ここでこの精神状況というものを、少し詳しく紐解いておきたいと私は考えます。
日本を訪ねた韓国人はすなおに日本のすごさ、すばらしさを認めます。料理に限りません、例に挙げると「ものづくり」。これもあらゆるものが精緻で美しく機能的で、かつ伝統に裏打ちされている。あらゆる分野での工芸品の水準の高さは目を見張ります。また、先端技術が生かされた高度な社会システムが構築され、秩序は乱れない。
世界の人々が驚いた東日本大震災のときの日本人の姿。極限の自然災害に遭遇しても、人に譲って自分をあとにするという道徳心をまざまざと見ました。韓国人も衝撃を受けました。なぜ、あんなことができるんだろうと。こうして敬意をはらうと同時に、頭が混乱するのです。「日本人とはいうのは全くわからない国民だ」ということになるのです。
日本人の精神の軸。そう呼べるものがいったい何なのか。全くわからない永遠の謎なのです。
韓国は基督教社会です。一神教の社会というのはその点でわかります。勿論、朱子学の儒教社会はわかります。韓国の軸と言えるでしょう。日本人は何が軸と言えますか?神道ですか、または武士道ですか。ある人はそれではなく仏教だというでしょう。ほかにもあるかもしれません。韓国人はそこで戸惑ってしまうのです。
つまり軸が一つではない。日本には至る所に神社がある、寺もある。その神社というのも八百万の神々を祭っているので同じではない。太陽であったり樹木であったり自然をうやまうアフリカの人ならわかる。日本人も自然をうやまいますがわかりにくい。バラバラなんです。もしかしたら悪魔を信じているのではないか。そのように韓国人は思うわけです。
正月には初詣に神社に行って、その足で寺にお参りするような日本人だってざらにある。
どういう精神性なのかと頭が混乱するのです。ほとんどの韓国人はここで困ってしまう。そして、混乱するだけではなく、許せないということになるのです。私も長い間、そうしたどこか許容できないという気持ちをもっていた。
韓国の人は先祖以外は拝んではいけません。いろんなものを拝むのは迷信の部類です。韓国はちょうど日本が鎌倉時代のころ、仏教を棄ててそれから陽明学も弾圧して、朱子学だけを大切にするという転換を行いました。朝鮮における文治主義の徹底です。日本は鎌倉時代以降も野蛮な武士の戦いがいっこうにおさまらない。どうにもならない国だと、私たちの先祖は思っていたわけです。
日本人にはひとつの価値とか道徳がない。なんだかわからない。韓国人の善はわかりやすいのです。一つだけある。儒教に説かれている聖人君子がその善を体現している。金正日一人が善を実現できる人で、それ以外は悪である。一番偉い人が一番正しい。朱子学の教えはこれであると。
そしてデタラメな基準で生きている日本人はこれが理解できないから、いつも頭を叩いておかないと彼らは何をするかわからない。考えを変えてしまう。常にきちんと教え込んでおかないといけない。韓国人が言うところの「歴史認識」とはこれであって、双方の国民がそれぞれ意見を主張しあって互いに歩み寄る、というものでは決してないのです。日本人がやることは韓国が主張するものを受け取るだけ。反論や異論等とんでもない。繰り返し繰り返し、韓国の言うことを日本人は心して聞けということです。
日本人にしてみると実に不可解なことだと思うでしょうが、現在の韓国の朴政権は戦後いちばん外交で成功しているという評価を国内ではしています。
普段は日本人はぼおっとしている。けれど何か一つ掴んだときの集団主義は怖しい。韓国人はそういう恐怖心で見ています。事あれば、いつ軍国主義になるか知れない。震災のときもそうでした。ここから日本人はさっと変質していくのではないか。軍国主義に走るのではないかと心配しています。
日本人と韓国人の価値観について、もう一つお伝えしておきたいと思います。
「もののあわれ」というものを日本人なら感覚的に、情緒的に知っています。一方、韓国人は「恨」の国民だと自他共に認めています。二つの国民性は大きく異なっています。もののあわれというのは何でしょう。秋になると日本人は物悲しいと言ったりします。虫の声が聴こえると、ああ秋だと言います。木の葉が紅く染まってくるとこれも秋を感じますね。
韓国人は日本人ほど虫の音が聴きわ分けられません。日本人は敏感なのです。柿の木に実が成っていたが、秋も深まり三つしか残っていない。こうした情景も日本人は美しい感じたりします。しかし韓国人がこれを見たら美など感じません。三つしかない、これは不吉なのです。韓国人は花が咲き、木が生い茂っているなら、永遠に咲いて永遠に繁っていてほしいと思うのです。「なぜ枯れて(衰弱して)いくのか?」。この感情も「恨」なのです。枯れること、弱ること、衰えること、すべてあってはならないのです。
私は昔、日本の茶道をまなぶ機会がありました。茶室に招かれて、お点前を待っていました。部屋の一角の花筒に今にも落ちてしまいそうな枯れ葉がありました。私はこれがイヤで「生き生きとした花ならまだしも」と思って質問したのです。すると先生は、「この瞬間にしかみられない生命の儚さ」というものがあるのです、と説明してくれました。初めてそんなことを知りました。
日本の人たちは桜をこよなく愛します。桜の花といっても僅か三日か四日。長くて七日くらいで散ってしまいます。雨風が来てたった一日で花が終わることもあります。けれど日本人はこの儚い花を観るために花見に繰り出します。散り際が美しいとも感じます。韓国人にはこの感覚がわからないだけでなく、怖いのです。潔いという美意識が怖い。日本人は親切なときは親切。ですが、あまとはぱっと斬ってしまう。朝鮮人はそう思うのです。日本人はわがままも聞いてくれるが、桜の花のようにさっと態度を変えるかもしれない。
恋愛の話をすると、日本の男性は好きな女性に告白して、受け入れられないなら、大抵、さっと身を引きます。ところが韓国の男性はそうはしない。好きな女性に対してはいつまでもどこまでも未練がましく追いかける。女性が結婚してもまだ告白している。韓国人は自ら、それを「情が深い」と自讃しているのです。韓国人は水に流すことはできない。過去をずっと携えて言う。相手が、相手である日本人が水に流すのは許せない。だから、善である韓国人は、善でない日本人に対してずっと言いつづけなければいけない。そう思っているわけです。
永遠に咲いている花なんてこの世にありません。しかし、韓国人はそれを望んでいるのです。だから、韓国には至るところに造花を飾ってあります。公の場所、ホテルのフロントなどでも見かけるでしょう。造花はいつまでも枯れない、萎れない。したがって韓国の国花は「むくげ」なのです。華やかとはいえないけど、散らないからです。
韓国人はユダヤ人が大好きです。私たちは一度も侵略したことがない。善なる民族である。同じく受難がありながらユダヤ人のように優秀で強くありたい。朱子学の教えでは、善なるものは枯れたり、萎れたりしてはいけない。つまり死んではいけない。だから息子を産むことです。そうすれば遺伝子が代々継いでくれ、明るい未来になる。若いときに勉強するのは将来、苦しみが少なくて済むと思うからです。「私には苦しみがあってはならない」。そう深層にはそういう意識があるのです。
私には苦しみがあってはならないはずなのに、日本人のせいでこんな苦しみを負わされている。こうした偏った性向が嵩じたのか、「火病」という世界で韓国人にしか罹らない珍しい病気があります。「火病」の症状は体の片方に熱がこもって、もう片方が冷たくなる。原因はストレス。嫁と姑の間で葛藤が生じて、女性に多かったが最近は男性患者も増えている。ストレスの内容ですがやはり「恨」、恨みつらみと関係があるとされています。
日本人が韓国人に話し合いましょうと言ってもうまくいかない。当面は、日本人の知恵であります「間」をおくこと、それから立ち向かっていくことが大切だと私は思っています。 (了)