宮崎正弘氏を囲む――中国反日暴動の裏側(十一)

宮崎:4月10日だったか、北京のデモの翌日に、外務省に呼びつけましたでしょ。王毅大使を。王毅大使がちょっと、こうやって頭を下げているんです。それを共同通信が写真で流したら、回集命令が出たんです。

西尾:あれは腰をおろす瞬間だったんでしょ。

宮崎:お辞儀しているようにみえるんですよ。おそらく大使館から抗議が来たんでしょう。共同通信はそれを配信中止にして、共同はその時APか何かに流したのを今、日本のメディアは外国から写真を買っているんですから。

B:13日に、○○委員会がありまして、その時に中川昭一さんから聞いたんですが、誰かのところに王毅が来て、助けてくださいと、言っていたというんですね。中川さんがそう言っていましたよ。その意味は中国の大衆がかんかんで、日本に於てね。

H:宮崎さん、いいですか。私一つ不思議に思ったのは、愛国無罪といったでしょ。愛国無罪と言ったら、A級戦犯も無罪になっちゃいますよ。そういう意味ではないのですかね。あれは。国を愛してやる行動は許される・・・・

宮崎:愛国ならなんでもいいと。例えば、何かサイケデリックな歌がありますよね。中国はあんまりひどいのを禁止しているんですが、あれを翻訳する時に、途中一ヶ所だけ恩愛中国と、私は中国を愛するとワンフレーズ入れると許可になるんです。全部。ですから、これは何でも免罪符なんですよ。軽い意味だと思いますよ。理論武装的にやっているのではなくて。

H:そういう意味ですね、逆に使えますね。

西尾:向うが愛国無罪ならこっちも愛国無罪だと。向うが正しい歴史認識ならこっちも正しい歴史認識。そして日本人の反日派は売国有罪。

H:やったことが正しいかどうかは別として、愛国っていうならA級戦犯も無罪。宮崎さんも今回の外相は、おかしいということを言わなかったでしょ。向うは態度を絶対に変えないから、結局こちらが何を言ったってしょうがないという感じで、宮崎さんもおっしゃったように感じたんですが。

宮崎:しょうがないとは私はおもいません。けれども、結論的にはいつも、言ってもしょうがないという結果に終わっていると言うことを申し上げただけです。

H:言い続けるということは、我々外交としては常に、言い続けて、一度ブッシュ大統領が中国の教科書はまずいと、あれはおかしい、少なくともアメリカの記述がぜんぜんおかしいと言って、あれに対する反応というのは、殆ど向うではないですよね。

宮崎:何か向うは反撥しただけで終わったんじゃないですか。「朝鮮戦争はアメリカの侵略である」なんて、むちゃくちゃなことを書いているんですね。

H:結局ブッシュが言っても、何も変化がないと。

宮崎:アメリカはあの時、一回言っただけで、強くその後継続的に抗議していません。その後すぐにイラクでことがおきて、うやむやなうちに、また中国は戦略的パートナーとか言い出しましたから。今対面しているんじゃないですか。

西尾:ニューヨークタイムズは叩きましたよね。

宮崎:新聞はたたいているんですよね、ワシントンポストも。日本の代理人の如くかばってくれている。

H:ブッシュが言ったのは、向うに対して言ったんじゃなくて、北京大学かどこかで講演したんで、正式に外交上の問題として取り上げたわけじゃないんでしょう。

宮崎:あれは中継しなかったでしょ。途中の都合の悪いところはノイズを入れて、結局あれをブッシュの演説を聞いた人も、よくわかっていないと思いますよ。何を言ったか。

I:私たまたま昨日、ある会で聞いたんですが、ワシントンで三極会合があったらしいですね、経済人の会合があったらしいですね。それに出た人から聞いたんですが、ヨーロッパやアメリカの人たち―その会合に出て来た人たちは歴史認識については、日本に対して厳しいことを言っていました。英米、ヨーロッパですね。私が直接出たわけではないですが、そう言っていました。

西尾:実際の事を知らないで言っているんでしょう。

K:私も仕事柄英米のメディアの論調をいくつか読んだんですけれど、確かに日を経つに従って、日本寄りの論調が増えてきたのは確かです。特に最初にデモが起ったときは、中国のやり方も問題だけど、やはり日本も歴史を反省していないとか、そういうことをイーブン、イーブン、50、50位の比率で言っているんですよね。英米メディアが今回日本寄りになってきたかというと、必ずしもそうではなくて、日本がきちんと自己主張するというのは、中国に対しても意味があるんですけれど、国際世論をこちら側に引き寄せていくという意味でも、意味があるんです。

宮崎:英米メディアには慰安婦問題が出ていましたよね。

西尾:そういうことに就ては、日本の保守系論壇では論議は尽くされている、そして論証もされ尽くされていて、議論はいつでもできるし、論客は揃っているんですけれども、残念ながらそれをメディアで英語ないし、フランス語で向うのマスコミに出すという方法を持たないんですよね。それで、いつもそのことについて、じゃあ代わりになる外務省の役人なり、政治家の代表的な人が、レトリックも鮮やかに、われわれ
がセリフをつけてあげてもいいですから、ちゃんと堂々といざとなった時に、言ってほしい、とこういうふうに思うわけなんですけれど、ですが、それは非常にむずかしくて、いつも残念に思っています。

 ついこの間、安倍晋三さんが外人記者の前で話をしてきた直後にお目にかかったことがありますが、南京のことを聞かれたといって、それで応答はちゃんとなさって、これは学問的には疑義があって、何十万人死んだなんていうことのはあり得ないんだというぐらいの反論をなさったわけです。

 だけれど、それにさらに突っ込んでですね、南京事件はありとあらゆる知見を労したけれども、要するに、なかったという論証もできないけれど、あったという論証も実は出来ないんだと、そこまで学問的には突っ込んだ研究がなされていると、いうぐらいのことを政治家の口から言ってほしいわけですよ。そこまでは言いませんでしたと、仰言っていました。これから政治家になる人たちは、そういう言論上の防衛武装をして、出て行ってほしいし、従軍慰安婦のことも、すみずみまで知って、激論が戦わせられるような人でないと困ると思うのですよ。それとあとは勿論外務省ですよね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です