宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(七)

 出席者は小田村四郎、石井公一郎、大島陽一(元東京銀行専務)、尾崎護、呉善花、三好範英(読売新聞国際部)、東中野修道、大塚海夫、山口洋一(元ミャンマー大使)、片岡鉄也、木下博生、大澤正道(元平凡社出版局長・歴史家)、田中英道、萩野貞樹、真部栄一(扶桑社)、力石幸一(徳間書店)、西尾幹二。

 なお、宮崎と西尾以外の発言は声で識別できないのでABCで表す。また、聞き取れなかった言葉は○じるしで示す。

=========================

宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(七)

● ディスカッション

西尾:いろんな現実を幅広くご紹介たまわりまして、ありがとうございました。皆様にはご感想はまたいろいろあるでしょうが、いかがでしょうか、山口さんどうぞ。

A:大変興味深く拝聴しました。確かに党の中は一枚岩ではなくて、江沢民派との確執があるんでしょうが、私は今回の事態を見て、逆説的な言い方をすれば、むしろ安心した、よかったなという思いがしているんですね。というのは、やはり全体として完全に政府の演出、共産党中国政府の演出どおりに事が運んで、先生がおっしゃったようなことがあるんだけれども、全体としては政府が統制して、政府の振り付けどおりに事がすすんでいると、総じてそういうことがいえるんじゃないかと思うのです。

 一番心配なのは、共産党、中国政府自身がまさに、危惧しているんだけれども、大衆の動きが反政府、反共産党という方向に向って、収拾がつかなくなるとえらいことになるんですよね。そういう事態にならないで、まぁ、政府の振り付けどおりに事が進展したということで、一段落して、まぁまぁよかったなぁという感じがいたします。

 日本として一番恐いのは、私は中国の一党独裁制が今の情況では続けていくしか、国を束ねていく手立てはないと思いますけど、未来永劫それが続くとは思えないんで、それが暴力的な中国伝統の易姓革命で、叛乱とか、暴動とかで、今の政権がおかしくなるというのが、日本にとってばかりではなく、アジアにとって好ましくない状態ではないかと、

西尾:好ましくない?中国の叛乱とか暴動とかは私は大歓迎ですよ。大混乱に陥って、体制がひっくり返って欲しいですよ。

A:え?そうですか?私はやっぱりですね、望むらくは、軟着陸してね、

西尾:軟着陸はあり得ない。百年も二百年もかかるでしょう。

A:そう、そりゃそうですが、中国何千年の歴史で、ずっとこれまで易姓革命しかなかった国ですから、民意でもってだんだんと変っていくなんていうのは・・・・でも世界は変わっていますからね、殷、周、漢、隋、唐、宋、元、明、清と来た時代と、今の時代は世界は変わっていますからね。少し時間がかかっても、暴動とか革命で変るんじゃなくて・・・・

西尾:革命は、中国に精神的に新しい勢力が起こらなくてはおきませんけれどもね。革命が起きるのではなくて、反革命が起きてほしいんですよ。蜂の巣をつついたような大混乱が起きて、軍閥が割拠して、その中で大破局が起らない限り、あの国は変らないんじゃないかと思う。

A:だけど、大破局というのは血で血を洗うような・・・・

西尾:なればいいと思っているんです。

A:そうですか?日本に何十万という難民が押し寄せますよ。

西尾:あるかもしれませんけれど。

B:ちょっと議論はですね、いろいろパッチを貼ってですね、弥縫策(びほうさく)でよろよろよろよろやっている間に、傷が深くなると。そうすると後の始末は一層深刻になるという問題を含んでいるように思うんですね。だから、日本のバブルもあるところではじけたけれど、はじけないであと数年、よろよろ前に進んだら、もっとあとがひどいと、そこら辺の問題があると思います。

西尾:いきなり私が破局待望を言ったもので、価値観の転換が・・・

A:いずれにしろ今回の、反日デモ云々を見る限りにおいて、政府がよろしく振付けしているから、まだ破局に至るような段階には・・・

西尾:今日の段階ではそうですね。5月、6月、7月、8月はどうなるかわかりませんよね。

B:私の言ったことにお答え頂きたいのですが。

西尾:コントロールがきけばいいという?

B:いえ、コントロールを効かせていると・・・・

西尾:かえって後でひどくなるということですね。

B:バブルがより一層膨れ上がって、膨れ上がることによってよりダメージが大きくなり、回復に時間がかかるのではと。そうすると、破局というのは何らかの時に起るんだから、早い方がお互いに結構なんじゃないか。向うの民族にとっても、世界にとっても結構なのでは?それがどんどん時を稼いで、より一層病状を悪くすると、病気や怪我と同じで、治療が遅れることによって、病状の悪化が回復を遅らせ、ダメージを大きくするというような気がするんですが、いかがお考えかと。

A:私は必ずしもそこはちょっと、そうは思いません。漸進的に少しずつ、中国国民もこうやってガス抜きをしたり、いろいろしながら今の共産党の圧制はおかしいよと、民意をますます露にしていく。世界が、国連を始め国際世論が、かつてとはちがうなという状況は明らかですから、中国の政権も、これは時間がかかると思いますが、30年か50年かもっとかかるのかもしれませんが、少しずつ変っていって、軟着陸してくれるというのが、僕はアジアや世界全体の為には好ましいんだと思います。

 あそこがめちゃめちゃになったら、ソ連の崩壊どころじゃないですよ。アジア全体も、ことに日本はぐしゃぐしゃになるんじゃないですか。その過程で飛び道具を持っている人がいるんでしょ。核兵器を含めて、そんなのが、飛び交ったら地球は破滅ですよ。私はそういう、中国の大爆発、破局は是非とも起らないようにするのが・・・・・

西尾:それは日本の力じゃできませんから、自然に待つしかないですね。

A:漸進的にね、30年かかっても50年かかってもいいから、今日の明日、大混乱が起きて、人類社会全体が破滅するような・・・・

西尾:そりゃ、大げさですよ。

A:大げさかもしれないけれど、大混乱は大変なことになる。

西尾:早くドドーッと変わってくれないと周りが窒息しちゃいますよ。

「宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(七)」への1件のフィードバック

  1. 日本以上の非常識国家、中国・北朝鮮・韓国
    中国は近代国家になっていませんからそういう意味では国連の理事国になること自体がおかしいです。
    中国政府が崩壊した場合北朝鮮以上の膨大な難民が日本へ流れてくる可能性がありますが、それであっても中国が戦争のトラウマを克服して普通の国家になるのは百年以上も掛かるかもしれません。おそらくその前に中国政府は崩壊するでしょうからどちらにしろ日本政府はその準備をしたほうがいいのではないでしょうか。相手は聞く耳を持たない非常識国家なんですから。

    「憎悪や情報の再生装置の存在」が「中国」と「中国や北朝鮮代弁者の日本の教育界やマスコミ界」にあってこれが崩壊しない限り中国は変化しようがないでしょう。「憎悪や情報の再生装置」に国民が疑問を持つには報道・言論の自由が成立することだと思いますが、それを行えば政権の崩壊がより進展しますから近代国家として成立する条件の一つがすでに存在しないわけです。どちらにしろ近代国家になればなるほど崩壊せざるを得ないわけです。

    判断が法社会対応でないという話を書きます。
    中国側の認識は「日本は明治以来ずっと中国を侵略しようと虎視眈々と狙っていた。そこで抵抗を開始した中国人には正義がある。この正義は中国と日本の国際協定や国際法での制約を守るより大事である」とでもいうものがありそうです。ある早稲田大学助教授の中国人はご当人の認識ではなく一般的な中国人の認識として次のようなことを書いています。『中国人の歴史観』劉 傑 文春文庫より。

    「日本帝国主義者は一九三一年にまず満州事変を起こし、中国に対する武装侵略を開始した。これは中国の独占、アジアの争奪、さらには世界を制覇するための一歩であり、第二次世界大戦の前奏曲と言わねばならない」
    中国の一般的な認識では、明治以降日本が関与した国際紛争は全て侵略的な性質をもつ戦争であった。ここでいわれている十四回の侵略戦争には、義和団を鎮圧するための派兵、三回におよぶ山東出兵など、後の日中戦争や太平洋戦争に比べると比較的規模の小さい紛争も含まれているが、これらの紛争を一括して「戦争」と呼び、さらに一律「侵略戦争」と定義することで、日本による侵略の一貫性と計画性を強調している」と。

    侵略戦争の定義
    一般的に、日本の学者は開戦責任を重く見る傾向があり、その究明に力を入れているように思われる。代表的な事例を一つあげると、日中戦争の出発点になった盧溝橋事件の経過、とりわけ最初の銃弾が誰によって撃たれたのかという事実について綿密な実証的研究が、秦郁彦氏をはじめとする歴史家によって地道になされている。一九九六年に出版された『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会)という秦氏の論文集は、このような研究方法と姿勢を代表する作品であり、歴史家のみならず、広く一般読者の注目を集めた。
    ところが、ややオーバーな表現かもしれないが、このような研究は中国の研究者の目には、ほとんど意味をなさない作業のように映る。数年前に出版された全三冊におよぶ『中国抗日戦争史』(解放軍出版社、一九九四年)は中国の国家プロジェクトであり、中国人民解放軍軍事科学院が総力を結集した大著であるが、この代表的な研究においてさえ、盧溝橋事件のきっかけになったあの銃声については一言も触られておらず、一九三七年九月十八日の経過が実に淡々と記述されている。
    なぜ、このような日中間のギャップが生まれたのだろうか。先に述べたように、東京裁判では、日本の対中国侵略戦争の期間として「一九三一年九月十八日の夜(課長注:満州事変開始のきっかけとなった柳条湖事件)に始まり、一九四五年九月二日に東京湾上で日本の降伏で終わった」とされている。中国側は、この東京裁判の基本認識を踏まえて、さらに独自の解釈を行っている。端的に言えば、中国の研究者は「平和に対する罪」のなかでも、とりわけ重視しているのは、「共通の計画と共同謀議」の問題であり、言い方をかえれば、いわゆる侵略の計画性の問題である。
    代表的な論点をいくつか紹介しておこう。
    「日本は明治時代の中期にいわゆる大陸政策を完成し、中国をその目標に設定した。明治維新以降の七十年において、日本は十四回にわたる侵略戦争を行い、そのうち十回が対中国の戦争であった」
    「一九二七年田中義一内閣が東方会議を招集し、『対支政策綱要(綱領)』を策定した。その中心内容は、まず蒙古を中国から分離させ、その後満蒙を基礎に中国本土に拡張する計画を立てた。会議後の『田中上奏文』(課長注:この文章は偽文章であることが英国などでも知れ渡っている)によると、『支那を征服せんと欲せば、まず満蒙を征服せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、かならず支那を征服せざるべからず』とある」
    「日本帝国主義者は一九三一年にまず満州事変を起こし、中国に対する武装侵略を開始した。これは中国の独占、アジアの争奪、さらには世界を制覇するための一歩であり、第二次世界大戦の前奏曲と言わねばならない」
    中国の一般的な認識では、明治以降日本が関与した国際紛争は全て侵略的な性質をもつ戦争であった。ここでいわれている十四回の侵略戦争には、義和団を鎮圧するための派兵、三回におよぶ山東出兵など、後の日中戦争や太平洋戦争に比べると比較的規模の小さい紛争も含まれているが、これらの紛争を一括して「戦争」と呼び、さらに一律「侵略戦争」と定義することで、日本による侵略の一貫性と計画性を強調している。

    いわば中国側は開戦理由など関心が無く侵略の計画性を重視しているからだと筆者は述べています。そして別の章で「侵略された人民が抵抗する方法に手段を選ぶ必要はない」という認識もあるとのこと。

    仮にこういう前提に中国側が立脚していたら例えば国家間の条約を含めた国際条約や国際常識に従って論理的に説明しても、また事実指摘をしても中国には馬の耳に念仏で何の役にも立たないのじゃないかという感想を持ちました。

    どうしてかというと仮に盧溝橋事件のきっかけになった銃声、すなわち誰が始めに銃撃を開始したかという問題でも、中国人の立場に立てば意味はまったくないわけです。というのは日本が計画的に侵略を行ったという大前提で中国側の認識は日本に侵略されたからこそどんな抵抗手段を取ろうと許されるということですから、国民政府側が銃撃しようと、中国共産党が銃撃しようと、日本側が銃撃しようと日本の侵略性にはかわりがないのだから中国側は関心がわかないという意味のようです。同様に南京事件でもゲリラ戦術を使うのは侵略された国家の防衛であるからどんな手段を使おうと許されるのであってそれについてはとやかくいう必要もないということなんでしょう。
    そのように考えてゆくと国際条約なんか共通の基準として採用しようとしても侵略された彼らにとって意味がないことになしますから、いくら日中平和条約で日中間の問題は解決したつもりで日本側がいても彼らにとってそれは反古でしかないわけです。今回の大使館や領事館の被害も国際条約にしたがって謝罪と修復を行うことも認めないのでしょう。
    この背景になにがあるのか、中華思想があるのならこれを捨てない限りあの国は世界の非常識のままでしょう。日本の非常識を乗り越えた中国のそれははるか次元の違う話なんだと、思えてなりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です