阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十一回」

(8-48)順位の高い大学は入学者選抜においてはじつに大幅な自由を楽しむことが出来る。序列順位トップの大学は100パーセント完璧な自由―他の業界では存在しない自由、この世のものとも思えぬ自由を握りしめている。この自由が、とりも直さず、大学間の無競争状態をもたらすと同時に、高校以下の日本の学校教育を著しく不自由にしている。

(8-49)東大を母艦にし他の有力大学が周りを取り巻いて、東大の追い落としを決して考えないで、利益を分ち合うもたれ合い、馴れ合いの〝護送船団方式〟を組み、明治以来今日まで進んできた序列構造。「大学の自治」でガードが固く、文部省もひたすらこれの温存維持に手を貸す以外に智恵がない。

(8-50)真実の認識、絶望的な困難に面と向かわないでいる限り、半歩の前進もじつは望めまい。壁の硬さを知る者だけが、たとえ小さな穴でもよい。実際に穴のあく鑿(のみ)の振るい方を心得ている。

(8-51)自治とは何をやってもいいということでは勿論ない。自分で自分をちゃんと管理できて、世の中に責任を問えるということでなくてはならないであろう。それに耐えるだけの行動をしなければ、自治の名に値しない。

(8-52)人間は余りに自明な、はっきりと目に映る、不合理な社会意識に、理由もなく自分が縛られ、支配されている事実をなるべく見たがらない存在である。言っても仕方がない。だから言葉にしたくない。そういう感情も働いているであろう。
 けれども、逆にいうとこれは、不合理な社会意識の圧倒する力の存在を認めてしまうことである。

(8-53)しょせん受験生の偏差値、入学試験の難易度で競争の勝敗が決められる。そうして出来上がった序列にむしろ教授たちが無反省にぶら下がっているのが実情である。教授が学生に、大人が子供に依存している構図である。

出展 全集第八巻
「Ⅴ 教育と自由―中教審報告から大学改革へ」
(8-48) P567 上段「第二章 自由の修正と自由の回復」より
(8-49) P581 上段「第二章 自由の修正と自由の回復」より
(8-50) P582 上段「第二章 自由の修正と自由の回復」より
(8-51) P585 下段「第二章 自由の修正と自由の回復」より
(8-52) P604 下段「第二章 自由の修正と自由の回復」より
(8-53) P626 上段「第三章 すべての鍵を握る大学改革」より

「阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十一回」」への1件のフィードバック

  1. >8-49)東大を母艦にし他の有力大学が周りを取り巻いて、東大の追い落としを決して考えないで、利益を分ち合うもたれ合い、馴れ合いの〝護送船団方式〟を組み、明治以来今日まで進んできた序列構造。「大学の自治」でガードが固く、文部省もひたすらこれの温存維持に手を貸す以外に智恵がない。 <

    西尾先生がひたすら「自由」と向き合う時必ず添えている対句として、「競争」の原理を述べられていますね。

    「アゴーン」という言葉ですね。

    「競争」・・・つまり競い合うことに本当の「自由」の本質があると。
    古代ギリシャにはそれが存在していたと、いろんな作品のなかで見かけることができます。

    日本の教育環境に今何が足りないのかと問われたら、単純にこの「アゴーン」の原理だと言えるのでしょう。
    この理論は全集第一版から受け継がれている「西尾イズム」だろうと予測しております。
    私はまだ一冊目しか読み終えていませんが、全集の最大のテーマは「自由」の真実なのではないかと予測しております。

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