阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十二回」

(8-54)人間は努力し向上を目指す一面を持つ存在だが、それと同時に何もしない安逸と現状への満足に埋没する一面を持つ存在である。

(8-55)私学の中からなぜ早慶を凌ぐ有力大学が出現しないのか。〝私学の時代〟の到来を叫ぶ今日にしては矛盾した話である。

(8-56)本当の意味での学問は、明日必ずしも実利に結びつくとは限らないものを、楽しみながら熱愛する一種の貴族的精神、あるいは遊戯(ゲーム)の精神を必要とするはずだが、

(8-57)最高度の天才にしても、この自己の限界に対する自覚がなければ、決して創造的にはなり得ない。自己の置かれている不平等―神に対する不平等も含む―との戦いが、始めて人間を創造的にする。

(8-58)いわゆる有名大学は優秀な学生が集まるから、悪い教育をしても許され、学生たちは〝競争の精神(アゴーン)〟を忘れ、知らぬ間に、日本の学問は無間地獄に堕ちて行く、

(8-59)教え子の出口の義務さえ負わないで、無限の自由の中に生きている組織は、自らの生産物(学問)の質にまで腐食が及ぶ。

(8-60)大学が世界に例のないタテ並び序列構造を示したままなので、現実には幼い子供たちにまで迷惑をかけている。大学の衰弱が日本の教育全体の生産性を引き下げている。大学と大学教授が現状の温室暮しを自ら壊し、自己改革しない限り、「教育」は先細りし、明治以来日本が誇りにしてきた教育主導の国造りはいったい何処の話かということになろう。

出展 全集第八巻
「Ⅴ 教育と自由―中教審報告から大学改革へ」
(8-54) P629 上段「第三章 すべての鍵を握る大学改革」より
(8-55) P634 上段「第三章 すべての鍵を握る大学改革」より
(8-56) P636 下段「第三章 すべての鍵を握る大学改革」より
(8-57) P649 下段から650上段「第三章 すべての鍵を握る大学改革」より
(8-58) P656 上段「第三章 すべての鍵を握る大学改革」より
(8-59) P658 下段「第三章 すべての鍵を握る大学改革」より
(8-60) P661 上段「第三章 すべての鍵を握る大学改革」より

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