光と断崖: 最晩年のニーチェ (西尾幹二全集) (2011/10/12) 西尾幹二 |
私がいま振り返って辛うじて他人に見せられるような文章を残しているのは25歳以後である。誰でも出発点をどう踏みしめてスタートしたかを確かめてみたくなる。30歳から40歳ごろまで私はこのうえなく多産だった。爆発的といってもよいくらいの活動をしている。
主に三つに分類できる。全集を編集する前からそう思っていた。第一巻『ヨーロッパの個人主義』、第二巻『悲劇人の姿勢』、第三巻『懐疑の精神』の三巻に分けたのには理由がある。
第一巻はドイツ留学体験記で、処女出版であり、文明論であり、言論界への出発点である。第二巻は私が師表として仰いだ東西の思想家小林秀雄、福田恆存、ニーチェを軸とし、三島由紀夫の悲劇的な死のテーマにつながる。
それに対し第三巻は混沌として形をなさない。私は星雲状の嵐の中にいる。しかし意思は一番明確でもあった。私の批評の原型がこの「懐疑」ということばの中にある。
第三巻『懐疑の精神』とは、出版という形になる前の私自身の思考の渦、外の現実の世界への触覚によるタッチから始まり、ゆっくりと転身し、静かに展開し、40歳台の安定期に入る軌跡を辿っている。もし将来私に関心を持つ解明家がいたら、この第三巻が私を解く鍵というだろう。
第三巻の編集には大変に時間がかゝり、手間取った。ようやく「目次」が完成したのでお目にかけたい。非常に長い目次であるが、まずは説明の前に全体をお示しする。
第三巻 懐疑の精神
Ⅰ 懐疑のはじまり(ドイツ留学前)
私の「戦後」観
私のうけた戦後教育
国家否定のあとにくるもの
知性過信の弊(一)
私の保守主義観「雙面神」脱退の記
一夢想家の文明批評――堀田善衛『インドで考えたこと』について
夏期大学講師の横顔――福田恆存先生
民主教育への疑問
知識人と政治Ⅱ 懐疑の展開
大江健三郎の幻想風な自我
状況の責任か、個人の責任か――ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン』
老成した時代
短篇思想の国
帰国して日本を考える
反近代」論への疑い( )日本人論ブームへの疑問( )読者の条件( )
比較文化の功罪( )節操ということ( )前向きという名の熱病( )
変化のなかの同一( )江戸の文化生活( )物理的な衝突( )現代のタブー( )
個人であることの苦渋
実用外国語を教えざるの弁
わたしの理想とする国語教科書Ⅲ 反乱の時代への懐疑(ドイツからの帰国直後)
国鉄と大学
喪われた畏敬と羞恥
知性過信の弊(二)
文化の原理 政治の原理
二つの「否定」は終わった
ことばの恐ろしさ
見物人の知性
見物人の知性( )外観と内容( )ネット裏の解説家( )
紙製の蝶々
自由という悪魔
高校生の「造反」は何に起因するか
生徒の自主性は育てるべきものか
大学知識人よ、幻想の中へ逆もどりするな
ヒッピー状況と教養人Ⅳ 情報化社会への懐疑
言葉を消毒する風潮
マスメディアが麻痺する瞬間
テレビの幻覚
現代において「笑い」は可能か
日本主義――この自信と不安の表現Ⅴ 地図のない時代
哲学の貧困
権利主張の表と裏
はじかれるのが恐い日本人
ソルジェニーツィンの国外追放
韓非子を読む毛沢東
ノーベル平和賞雑感
オリンピック・テロ事件に思うⅥ 古典のなかの現代
知的節度ということ――サント・ブーヴとゲーテの知恵
人は己れの保身をどこまで自覚できるか
――ピランデルロと教養人の生き方富と幸福をめぐる一考察
――ベーコン、ショーペンハウアー、ニーチェ
古典のなかの現代
――ベーコン、ニーチェ、ルソー、ヴォルテール、
パスカル、吉田兼好、マキアヴェリⅦ 観客の名において――私の演劇時評
序にかえて――ヨーロッパの観客
第一章 文学に対する演劇人の姿勢
第二章 解体の時代における劇とはなにか
第三章 『抱擁家族』の劇化をめぐって
第四章 捨て石としての文化
第五章 ブレヒトと安部公房
第六章 情熱を喪った光景
第七章 シェイクスピアと現代Ⅷ 比較文学・比較文化への懐疑
東大比較文学研究室シンポジウム発言(司会芳賀徹氏)
東工大比較文化研究室シンポジウム発言(司会江藤淳氏)追補 今道友信・西尾幹二対談「比較研究の陥穽」
後記
以上の長い目次のⅠのブロックを「懐疑のはじまり(ドイツ留学前)」として区切ったのは、これが私の20歳台の文章であることを示している。ドイツ留学が29歳から32歳であったから丁度区切りがいいのである。
私は20歳台後半に『雙面神』という同人誌に属していた。同人には小田実、饗庭孝男などがいた。戦後派作家特集が組まれた。堀田善衛特集号で私が彼の『インドで考えたこと』を批判する文章を書いたところ、同人会を牛耳っていた幹部Sが私に無断でこれを掲載しなかった。小田も饗庭もこの件には関与していない。
同人会の幹部Sは、戦後派を批判してもいいが、「大きく救う」ところがなくてはいけないと言った。私はその言い分に疑問をもち、そこにまた当時の文壇を蔽っていた不健全な政治主義的空気を感じ、脱会した。
この一件をどういうわけか文芸誌『新潮』が嗅ぎつけ、私は「『雙面神』脱退の記」という短文を書くことになった。これは私が公刊雑誌に最初に書いた文章で、しかも『新潮』との長い、重要な関係はこの時をもって始まる(1962年4月号)。
このころ言論誌『自由』が懸賞論文を募っていた。私は「私の『戦後』観」をもって応募し、第一席に入った(1965年2月号)。選考委員は竹山道雄、林健太郎、福田恆存、木村健康、武藤光朗、平林たい子、関嘉彦の諸先生だった。
「私のうけた戦後教育」は受賞第二作として同誌(1965年7月号)に掲載された。この中で私は芥川賞作家大江健三郎――大学の同期であった――のエッセイ集『厳粛なる綱渡り』をとり上げ、「戦後世代と憲法」という平和と民主主義を信仰のように崇める教育論に異議を唱えた。私の大江批判はこのときに始まる。29歳だった。
「私の『戦後』観」は文藝春秋の池島信平氏の目に留まり、『文藝春秋』から依頼が来た。「国家否定の後にくるもの」(1965年8月号)がそれである。
そのころお教えをいたゞいていた福田恆存先生から、身に余る大役を仰せつけられていた。インターネットにすでに明らかにされている通り、筑摩書房刊の現代日本思想大系第32巻『反近代の思想』(福田恆存編)の100枚解説文の下原稿を頼まれた。先生は発表に当たり手を加えたが、事実上代筆だった。
これは永い間秘事として伏せられていたが、先生は公明正大で、末尾に私の名を付記し、かつ月報(1965年2月)の原稿を私の名で書かせた。業界関係者ならこれで何が起こったかは分る。ここに挙げた「知性過信の弊」というのはその月報の文章である。
月報は一巻に二人だった。私のほかにもうひとりいて、
そのもうひとりは何と保田與重郎氏だった。『反近代の思想』は彼の「日本の橋」を収録していた。
他に収録された著作家は夏目漱石、永井荷風、谷崎潤一郎、亀井勝一郎、唐木順三、山本健吉、小林秀雄だった。
作者と作品の選定はもとより福田先生だった。ただ唐木順三「現代史への試み」だけは私がお願いして入れてもらった記憶がある。
私は先生の文章を用い、口真似をしてその解説文を書いた。完全なエピゴーネンだった。それでも文体まで似せることはできない。意は似せられるが姿は似せられない、は誰かの有名なことばだった。
同解説文は二人のどちらの全集にも入れることのできない奇妙な文章に終った。福田先生は昔から「解説」ごとき仕事をいっさいなさらなかった。小林秀雄もしなかった。
同解説文は福田先生の名で出されたが、若いエピゴーネンが猿真似をして書いた、ということを証言しておくことが、先生の名誉のためにもなると思う。
以上の出来事は私のドイツ留学前だった。『反近代の思想』解説は私自身の思想形成には役立ち、『ヨーロッパ像の転換』と『ヨーロッパの個人主義』を目に見えぬかたちで支えている。福田哲学は私の処女作に乗り移っている。
「夏期大学講師の横顔――福田恆存先生」は先生が高知に講演に行かれた際、私に短いポートレートを書いて現地の求めに応じて欲しいとたのまれ、必死に書いた。わずか二枚程度だが、私の最初の福田恆存論である。高知新聞(1963年7月15日)に掲載された。
私の福田関係諸論はすべて第二巻『悲劇人の姿勢』に集めてあるが、この一文だけは20歳台の文章なのでここに残した。
「私の保守主義観」は清水幾太郎編『現代思想哲学事典』(講談社現代新書)の「保守主義」の項が私に託された折の一文である。清水先生からのご指名であった。
「民主教育への疑問」「知識人と政治」は自民党の新聞『国民協会』(1965年2月21日及び7月11日)に頼まれて書いた。自民党に文章を出したというので悪評紛紛と湧き起こり、ドイツ文学の仲間や先輩たちの顰蹙を買った。自民党は人間の皮を被った悪魔の集団と思われていたからである。60年安保騒動から5年目である。私はその後も自民党の新聞に二度ほど寄稿し、ドイツからも送稿している。全集には記念として20歳台の最初の二篇のみを収録した。
西尾幹二全集刊行記念講演
「ニーチェと学問」
講演者: 西尾幹二
入 場: 無料(整理券も発行しませんので、当日ご来場ください。どなたでも入場できます。)
日 時: 11月19日(土)18時開場 18時30分開演
場 所: 豊島公会堂(電話 3984-7601)
池袋東口下車 徒歩5分
主 催:(株)国書刊行会
問い合せ先 電話:03-5970-7421
FAX:03-5970-7427
省益と国益の混同 (Unknown) 2011-10-04 23:17:29 転載
>日本は、100億円あまりの公務員宿舎の建設中止で大きなニュースになっていますが、自分たちの住宅は建てるカネがあっても、それでも増税をしなければならないと言う主張は筋が通らない。これは官僚の省益のために、野田佳彦(54)が踊らされているのであって、決して国益への行動ではない。
参考引用:【まぐジャーナル!】2011/10/04号 井沢元彦
”省益”に飲みこまれる野田政権(前略)
昭和20年までの日本もそうだった陸軍は陸軍省の省益で動く。具体的に言えば中国から撤兵しない、ということだ。それに対してアメリカが文句をつけてきた。ここで国益を考えるなら、アメリカの要求に応じて一旦兵を引くという選択肢もあった。だが陸軍省は絶対に省益を譲らない海軍省は海軍省で、アメリカと戦うかもしれないという予測のもとで予算を取っているから、アメリカと戦争しないのは「地盤沈下」につながる。これも省益である。しかし、もしアメリカとどうしても「やる」というなら、少なくとも中国とは停戦すべきだ。そうしないと日本はいっぺんに二人の「横綱」を相手に戦うことになる。 事実、省益の調整が出来ず、「中国とは停戦せずに、アメリカと戦争する」という、陸と海の省益を尊重するということになった。
結果はどうなったか。御存じの通り、省益のために国益がつぶされた。恐ろしいのは、こうした省益をリードした人々は陸軍も海軍もエリートだったことだ。目先の利益ばかりに目が行き、全体の利益を失うのは大馬鹿者なのだが、彼等は国が滅びるまで、自分たちは頭が良く、政治家は馬鹿だと思い込んでいた。政治家は到底通らない難しい試験によって選抜された人間だったからだ今の霞が関の人々と同じではないか。
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西尾先生のシアターチャンネルの講義、改めて見直しております。非常に勉強になります。たまたま小生には、南米で病理学(外科病理学)の援助を行った経験があります。日本財団の援助で、麻薬戦争最中の90年代前半のコロンビアであり、南部の山の中の大都市カリ市(日系人会の事務所があります。)のバジェ大学医学部が対象施設でした。元々親日的な南米であることと、援助資金を携えての南米生活ですから、一応、大切にしてはくれます。
さて、いろいろ町を案内してくれましたが、アンデス山中のある街で、道路の中央で、たき火をしていたインディオ夫婦がおりました。これを見て、案内をしてくれていたクロアチア出身のコロンビア人が、曰く、”彼らのダイニングキッチンだ!”。白人、インディオそして名誉白人としての日本人。
勿論、このインディオ夫婦はコロンビア社会の構成員とはみなされていません。どうしてかというと、道の真ん中でたき火をして食事の準備をしていても誰も気にしないからです。車が走り、人が歩きますが、大なり小なり、白人の血が混ざっているメスチソか、白人であっても、互いに同じ空間を使っているという感じを小生は受けますが、このインディオ夫婦には、
誰も注意を払う雰囲気がありませんでした。言葉がきついですが、野良犬が道路に座っているに等しい無関心さでした。この雰囲気に、1492年のコロンブスの航海以来の世界史があります。南米には不幸なことに日本に匹敵する存在がありません。このことの帰結が、大文明の形成者であった民族でも野良犬程度の存在感しか与えられません。コロンビアはヨーロッパの先端であり、コロンビア南部からエクアドルやペルーにはインカの社会がいまだあります。そして、チリにいたればヨーロッパの先端となっている社会になります。アフリカにも日本になぞらえるべき存在がありません。アフリカの不幸の最大の代物と小生は思っております。
もし、ペリー来航以来の日本の近代が不幸な結末になっていた場合は、西尾先生も、小生も、道でたき火をして食事をよういしていても、町を歩く白人の注意も引かない現実が日本にも横たわっていたと思います。この意味では、日本の近代の成功は、世界史的出来事です。日本人は、もっと強く自覚するべきです。別の角度から考えても、一万年以上も続く、縄文時代からの継続性をもった社会がルネッサンス以来の科学を自家薬篭中のものにして本家本元より優れた技術を基盤とする産業を発展させているということ自体が奇跡的な事柄です。地球上に存在する国々で、古代の遺跡の生活者と現在の主人公としての住民に継続性があるという証明ができる国は、日本以外一つもありません。中国の始皇帝陵から出土した兵馬俑は中国の歴史の古さを誇るしるしとして中国政府は大いに自慢するでしょうが、漢人を滅ぼしてのっとった連中の子孫が、自慢するのは盗人猛々しいのではないでしょうか?従って、日本人の作り上げた社会や人間関係の規定の仕方(文化様式)が他国と異なるのは当然です。日本は、この意味でもガラパゴス化しているのですから、何も恐れることもなく、ガラパゴス化を進めて突出するべきです。
この日本の突出が人類の未来に多様性を与えることになると思っています。
盗人猛々しい人種や国家のみが発展するというのでは、人類という存在が禍々しいだけになりかねません。
拙文でした。