村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第二回)

4)われわれは追いつくことが出来るものはたいてい追いついてしまったし、なかには追い越してしまったものも数多くあることは確実だった。だが、追いつくことがもともと出来ないものは、はじめからわれわれの「西欧」のイメージのなかには含まれていなかったのかもしれない。 
全集第一巻 ヨーロッパ像の転換 P16下段より

5)日本人は、異常なまでに外国のものに関心をいだき、そして絶えず敏感に反応する。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換P21上段より  

6)日本人には積極的な罪悪観がないから、人間同士の和をみだすことが消極的な罪悪となるのかもしれない。ということは、それほどにも日本人は和をたっとび、調和を愛し、人間相互の理解を素朴に信じたがるお人好しの国民だといいかえてもいいだろう。おそらくそれは、われわれが祖先から受け継いだ積極的な美徳のひとつなのであり、いまさら変えようもないわれわれの道徳観の根本をなしているといっていいかもしれない。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P35上段より

7)近代日本の浪漫主義は、束縛を破る行為のみを自由であるとし、束縛を超える自由についてはいささかも知らずに来たのだ。
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P42下段より

8)個人主義というも、自由主義というも、ヨーロッパ人の日々の生活が産み出してきた必要の結果であって、決して近代日本にみられるような未来に達成すべき生の目標ではないのではないか?
全集第一巻ヨーロッパ像の転換 P43上段より

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