと手を差し伸べて助けてくれる奥ゆかしいタイに感謝し、返す刀で韓国の恩知らずを斬っている。氏の悪口にはそれなりに理由がある。自分の弱みを見ないで逆恨みする卑劣な国々が許せないのだ。返す刀は朝鮮について「この国はまた、誰も干渉しないのにまだ南北に分れたままだ。」と遠慮しないで書く。南北統一ができないのも日本のせいだというたぐいの愚論に氏は「(南北は)お互い五輪では統一チームを作る仲だろう。いつも悪口を浴びせる日本に頼らないで、自分たちで始末をつけたらどうか。」とズバリと書く。弱虫のルサンチマンが氏は許せないのだ。またそれを正義のように扱う日本の外交官、学者知識人、マスコミとりわけ朝日新聞に、日本人に特有のもうひとつの卑劣の型を見出して、繰り返し執拗に批判の矢を放っている。

 日本人は一般に外国を基準に自分を過度に反省する傾向が強い。それは必ずしも戦後だけではない。ペルシアやインドなどのすべての文化文物が西から渡来し、日本列島に蓄積され、そこから外へ出て行かなかった文明の型に原因しよう。遠い外の世界に本物が住んでいて、自分の国のものは贋物だという意識は西方浄土信仰にもあるが、これが起源ではない。もっと根は深い。日本文明は他を理解し受容する凹型である。そういう本来性に敗戦体験が重なった。自分を卑下し外国を基準に自分を裁く「自虐」という悪弊が底知らずに広がった。高山氏の反発や怒りが日本人のこの過度の自己反省に向けられているのはバランス感覚の回復のためである。加えて氏が外国人の本心、隠されている正体をあばき出すのは、日本人に客観的に正しい世界の姿を伝えたいからである。

 一番いい例は日本人の欧米崇拝の極北イギリスに対する冷徹な見方に現われている。日本の対アフリカ債権は90億ドルなのに、ナミビアやウガンダをかつて植民地に持ったイギリスのそれはわずかに1000万ドル。しかもイギリスはそこで20億ドルもの武器商売をやっていて、代金は日本からの援助金で支払わせる。それが滞ると、アフリカの債務帳消しを紳士面を装って提言し、日本が債権放棄をすると、それらの国々には余裕ができるので、そこを見計ってイギリスは代金を回収し、また新しい武器を売る。

 アフリカはエイズに苦しんでいるが、治療する医師や看護婦が少ない。日本の援助で看護婦を養成すると、彼女らをイギリスなどが高い給料でさらって行ってしまう。こういう現実を知ってか知らずか、元国連づとめの明石康は朝日新聞に、アフリカの平和のための貢献に日本はあまりに存在感がないなどと非難する。そこで高山氏はこれだけ貢献している日本をなぜくさすのかと問い質す。悪質なイギリスなどをなぜ論難しないのか、と。明石康は「国連に多額の寄付をした笹川良一の国連側の窓口を務めて、それだけで出世した」男だ、と侮蔑をこめて書く。まさにそのレベルの男であることはよく知られている。個人名を挙げてたじろがないではっきり書く。高山氏のこのスタイルがいい(以上第二章「朝日の記事は奥が深い」参照)。

 本書はどれも秀抜な文章ばかりだが、どれか一篇を推薦しろといわれたら、私は第3章の「カンボジアが支那を嫌う理由」を挙げるだろう。また人物評でどれがいいかといえば、後藤田正晴の寸評(第三章「変節漢への死に化粧」の後半三分の二)が肺腑をえぐり、正鵠を射ている。

 フランスは植民地ベトナムを支配する手先に華僑を用いたので、ベトナム人は中国人をフランス人以上に生理的に嫌悪する。フランスはカンボジアを統治するのに今度はそのベトナム人を利用したので、支配医者面して入って来るベトナム人をカンボジア人は許せない。カンボジア人もまたフランス人への嫌悪が薄い。西洋人の支配の巧妙さがまず語られている。

 アメリカと戦ったベトナム戦争の間にベトナム人が頼ったのは中国ではなく、ソ連だった。中国に親分風を吹かされるのが嫌だったからである。戦争が終って自信を得たベトナムは国内の華僑を追い払った。それがボートピープルの正体である。中国はベトナムの離反を見て、カンボジアに親中国派の政権を打ち樹てた。ポルポト派である。ところが毛沢東かぶれのこの党派が狂気の大虐殺を展開し、世界の耳目を聳動させた。この地獄からカンボジア人を救ったのは皮肉にも彼らが最も嫌ったベトナム人だった。中国は華僑を追い払われるや、子飼いのポルポト派までやられるやで踏んだり蹴ったりで、腹を立て、ついにベトナムに攻め込んだ。中越戦争である。共産主義国同士は戦争をしないという左翼の古典的理念を嘲笑った事件だが、ベトナム人はそれをも見事に返り討ちして、小国の意地を見せ、中国は赤恥をかいた。

 「カンボジアが支那を嫌う理由」を短く要約すると以上のようになるが、高山氏はつづけて次のように述べている。

 「それでも支那はつい最近までポルポト派残党に地雷など兵器を送り込んでカンボジア人を苦しめてきた。

 今カンボジアの民が一番嫌うのはベトナム人ではなく支那人に変わった。
 そのポルポト派の虐殺を裁く国際法廷の事務局次長に支那人女性が就任した。」

 あっと驚く虚虚実実の世界政治の現実である。ぼんやり生きているわれわれ日本人は、このあざとい恐怖の歴史をよく知らない。高山氏は政治用語を用いず、もっぱら心理的に描き出してくれる。並の人なら100枚もの原稿用紙を埋めて書くだろう。それをわずか5枚ていどで過不足なく書く。詩のようである。アフォリズム集のようでもある。行間の空白を読め、と言っているのである。

つづく

「『スーチー女史は善人か』解説(二)」への1件のフィードバック

  1. 朝日新聞、NHKその他の所謂自虐メディアは、字義通りの自虐を売り物にしているのではないと思います。ある意図(日本を弱体化させておきたい)をもって、そうしているとしか考えられない。朝鮮、中国等の手先がマスコミの中に入り込み、所属する組織の論調を誘導しているのが現実でしょう。自虐などということで見過ごしてはならない状況であると確信しています。フィジカルエビデンスは未だでてきていないが、議員・大学の先生方も見返りがあるから反日家となっていることは、いずれ明らかになるはずです。 後藤田氏がレフチェンコ証言をもみ消した理由は、彼にとって都合の悪い内容が含まれていたとしか考えられない。

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