日録が閉ざされていると、なんだか自分の人生がそうなっているような錯覚を覚えるのは、ちょっと問題ですね。 こんな時ですからこんな時にしか話せないようなことを話題にしたいと思います。 お久しぶり・・・でもない、あきんどです。 実は母が今悪性リンパ腫の病に侵され、その治療のための検査の段階にあります。検査入院から一時退院した母が言うには、入院中亡き夫の夢を一度だけ見たそうです。どうやらむこうの川岸にいた父は、母を連れて行ってくれなかったそうで、こんな話ってやっぱりあるのかなぁと思いながら聞いていました。 それはそうとして、病院の今の実態というのを、母の病気を通して語らせていただきます。 なにしろ今の時代、パソコンを開けば病名の実態をある程度のことは、素人でも認識できる時代となりました。そんな世の中なのか、患者側から見た病院の素振りを観察しますと、問われているのは患者との接し方のようなんです。もちろん技術的なことも大事なんでしょうが、それ以上にメンタリティをどう構築していくかが問われているような印象があります。 例えば、患者がいまどんなことを望んでいるのか、とか、病院側は患者とどう接しなければならないのか・・・など、医者だけでなく、病院に関わる全てのスタッフの心構えが重要だという認識が強いという印象がありますね。 昔なら名医がいてその下の元がんじがらめな病院の体制みたいな印象が強かったものですが、どうやらこの時代、少しずつそうした部分は変わりつつあるようです。 そのかわり、「安心感」というものの基準も、どことなく変わってきたんじゃないかという印象もあります。 なにしろ病院スタッフの制服が、大きく変わりました。 昔なら看護婦さんと言われる方は、必ず帽子を被っていましたが、今はまったくそれがありません。聞くところによりますと、帽子を被ると仕事がしずらいからだそうで、そのおかげで色んなヘアースタイルの看護師を見ることができます。 今回母の担当になった看護師は男性で、若くて、髪形もやっぱり今風で、腰には常に看護師が必要としている七つ道具をぶらさげ、常に臨戦態勢なわけです。それに比べ医者はというと、そういった道具を持っていませんから、ややもすると掃除係のおじさんと見間違えるようなかっこうの方もいます。 「象牙の塔」と言われ続けたこの業界も、最近は様変わりしたんだなぁという印象です。 母が言うには、「待たせる」と言うことがなかったと言うんです。 「はい、わかりました」といって、すぐ応えてくれたと言います。 それがどのスタッフもそういう対応だったそうで、そうした現場の改善はここ数年高まっているんだろうと想像します。 しかし、そうしたことがはたして本当に「身についた」ものとなってそうなっているんだろうか、という疑問もやっかみ半分あるんですよ。 全員ができるということは、逆に、全員できないこともあるんだろうなぁ・・・と、思っちゃうんです。 人間同士の行いならば、当然結果の上下はあるはずで、それはある意味「自由」という世界の中にそういう結果が存在し、上下の存在はその意味で「自由」がもたらす象徴でもあるのでしょう。 ところがどの人間もまるで卒なくこなされてしまうということは、それははたして本当に「良いこと」なんだろうか・・・などと、やっかみもいれたくなるんです。 患者にとってはプラスであっても、そこで働く方々には、実に重荷な制度が存在していて、はたして彼らの「プライド」というものがどのように守られているんだろうと思ったわけです。 ですから、「病院」というくくりで考えてみると、患者も病院のスタッフもすべてひっくるめて観察すると、なにかしら病院側に負担が多すぎる世の中になっているんじゃないか・・・などと思ったわけです。 そしてその負担は、あの重そうな七つ道具を腰に巻いている看護師が、現場で担っているんだろうな・・・などと想像したわけです。 逆に医者の軽装が、その実務の負担の軽さを表しているのかもしれないと思った次第です。 結局「象牙の塔」は守られていると言うことなのか・・・。 返信
http://www.sankei.com/world/news/160229/wor1602290021-n1.html >号害! ↑ ↑ ↑ サリンテロに匹敵 「日本で放火、レイプ、偽証」しようだと! 韓国が恐ろしい事を! 産経速報/2016.2.29 /号害! 「韓国の若者よ、日本で就職しよう!」 韓国協会が支援方針 すでに説明会開催の ←サリンテロ蜂起に匹敵! 就職難韓国人の日本への就職を援しよう-。韓国貿易協会、深刻化する若年人民の就職難を受け、超反日族のくせにこんな方針を打ち出し… 返信
日録が閉ざされていると、なんだか自分の人生がそうなっているような錯覚を覚えるのは、ちょっと問題ですね。
こんな時ですからこんな時にしか話せないようなことを話題にしたいと思います。
お久しぶり・・・でもない、あきんどです。
実は母が今悪性リンパ腫の病に侵され、その治療のための検査の段階にあります。検査入院から一時退院した母が言うには、入院中亡き夫の夢を一度だけ見たそうです。どうやらむこうの川岸にいた父は、母を連れて行ってくれなかったそうで、こんな話ってやっぱりあるのかなぁと思いながら聞いていました。
それはそうとして、病院の今の実態というのを、母の病気を通して語らせていただきます。
なにしろ今の時代、パソコンを開けば病名の実態をある程度のことは、素人でも認識できる時代となりました。そんな世の中なのか、患者側から見た病院の素振りを観察しますと、問われているのは患者との接し方のようなんです。もちろん技術的なことも大事なんでしょうが、それ以上にメンタリティをどう構築していくかが問われているような印象があります。
例えば、患者がいまどんなことを望んでいるのか、とか、病院側は患者とどう接しなければならないのか・・・など、医者だけでなく、病院に関わる全てのスタッフの心構えが重要だという認識が強いという印象がありますね。
昔なら名医がいてその下の元がんじがらめな病院の体制みたいな印象が強かったものですが、どうやらこの時代、少しずつそうした部分は変わりつつあるようです。
そのかわり、「安心感」というものの基準も、どことなく変わってきたんじゃないかという印象もあります。
なにしろ病院スタッフの制服が、大きく変わりました。
昔なら看護婦さんと言われる方は、必ず帽子を被っていましたが、今はまったくそれがありません。聞くところによりますと、帽子を被ると仕事がしずらいからだそうで、そのおかげで色んなヘアースタイルの看護師を見ることができます。
今回母の担当になった看護師は男性で、若くて、髪形もやっぱり今風で、腰には常に看護師が必要としている七つ道具をぶらさげ、常に臨戦態勢なわけです。それに比べ医者はというと、そういった道具を持っていませんから、ややもすると掃除係のおじさんと見間違えるようなかっこうの方もいます。
「象牙の塔」と言われ続けたこの業界も、最近は様変わりしたんだなぁという印象です。
母が言うには、「待たせる」と言うことがなかったと言うんです。
「はい、わかりました」といって、すぐ応えてくれたと言います。
それがどのスタッフもそういう対応だったそうで、そうした現場の改善はここ数年高まっているんだろうと想像します。
しかし、そうしたことがはたして本当に「身についた」ものとなってそうなっているんだろうか、という疑問もやっかみ半分あるんですよ。
全員ができるということは、逆に、全員できないこともあるんだろうなぁ・・・と、思っちゃうんです。
人間同士の行いならば、当然結果の上下はあるはずで、それはある意味「自由」という世界の中にそういう結果が存在し、上下の存在はその意味で「自由」がもたらす象徴でもあるのでしょう。
ところがどの人間もまるで卒なくこなされてしまうということは、それははたして本当に「良いこと」なんだろうか・・・などと、やっかみもいれたくなるんです。
患者にとってはプラスであっても、そこで働く方々には、実に重荷な制度が存在していて、はたして彼らの「プライド」というものがどのように守られているんだろうと思ったわけです。
ですから、「病院」というくくりで考えてみると、患者も病院のスタッフもすべてひっくるめて観察すると、なにかしら病院側に負担が多すぎる世の中になっているんじゃないか・・・などと思ったわけです。
そしてその負担は、あの重そうな七つ道具を腰に巻いている看護師が、現場で担っているんだろうな・・・などと想像したわけです。
逆に医者の軽装が、その実務の負担の軽さを表しているのかもしれないと思った次第です。
結局「象牙の塔」は守られていると言うことなのか・・・。
http://www.sankei.com/world/news/160229/wor1602290021-n1.html
>号害! ↑ ↑ ↑ サリンテロに匹敵 「日本で放火、レイプ、偽証」しようだと!
韓国が恐ろしい事を! 産経速報/2016.2.29 /号害!
「韓国の若者よ、日本で就職しよう!」
韓国協会が支援方針 すでに説明会開催の ←サリンテロ蜂起に匹敵! 就職難韓国人の日本への就職を援しよう-。韓国貿易協会、深刻化する若年人民の就職難を受け、超反日族のくせにこんな方針を打ち出し…