村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム(第十七回)

(8-11)人間は貴重な閑雅や無為を愉しみつつ、ゆっくり成熟の時刻(とき)を待たなけれならない。

(8-12)ニーチェが『善悪の彼岸』の中で、「勤勉は宗教的な本能を破壊する」と書いたとき、ブルクハルトはこれに共感を表明した。

(8-13)私は教育をなにかのための手段とは見ない、能率や効果から解放された、理想的な状態のもとに認めたいという欲求を一方では持っている。けれども、そんなことをすれば、日本のような後進国はたぶん近代化から取り残されたであろう、とも他方では考える。

(8-14)けれども、日本は教育によって社会主義革命にも近いような階級の分解作業をなし遂げて来た国でもある、と私は考えている。

(8-15)しかしイギリスでは労働者階級の子弟は高い教育を受けることを必ずしも望まないし、親も決してそれを好まないのだ。高い教育を受けた結果、彼らの思考方法や生活の理想が中流階級的になって、家庭の内部で親兄弟との違和感を惹き起こすなど、同族集団の中に断絶と変化が起こるのを恐れるからである。

出展 全集第8巻 教育文明論
(8-11) P32 上段より  「日本の教育 ドイツの教育」を書く前に私が教育について考えていたこと
(8-12) P32 下段より
(8-13) P33 下段より
(8-14) P34 上段より
(8-15) P36 下段より

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