阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十三回」

(8-61)教育の中に分からないもの、及ばないものが入ってきてはいけないという考えが、教育を狭めてしまうことになる。

(8-62)文化の最奥、生動する未知の世界、未解決・困難な部分に、できるだけ多くの人が開かれていること、誰でもがそれに近づく可能性において自由であること―それが私の考える〝教育と自由〟のテーマにおける「自由」の真の意味だということである。

(8-63)日本の大学制度はドイツやアメリカのそれを模範として創られたはずだ。ところが建物や組織形態は真似たが、その運営の仕方は少しも学んでいない。

(8-64)日本人だから日本人的に生きて構わないし、またそれ以外には誰だって生きようがない。ただ、自分が学んでいる西洋の学問と自分の日々の生き方との間に生ずる微妙なズレだけは、終始意識していなくてはならないであろう。

(8-65)いま日本が最も必要としているのは、世界をリードする思想の力、知的先駆性、情報の発信力、科学技術でいえば基礎開発力である。日本はこれまでその部分を欧米の知性に頼ってきた。自分で世界像を組み立てる努力を必要としなかった。しかし今われわれは自分のパースペクティヴで世界像を描き出す能力を国内からだけでなく、国外からも求められている。

出展 全集第八巻
「Ⅴ 教育と自由―中教審報告から大学改革へ」
(8-61) P667 上段「終章 競争はすでに最初に終了している」より
(8-62) P667 下段「終章 競争はすでに最初に終了している」より
(8-63) P684 上段「終章 競争はすでに最初に終了している」より
(8-64) P684 下段「終章 競争はすでに最初に終了している」より
(8-65) P685 下段「終章 競争はすでに最初に終了している」より

「阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第三十三回」」への2件のフィードバック

  1. 日本は「自分で世界像を組み立てる努力を必要としなかった。」
    やや唖然としました。自分で世界像を組み立てる努力とは、そもそも必要とする事であろうか。学問に携わる者の、「必要」とする事ではなく、「義務」であり「資格」であると、私は学生時代から念じて来ました。
    だから高校時代から、文部省のそれを「必要としない」カリキュラムとは、真っ向からそりが合いませんでした。大学受験を大方失敗したのも、「必要としない」事を「義務」や自分なりの「資格」と見做していた事による、一種の悲喜劇であったと思われます。
    否、「必要としない」人々との齟齬、対決は未だに続いていると言って過言ではない。欧米の知性の下僕は、欧米の知性のパートナーを引きずりおろす事に懸命な様です。江戸時代末期の幕府昌平坂学問所から明治時代の指導者は輩出されなかった。おそらく平成時代末期の東大から次時代の指導者は出ないでありましょう。

  2. 何度かに分けて掲載されている西尾先生のこの時期の文章を読みますと、ニーチェの嫌った(というか、危惧したというか)知識人の水平化や人間の水平化に警笛をならすような表現が多いという印象を受けます。でもこれは大変奥深い概念と思います。義務教育を大量生産的に考えることへの警笛ですね。左翼も一見同じようなことを言ってましたが、左翼は「自由=反権力(反国家)」の図式が念頭にあるから全然ニュアンスが違いました。
    また当時の日本は「経済や科学技術では欧米に追いついたからこれからは追い越せ」という浮ついた風潮もありましたが、それに対して「本当に内実は伴っているのか」と警笛をならす意味あいもあったのでしょうか。「製品だけ洪水のように輸出しているが日本人の顔が見えない」という欧米人の声も当時あったと思います。

    でもその後のアジアの状況は日本人がじっくりと未来への自画像を熟成するのにはほど遠い環境になってしまいました。それどころか、共産主義衰退で落ち目になった日本の左翼が中国と韓国の反日を鬼のように焚き付けて日本たたきの内戦がはじまりました。それで西尾先生もだんだんと戦闘モード?になっていかれたと思います。たとえば西尾先生なら以前の外国人特派員協会で話すテーマとすれば日本文化や思想など人文社会的テーマがふさわしいと勝手に思ったりしますが、なんと戦地売春婦のテーマで外国人に反論しなければならない時代がくるなど(世界での日本の躍進を夢見たあの時代には)夢想だにされなかったのではないでしょうか。
    建設的な未来の自画像を描く時代から、有無を言わさず後ろ向きに過去の自画像を描くよう強制されたのは日本人の試練でしょうか。今でも吉田裕など(西尾先生をインタビューでひっかけて落とし入れたくせに自分はインタビューに応じようとしないNYT記者のノリミツオオニシの相棒)など反日ロボットは相変わらず日本語や英語で「日本人はまだまだ加害者意識が足りないぞ」とほえまくっています。まだまだ日本人には憂鬱な時代が続くと思いますが、多くの洗脳にひっかかった日本人が目覚めているのでなんとかなるのではないかと楽観的に思います。

    あまり「学」はない自分ですが「日本人が描く世界像」に絶対につけくわえてほしいものがあります。それは共産主義者が戦後日本で何を行ってきたかです。戦前はあまりに証拠はないかもしれませんが、戦後は証拠が膨大にあります。うかうかすると日本の左翼によって「世界で共産主義は害悪ももたらしたが日本では共産主義者は平和に貢献した」などとウソ八百を世界に広げられる可能性があります。日本の左翼で共産主義者は、徹底的に中国や韓国の日本に対する憎しみを煽り、恨みをかきたて、ものの見事に日本を窮地に落とし入れました。この真実だけは絶対に世界史にフィードバックしていただきたいと思っております。

    非常に低次元の話になるかもしれませんが、よく外国人が日本人の考えていることがわからないと言っていた時代から現代は一変したような気がします。インターネットで誰でも情報発信できるようになり一般日本人によって膨大な情報量は(英文でも)発信されるようになりました。(英文プロパガンダの分野では中国や韓国のほうが優勢かもしれませんが・・)
    アニメなどの日本の文化発信力もなかなかのもので現代の外国人などは知性の高い人間でも日本アニメに日本の思想性を感じるようです。最近も優秀なスロバキア人が日本アニメで精神形成したと言っていましたしアメリカ人がアニメで日本人の世界観を学んだと言ってました。
    だんだんとピントがはずれてきました。失礼しました。

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