全集刊行は10月12日に第1回配本がなされる。段取りは順調で、丸善丸の内本店が30冊も申し込んできた知らせに版元は喜んでいる。全国の書店からも問い合わせや申し入れが相次いでいる。
第2回配本『ヨーロッパの個人主義』は来年1月刊行の予定で、校正も完了し、早い準備が進んでいる。目次がきまったので、まずそれをお知らせする。
第一巻 ヨーロッパの個人主義
Ⅰ ヨーロッパ像の転換
序 章 「西洋化」への疑問
第一章 ドイツ風の秩序感覚
第二章 西洋的自我のパラドックス
第三章 廃墟の美
第四章 都市とイタリア人
第五章 庭園空間にみる文化の型
第六章 ミュンヘンの舞台芸術
第七章 ヨーロッパ不平等論
第八章 内なる西洋 外なる西洋
第九章 「留学生」の文明論的位置
第十章 オリンポスの神々
第十一章 ヨーロッパ背理の世界
終 章 「西洋化」の宿命
あとがき
Ⅱ ヨーロッパの個人主義
まえがき
第一部 進歩とニヒリズム
< 1>封建道徳ははたして悪か
< 2>平等思想ははたして善か
< 3>日本人にとって「西洋の没落」とはなにか
第二部 個人と社会
< 1>西洋への新しい姿勢
< 2>日本人と西洋人の生き方の接点
< 3>自分自身を見つめるための複眼
< 4>西洋社会における「個人」の位置
< 5>日本社会の慢性的混乱の真因
< 6>西欧個人主義とキリスト教
第三部 自由と秩序
< 1>個人意識と近代国家の理念
< 2>東アジア文明圏のなかの日本
< 3>人は自由という思想に耐えられるか
< 4>現代日本への危惧―一九六八年版あとがき
第四部 日本人と自我
< 1>日本人特有の「個」とは
< 2>現代の知性について――二〇〇七年版あとがき
Ⅲ 掌篇【留学生活から】
フーズムの宿
クリスマスの孤独
ファッシングの仮装舞踏会
ヨーロッパの老人たち
ヨーロッパの時間
ヨーロッパの自然観
教会税と信仰について
ドイツで会ったアジア人
【ドイツの悲劇】
確信をうしなった国
東ドイツで会ったひとびと
【ヨーロッパ放浪】
ヨーロッパを探す日本人
シルス・マリーアを訪れて
ミラノの墓地
イベリア半島
アムステルダムの様式美
マダム・バタフライという象徴
【現代ドイツ文学界報告】
ヨーゼフ・ロート『物言わぬ預言者』()マルティン・
ヴァルザー 『一角獣』()ギュンター・グラスの政治参加
()ネリー・ザックス『エリ』()ハインリヒ・ベル
『ある公用ドライブの結末』()シュテファン・アンドレス
『鳩の塔』()ペーター・ハントケ『観衆罵倒』()
ロルフ・ホホフート『神の代理人』()批判をこめた私の総括
()ペーター・ビクセル『四季』()
フランツ・カフカ『フェリーチェへの手紙』()
スイス人ゲーテ学者エミール・シュタイガーのドイツ文壇批判()
言葉と事実――ペーター・ヴァイス小論()Ⅳ 老年になってのドイツ体験回顧
ドイツ大使館公邸にて追補 竹山道雄・西尾幹二対談「ヨーロッパと日本」
後記
(9月下旬更新の最新の目次です)
色替えの個所は、私の若い頃の単行本にも収録しないできた置き忘れられた文章群である。
二冊のヨーロッパ論はドイツ留学に取材した私の処女作であり、言論界へのデビュー作である。『ヨーロッパ像の転換』は三島由紀夫氏から、『ヨーロッパの個人主義』は梅原猛氏から推賞の辞をいたゞいている。後者の名は意外であろう。
二冊は入試問題にひんぱんに用いられ、国語の教科書にも採用され、永い間私の著作はこの二冊だけのように思われていて、少し心外だった。
今読み返してみて、若書きだとは思うが、文章に緻密さもリズムもあり、はっきりした問題意識もあり、自分で言うのも妙だが、私自身が論理的に説得されて読み進めることができたので、成功を収めた処女作であったのだと自己納得している。
『ヨーロッパ像の転換』のほうが多面的な内容で、私にとっては本来の処女作である。けれども不思議なもので、初版から40年経って、『ヨーロッパの個人主義』のほうが私の代表作の一つのようにいわれ、有名になっている。世間のその評価に全集第一巻の題名を合わせた。今は『個人主義とはなにか』(PHP新書)の改題の下に継続して刊行されている。
この二冊のヨーロッパ文明論と近代日本の具体的テーマについては、今日は論述しない。ドイツに留学したのに、なぜ私はドイツではなく、ヨーロッパを振りかざしたのか。
西洋文明を受け入れ近代化した明治以来の日本の大先達の驥尾(きび)に付すのが私の留学の目的で、ドイツ一国を相手にするために渡航したのではない、との秘かな自負が私にはあった。『ヨーロッパ像の転換』の第九章が「『留学生』の文明論的位置」と名づけられている処にすべてが現われている。
それにこの二冊に当時の東西分裂下のドイツ問題が語られていないことを、その後の私の活動から推して不思議に思われる人もいるであろう。関心がなかったのではない。書いているのである。
Ⅲ掌編に「ドイツの悲劇」とある。「確信をうしなった国」は極右政党NPDの台頭に揺れる政情報告文であり、「東ドイツで会ったひとびと」は文字通り私の東ベルリン訪問記である。今よむと当時のドイツの政治情勢が生き生きととても良く書けている。しかし私は自分の本にこれらを入れなかった。
私は政治報告文屋さんと見られるのを潔しとしなかったのである。そのころベルリン留学の報告文で名を挙げていたドイツ文学の先輩西義之という人がいた。私は彼のような「もの書き」には絶対にならない、と心に誓って渡独した。私の行き先がベルリンではなくミュンヘンだったのも幸いだった。私は「ヨーロッパ文明」と対話するのが留学の目的であって「ドイツの政治」などという一時的な小さなテーマを主な相手にはしない、という考えでほゞ一貫していた。
ものを書く動機の基本に「他と違う」ということがなくてはならない。先人に学ぶことはあっても「先人と同じ歩き方はしない」ということがなくてはならない、と思っている。いやしくもジャーナリズムで生きようとするならそれは不可欠である。
けれどもドイツの政治に対するドイツの知識人、ドイツの文学者の偏向した意識に私は無関心になることはできず、抑えていてもどこかから爆発する思いが出てくる。
Ⅲ掌編の中の「現代ドイツ文学界報告」は、人からみれば全集に入れるべき文章ではあるまい。文芸誌『新潮』にある期間月ごとに送っていた「世界文学マンスリー」という見開き2ページのドイツ文壇紹介文にすぎない。
けれどもこれはある意味で私が専攻していた「ドイツ文学」の世界から決別する切っ掛けとなる仕事でもあった。私は文学情勢をていねいに調べ書き送った。けれどもギュンター・グラス、ハインリヒ・ベル、ロルフ・ホッホフート、ペーター・ヴァイスといった一連の政治主義的作家たちの非文学性、あるいは凡庸な反ヒットラー反ナチ単一志向性がまことにばからしく、次第に腹が立ってきて、「批判をこめた私の総括」という否定文を掲げた。
この一文だけでも全集に入れた意味がある。またスイスのゲーテ学者エミール・シュタイガーが私と同じように批判を展開していたのがうれしくなって、これも掲げて、『新潮』編集部に言ってドイツ文壇報告を打ち切りにした。
間もなく、同じようなドイツ文学報告文を『文学界』で書いていた東大の神品芳夫助教授から私の批判を「はた迷惑」ということばで攻撃する文章が掲げられた。現代ドイツ文学研究の業界全体にとって「迷惑」だというのである。
私は笑った。読者も恐らく笑うだろう。40年経って誰が本当のことを見抜いていたかは明らかになった。例えばギュンター・グラスは大江の後を追うようにノーベル文学賞をもらったが、60年代のこのときの「政治参加」が欺瞞であったことは、彼が若い時代にナチ協力者であったのを隠していたことが暴露されて権威を失い、失脚したことからも明らかである。
追補 竹山道雄・西尾幹二対談「ヨーロッパと日本」はドイツ問題のこんな騒ぎとは関係なく、老大家竹山先生の戦前からのヨーロッパ体験のお話を伺う、静かな心愉しい示唆に富む内容である。