2015年の新年を迎えて(一)

 やっと年末から正月にかけての雑用が終った。年賀状が約700枚。これの処理が毎年とてつもなく重い仕事である。これでも200枚ほど減らしたのだ。

 年賀状はもう止めようかと何度も思った。しかしながら小さな交信の言葉、短い文章が伝えてくるサインに、心を轟かせる。私は厭世家ではない。結局、人間好きなのだと思う。

 今年の私の年賀状は業者にたのんで次の文章を活版印刷させた。パソコンでは私の技術の拙さもあって、きれいに印刷できないからである。

賀正 私は今年八十歳を迎えます。最近は長寿の方が多いので、自分もその一人と呑気にしていますが、老衰で死ぬのは滅多にないこと、それは異常な例外で、自然は二、三百年にたった一人という割合でこの特典を与えている。自分が今達している年齢そのものが普通はあまりそこまで到達できない年齢だと考えるべきではないか、と言ったのはじつはモンテーニュなのです。そのとき彼は四十七歳で、三年後に死亡しています。十六世紀のヨーロッパの平均年齢は二十一歳でした。そして、彼は自分の知る限り、今も昔も人間の立派な行いは三十歳以前のものの方が多いような気がする、と付言しています。

平成二十七年 元旦 西尾幹二

 ご覧の通り、内容は厭世的である。自分で自分の晩年は蛇足だよと言っているようなものである。それなのに、私は夢中で生きている。人生を投げてはいない。体力は衰えつつあるが、気力は衰えていない。

 私はいったい何を信じて生きているのだろう。自分でも分らない。歩一歩、終末に向かっていることに紛れもないのであるが・・・・・。

 年末に刊行した『GHQ焚書図書開封 10』(地球侵略の主役イギリス)を自ら読み直してみて、意外に読み易い、説得的な文章になっていて、そう悪くないな、と思っている。

「2015年の新年を迎えて(一)」への1件のフィードバック

  1. 「GHQ焚書開封 10}を拝読いたしました。驚くべきイギリスの悪行が紹介されていて仰天しました。小生もすでに傘寿を過ぎていまして戦時中の暮らしを思い出すことがあります。鬼畜米英と叫んで撃ちてし止まむの標語に踊らされたものでした。現在の物質的豊かさはありませんでしたが、東京の下町や郊外の生活はゆっくりした豊かなものであった、と思います。時間が経つと当時の悩みや苦しみは全てが美しく浄化されてしまうようです。
     イギリスの町を歩いたこともありますが、そこで見聞きしたものは鬼畜ではなく極自然な暮らしが広がっていたようです。洋の東西を問わず、人間には光と影がついて回るのだとおもいます。白人的人間観だけは理解できません。一神教以外を許さないと云うエゴイズムというものが許せないものなのだ、と思うのです。貴台の益々のご活躍を祈念しております。

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