贈呈本には、この本を作った洋泉社の編集者小川哲生さんが、愛情あふれる紹介文を書いて、それを同封して送ってくれている。以下に掲載しこの本の紹介とする。
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拝 啓
このたび、3月新刊として、西尾幹二著
『人生の深淵について』刊行のはこびとなりましたので、早速お届けいたします。
群盲象をなでるという言葉があります。まさしく、本書の著者・西尾幹二氏の八面六臂の活躍は、その読者によって、さまざまな姿があらわれます。ある人にとっては、保守派論壇の雄であり、ある人にとっては、ニーチェ、ショーペンハウアーの翻訳・紹介者であり、またある人にとってはモンテーニュやパスカル、ラ・ロシュフコーといった「モラリスト」の系譜に連なる人間観察者、その人という具合であります。
いずれもが氏の本質であり、どれか一つで氏の本質を表すことは難しいというのが本当でしょう。しかしながら、私一個の人間理解からすれば、もっとも氏の本質をあらわすのは、最後の「モラリスト」というのが、偽らざる実感です。
イデオロギー的裁断ではなく、氏の冷静な人間観察と鋭い心理洞察力を備えた資質はまさに「モラリスト」というべき以外に言葉がみつかりません。
『人生の価値について』にかつて接した人間はいたく、そう感じざるをえません。そして思うのです。この『人生の価値について』に先行する「人生論ノート」という連載があり、それは優に300枚を超えた作品であり、それがまだ公刊されずにあるのだ、と聞いたのはいつのことだったでしょうか。
記憶はさだかではないのですが、いつかきっと読みたいと長い間、考えてきたのは私だけではないでしょう。
それが、2000年12月に突如、その片鱗を表しました(扶桑社版『西尾幹二の思想と行動③論争の精神』)。残念ながら、全体像ではなく、抄録という形でありましたが、その出現はわたしの期待を裏切ることなく、圧倒的な力をもって迫ってきました。しかしながら、本来の姿は、完全な形で現れなければなりません。著者の意図したものを完全に提供するのは、編集者の務めではないでしょうか。4年の歳月を経て、ようやく読者に全体像を示せるのは編集者冥利につきるといっても過言ではありません。
なぜかくも本書の全体像が明らかにされるのが遅れたかについて、著者は次のように述べております。
《それなりに自信があるのに、なぜ単行本にしなかったかとあらためて問われるなら、(略)身近なひとびとの気に障るような内容を相当に含んでいるのではないか、という心配がずっとあったからである。(略)政治評論では公的な誰かを槍玉にあげ傷つけているが、人生論では私的な誰かの心理の内部に食い入って、これを傷つけているかもしれないのである。(略)最近その心配がすっかりなくなったわけではないが、私も六十五歳になり、他人の思惑や不満は墓の中に持っていけばいいと、やっと心が定まったのだった》と。
かくして、ようやく本書は陽の目をみることができました。内容はけっして古びることなく、かえって新鮮です。人生という永遠のテーマはけっして古びることはないからです。もっとも新しい衣裳こそもっとも早く古びることはあまりにも自明です。
本書に展開されるテーマはいずれもが難題です。解説で小浜逸郎氏も述べているように、難題が難題であるのは、生きることそのものが難題だからである、と。けだし名言です。
本書の一句一句がアフォリズム集の趣が無きにしも非ずといっても過言ではなく、またわたしどもの惹句の「生きることに不安を感じ、迷ったとき思わず手にとる本がある。それが西尾人生論だ!」が紛れもなく真実であることを一読して感じていただけましたら、ひろく読者に伝えるよう御高評などいただければ幸いです。なにとぞよろしくお願い申しあげます。
2005.3 洋泉社編集部 小川哲生
敬具