『GHQ焚書図書開封 9』の刊行(三)

GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書) GHQ焚書図書開封9: アメリカからの「宣戦布告」 (一般書)
(2014/03/19)
西尾 幹二

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アマゾンレビューより

By 真実真理

 本書は、日本を苦しめることになる1922年の9カ国条約の成立、ワシントン体制以後の史実を、第1部において、米英の東亜攪乱(毎日新聞社、昭和18年9月)、満州の過去と将来(長野朗 昭和6年10月)を参照し、第2部において、米英挑戦の真相(毎日新聞社、昭和18年6月)、米国の世界侵略(同、5月)を引用して、著者が解説した本である。

 日本は、日清戦争後のロシアの満州への領土拡張に自国防衛の危機を感じ、満州及び朝鮮からロシアを排斥する日露戦争を戦い勝利した。日本は、1905年のポーツマス講和条約により、南満州(関東州)、南満州鉄道及びその付属地に対する権益を得た。

 元来、満州は、清王朝を建国した満州民族の土地であり、清朝時代には行政権は及ばず、漢民族は万里の長城を超えて満州に入ることが禁止されていた(封禁の地)。1911年の辛亥革命により清朝が崩壊し、支那本土及び満州、内モンゴルは、各地で匪賊、軍属が支配し政府のない混沌とした状態であった。

 資源や生産物がなく、人口過剰の日本は、生命線を求めて、この満州に投資を拡大させた。1930年における投資比率は、日本70%、ソ連26%、米国1%、英国1%であった。また、1928~30年に掛けて、世界恐慌による米国の日本からの輸入品排斥のための高関税(ホーリースムート法)の実施、英国領への輸入禁止(ブロック経済)により、ブロックを持たない日本は、生きて行くため満州への投資を拡大させざるを得なかった。

 この間、1917年に、米国は満州及び内モンゴルにおける日本の特殊権益を認めるという石井-ランシング協定が米国との間で成立した。しかし、国際連盟に加入しなかった米国は、1921~22年に、日本を抑圧し、自らの海軍力を増強し要塞の整備のために、ワシントン会議を主催した。

 この会議において、米国は、満州における権益獲得のため、石井-ランシング協定を破棄し日英同盟を破棄させ、支那における機会均等、門戸開放、主権尊重を提唱する9カ国条約を成立させた(ワシントン体制)。

 しかし、このワシントン体制は、満州における権益の獲得を目指す米国が支那に加担し、これが支那を増長させ支那を条約無視(革命外交)に走らせた。これにより、ワシントン体制は1927年頃には崩壊して行くことになる。

満州は、日本人による満州鉄道及び付属地の発展、工業化により豊かになると、混乱の極みにある支那本土から豊かで平和な生活を求めて多くの漢民族が流入してきた。それにより漢民族が繁栄すると、漢民族は、満州人、蒙古人、朝鮮人、日本人を排斥し、多くの反日運動、匪賊による暴動が、支那及び満州において頻発した(この時の支那の事情は、満州事変と重光駐華公使報告書に詳しい)。

 このような混乱の中、1931年9月18日に、満州の安寧を目的として満州事変が起こるべくして起こった。その後、満州に、政治行政を至らしめるため、1932年に、5民族の共和による満州国が建国された(この時の日本人の情熱を持った公正な国造りは、見果てぬ夢 満州国外史 星野直樹 ダイヤモンド社に詳しい。)。

 この日本の行為に対して国際連盟は、リットン調査団(米国は連盟加盟国でないにもかかわらず団員が任命されている)を派遣して、満州事情を調査させた。

 報告書によると、満州は特殊な土地であり、単に日本が侵略占領したという単純な問題ではない、満州の事情に精通した者のみが適正な判断をする資格を有するとしているが、満州を国際連盟による管理とすることを結論とした。

 これに対して、日本の松岡全権は、「匪賊や不逞漢の跳梁するこの国を連盟管理で治安が維持できるとすることは、事情を熟知している日本から見ると荒唐無稽であり、有り得ないことである。人類は2000年前にナザレのイエスを十字架に懸けたが、今ではそれを後悔し世界はイエスを理解している。諸君は日本の行為を誤解し、日本をイエスと同じく十字架に懸けようとしているが、いずれ後悔し日本の行為は理解される日が来るであろう。」という各国代表に強い感銘を与えた有名な十字架演説を連盟総会で行っている。

 1937年7月7日に、支那側の挑発により支那事変が勃発したが、連盟を主導する英国は、非同盟国の米国を引きづり込むため、9カ国条約会議を開催し、日本を9ケ国条約違反として断罪するつもりであった。

 しかし、日本は、支那事変は支那側の挑発に対する自衛行動であるので、9ケ国条約の範囲外である、解決の要諦は支那が自粛自省し、日本との提携政策に転向することである、支那の事情を知らない東亜に関係の薄い諸国が会議において解決を図るのは却って有害であると、会議への参加を拒絶した。英国は米国ばかりでなくソ連も利用して日本を抑圧しようとしたが、英国と支那の連盟工作は実質上失敗に終わった、とある。

 また、本書第2部においては、米国の対日経済圧迫、対日石油圧迫、経済封鎖、資産封鎖、国際連盟の名を借りた英米の世界制覇、世界の1/3を占めた覇権国家・英米への日本の正当なる反逆について記述されている。

米国は、1939年7月26日、30年間、友好親善の礎となってきた日米通商条約の破棄を、突然、一方的に日本に通告した。これは、日本への輸出を自由に禁止できるようにするためであった。

 以後、米国は、1941年8月1日に石油の全面輸出禁止に至るまで、航空機燃料、機械、屑鉄、非鉄金属などほぼ全ての材料、商品につき、漸次、日本への輸出を禁止した。この間、米国は、自国からの輸出だけでなく、フィリピン、南米から日本への輸出を禁止させ、英国、オランダに対して東南アジアから日本へのゴム、錫などの資源の輸出を禁止させ、米の輸出を妨害した。また、米国は、日本とオランダとの石油輸入交渉を妨害し、オランダ領インドネシアからの石油の輸出を禁止させ、日本船のパナマ運河の通行を禁止した。また、支那及び米国本土において、日本製品を排斥し、第2次上海事変(1937年8月)でのプロパガンダ写真を流布するなど、反日世論の形成に手段を選ばなかった。航空機及びその部品の日本への輸出禁止は、通商条約破棄前に既に行われていた。

 遂に、米国は、1941年7月25日に在米日本資産を完全に凍結し日本の商業活動を完全に停止させ、8月1日には全面対日石油輸出禁止に踏み切きる一方、中立法を改正し武器貸与法を成立させ、資金、武器、軍人などの蒋介石への援助を増大させ、南京から日本本土への空爆を立案している(予備役、退役米軍人フライングタイガーの南京への派兵、ルーズベルトは出撃同意書に署名している)。

 このとき、米国は、日本を窒息させる政策を行えば、日本を容易に屈伏させることができると考えていた。これにより、日本は、戦力と経済力が日々低下する中、否応なしに屈伏か、決起かの決断を強要されたとある。

 最後に、経済封鎖について、次のように記述している。
 平時封鎖は、戦闘が行われていないにも係わらず、強国がその専横を欲しいままにするため牽強付会の理屈を付けて弱国を虐げる用具としたもので、本質上敵性を有していることは議論の余地がない。したがって、被封鎖国は、当然に、これを何時でも戦争原因と見做し得るのである。
 逆に、弱小国が強国の港湾を単に封鎖しただけでも、強国は、直ちに、戦争を開始するのは必定である。
 このような我が儘な慣行は、建設されるべき世界秩序において容認できない。現実に即して考えれば、かくのごとき圧迫手段のために苦痛を蒙るものは、持たざる国とその国民のみである。
 豊富な資源と強力な海軍力を有するアングロサクソンは、この種の圧迫に対して何ら痛痒をも感じることはない。

 経済封鎖は、米英が自己保持のため、帝国主義的進出のために、仮借なき経済戦争を極力普及させて、世界制覇の夢を実現する手段とするものである。
 係る利己的制度は、国際連盟そのものと共に、新秩序下においてはこれを解消せしむべきこと勿論である。と記載している。

米国が連盟加盟国と結託して、日本を完全に経済封鎖し、外国から資源、材料が日本に完全に輸入されなくなったことが戦争の原因であるとする。

 本書に記載された米英の日本への軍事、経済圧迫は、東條英機の宣誓供述書の内容と完全に一致する。

 本書は、歴史の真実を追究し、日本の自虐史観を改めるに必須の書籍である。戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、それを疑わないできた日本人、特に、政治家、評論家、ジャーナリスト、学者などは、本シリーズ第5巻~8巻を合わせて、必読すべきである。
 多くの日本人が是非とも読まれることを薦める。

「『GHQ焚書図書開封 9』の刊行(三)」への2件のフィードバック

  1. GHQ焚書開封の新刊、たいへん素晴らしいことでこれより購入いたしたく思います。また村山さんによる西尾先生のアフォリズム集の連載も興味深く拝見しています。私は『ヨーロッパの個人主義』よりも『ヨーロッパ像の転換』の方に西尾先生の原点があると思う人間なのですが、そんな私でも『ヨーロッパ像の転換』で見落としていた表現が村山さんの連載を通じて知ることができました。
     それらへの期待や感想を記したいとも思うのですが、本日は先生の全集第九巻への感想を少し記したいと思います。最近は暇人の私にしては珍しく忙しく、全集第九巻を読む時間がなかったのですが、ようやく読み始めて、いま半分の300頁くらいまで読んでいるところでございます。今までの全集各巻ももちろんそうでしたが、今回の巻はより一層盛りだくさんの料理の観があり、自分自身で感じたことを整理したくみたくなったのです。

     たくさんのことを記したいのですが、コメント欄ということをふまえてあえて絞りますと、半分のところまで読んだうちで興味深く感じられたのは平家物語論と「老成と潔癖」論のところでした。

     私自身も大学入学以来、学内文学サークルや学外の文学仲間の会などにずいぶん長く席をおいてきた人間でした。私たち文学青年の中で最も優れているとされる近代文学小説の模範はマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」で、プルーストを語るだけでサークル内の女性にもてるというくらいでした(笑)しかし私にはプルーストの小説は当時から今に至るまで、少しも面白くありません。その理由を文学的にいえないまま今日まで来てしまったのですが、けれどその答えが西尾先生の平家物語論にあることにはっと気づきました。
     文学仲間たちがプルーストをなぜ高く評価していたかというと、彼の長編小説は複雑な時間操作をおこなっており、作品を書く作者の「神の視点」が極限にまで達しているからだ、ということに尽きていました。近代小説においては、作者は客観主義的な世界にいて安定したものでなければならない。無頼派の感情的な小説にしても、感情的客観者という「一人の視点」からは動いていないのであって、その視点はやはり「神の視点」ということになってきます。
     私はそういう観方にまったく不満で、時間操作を作品でおこなえる「神の視点」=作者ということなら、SF小説あたりがずっと面白くやっていて、別に近代純文学小説に限ったことではない、と考えていました。せいぜい技術論の小さな進化がプルーストにあるに過ぎないと思います。そしてそもそも、「一人の視点」という近代小説の客観主義の前提がある意味の虚構であると思うべきなのではないか、という疑問がわいてきて、自分は正統派の文学愛好からどんどんずれていくことになります。
     平家物語はこの前提をすべて無くしているところに生まれているわけです。作者はめまぐるしく立場を変えて登場人物に冷たくしたり、温かい同情を注いだり、冷静に描写をしたりする。「神の視点」「一人の視点」は放棄されていて、まるでインド神話の神のように、とらえどころのない作者の表情が私たちをいろんなところに導く。
     西尾先生が言われるように、ヨーロッパ的な時間概念や小説概念にどっぷり浸っている私たちには、こうした物語を読むことは、いったんは非常に困難を感じます。しかしその困難に慣れると、私たちの思考の足かせになっていたものが取り払われたような気がしてきます。西尾先生の見事な指摘は、この物語の主人公が、後白河法皇であるのだ、ということでしょう。後白河法皇はそれほど登場回数の多いわけではない。そして客観的な描写などはほとんどありません。しかしその寡黙な陰謀家振りは、描かれなければ描かれないほど存在感を増していく。物語の言葉の流れの表面のスレスレの裏のところで、彼は読者の感性を刺激していきます。このような描かれない主人公というのは、近代小説からは邪道でしょう。しかし近代小説にまったくありえない面白さ、大きな可能性があるのでしょう。
     たとえば私はサルトルは哲学者としては素晴らしいが、小説家としては二流だと思います。特に長編小説は面白くない。これは中村真一郎さんが言われていましたが、サルトルの小説には「骨組み」しかないからです。サルトルはプルーストをたいへん熱心に勉強したようですが、「骨組み」だけはそこから学ぶことに成功した。「神の視点」です。
     しかし「神の視点」の「神」の表情が単調だから、骨組みはあっても肉付きはほとんどできないまま終わってしまったわけです。プルースト賛美の文学青年たちは結局のところ、サルトルのような文学優等生に終わる。文学青年こそが近代の枠組みにどっぷり浸っているある種の保守性をもっているからで、私はその保守性が嫌で、次第に純文学議論から遠ざかるようになりました。文学青年がもし本当に若々しいならば、そんな枠組みなんか壊して、近代以前の物語を書いてみせるくらいの気概が本当は必要なのではないでしょうか。
     その文学青年の「青年」性について論じられているのが「老成と潔癖」という先生のいまひとつの文学評論です。長くなりましたので書きたいことを割愛いたしますが、近代文学においては、青年の潔癖と大人の老成は対立物であって、前者が純文学の根拠であったけれども(志賀直哉は成熟を拒否するために作家になった)しかしその対立物はいつのまにか逆転していって、今では文学者の方が老成してともすれば自閉する気配があると西尾先生は指摘されています。その中で、私はまったく同感なのですが、三田誠広のようなタチの悪い「老成の演技者」も出現するわけです。私が嫌がったかつてのプルースト愛好者の文学仲間の「保守性」も、「老成の演技者」であって、私の方が「潔癖」で純文学を敬遠するようになったのかもしれません(笑)

     いずれにしても、プルースト崇拝にせよ、老成・潔癖の二元論にしても、ごく狭い近代的枠組みの一種に過ぎないのです。「文学的なるもの」はもっとずっと普遍的なものであって、瓦解しつつある近代文学の枠組みから自由な人間の方が逆に「文学的」であるということはこれからますます多くなるように思われます。

     繰り返しになりますがまだ全集九巻は真ん中までしか読んでいません。後半に出てくる野坂昭如論や小川国夫論、また江藤淳との対談も相当にボリュームありそうで楽しみにしております。しばらくのちにまたコメント欄を通じて第九巻後半の感想を記したいと思います。

  2.  
    >
    >・・・漢民族は、満州人、蒙古人、朝鮮人日本人を排斥し、多くの反日運動、匪賊による暴動が、支那及び満州において頻発した(この時の支那の事情は、満州事 変と重光駐華公使報告書に詳しい)。このような混乱の中、1931年9月18日に、満州の安寧を目的として満州事変が起こるべくして起こった。
    >
    >・・・この日本の行為に対して国際連盟は、リットン調査団・・を派遣して、満州事情を調査させた。報告書によると、満州は特殊な土地であり、単に日本が侵略占領したという単純な問題ではない・・
    >
    >・・・これに対して、日本の松岡全権は、「匪賊や不逞漢の跳梁 するこの国を連盟管理で治安が維持できるとすることは 事情を熟知している日本から見ると荒唐無稽であり、有り得ないことである・・・
    >

    西尾さま、初めまして。

    単刀直入なコメントになりまして恐縮ですが
    リットン報告書では関東軍の行動を単純な侵略ではないとしつつ「自衛とは認められない。」とも述べられていたと思います。

    日本としては匪族の暴動や反日運動が問題であったのであれば、まず国際連盟や九カ国条約会議の場で仲裁を求めるべきだったでしょうね。

    いきなり自作自演の鉄道爆破で相手から攻撃されたと詐称して既存の権益の何十倍もの地域を占領して
    長期的に統治しようとしたのは権益の破壊や、存立への脅威に対する正当な行為とは思えません。

    自衛を口実とした、利権の拡大でしかないでしょう。
     

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