「ドイツ・EU・中国」そして日本の孤独(五)

 先に中国の話を少ししましたが、昔から欧米がいつも注目するのはアジアではシナです。日本ではありません。ペリーが来航したころ、蒸気船は存在せず帆船でした。ロンドンから、またはニューヨークからアフリカ南端の喜望峰を廻って上海に行く二つの航路がありました。面白いことにニューヨークからの方が近いのです。1810年代の早い時期アメリカの対支貿易はイギリスを凌駕していたのです。スエズ運河が出来たのは明治維新の頃、1869年でした。その頃蒸気船が出来、イギリスが圧倒して、アメリカはパナマ運河の開発を考えるようになります。パナマ運河を開発しなければイギリスとのシナ貿易に敗れるからです。英米はたえず張り合っていました。貿易のターゲットは常にシナ大陸なのです。シナ大陸が富をもたらしてくれるのが幻想か実体かは分かりませんが、シナ大陸との貿易競争で英米は争っていたのです。

 大東亜戦争にも関係があり、おそらく日本もそのせいでやられたのだと思います。英米が対立しあってシナとの貿易、利権を奪い合うという事態が19世紀以降戦前の大きな特徴です。その頃シナの人口は4億くらいだったと思いますが、広大な土地とおそらく巨大な資源が眠るに違いないと思い込む世界の妄念があり、今でもそう思い込むふうがあり、人々は「シナ幻想」に踊っています。ペリーが来航してきたときはまだ太平洋航路が無かったので、喜望峰を廻って上海、沖縄を経由して日本に来ました。そこでペリーは何としても太平洋航路を作らなければいけないと海軍省に手紙を出します。シナへの中継地として日本が必要であると。そして小笠原諸島を狙います。このようにシナが本命で、日本は二次的なのです。ターゲットではありません。ターゲットはシナなのです。中継地としての日本が重要だったのです。ナメた話ですよね。でもその力学がずっと働いていて、「シナ幻想」が世界を覆っているからこそ、今でもシナに「大甘」なのです。白人は習近平のような男が居座っているのが異常だと思わないのです。

 もうひとつ別の味方をしてみます。現代はアメリカが日本と一緒になって中国にアヘン戦争を仕掛けていると思っています。アヘン戦争というのは、19世紀に銀の欠乏で茶の支払いに苦しんでいたイギリスがインドでアヘンを作らせ、清にアヘンを持ち込んだことに由来します。21世紀のアヘンは中国人にとって近代生活の富なのです。想像もつかないスピードで中国人は浮かれ出したではありませんか。アヘンに溺れたのとよく似ています。これはあっという間ですよ。おぼえているでしょう。2000年初めころ、中国は全然大したことはありませんでした。鄧小平が「南巡講話」を出したのは1992年ですから、それから10年くらいはまだ貧しい穏和しい国でしたが突然浮かれ出した。日本とアメリカの投資でどんどん膨れ上がったからです。それを「自分の力」と錯覚してどんどん借財を作って、自転車操業を繰り返すことによって力を経済的にも高めることだけに注ぎ架空の力でここまで来ているのではないでしょうか。浮かれ出した今の大陸の動きは、アヘン戦争でアヘンに溺れたシナ人を彷彿とさせます。アヘンを買い続けたシナは次には支払うべき銀が足りなくなり、どんどん国外へ銀が流出し、経済破綻します。今の中国がそれです。ドルがどんどん流出して止めようがないではありませんか。

 1990年代、アメリカは日本の経済で敗れたころ、1992年に日米構造協議で日本の社長や経営者の財布の中身にまで干渉してきました。小売店を潰して全部大型店舗にしろとかいわれて、法を変えて全部大型店舗になってしまいましたね。勝手に経営の仕方や経済構造にまで散々に突っ込んだのが日米構造協議です。それは日本を潰せということで、一斉にいろいろやるわけですが、それはアメリカの焦りでした。アメリカはメキシコなどいろいろな国で工場展開をしましたが、なかなかうまくいきませんでした。そこで中国大陸の豊富な労働力と広い土地に出会い、鄧小平は税の優遇措置として積極的に外資を導入しようとした。つまり中国の政策の魔力にアメリカは囚われてしまったのです。そして中国はまるで尻に火が点いたように走り出すのです。ちょうどれから10年から15年、その急激な変化というのは驚くべき速さです。驚くべき速さですが、これは昔のシナと非常によく似ているのです。

 19世紀の初めごろ、イギリスも貿易赤字で苦しんでいて、清から絹・茶・陶磁器・木綿などを買っていましたが、それに見合うイギリスからの輸出品は毛織物とか時計とか玩具の類で、そんなものではとても清から物産を輸入できない。そこで当時の国際通貨が銀だったので、それを利用しようと。ただしロンドンから銀を運んだのではありません。植民地インドから清へ銀が支払われました。しかしインドにもそんなに銀があるわけではないので、イギリスはインドに綿織物を運んでそれを売って得た銀をつかって清からお茶を買い入れました。大量にお茶を買いたいけれど銀が足りない。そこでイギリス人が考えたのはインド産のアヘンです。インドでアヘンを作らせてそれを銀に変えた。清にアヘンがもたらされると、アヘンを吸引する風習は忽ち心を捕えて、しかもイギリスは銀の決済をしなくてもアヘンを持って来ればお茶が買えるということで、これが悪名高い三角貿易で、問題が起こるのはそれからあとです。

 清はアヘンを吸う人が増えてしまい、アヘンが欲しいのですがお茶では支払いきれなくなります。ちょうど今の中国が近代市民生活に憧れて「爆買い」するように、アヘンをどんどん買います。そのため清にあった銀の保有量がどん減ってしまいます。銀が急速に外に流れだしたのです。そのことで戦争にもなり、清が倒される要因です。つまり簡単に言えば、中国から急速に資本が流れ出しているのです。困り果てているのです。今は清から銀が流出している時期にあたっています。これまではアヘンではなくて紙幣を国内でどんどん刷っていたわけですけれど、今度は国外へ放出しなければ維持できなくなってきている。アメリカや日本は今中国にアヘンを売っているわけではありません。しかし閉鎖的で貧しかった中国13億の民に近代生活の富の味を教えた。かくて中国は毒を食らわば皿までと、今や金持ちになることに無我夢中になっているといことで、その無理がここで祟ってきて、今度は急速に富が外に流出するという事態になっているということで「アヘン戦争・一幕」ということで、歴史は繰り返されるなぁ、と思っております。ペリー来航のときもアメリカが狙っていたのはシナ大陸であって日本ではなかった。アヘン戦争においても全く同じことが行われたと思います。つまり歴史は不思議なことに同じことを繰り返すものだと私は思います。

 もうひとつ別のことをお話しします。イスラム教とキリスト教の宗教戦争が続いているということです。日本はどちらの宗教にも関係ないのですから口出しをしてはいけません。下手なことを言うのはバカな話です。イスラムはオスマン帝国が18世紀の末まで大帝国を築いていて、大体19世紀の前半くらいまでヨーロッパはオスマン帝国に力においてだけでなく文化においても頭が上がらなかったのです。

 多くの人がそれを忘れているのは、日本での歴史教育が西洋の優位ということで全て理解されていて、明治の多くの思想家というと福沢諭吉も岡倉天心も中江兆民も内村鑑三も頭が欧米なのです。つまり明治維新以降、日本の歴史の中にイスラムは入ってこなかった。現実はその直前までイスラムが世界を支配していたのです。イスラムはアフリカの西からインドネシアの端までずうっとイスラム帝国が続いていて、それが逆転されたのが18世紀から19世紀ですから、その恨み骨髄に徹しているのが今のイスラム教なので、絶対にキリスト教徒を許していないのです。キリスト教徒が敵なのです。だから今起こっているのはそういう流れの下にある戦争です。

 イスラム諸国のイスラム教徒は決してテロリストではないとテレビで言いますね。それはその通りでしょう。ですがどこからお金が出ているのでしょうか。イスラム系の大商人から膨大なお金が裏から流れているに決まっています。それはやはりイスラム諸国です。つまり積年の恨み、イギリス・フランス・ロシア・ベルギー。皆宿年の大敵なのです。だから私たちは黙って見ていたらいいのです。下手に手を出しても何の意味もない。安倍さんは少し喋り過ぎではないでしょうか。私は口先でも言わない方がいいと思っています。

 もうひとつ付け加えると、イスラムは長年主役であったのが18世紀の終わりに逆転してしまって西洋に地位を奪われたのと同じように、シナは長年覇者と信じていたのに19世紀になって日本に逆転されてしまいました。イスラムと西洋のこの関係は中国と日本の関係とパラレルです。つまり今日の中国のあれほどの政治的な恩情は昨日今日の話ではないのですね。このことを西洋人に理解させるにはイスラム教とキリスト教を使って、日本と中国という運命を説明することが必要であると私は思います。そうすれば、ずっとずっと分かりやすくなると思いますが、日本の外務官僚にはそういう発想が全くない。

 またキリスト教の歴史をみていると酷いもので、例えば「ジハード」という言葉がありますね。あれをまるでイスラム教徒の大聖戦、一方的な攻撃戦のように言いますが、剣を振りかざして虐殺したのはキリスト教徒で、それを全部イスラム教徒に擦り付けたのですよ。ちょうど南京虐殺を日本人がやったように中国人が擦り付けるのと同じように。世界は、世界中でそういうことがやられているのです。ところが日本はそういうことをされても「ヘヘヘッ」と笑っているだけで、どうなるのかと心配に思います。

 中国は自己中心の国で思い込みが激しく閉ざされた地域です。もともとシナは鎖国文化圏なのですね。外と交わらず、自分が全ての中心だと思っている。明朝の時代、マテオ・リッチというイエズス会宣教師が、地球は丸いことを示す大きな地図「坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)」を初めてシナにもたらしました。それは日本にも伝わり、江戸の日本が地球は丸いということを知ったのは、リッチのこの一枚の大きな地図から始まるのですが、マテオ・リッチはシナの知識人に逆らわないようにするため、地図の真ん中にシナ大陸を置いて、つまりヨーロッパ中心ではない地図を見せたのです。そうしたら日本列島が真ん中に来るわけです。太平洋が右側で中国大陸が左半分にあるのです。それを見たシナの知識人の多くは、地球の4分の3が自分たちのものと思っていたからこんな地図は間違いだ、と言って聞き入れませんでした。しかし日本人は誰もそんなことを言う人はいませんでした。そういう意味で日本人は謙虚で外から届けられる知識については非常に慎ましく対応して自分を無にする心があると思います。これは他のアジア諸国、中国や韓半島とはまるきり違うところでしょう。

 韓国人は中国人以上に自分が絶対です。自分のイデオロギーから抜け出ることが出来ないのですから。朴槿恵大統領は本気で言っているのですよ。ああいう歴史観を子供のときから習っていて「正しい歴史観」を日本人は信じなければいけない、「正しい歴史観」に日本人を変えなければいけないと本気で信じています。「正しい歴史観」というのは、あくまで「韓国は偉い」という歴史観です。それに全部従えと言っているだけですから、きりがない話で、相手にしてもしょうがないのです。最近の韓国国民は、朴槿恵大統領は外交で一番成功を収めている政治家だと信じているそうです。アンケートをとるとそうなるのだそうです。

 ところで日本はなぜ仏教なのでしょうか。神道と仏教ですね。儒教ではないですよ。神仏儒といいますが、儒教は日本の宗教心に入っていないと思います。祖先崇拝という点では関係あります。儒教は道徳として日本に影響を与えましたが、ご承知のように儒教は皇帝制度と科挙のシステムに切り離せないほど繋がっています。韓国は儒教なのです。朱子学のイデオロギーであのようになってしまいます。日本は儒教を本格的には受け容れませんでした。天皇をずっと頂いていますし、王様が二人居続けられた国なので、それは世界に理解されなかったけれど、それはバランスをとる上で良かったのです。つまり遠いところにある無限の神・仏様と、生き神様である天皇と、超越神と現身の神、この二神を頂くことで心のバランスがとれたということです。儒教ではなく外来信仰として仏教を受け入れた背景です。この仏教は本格的に日本に入っていて日本の宗教心理の根底を形作りました。神道は超越神を持ちませんが仏教はそれを与えてくれて、二神を頂くことをもって日本人はバランスをとってきたのです。

 日本人はなぜ仏教には抵抗が無かったのか、ということを考えたことがおありでしょうか。神道に抵抗が無いのは分かりますが、日本人は仏教をほかの外来宗教と違って受け入れました。それ以外の宗教は全く受け入れていません。韓国儒教もユダヤ教もキリスト教もヒンズー教も日本人は受け入れません。しかし仏教は受け入れました。しかも日本仏教は久しく発展し独自の展開を遂げました。なぜか深いところにフィットしたのです。なぜかというと、それぞれの宗教は皆後ろに政治文化を抱えているのです。例えば儒教は皇帝制度と科挙のシステムを抱えている。ヒンズー教も同様でインドの社会風俗や生活を抱えています。ユダヤ教やキリスト教もそうですね。しかし仏教は面白いことにインドの地で徹底的な展開を遂げました。形而上的な理論展開を遂げたのは8世紀の密教に至るまでインドの地で発展を遂げますが、そこで忽然と消えてしまうのです。つまり本当に消えてしまいます。あるイギリスの植民地主義者がインドに渡ってきて大きな立派なお堂があって、それはブディズムの伽藍だと聞いているが、僧侶一人いないし仏像もないし経典もない。忽然と消えたのです。それでは仏教が消えたのかといえばそうではありません。チベット仏教・ネパール仏教・中国仏教・日本仏教、南にいけばタイなどの南伝仏教。そういう風に外に展開したのです。キリスト教はどうかというと、キリスト教はイスラエルの地ではいっさいいかなる理論展開もしないで、何をしたかというと、ローマとヴィザンチンで初めて展開しました。西ローマ帝国・東ローマ帝国。そうやって仏教と違って他の地域に移っていって、はじめて形而上的・理論的・学問的展開を遂げました。それに比べると仏教は、後ろに何も政治文化がついていないので日本人に受け入れやすかった。しかしキリスト教はそうではなかった。巨大な哲学体系が後ろに控えていて、そしてそれを強制する。日本人はそれを受け入れることには抵抗がありました。

 日本人は、がらんどうの様な何もないものが好きだったのではなでしょうか。そうとしか思えないのです。政治文化を強制されない。あるいは哲学的理念を強いてこない。ひたすらそういう世界に憧れと、西方浄土への憧れ、それは平安末期辺りから強くなりますが、日本人の心をずっと掴まえていて、いまでも何か事があると、遠い国で起こった出来事を日本人は尊敬するのです。素晴らしいものは外国にあると、明治以来長い間西洋を鑑としたのは「西方浄土」だったのですよ。だから西ヨーロッパ文明の現実を見ていなかったのではないか。だからイスラムも見ていなかったのです。現実は見ていなかったけれども西方浄土をひたすら憧れるように、西洋文化をひたすら学んだ。そして夢を育てて自分の所でそれを移植して自分なりの西洋文化を作ってここまで来た。本当にそう思いますよ。

 日本では必ずどこかで西洋絵画展ってやっているでしょう。ついこの間までモネ展をやっていましたね。スイスのホドラー展もやっていましたね。こんなことをやる国はアジアで他にありませんよ。どこかで必ずいろんな西洋絵画展をやっています。コンサートも盛んです。最近ドイツ人は全くモーツァルトやベートーヴェンを聴かないといいます。そんなもの要るのか、という話らしいのです。オーケストラはほとんど外国人だそうで、10人中8人から9人は外国人、必ずしも日本や韓国人というわけではなく、アメリカ人とか他の国々。ドイツ人の音楽家がいない。文学も教育も衰滅です。音楽も衰滅。哲学もダメ。ドイツの限界というかアイデンティティーの喪失ということですね。中国と一緒になって浮かれて金儲けばかり。こういうドイツの国の文学なんてやったのは大失敗だった・・・。

 (まとめ 阿由葉秀峰)

つづく

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