「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因(前稿)」を読んで

ゲストエッセイ 
池田幸二 プログラマ兼中小企業診断士 40代

『正論』2月号感想

 西尾先生のご論稿の主題のひとつは、日本は過去に「歴史の罠」にはまったのである、その罠はみかけほど単純なものではない、わかりきった事だとたかをくくっていると再び足をすくわれるような巧妙な罠である、再び同じ罠にひっかかるな、日本は隙を与えるなということでした。特に日本に悪意を抱いた勢力に対して警戒を怠るなという意味もありますが、善意だろうが悪意だろうが非情な原理で人間を飲み込み翻弄するような歴史の狡知を警戒すべきという意味にも受け取れます。これは恐ろしい真実を突いています。

 内容を一部引用させていただきますと

「現に中国が、のさばってきたのはこのわずか5年ぐらいであって、よく考えると、最貧国が突然経済大国を僭称(せんしょう)するようになってきたのも、単なる力の表われであります。アメリカが対中外交で及び腰なのは、中国から金を借りているからであり、中国という国は国民に金を回さなくても、外交に金を使える国、めちゃくちゃな独裁国家です。アメリカがそれを許してきた。ある意味でそれを誘発してきた、アメリカの自業自得とも言える。自分の失敗のツケが回ってきているとも言える」

(引用者注:米国国債の保有額は中国が日本を追い越した。日本はまず売却しないと見られているが、中国の動きは不明で米国に無言の圧力をかけている)

「わからず屋の中国人や韓国人と、半ば逃げ腰の欧米人、稼ぐだけ稼いでさっさと立ち去る用意をしているアメリカ人やヨーロッパ人。そうして政治のリスクは、常にわが国にだけ及ぶ。百年以上前からそうだったんじゃないでしょうか」

(引用者注:中国は政治的不安定におちいるたびに日本への敵愾心を煽って人民の団結をはかってきた。たとえば1989年の天安門事件で世界の非難にさらされた後に江沢民などは徹底した反日政策、すなわちメディアや教育を塗り替え、反日ドラマ、反日モニュメントなど反日一色の政策を促進した。当時の日本は不運にも朝日新聞などの全盛時代であったため朝日等が中国共産党に加勢して中国の反日をさらに煽った。それら日本国内での反日勢力の言動は、中国の反日に一種の正当性を与えてしまい、世界では「中国が怒るのも無理はない」と考えるメディアも続出した。ちなみに江沢民などらは、今年スペイン裁判所により、中国でのチベット族虐殺に関与した容疑で逮捕状を出されている。日本の反日左翼は、現代中国の少数民族虐殺や国内の深刻な人権弾圧、それに数百個の核弾頭で他国を脅迫する大国覇権主義などを棚上げして、日本の歴史を中国や韓国と協同で攻撃してきたのです)

 これらの箇所では、歴史の罠がしのびつつある不気味さを感じました。中国での猛烈な反日暴動など、どこ吹く風であるかのように、欧米の新聞社は、日本を酒の肴にして日本のナショナリズムがどうのこうのと揶揄して、日本を見下すステレオタイプの説教をしながら高みの見物を決めこんでいます。この馬鹿げた風潮も戦前とおそらく同じなのでしょう。また北朝鮮や韓国が錯乱的外交と悪あがきを趣味とする場末の国家であることも当時と同じ状況かもしれません。

 国家間または民族間の歴史観の争いは、最高裁判決のない永久的裁判を闘っているようなもので、過去の歴史に現在の歴史が積み重なって、たえず見直しと変動が繰り返されていきます。中国や韓国のような先進国の仲間入りを狙って、G8サミット(主要国首脳会議)にアジアから唯一参加している日本を羨望し追い落としをはかってきた国が、たえず日本の歴史観を攻撃し、それを日本国内の反日左翼(戦後日本の経済的成功や政治的成功を常に恨み、非常識な日本非武装中立化を推進するなど、たえず日本がまともな国際的地位をしめないように邪魔をしてきた怨念グループ)が側面支援するという構造になっています。

 戦後日本人の歴史観に大きな影響を与えた左翼の歴史観は共産主義イデオロギーや東京裁判に沿ったものであったわけですが、それらの洗脳を受けなかった多くのすぐれた知性をもった日本人が様々な証言を残しています。戦争にいたるまでの複雑性については、たとえば当時を生きた竹山道雄によって、すでに昭和30年代(「新潮」S38.4)に悔恨をこめて下記のように整理されています。

(引用開始)

対米・対世界開戦も、すでに昭和16年秋となっては、だれがやってもああなるより外はなかった、と思われる。むしろ、それまでの10年間の乱脈と無能と近視と思い上がりのつみ重ね、それに不公正な世界分割とある程度まではやむをえぬ歴史の動き・・・が加わって、あの結果を生んだ。国内にはデスペレートな開戦気運がはげしく、国外ではアメリカが日本をこらしめようと決意して、最後になっての日本の譲歩をも相手にしなかった。東条首相は他の何人がやっても打開できなかった局面を負わされて、国民の怨を一身に受けて刑死した。

あの時期は世界中の危機で、後進の日本は痛い打撃をうけたが、それをのりきるべくただ過大な軍備をもっているだけで、ほかの体制はできていなかった。世界共産主義の脅威は大きかったが、まだその正体が国民にははっきり分からないままに広い大陸に防共駐兵をした。それが無責任な軍国主義とごっちゃまぜになっていたので、アメリカは小言をいったが、いまはそのアメリカが世界のいたるところに防共駐兵をしている。そして、また、植民地の独立は現代の大勢で、いまはそれがほぼ完了したが、あのころには植民地的権益をもっている国の中では中国がもっとも強かったから、その紛糾がここでもっともはやく始まったといえるのではないかと思う。フランスは富強でアルジェリアは弱かったから、植民地独立の一連の紛糾がここでいちばん遅くおこったのだろう。

内外のさまざまの難問題を背景にしながら、日本はそのむかしから自然の国民的結合の中心となっていた土俗的性格のミカドを、近代的君主にしよう、そして第一次欧州大戦前の自由主義的体制の国になろうとして努めていたのだったが、それもつかのまで、間に合わないうちに危機に呑み込まれてしまった。

(引用終了)

 この後、日本人はこのような枠組みにそって、天皇の統帥権とか、軍部の下克上とか、さんざんとこの辺の内部的な混乱要因を後知恵で掘り下げてきたわけです。けれども、この傾向が日本人の歴史分析をかなり内向きにしたと思います。竹山道雄がすぐれているのは上記のように、あの時期の様相と混乱のメカニズムを深く分析しながら、時代を俯瞰できるすぐれた俯瞰力をもっていたことです。その俯瞰力と日本人としての自覚により、それ以降の叙述が世界の悪意の罠に陥っていった日本の悲劇性をより洞察した表現に深化していったように思います。俯瞰力とは、縦の時間軸つまり長期の時代に沿って歴史を見る俯瞰力と、横の空間軸つまりアジア全体や世界など広域にわたって俯瞰する俯瞰力の二つがあると思います。多くの日本人が西尾先生など歴史的主体性をもった英知に啓発されてすぐれた俯瞰力を今後身に着けていけば、古い時代に培養されて現代日本人が空気のように吸っている洗脳史観を日本人が脱することができるのではないかと希望をもっております。

 わき道にそれますが、日本人が歴史の俯瞰力をもつべきであると痛感した例が、1990年代の従軍慰安婦騒動です。これは日本の反日左翼と海外の反日勢力の合作ですが、当時の日本の政治家が歴史の俯瞰力をもっていなかったために、これら反日勢力に喜劇的といえるほど翻弄された例です。慰安婦騒動は朝鮮人女性の人権を旧日本軍すなわち過去の日本が著しく蹂躙したという発想で糾弾され、現代の日本人が責任を負うべきものとして日本人のプライドは完膚なきほど国際社会で攻撃されました。

 けれども当時の政治家が歴史の俯瞰力をもって朝鮮半島歴史をさかのぼっていれば、日本こそが過去に朝鮮人女性の人権を向上させたのだということを反論できたはずです。(日韓併合は朝鮮人にとってはあまり思い出したくない過去かもしれませんんが、あそこまで一方的に日本を貶めようとする勢力がいたならば、日本の政治家はそこまで反論する勇気をもつべきだったのです)。また横の俯瞰力をもっていれば過去の世界戦場の慰安婦人権状況がどんなものだったかにも気づき、客観的研究者により調査や研究なりする必要性が思い浮かんだはずです。そうすれば、朝鮮戦争やその後については韓国大統領が慰安婦奴隷化の責任者であったことが判明したはずです。

 従軍慰安婦騒動というのは1991年ころに朝日新聞の捏造で勃発しましたが、驚くほど当時の日本の病理が集約されている現象です。「従軍慰安婦というイデオロギー」といってよいほどの現象でした。「従軍慰安婦というイデオロギー」というのは大袈裟ですが、分析すればするほどこの現象の驚くべき異常性と象徴性がわかります。まさに「イデオロギー」だったのです。まだまだこの異常性は十分に分析されつくしていないと考えます。吉田清治の捏造は有名ですが、この吉田清治のデタラメな捏造話がでたときに、左翼に占拠された歴史学界はだれもこれが捏造であることを指摘しなかったのです。ふだん史料批判や一次史料の重要性の説教をたれていた連中が誰も批判しなかったのです。一次史料とつきあわせれば簡単に捏造と発覚したのに、すぐに神話レベルまで昇格させてしまったのです。政治的意図があったからです。左翼知識人のトリックはまだまだいくらでもあります。日本が朝鮮女性の人権を向上させたと主張しても左翼学者は絶対に認めません。著しく人権蹂躙されていたのだといろいろ例をもちだすでしょう。これもトリックであり、人権基準の比較対象を現在においているからです。現在からみれば過去の人権考慮が不足しているのは当たり前です。人権状況を比較するならば、日本が朝鮮に関与する前と後を科学的、体系的に比較しなければなりません。このような左翼言論人のトリックは「徴用」という言葉を作為的に「強制連行」に置き換えて印象操作するなど数多くあります。左翼言論人が左翼マスコミと連携して徹底的に印象操作を繰り返してきました。

 またこの騒動では、いわゆる一見「保守」と見えるが、実際は保守でもなんでもないデタラメなエセ保守があぶりだされました。日韓関係や日米関係に波風を立てないように適当なところで日本の非を認めて蒸し返すなと彼らは主張したのです。過去をふりかえると、戦争の責任はすべてA級戦犯に負わせるということで日中合意をしたのだからA級戦犯をナチスと同等みたいなものにしておけと主張した連中と同類です。これら刹那的でデタラメな対応がますます反日勢力に便乗する機会を与えて、その後の日本を窮地におとしいれました。

 他にも、なぜこの時期に起こったか点に関して、つまりソ連の共産主義崩壊との因果関係なども分析されるべきです。海外に巣食う反日勢力と日本の反日左翼の反日共同体が完成しつつあったこと、国連をも動かす勢力であったことなども要注意です。

 もっとも震撼すべきことは、この騒動におけるジャーナリズムの位置づけです。日本ではよく日本社会は「空気」が支配するなどともっともらしく解説をする人間がいますが、その議論はまったく建設的ではありません。日本社会が非理性的であることを広めたいという無意識的な悪意があるのでしょう。たとえば米国でも、イラク戦争開始で米国社会のあの時点の空気が重大な作用を及ぼしたといえるように、空気はどこの国でも支配的ではありますが、もたらした結果がよければ、あれは合理的判断だったと振り返り、結果が悪ければ空気が支配したと後知恵でふりかえっているだけです。

 問題はその「空気」の質です。日本では過去長期に渡って、その空気をつくりだしてきたのはまぎれもなくジャーナリズムだったのです。あまりに低劣な品質のジャーナリズムが舌先三寸で時代の空気をつくりだしていました。空気はその時代のジャーナリズムがどちらにころぶかで決定づけられます。逆に「空気がジャーナリズムをつくったのだ」という反論もあるでしょうが、当時朝日新聞などメディアが広くいろいろな意見を求めて反論などを慎重に取り上げていれば、一方的な空気はつくられなかったはずです。空気がジャーナリズムをつくったのではなく、世論を支配できたジャーナリズムが反論を一方的に封じて当時の空気をつくったのです。

 記録が十分に残っている慰安婦騒動では、記事統計をとれば、まず慰安婦記事が朝日新聞で爆発的に広がってから、韓国や中国にその記事が広がり、欧米の記事にも広がっていったことが統計的にも突き止められると思います。これらをコンピューターなどで解析して裏付けていくべきです。日本人に限らず、韓国人や中国人、それに欧米人も空気に支配されないためには、直接的な真摯な議論を行い、それぞれが自国のジャーナリズムに躍らせられないことが重要であると確信しています。

 先日誰も予期しないタイミングで安倍首相が靖国参拝した後に、米国が非難声明を発表しました。上記の「米国が中国に取り込まれつつある」というご指摘の妥当性を暗示するものであり、少々震撼を覚えました。ふと思い出したのですが、近年しきりにメディアに登場するエズラ・ヴォーゲルという米国学者が日中、日韓の関係を改善するには首相が靖国参拝をしないことが大切だと幾度も釘をさしていました。日本の経済力脅威を話題にした「ジャパンアズナンバーワン」で米国ベストセラーになり、鄧小平以来の経済開放を分析するなど、現代の日本と中国に通じていると見られている著名学者であるので、米国指導者や高官は確実にこの言論人の主張を参考にするだろうと思われましたが、案の定、米国民主党や大使館関係などは影響を受けているのかもしれません。

 ちなみに今日のニュースも靖国問題をやっていたので、今回の安倍首相の靖国参拝をふりかえると西尾先生が7月の安倍首相の会見をご覧になって、靖国参拝をやるという総理の意志を感じたという分析は今から振り返ると正しかったですね。私は終戦記念日の中国抗議が総理の意志を決定的にしたと思います。総理が今年の終戦記念日に靖国参拝しなくても中国は終戦記念日むけの総理の談話などに中国への謝罪がなかったと抗議をしてきたのです。靖国参拝すれば猛抗議する、参拝しなければ談話が気に入らないと抗議する。このとき安倍首相は中国の意図を理解したに違いない。過去に靖国参拝しなかった首相に対して談話内容が気に入らないと中国が強い抗議をしてきたことがあったでしょうか。安倍首相を非難して日本での安倍氏の支持率を低下させ少しでも失脚を早めるための嫌がらせであったのです。また1回謝罪をしたら、それをもって2回目の謝罪を要求する、10回目の謝罪を要求するのは11回目の謝罪を保証するためです。1歩下がれば2歩も3歩も浸入してくる。少しでも抗議の機会や抗議のネタを拡大していくのが狙いです。この状態で中国の言いなりになるのは、よほど特殊な政治家であり、日本の指導者にはふさわしくありません。戦没者の慰霊に対して注文つけるのは内政干渉であるとはねのけるのが正常な態度です。しかし朝日新聞等の反日メディアのやらかしてきたことには慰安婦騒動にしろ、戦慄を感じるのみです。

 元来、靖国参拝非難など中国のカムフラージュであり、嵐のような現代の反日暴動も江沢民の時代の偏執的反日教育の成果が何十年も経って表われているに過ぎないのです、もし靖国参拝がなければ尖閣問題やら何かで同しレベルの反日暴動をやったに違いありません。戦後共産主義者を源流とする日本の反日左翼は驚異的なほど日本の教育やメディアを牛耳り、日本を苦しめて中国や韓国の反日を煽りました。従軍慰安婦捏造が朝日新聞のしわざであることなどネット人間なら誰でも知っているでしょうが、尖閣問題も1971年に中国がいきなり領土宣言をした翌年1972年にさっそく共産主義者で京都大学名誉教授でもある井上清がそれを応援する論文を発表する(これが当時の日本メディアを代表する学者でした)、そして中国共産党は目ざとくそれを見つけてさっそく利用する、詭弁をぬりかためる。江沢民時代の中国共産党の反日教育に多大な素材を与えたのも日本の反日左翼です。戦後日本は何度も何度もこういうことの繰り返しです。

 また日韓の竹島問題も、米国が日本を非武装にしたため発生したという認識が米国人にあるでしょうか。今後、竹島問題により、日韓は100年くらい互いにいがみあう関係におかれるかもしれませんが、これももとはといえば米国が強い復讐心のため日本を武装廃止させ丸裸にしたため起こったことではないでしょうか。米国はアジアに関する認識を間違えていました。「菊と刀」など空想的人間の文学作品を読んで日本を理解していたと思い込んでいたのでしょう。日本の自衛隊は李承晩が竹島を占領した翌年に編成されました。もし日本の軍隊が完全無力化されないで領土や領海を防衛していたなら、李承晩は竹島占領の野心を持たなかったと思われます。現在の韓国は、奇形的な歴史資料や強引な理屈でしか、竹島占拠の正当性を示せないのだから、それを補完するため、韓国はありとあらゆる機会やテーマをとらえて日本の落ち度や歴史認識を必死で突いてくるのが慣例になりました。米国の日本非武装化が現代の絶望的な日韓関係をもたらした大きな要因のひとつです。また日本の反日左翼の扇動も悪質で、いまだ靖国や慰安婦の問題が日韓関係の本質的障害だと見せかけようとする日本のメディアは正気の沙汰ではありません。当然韓国の指導者層の病的な反日趣味など知っていて、あのように装っているのだから、あきらかに確信犯です。

 その他ご論稿では、膨大な歴史的事実のなかで、現代日本人のあまり知らないような象徴的な歴史的事実(当時の国際連盟の実態や英国の戦略事情、当時の国際法の特殊性、中国の反日化の背景、毒ガス兵器の政治的側面など)を丹念に指摘して現代日本人の陳腐化した固定通念を打破しようとするものでした。

 個々の歴史的事実は、いつどこで誰が何をしたかという5W1Hで表されますが、その位置づけが、当然ながら重要です。たとえば、いきなりですが、戦前に中国大陸の通州で起こった通州事件というのがあります。これは当時の事件の内容が克明に記録されていますが、内容的には中国人部隊による日本人住民への凄惨な残虐行為です。これを日本人が持ち出すと、日本の左翼は必ずといっていいほど「あの中国人部隊は日本軍の飼い犬だったのだから、飼い犬に噛まれただけだ、自業自得だ」と批判してきます。けれども日本人が通州事件を持ち出すのは、当時の一部の中国人部隊の民度がどれほどのものであったかを象徴する事件だから出すのです。中国保安隊が日本軍の仲間であったかどうかなど、この際どうでもよいのです。200名以上の日本人女性(朝鮮人慰安婦もいたとのこと)が猟奇的な方法で大量に強姦され一気に殺害されたのだから、数名だけによる犯罪ではない、集団発作的に大勢でやってのけたことから、当時の中国大陸でうごめく暴徒の民度をはかることができる象徴的事件なのです。また当時の中国の民度に翻弄された日本人の悲劇を示す一例です。(もちろん、だからといって中国人全体または国民気質がこの事件に象徴されていると考えるのは明らかに行き過ぎた思考です)。

 重要な歴史的事実を知っていても、それを有効に位置づけなければ「宝」のもちぐされです。通州事件も、そのイメージは南京大虐殺の捏造イメージにそのまま受け継がれていることなどを日本人が見抜く必要あると思います。「南京大虐殺物語」に関しては、中国は外交カードとして、日本の左翼は反日カードして、強欲に「宝」として利用しつくし、日本人としての道徳的尊厳を地獄の底まで突き落とすプロパガンダとして徹底的に利用されてきました。日本を国際社会の舞台から突き落とすつもりだったのでしょう。それこそ年中行事のように悪用してきました。(日本列島を徹底洗脳して一色に染め上げたのは朝日新聞の狂信的な報道力です)

 西尾先生は、ニーチェ流と言ってよいのか、孤独なガンマンのようにご自分の言説をつくっては叩き壊す、矛盾をあまり恐れないということを繰り返してされてきたと私は思われるので、現在のお考えは変動されているかもしれませんが、以前からの西洋中心史観から距離を置くという基本的認識が、現在の「米国中心史観」から距離を置くという考え方につながっているように感じます。西尾先生の根幹には日本人としての自己主張というのがあると思っています。それが非常にわかりやすくまとめられた記述を、10年以上前にされた文部省のヒアリングでの先生ご発言から抜粋します。

(引用開始)

いまの日本人がいちばん誤解している史観というのはヨーロッパ中心史観というものであり、ヨーロッパ文明がギリシャ・ローマ文明の子孫だというふうにみんななんとなく思っておりますけれども、直系の子孫なんかではございません。途中で民族大移動があるし、イスラムの制圧もありまして、中世の暗闘を通じて、その後、ギリシャ・ローマの復活のルネッサンスはありますけれども、あれもアラビア語を媒介としながら、勉強して得たもので、要するにヨーロッパは長いあいだ野蛮な状態で、世界史に登場してこなかった。
つまりギリシャ・ローマの直系だというのは、西洋中心史観のたんなるイデオロギーにすぎません。彼らの自己主張にすぎません。日本は自分が古いシナ文明と古い西欧文明の谷間で、圧迫されてきた中途半端な国だ、みたいに思っているかもしれませんけれども、じつはまったくそうではなく、そういうふうにとらわれるのは意味がないということをここで我々は正しく認識する必要があるのではないかと思うのであります。

 すなわち、ドイツ、フランス、イギリスもそういう観点からすれば全然独自ではありません。他から学んだり、借りたりしながら、やがて独自の文明を築いたのです。日本もその点では同様です。日本は古代のシナ文明に学んだんですが、政治的な独立心は聖徳太子のころからあり、文化的には独自の日本文化とシナ文化からの影響との二重構造をなして、それは長いあいだ続きましたが、しかしながら経済的にはかなり早い時期に、江戸より前の、つまりコロンブスの時代、15-16世紀にシナ文明から独立しているのであります。
こういうふうに考えないと、明治からのわずかな期間での日本の発展の説明はできません。古代ギリシャ文明がどんなに立派でも、いまのギリシャが駄目なように、古代シナがどんなに立派でも、いまの中国は自慢できる状態にはありません。日本は古代シナから学んだのであって、いまの中国人の文化から学んだのではないのであります。そこを誤解してはいけない。他方、ヨーロッパ人は16世紀に二つの大きな先進文明、つまり、シナ文明を追い越し、イスラムの圧力から離脱し、「地理上の発見」に向かっていくわけですが、それと同じ時期に、つまりそれは日本でいえば徳川時代ですけれども、日本も自己確立を果たしているということです。

 鎖国は積極的な概念であって、消極的な概念ではないという理論は、いま近世史研究家のなかから、学界の中心的主流として滔々(とうとう)と流れ出している。だから家光が鎖国令を出したなんていうのは完全な間違いでありまして、あれは寛永16年まで蛮族打ち払いの令を出したにすぎないのであります。日本はポルトガルと断交したにすぎない。
 そういうふうに考えますと、江戸時代の歴史を暗黒に塗り上げてしまったいままでの歴史観を見直そうではないかということになる。ヨーロッパと同じ時期に、地球の東と西は暗闇が続いていた中世から脱して、ともに16世紀から18世紀にかけて、同時勃興をする時期があったんだというふうに考えなくてはならない。・・

(引用終了)

 ちなみに、この西洋中心史観というものも、将来は、イスラム圏の自己主張やアジア諸国の問題提起により世界的に衰退していく時期がくるのではないかという気配は感じています。わき道にそれますが、イスラム諸国に属する学者の主張を読むと、日本人のイスラムに対する歴史観(政治史や経済史、宗教史、科学史など)は、欧米学者のイスラム歴史への偏った先入観をそのまま日本人は受け継いでいると主張しています。日本人は主体的に自画像を描きつつ、それを世界史のなかで客観的に位置づけるために、欧米以外の歴史観や史料をも積極的に取り入れて欧米中心史観を相対化していくべき必要があると思われます。また幻想かもしれませんが、ガラパゴスであるかのように宗教と社会制度が一致した特殊な異空間と日本人が見ているであろうイスラムでもイスラム金融などは世界の金融を劇的に変える潜在力があるかもしれないと私などは空想することがあります。戦前に存在した世界的思考をもった有能な日本人のイスラムへの洞察は現代から見ても瞠目すべきものがあるというので、これらなども発掘され再評価されるべきではないかと考えます。西尾先生の「GHQ焚書図書開封」はいずれその方面へ意識覚醒につながる潜在性があるというのは大袈裟でしょうか。

 先生が上記の通り、西洋中心史観から離脱を表明されたあとに取り組まれた対象が江戸時代でした。分量が大量だったので私はつまみ食い的読み方しかできませんでしたが、江戸のダイナズムは現代に生きる人間が固定観念を排して全知と想像力を傾けて歴史を振り返って自画像を描くという見事なお手本と思いました。あくまで自画像を描くというスタンスです。私の気のせいかもしれませんが、近代史に関する著作とくらべて、より快活でのびやかな筆致と感じましたが、現代政治の呪縛からのがれていること、豊富な文学的史料が中核となるためでしょうか。ともかくこの著作はいずれじっくり読み直したい本のひとつです。自画像とはこのように描く模範であると思います。

 近代から大東亜戦争に至った日本をどう俯瞰するかに関して、基本的に西尾先生は、西洋への挑戦に対する日本の反撃ととらえられているように思います。これに啓発されて、私も新鮮な思いで歴史を振り返ってみましたが、近代における西洋の世界への拡張というのは次の5つの側面があると思われます。
1)近代文明(人権など近代法に基づく考え方)の威光
2)経済圏の拡張(産業革命による経済近代化と世界進出)
3)「2)」の強大な力、特に軍事力をもとに白人支配(有色人種の奴隷化)
4)キリスト教の拡張(西洋人から見ると「異教徒」の駆逐)
5)西洋の鬼子思想としての共産主義浸透

 日本は上記の課題に対して、どのように対応したかというと、「1)」および「2)」については、その普遍性を率直に認めて、日本なりに移植しようとして苦心惨憺、表面上は成功しました。そして、それらの成功をもって「3)」の白人支配脅威に反撃しました。日本は、台湾や朝鮮、満州に対して「1)」および「2)」を移植しました。現代から見れば不十分や矛盾もあるでしょうが、教育への情熱など、有色人種への過酷な白人支配に一石を投じる成果でした。ただし朝鮮民族などにとっては民族自決を損なうものでした。「4)」については特に敵対することはしませんでした。宗教戦争は日本の国民性にそぐわないものであり、廃仏毀釈など起こりましたが、神道と仏教を平和共存させて、国の安寧を祈る天皇を中心とした調和的な信仰をもっていた日本人はキリスト教も平和的に取り入れて土着化させました。西洋のキリスト教をモデルにしたと思われる国家神道は人工的なものであったと現時点では思っています。(そのため無理やり輸出しようとしたり国内で反発が起きた)。ただし、日本人は敵と思ってなくとも、西洋キリスト教は(勿論すべてではなく、その一部ですが)日本人の信仰を敵視して、攻撃の機会を狙っていました。自国の黒人が奴隷化されていることは棚にあげて、日本人が中国人を奴隷化しようとしていると日本を敵視した二重人格的な正義をもつ米国のキリスト教徒たちなどです。最後の「5)」の共産主義は世界を混乱におとしていれました。日本は長年翻弄され、的確に対処できませんでした。共産主義こそ有色人種の奴隷化と白人支配を終わらせるものだと狂喜した世界の知識人は、その後その恐るべき本性を知らさせることになりました。共産主義思想は社会科学の形をとっており、自然科学が権威をもつのに乗じて人々を幻惑した社会科学はあまりにデタラメ(厳格な実験を省いた自然科学みたいなものであり、独善的な理論ばかり横行)インテリの思考を混乱させました。

 もはや「3)」が表面的には無くなったことには日本人の貢献も大きいと考えます。それ以外の課題は現代も続いています。誰も正確に把握できないであろうグローバリズムは、上記が複雑に混在しています。キリスト教とイスラム教の対立や勢力争いは、今後千年は続くのではないでしょうか。

 また東アジアで共通の歴史観をもつことは難しいでしょう。中国や韓国は日本人の悪行だけ協調して功績は認めないでしょう。日本の歴史思想は相変わらず左翼の勢力が強いと思いますが、田母神氏の論文をめぐる西尾先生と秦郁彦氏の対立(というか論争)は色々と考えさせられました。秦郁彦氏はおそらく日本人の白人支配終焉などへの功績を全面否定されているわけではないですが、日本の過去の指導層(政治家および軍人の一部)に対しては、あくまで結果責任を問い、外国の悪意のせいでは済ませられないという姿勢のようです。その基底には、ドイツのナチスと日本の指導者はまったく違いますが、日本人を指導層と一般国民に分けて前者の非を問うという意味で、ドイツ人が一般国民を免責するのと同じような発想をされているのではないかと感じました。

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