落ちこぼれ塾生

ゲストエッセイ
坦々塾塾生:西 法太郎

 サボってばかりの落ちこぼれの塾生ですが、このたびゲストエッセイを求められ、背中がむず痒い思いです。(苦笑)

 そもそも塾長の西尾さんに初めて会ったのは、いつだったろうと思い返しました。
 たしか場所は麹町の弘済会館で、そこで生長の家出身の伊藤哲夫氏の講演があった。
 最前列にいる西尾さんをみとめて、「しなの六文銭です」とあいさつしたら「もっと高齢かと思っていました」とおどろかれました。 

 しかし、還暦を過ぎましたからもう若くはありません。でもまだまだ洟ったれ。
 まず私の近況から。ここ数年三島由紀夫論を書くことに沈潜していました。

 国会図書館に通い資料を漁り、三島と交流があったさまざまな方や三島事件の関係者に会い、それらを学士会館に籠ってPCに打ち込む日々でした。

 その成果(?)を原稿用紙換算で駄文1000枚余に書き上げました。
 そして一昨年一旦ある版元から昨年上梓することになりました。
 ところが紆余曲折があり、原稿が熨斗(うん十万円)をつけて戻ってきました。
学士会館とは春日通りを隔てた至近に移ってきた花田さんにご挨拶に行って、そのことを話したら、「そんなことはめずらしい。もらえるものはもらっときゃいいんだ」と。(笑)

 上梓が延期になったおかげでそのあと「花ざかりの森」の直筆原稿を発掘し、このことも原稿に盛り込むことができました。
 あと四年で三島事件、つまり没後五十年になります。私の三島論はそれまでに世に出せればよいと悠長にかまえています。
 一方霞を食べては生きてゆけないので、今月から何回か「表現者」にその一端を披露します。

 さて、ここからが本題です。私は思いついたことを都度フェイスブックにアップしています。
 そのなかから最近のものを敷衍して述べたいと思います。

 それは今上陛下の退位問題です。
 以前から皇統(天皇制という日共用語は使いません)について関心がありました。
昨年末久々に、坦々塾に参加したのはその関心が私の背を押したからでした。
 幸い講演された斎藤吉久氏と懇親会でじっくり話を交わせました。
 そもそも、ああいうかたちで陛下の意向が漏れたことに不自然さを覚えました。
 そしてそれが「生前退位」という妙な用語で広められたことに違和感を持ちました。
 大騒動になり、陛下のお気持ちに沿い、そうしてさしあげるべきとの国民世論が形成されました。

 そこでヤスバイ政権は半可通たちを〝有識者〟として掻き集め、諮問し、一代限りの特別法で対処する方針に民意を導きました。
 しかしこれは陛下の本当のお気持ちに沿っておらず、政府は陛下が異を唱えることに戦恐としています。
 陛下はご自身だけでなく、今後の皇統においても自由に「譲位」できるようにしたいと思われていると忖度されるからです。
 そこで、私は思うのです。
 明治維新で成った薩長藩閥政権が皇室典範で皇統を縛ったのがそもそも不敬の極みで大過誤であったと。

 権威を権力にむすびつけて国政や外交に利用したことは日本の歴史における大きな過ちだったのです。そして巨きな歪みをうんだのです。
 日本帝国が先の大戦で滅亡し、おおやしまを外国に蹂躙されたのも必然のなりゆきでした。

 藤原(中臣)家、平家(清盛は皇族でしたが)、足利家、織田信長、徳川家なども皇統に容喙してきました。
 薩長政権もそれに倣ったのですが、法律で縛ったことは千載の憾みとなりました。
 そして戦後、戦勝国も皇統を恣にしました。
 かくなるうえは、このたびの今上陛下のご提言を奇貨として、いままでの悪弊にピリオドを打つべきと考えます。
 皇室以外の者が、皇統に口を差し挟むことを止め、その決定を皇室にお返ししするのです。
 つまり特別法の制定や皇室典範の改定ではなく、〝皇室典範の廃止〟です。
 そうすることが陛下の本意に沿うことになるのでしょう。
 今上陛下個人のお気持ちをそこまで汲み取ることに異論はあるでしょう。
 しかし「皇統を皇室に委ねる」ことが日本の歴史にかんがみて本質的な対処だと考えます。

 そうした場合、日本国憲法の第2条、5条を廃止しなければなりません。
 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
 第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
 そして、政府は皇室の独立性確保のため、これまでの皇室への財政援助、人的支援を引き上げるべきです。
 これには憲法の8条を廃止しなければなりません。
 第八条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 そのままで皇室は立ち行かなくなりますから、戦勝国が不当に奪った皇室財産(主にスイスの銀行口座の資金)の返還を求めます。ヤスバイ政権は戦後皇室が放棄し国有林にしたものを返還しましょう。

 GHQが作成した資料によると以下がその明細です。(単位:円)
現金 33,045,960
有価証券 311,098,337
土地 393,974,680
木材 592,865,000
建物 312,208,475
その他 32,074,621
合計で約十六億七千五百万円(昭和20年9月1日現在)

 これで明らかなように皇室資産の三分の二は木材、土地、建物でした。なお絵画、陶芸品、宝石などは含んでいません。
 明治政府は現在同様、当初は国家予算から皇室経費を出していました。しかし帝国憲法発布のころ予算外の資産をつくりました。
 政府保有株が皇室に移されました。決定的だったのは御料地創設でした。北海道の広大な山林、長野県の木曽川、静岡県の大井川一帯が皇室資産に移されました。

 戦後GHQの意向を受けて、皇室は森林など76万ヘクタール、農地4万ヘクタール、建物4500坪、現金と有価証券2億5800万円を手放しました。
 現金は2%でしたが、ほかに銀行名義のものをもありました。それがスイスなどの銀行にありました。
 これらで皇室はみずからを存続していってもらいます。
 薩長藩閥の後裔たるヤスバイ首相のなすべきことは「皇統を皇室にゆだねる」ことに復することです。そのための改憲です。

 伊勢神宮、春日大社、出雲大社などが民間からの浄財で、数十億から数百億円の遷宮を行っています。皇室にもそういう民間の援助が自ずからあるでしょう。
 陛下が皇統を自由にされたいなら、国民から徴収された税金の投入はできません。それをよしとするご覚悟があったうえでのお気持ちと拝察します。
 日本国政府が皇室をコントロールしていることは、日本政府をコントロールしている同盟国をはじめとする戦勝国のコントロール下に皇室、皇統を置いていることになります。

 皇室を戦前、いえ、明治維新以前の状態に復し、まったき独立性を持たせることが日本国の彌栄になると信じます。以上天下の暴論です。

“落ちこぼれ塾生” への 17 件のフィードバック

  1. 「天下の暴論」を興味深く拝読しました。これは暴論というよりも好もしく括目すべき謀反論ですね。前提となった以下の認識には(全面支持ではありませんが)共感します。
    「明治維新で成った薩長藩閥政権が皇室典範で皇統を縛ったのがそもそも不敬の極みで大過誤であった。権威を権力にむすびつけて国政や外交に利用したことは日本の歴史における大きな過ちだった。そして巨きな歪みをうみ 日本帝国が先の大戦で滅亡し、おおやしまを外国に蹂躙されたのも必然のなりゆきでした。」
    王政維新から敗戦までの80年間を相対化するこのような論が保守の側から為されるのは珍しく、仲間の方々からも袋叩きに会うのではとよそ乍ら心配ですが、しかし、たまたま昨日読み終えた蜷川新の「維新生観」という戦後間もなく出版された奇書とその論調が似ており、その意味でも興味深いのです。
    旧幕臣で小栗忠順の義理の甥にあたる蜷川氏の立場からは明治政府には抑々その成立の過程で正統性がないことになります。蜷川氏が孝明天皇暗殺、徳川家茂毒殺の現場に居た人々(将軍の小姓組頭だった実父蜷川親賢、植村澄三郎、滝川政次郎ら)から直接明治政府首脳が下手人だったことを聞かされています。明治以前、慶応年間、小栗には日本の統治機構を郡県制に改め民主の国にする構想があったが、それを妨げたのが「公卿と薩長人」だったとみて、その立場から、明治憲法の統治権総攬の神聖天皇、天皇親政は否定され、現行憲法の民主天皇制が肯定されることになります。今上陛下にも以前同様のご発言がありました。「皇室を明治維新以前の状態に復す」ことは両陛下も国民も、一部の右翼を除けば、賛同するものが多く、ここでの「暴論」の唯一実現性のある主張になっていると思います。
    「藤原、平家、足利、織田、徳川、明治政府、GHQが皇統に容喙してきた悪弊にピリオドを打つ。皇室以外の者が、皇統に口を差し挟むことを止め、その決定を皇室にお返しし、皇統を皇室に委ねることが日本の歴史に鑑みて本質的な対処だと考えます。」も注目すべき卓見ではありますが、ここからは疑問がいくつかあります。
    ① 皇室への容喙は、GHQは皇統を殺ぐ、明治政府は皇統を強めるという正反対の方向からでした。私は日本には皇室・皇統が必要であり子々孫々まで未来永劫、絶対に消滅させてはならない価値のあるものと考えます。従ってGHQやその日本人追従者の施策を憎みますが、西様や蜷川氏と同じように、薩長藩閥方式には賛成できず、結局、徳川幕府の皇室政策が最も日本の伝統に沿った妥当なものだったのではないか、三島由紀夫の「天皇の真姿である文化概念としての天皇」「日本文化の全体性と連続性の中核としての皇室」もこの方向でほぼ一致しています。
    ② 皇室財政を国家から独立させ、「皇室はみずからを存続していってもらいます。」と仰いますが、それで皇室の護持が全うできるとは思えません。確かに皇室に戦後奪われた資産を全てお返し申し上げれば経済的には自立できるでしょうが、一私人、民間人として皇室が存立できるでしょうか。あくまで日本文明の中核として、国家元首として、政治権力から無縁の国家の機関として、確実に位置付けられて初めて護持が可能となるのではないでしょうか。江戸時代は公卿を含め10万石程度の予算だったと記憶します。
    ③ 「ヤスバイ政権は戦後皇室が放棄し国有林にしたものを返還しましょう。」とも云われますが、薩長藩閥政権が皇室に移した不動産の多くは維新で打倒した徳川幕府天領や佐幕の大名家から不当に奪い没収した財産だったのではないでしょうか。
    ④ 本来、天皇は資産家の英国その他の国の「王室」とは違い無私の存在です。今日の皇太子殿下のお言葉に、「両陛下は御自分のためにお使いになる時間を取られては」とありましたが、この認識は誠に心もとなく、全身全霊で全ての時間を公事と祈りにお使いになってこそ日本国の天皇であらせられ、ならばこそその護持に国家予算を投じなければならないのではないでしょうか。 
    ⑤ 「日本国政府が皇室をコントロールしていることは、日本政府をコントロールしている戦勝国のコントロール下に皇室、皇統を置いていることになります」もその通りですが、だからといって戦勝国支配をそのままにして、皇室を国家から切り離し、まったき独立性を持たせることが日本国の彌栄になるとは到底思えず皇室も望むはずはありません。戦勝国支配を絶つことこそ日本国の彌栄になるのであり、皇室が日本国から超然と独立し日本国が米国・連合国のコントロールに置かれたままというのは如何にも異形で歪で日本人には我慢できない事態ではありませんか。
    以上、鼻たれ小僧以下の無知蒙昧の徒の出過ぎた妄言をお許しください。

  2. >そこでヤスバイ政権は半可通たちを〝有識者〟として掻き集め、諮問し、一代限りの特別法で対処する方針に民意を導きました。しかしこれは陛下の本当のお気持ちに沿っておらず、政府は陛下が異を唱えることに戦恐としています。陛下はご自身だけでなく、今後の皇統においても自由に「譲位」できるようにしたいと思われていると忖度されるからです。そこで、私は思うのです。明治維新で成った薩長藩閥政権が皇室典範で皇統を縛ったのがそもそも不敬の極みで大過誤であったと。

    まづ安倍晉三政權をヤスバイ政權と表はすこと、拙なし。御國は現政權を批判して彈壓せらることさらになし。何故正直に表記せぬ。或いは政權への輕蔑の表明が目的か。いづれにせよ、誠意が感ぜられず。皇室典範が不敬の極みとは何を以てかいふ。皇室典範義解には中古の讓位の弊害を列擧して本條ニ践祚ヲ以テ先帝崩御ノ後ニ卽ち行ハルゝ者ト定メタルハ上代ノ恒典ニ因リ中古以來讓位ノ慣例ヲ改ムル者ナリとあり。確かに皇極天皇の御讓位以降、孝德天皇と皇子との不和、道鏡事件、藥子の變、院政、保元の亂、南北朝の分裂と讓位の弊害は甚だし。論者此れに觸れずに「藤原(中臣)家、平家(清盛は皇族でしたが)、足利家、織田信長、徳川家なども皇統に容喙してきました。薩長政権もそれに倣ったのですが、法律で縛ったことは千載の憾みとなりました。」と舊幕以前の例と同一視するはうけ難し。皇位繼承を爭ひ事にせざることが皇室典範により皇位繼承を定めたるとの伊藤公の意見は説得力がある。それに對して「皇室以外の者が、皇統に口を差し挟むことを止め、その決定を皇室にお返ししするのです。つまり特別法の制定や皇室典範の改定ではなく、〝皇室典範の廃止〟です。」との論者の論ひは説得力に缺け、かへつて國を亂す基となりさうな妄言なり。論者こそくちをさしはさむまじけれ。

    >権威を権力にむすびつけて国政や外交に利用したことは日本の歴史における大きな過ちだったのです。そして巨きな歪みをうんだのです。日本帝国が先の大戦で滅亡し、おおやしまを外国に蹂躙されたのも必然のなりゆきでした。

    これ『世界』の論者と五十歩百歩の妄り言なり。大政委任の幕府體制から天皇親政を實現することが明治維新の大義なり。論者、幕府體制が良いといふにや。抑々天皇陛下が國政外交を裁可せられたるを、國政外交に利用したとはいとゐやなし。大きな歪とは何をか點す。聞こえにくし。更には御國が滅亡したとは無下の暴言なり。いとゆゝし。されど斯かる妄り言の世に多くあるはGHQの政策の蔓延甚だしきと、それに阿諛する輩の多きと、善惡の判斷のつかぬ癡れ者の多きのためなり。論者、帝國と附けたので戰前戰後の體制變化を譬へたのみといふか。では伊藤正德てふ人が大日本の亡國と言つたことに對する平泉澄教授の言を何とす。

    平泉澄教授曰く、「日本は、いかにも此の戰に敗れて、大損害を受け、その傷痕は、戦後十七八年を經て、今猶生々しく、所によつては、全然直つてゐないばかりか、卻つて惡化して傷む所さへある状態である。しかもそれは負傷であつて死滅では無い。我等は家を燒かれ、財を失ひ、見る影もない姿を以て生き永らへたであらう。それにも拘はらず我等は、本來の精神を堅持して微動もしないのである。領土は削られて、殆どその半を失ったであらう。しかも山姿水容は、依然として其の秀麗、世界に比類少ないのである。どこにも伊藤正德氏によつて、亡国を宣言せらるべき理由はない。何故に日本国は、一個の評論家によつて、亡国ときめつけられなければならないのであるか。(中略)彼れは、日本を亡国と言ひ放つた。そこには何等の悲しみが無い。日本国民であれば、泣いても泣いても泣きたらぬ恐るべき悲劇が、本書に於いては餘所事として取り扱はれてゐるのである。著者は一體何処の国の人であるか、日本国民であるのか、無いのかといふ疑問さへ起る位である。」

    占領せられたるはポツダム宣言を受諾したからで、それも結局は昭和天皇の御裁可なり。抑々大東亞戰爭は米國のルーズヴェルト大統領が仕組みたるものにて、早くはパネー號事件を開戦理由とせんとしたり。大西洋上會談、ハルノート、またスチムソン日記により明らかなり。その開戰時の要求が支那満洲に關はるハルノートなら、戰爭末期のポツダム宣言はさらに要求を引き上げ、てうせん、臺灣どころか國民の自由意思に基づく政體への變革、占領統治まで求めて來たことは米國の阿漕の至りなり。剩へ原爆投下や大空襲は世界史上最惡の狼藉であり、御國に非無し。然るに論者、迷惑して明治の政體にその基ありとして、譯も分からぬ運命論を持ち出すとは、論理の飛躍、破綻はさらなり、左翼と同じ論法なり。西尾先生のGHQ焚書図書開封を讀み直し、塾にて一層精進すべし。

  3. 西 法太郎 樣

    いやはや、議論の餘地なき名論! ただただ感服するのみです。

    遺憾ながら、現在多忙をきはめ、どう心を動かされたかを申上げ

    るいとまがありません(後日、その機會が得られゝばさいはひです)

    が、これぞ、渇望久しい天の聲と、慶びに堪へません。

    かねて、我こそは忠臣と堅く信じてきましたが、あれが氣になつたり、

    これに不滿だつたりで、盡忠の心境に至らず、滿たされぬまま、生き

    永らへてきました(因みに、1月2日の宮中一般參賀には、28年間も

    失禮してゐます)。

    もしも、仰せのごとき世になれば、それらが一擧に解消し、私としては、

    衷心から「天皇陛下萬歳」を叫んで、從容として(?)死地に趨くことが

    できます。感謝に堪へません。

    御健鬪のほど、切に祈り上げます。

  4. >つまり特別法の制定や皇室典範の改定ではなく、〝皇室典範の廃止〟です。そうすることが陛下の本意に沿うことになるのでしょう。今上陛下個人のお気持ちをそこまで汲み取ることに異論はあるでしょう。しかし「皇統を皇室に委ねる」ことが日本の歴史にかんがみて本質的な対処だと考えます。

    叡慮に添ひ奉るに皇室典範を廢止することが一番ならば、皇室は何をか典とせらるゝにや。延喜式か。畢竟するに新しき皇室典範が必要になりぬべし。其の爲に憲法改正といふ難事業に手をつかば、現在の特例法以上に民進黨や社民黨、共産黨が皇室の御事に容喙せざるや。また天津日嗣を皇室に委ね奉れば何故よき方向に向かふと思ふか、根據を示し給へ。また論者、皇室と国家とが不可分たるを知らざるや。三島由紀夫を硏究しながら可分とするひが心得するもあさまし。

    夫れ御國をば天照大御神の御孫命が統べらるることは神代に定まりたること、古事記書記より明らかなり。人の定めたるに非ず。由來、幾度も危難あれども君臣の別搖がず今に至る。然るに明治の御代に至りて歐戎の穢らはしき書物が大量に流入し、西園寺公望や中江兆民等の西洋かぶれが民主民權を主張し出し、大正に入り愈々民が知足安分を忘れ、吉野作造や美濃部達吉てふたふれ者が現れたり。歐意の中でも共産主義に至りてはその害毒甚だしく、昭和後期には萬民その危險を悟りぬ。然れども民主主義、主權在民の危險性は民え悟らずして今日に至りぬ。論者も歐意に泥みてえ悟らず。ゆゑに

    >戦後GHQの意向を受けて、皇室は森林など76万ヘクタール、農地4万ヘクタール、建物4500坪、現金と有価証券2億5800万円を手放しました。現金は2%でしたが、ほかに銀行名義のものをもありました。それがスイスなどの銀行にありました。これらで皇室はみずからを存続していってもらいます。

    >陛下が皇統を自由にされたいなら、国民から徴収された税金の投入はできません。それをよしとするご覚悟があったうえでのお気持ちと拝察します。

    >日本国政府が皇室をコントロールしている

    斯かる不遜な妄り言も出で來ぬべし。占領軍のデモクラシーてふ毒も膏肓に到達したるか。君と民との名分が搖ぐことこそ今の樣樣のまが事の所以なれ。民が自らを主と自認し、君が民を畏れ給はば、国の基礎は搖がざるべからず。今上陛下にも、大東亞戰爭後デモクラシーの風潮の中、民から樣樣の非禮を受けられ給ひたること、一國民として大變申し譯なく、一億総懺悔すべしと思ふ。御國の民の君への禮儀正しさは古の唐土の史書にも明らかなり。これ御國人の惟神の道なり。今不遜たるは歐意のせいなり。論者、禮記の首にある勿不敬を銘肝せよ。

    >伊勢神宮、春日大社、出雲大社などが民間からの浄財で、数十億から数百億円の遷宮を行っています。皇室にもそういう民間の援助が自ずからあるでしょう。

    式年遷宮はじめ諸社の祭祀に、如何に神社本廳が苦心してゐるのかえ悟らず、ひと事の樣にかまへたる、いとあさまし。式年遷宮は皇室が齋行せらるる御事で、嘗ての爲政者皆掩助し來る國家の祭典なり。掩助無き大東亞戰爭後を當然とすべからず、寧ろ恥づべし。出雲大社も本來朝廷が齋行せらるべき御事で、古事記の本牟智和氣王の例からも、然にあらざれば皇室に障りあることを悟るべし。論者、歐意の政敎分離に泥みて斯かることを疎かになし給ひそ。抑々御國は神の國にて、皇室の彌榮は神の祝福無くんば實現せず、神事の齋行缺くべからざるをな忘れそ。

    論者の論ひ酒場のたふれ言の類なり。この論ひからは現在の皇室の諸問題を解決する絲口を得べからず。

  5. にぎ様
     小生、坦々塾会員ながら、悪名高き元左翼、とても貴方の民主々義論や美濃部達吉評価などには同意できませんが、西方太郎氏の軽薄な妄論にいらいらしていたところ、完膚なき論難を加えられたことに敬意と感謝を表します。
     目下健康上の理由により、多くを論ずることができません。とりあえず御礼のみ。

  6. にぎ様

    以下、若輩の身、不勉強を顧みずに敢えて教えを請いたいと思います。謝りあらば御指摘頂きたく、また戦後教育を受けたため新仮名遣い口語体でしか綴れない拙文をお許しください。

    1. 譲位に関して
    私もはじめ伊藤公や井上毅が否定した御譲位には懐疑的でしたが、宮中祭祀が天皇陛下の御勤めの核心であり、これだけは「神格」を獲得した天皇御自らしか果たし得ず、摂政や代行に任せられないことに平成山人という方のご指摘で気付かされ意見を変えました。国事行為、公的行為は摂政や代行で替えることはできても「賢所參籠」などの祭祀は余人で替えられず、陛下の老齢の衰弱に伴い簡略化する工夫はあり得てもそのような闕略祭祀は最早宮中祭祀ではあり得ず、神格なき摂政身分にはその執行能力がない以上、天皇にとっての至上の役儀である本格の祭祀を続行するには、過度の高齡化で心身の機能が衰へ果てる前に、体力のある皇嗣が神格を得た天皇として継ぐことが唯一の解決策となるのではないでしょうか。

    皇國の安泰を圖り、日本国の社稷を守るためには摂政で、という主張は理解できるのですが、明治に創られた典範のシステムだけが、近代日本のための唯一の最適解とする根拠はなく、江戸期以前の前例も参考にするなら、終身制も一世一元も絶対ではなく、過去に後水尾天皇の例もあり、蘇我、藤原、徳川の外戚の例もあり、それでも皇室の権威は一貫して保たれてきた歴史を振りかえれば左程神経質に譲位が皇国の毀損に直結すると憂うるほどではないのではないでしょうか。
    このように考えることで、昨年8月のお言葉の御真意も、被災地慰問などが遂行できなくなることを心配するのではなく、祭祀が覚束なくなることへの御心配からであるなら、この最重要公務の祭祀執行ができなくなれば位を退くべきとお考えならば、それは寧ろ国体を将来に亘り護持するための叡慮と推察されます。陛下が御譲位遊ばされ、上皇となられて、新天皇と共に日本国に存在されるならば、より一層国民は安堵し、日本社会が安定するとも考えられるのではないでしょうか。

    2.天皇と亡国
    蜷川氏ら当時の東日本側の立場からは、公卿薩長人の卑劣な謀略で成功した明治維新に大義などなく、「明治維新」という呼称さえ、慶応4年4月の太政官の「政体書」は“去冬、皇政維新”とあり、むしろ「慶応維新」と謂うのが正当ではないか、しかし一旦成立した明治政府には蜷川氏ら旧幕臣も多く参画し、兎も角オール日本の総力を結集した近代化と対外政策の基本に誤りはなく先の大戦に至るまで対外侵略では無く、ただ統帥権という歪みが昭和になり憲法上の欠陥となって内政を誤った、日本の政治伝統は大政委任であって、天皇親政は異端であり、しかも明治の親政の実体は「玉座をもって胸壁となし 詔勅をもって弾丸に代えた」薩長公卿の有司専制ではなかったかということになります。つまり明治維新を絶対視するならば日本の伝統に則って最善の統治機構を自由に論じることができなくなるのではないでしょうか。

    天皇主権、政治的意味での天皇中心主義はついには敗戦による処刑の危うきにまで至らせたのであって、この過ちを繰り返してはならず、我が国の伝統は世俗の権力は政権に委任し、天皇ご自身は文化的意味での天皇中心主義のなかに身を置く、それ故に神聖と尊厳を得、永久に全国民の尊崇に値するのではないでしょうか。

    平泉澄教授の、「日本は大怪我こそしたが死んではいない」という主張は私には「痩せ我慢の負け惜しみ」を言い繕っているとしか聞こえません。敵は汚い手段を弄しましたが我が国が大敗北し、降伏し、畏れ多くも昭和天皇をマッカーサー如きに跪かせ、大八嶋を外国に蹂躙されるに任せ、米兵や三国人の犯罪が横行した屈辱は日本民族の悔やんでも悔やみきれない、嘆いても嘆き切れない、いくら泣いても泣きたらぬ悲劇であって、予科練・予備学生の手記にも記され、敗戦後、近衛公以下多くの要人が責任をとって自裁しています。この時、大日本帝国が滅亡したが、それは悲しむべき亡国であって、左翼のいう喜ぶべき亡国ではなかったとする方が、私はこれからの日本を建て直すにはふさわしいのではないかと思います。

    教授の、「本來の精神を堅持して微動もしないから死んでいない」、というのも残念乍ら平成の今日の日本の為体をみれば最早「亡国」の域にはいっていると見做す方が正しく、「現在の皇室の諸問題を解決する絲口を得」んとするならば、適切な気がしますが如何でしょうか。

  7. 勇馬眞次郎樣
    私の駄文を讀まれ、質問まで賜るとはかたじけなし。全てに應へたくも、多忙故、今は最重要の點耳こたへむ。ゐや無き書き樣を許し給へ。

    >日本の政治伝統は大政委任であって、天皇親政は異端であり、

    >天皇主権、政治的意味での天皇中心主義はついには敗戦による処刑の危うきにまで至らせたのであって、この過ちを繰り返してはならず、我が国の伝統は世俗の権力は政権に委任し、天皇ご自身は文化的意味での天皇中心主義のなかに身を置く、それ故に神聖と尊厳を得、永久に全国民の尊崇に値するのではないでしょうか。

    此れいみじき僻事なり。變體を傳統とはな言ひ給ひそ。變體が許されるのは、平泉澄敎授の物語日本史によれば「朝廷に大きな缺陷があつて、普通ではそれを修正し得ないこと、及び幕府の實權者に皇室を尊ぶ至誠があること、さらに幕府に治安維持の實力があること」といふ條件あり。最もなり。源賴朝の開府以前に幕府の變體さらになし。

    三島由紀夫ものたまはれてゐたが、天皇陛下と軍とを離すことうけ難し。その危ふきを悟るべし。平泉敎授が幕府の實權者に皇室を尊ぶ至誠があることを擧げたるは故あり。木門派の室鳩巢が崎門派の遊佐木齋に宛たる書の大要の一部に斯くあり。

    「(藤井懶齋、)孟子王を以て齊梁の君に説くを慕ひ、慨然として曰く、幕府もし命あつて隠士を召さば、老衰すといへども必ず往かう。江戸に赴いて一たび此の義を開陳する言が出來れば滿足であり、之を一言せる後は、舌を拔かれても悔いる所はないといつてゐるさうである。足下の如きはこれを言語道斷の事として大いに憎惡するであらうが、しかも彼平生の志、實にここに在るのであり、併せて足下の反省を乞ふ所である。」

    室鳩巢は加賀藩に重んぜられ、天下拔群の儒者にして、つひに八代將軍の侍講となりにけり。然るに彼の儒者の懐胎せるは上の一文より明らかなり。すなはち、德川家が皇室に替はる易姓革命を主張する懶齋てふ國賊儒奴に怒るどころか共感してゐたり。あなかしこ。もし、足下の望む幕府體制となりて、大惡黨が民を欺き絶大な支持を得て、皇室を京師から遷し申し上げたらどうなるか。もし王位を望む者や共和制信奉者が宰相や征夷大將軍となりたれば、将又唆す輩が現れたらば、如何ともし難し。貴殿冀はくばこの危險性を悟れ。

  8. にぎ様

    ここ数日、皆様に教えを受ける楽しさに、この日録をひらくことが日課になりました。私自身これに専念できない身ですので以下短く記します。西様のご意見、反論も伺いしたいところです。

    皇室に替はる易姓革命を藤井懶齋という儒者が主張し、室鳩巣が共感していたというのは本当でしょうか。引用された部分は文脈が分かりにくいのですが、懶斎は「江戸前期の久留米藩医師で山崎闇斎にまなび朱子学の立場から仏教を批判した」とWikiにあり大した学者でもなさそうですが、鳩巣までがこの説を支持したとなれば日本の思想史上注目すべきエピソードとなります。

    譲位を論ずるには西様の所謂「皇統」に触れねばならず、天皇を論ずるには明治の維新と昭和の敗戦の2つを押さえねばならず、池田様が、“從容として(?)死地に趨くことができます”とさえ仰せられ賛同された西様の「天の声」なる暴論とは、要約すると、天皇に関して、「国家権力と天皇を分離した上での皇室自治」となろうかと思います。にぎ様、等々力様と私はここに反対することでは一致しましたが、今日のにぎ様のご指摘は、明治維新に関して、“源賴朝の開府以前に幕府の變體さらになし”であり、ということは鎌倉幕府から江戸幕府までの朝廷政策は正統ではなく変体だった、鎌倉以来日本史は変体が続いたが明治で正統になった、との御見解と理解しました。

    確かに平泉敎授の独自のドグマからはそうなるのかも知れません。その変体すなわち大政委任の許される3条件(①朝廷の缺陷、②幕府の皇室を尊ぶ至誠、③幕府の国家統治能力)自体、正統とは思えませんが、よしんば正しいと仮定しても、末期の江戸幕府だけでなく、白石の読史余論史観の5つの全武家治世がこの条件を①を除き2つとも満たしていたと推定されます。天皇が権力を武家に譲りながら精神的権威を保持するという理想的な日本統治の方式で、私はこれこそ正統であると考えます。

    幕府の朝廷政策は、禁中竝公家諸法度の有名な第1条「天子諸藝能之事、第一御學問」に表されていますが、これが幕府への「大政委任」の法的根拠になったとはいえ、①この文言自体、順徳天皇の「禁秘抄」から採られており、②公家筆頭の関白二条昭実も連署し、③朝廷を統制するが如き条文は存在せず、あくまで天皇を君主として認めています。この法度は最後まで改正されず、井伊直弼も勅許を得ずに日米条約に署名したとはいえ最後まで得るべく努力し、孝明天皇を日本の最高権威として認め、基本は尊王であり、幕臣の誰一人として易姓革命などにかぶれた者は居ませんでした。(以上、平泉②の条件)

    孝明帝を暗殺したのは岩倉などの討幕派だったことはほぼ間違いない(以上、平泉①の条件―朝廷は討幕派に乗っ取られていた)とする蜷川氏の立場からすれば、幕末の幕政改革が成功し小栗構想の郡県制度が実現し、公儀が外国の力を借りずに薩長を武力で鎮圧できていれば(これは将軍さえ臆さなければ可能でした)、より少ない犠牲で、反幕勢力も包摂しつつ、洗練された江戸文化と武士の倫理観をより強く継承する政権が誕生し、明治政府とは異なる近代化に邁進できたと思います。大隈重信の指摘したように明治の近代化政策、外交政策はすべて小栗忠順の施策の模倣でした。なお、それにも拘わらず明治維新は、武士階級が自己の特権を放棄した内発的体制変革であり、世界史的にみればフランス革命よりも革命的だったという西尾先生の見解に共鳴します。

    三島由紀夫に触れておられますが、その国軍2分論だけは賛同できませんが、軍事上の栄誉は文化概念としての天皇から授けられねばならず、自衛隊の儀仗を受け、連隊旗を下賜する、という論には賛成で、これこそ正統的な皇室の在り方で、それは天皇主権ではなく、否な、あってはならないと思います。

    将来「王位を望む道鏡のような者」は現れないと思いますし、「共和制信奉者や左翼革命主義者」が天皇制を廃止する、天皇を処刑する危險性は存在しますので、その根源となる中共対策が現今の最大の、そして真の、日本国の政治課題と考えています。

  9. >宮中祭祀が天皇陛下の御勤めの核心であり、これだけは「神格」を獲得した天皇御自らしか果たし得ず、摂政や代行に任せられないことに平成山人という方のご指摘で気付かされ意見を変えました。

    >陛下の老齢の衰弱に伴い簡略化する工夫はあり得てもそのような闕略祭祀は最早宮中祭祀ではあり得ず、神格なき摂政身分にはその執行能力がない以上、天皇にとっての至上の役儀である本格の祭祀を続行するには、過度の高齡化で心身の機能が衰へ果てる前に、体力のある皇嗣が神格を得た天皇として継ぐことが唯一の解決策となるのではないでしょうか。

    平成山人氏の言、理ありげなれど強ひ言なり。昭和天皇は寶算八十七歳にして崩御せられ、昭和六十二年以降、篤しくならせ給ひたり。これ御高齡の天皇陛下の先例なり。宮中祭祀が大切ならば、氏は讓位を強く提言したるや。御代變りも政府の不手際で一部遲れありたれども、大混亂なかりけり。「上代ノ恒典ニ因リ中古以來讓位ノ慣例ヲ改ムル者ナリ」とは誠に正しく、皇極天皇まで讓位の御例さらになし。神武天皇以降、上代の天皇陛下寶算長久なるに祭祀の困難を宣はれたる例もさらになし。書紀に、允恭天皇篤しくあらせられ、御讓位の御意向仰せ給ひしかど群臣畏みて諫めたり。これ如何に。「天皇にとっての至上の役儀である本格の祭祀を続行するには、(中略)心身の機能が衰へ果てる前に、体力のある皇嗣が神格を得た天皇として継ぐことが唯一の解決策」と申し上げるか。あなかしこ。抑々、天皇陛下には、宮中祭祀よりも天津日嗣を繼がせ賜ふことと大王たる御事こそ最重要なれ。

    >終身制も一世一元も絶対ではなく、過去に後水尾天皇の例もあり、蘇我、藤原、徳川の外戚の例もあり、それでも皇室の権威は一貫して保たれてきた歴史を振りかえれば左程神経質に譲位が皇国の毀損に直結すると憂うるほどではないのではないでしょうか。

    此れ古事と慣例と明治の新制度とを混淆したるひがことなり。終身制は古事なり。伊藤公の義解より明らかなり。古事記に讓位の例なし。一世一元は唐土のを借る明治の新制度なり。讓位は中古の慣例なり。維新の大義に復古あり。王政復古の大號令に著し。

    >祭祀が覚束なくなることへの御心配からであるなら、この最重要公務の祭祀執行ができなくなれば位を退くべきとお考えならば、それは寧ろ国体を将来に亘り護持するための叡慮と推察されます。陛下が御譲位遊ばされ、上皇となられて、新天皇と共に日本国に存在されるならば、より一層国民は安堵し、日本社会が安定するとも考えられるのではないでしょうか。

    貴殿にとつての上皇とは如何なる御存在にかある。聞き難し。

    >蜷川氏ら当時の東日本側の立場からは、公卿薩長人の卑劣な謀略で成功した明治維新に大義などなく、

    これ佐幕の悲劇而已みて他の悲劇を觀ぬ偏向なり。明治の地租改正に泣きたる神社仏閣庄屋數多あり。幾何の山野を没収せられたるや。松方財政で没落したる庄屋あり。明治維新を應掩したる國學者の庄屋が悲劇は誰もが知る名作にもなりぬ。佐賀の亂、萩の亂、西南の役等、明治維新の功勞者の悲劇は悲劇にあらずや。玉木文之進先生の悲劇に落涙せざるや。南洲先生は。明治維新の薩摩長州のあながちなることあれど、明治天皇の親政を否定するに足らず。

    >しかし一旦成立した明治政府には蜷川氏ら旧幕臣も多く参画し、兎も角オール日本の総力を結集した近代化と対外政策の基本に誤りはなく

    これ明治初期の事情と明らかに異。西郷南洲はじめ多くの指導者が野に下り、反亂したるは明治の悲劇なり。狡兎死ゝて走狗煮らるとは本當に殘酷なり。然れども悲劇の生まるゝは畫期の定め。貴殿の愛する江戸幕府の出で來る時も、加藤福島は狡兎死而走狗煮らるる憂き目に會ひたり、況んや豊臣上杉毛利をや。

    >しかも明治の親政の実体は「玉座をもって胸壁となし 詔勅をもって弾丸に代えた」薩長公卿の有司専制ではなかったかということになります。

    これ尾崎行雄代議士の大正二年二月五日の演説を引きて、明治の有司専制を批判する時代を錯誤したる論ひなり。伊藤公も岩倉太政大臣も鬼籍に入りたり。持ち出すならば民權派の演説こそ相應しけれ。それを置いても、本當に尾崎代議士の演説の内容が正しければ、然ることえ申さず。斯かることが言へるのは、「大詔を拝して」といふ際の眞の詔と政府の「詔勅彈丸」とに差別あればなり。抑々宮中府中の別が嚴然たればこそ桂退陣要求の理由にもなれ。玉座を鎧に詔勅を武器とする藩閥有司の内閣のすぐに退陣に追ひ込まるゝもあさまし。

    貴殿、明治と昭和の悲劇とを牽強して附會せるも大正に觸れざるは如何に。貴殿の望む有司専制崩れ、デモクラシー華々しく、初期に桂内閣をたふし、原内閣以降いはゆる憲政の常道なり、末つ方には第二の要求普通選擧法も實現せり。忌み嫌はれる有司も亡くなられて、殘る元老はデモクラシーを愛する西園寺公望而已となりぬ。さぞ次の昭和の前期は華々しき時代なるべし。貴殿の望まれる理想の時代なるべし。いとをかし。

    >天皇ご自身は文化的意味での天皇中心主義のなかに身を置く、それ故に神聖と尊厳を得、永久に全国民の尊崇に値するのではないでしょうか。

    この文化といふは大正の御代の文化主義の文化か、それとも三島由紀夫の定義したる文化か、おそらく前者なりかし。爾れば歐意に泥む僻心得なり。

    >教授の、「本來の精神を堅持して微動もしないから死んでいない」、というのも残念乍ら平成の今日の日本の為体をみれば最早「亡国」の域にはいっていると見做す方が正しく、「現在の皇室の諸問題を解決する絲口を得」んとするならば、適切な気がしますが如何でしょうか。

    本來の精神の滅びたる時に幕府が如き政體を望む、いと危し。

    >皇室に替はる易姓革命を藤井懶齋という儒者が主張し、室鳩巣が共感していたというのは本当でしょうか。引用された部分は文脈が分かりにくいのですが、懶斎は「江戸前期の久留米藩医師で山崎闇斎にまなび朱子学の立場から仏教を批判した」とWikiにあり大した学者でもなさそうですが、鳩巣までがこの説を支持したとなれば日本の思想史上注目すべきエピソードとなります。

    拔書してゐたるメモに出典を書き忘れ大要の載る元の書を思ひ出せず、申譯なし。日本道學淵源續録先哲叢談に載つてゐることは明らかなり。調べ給へ。

    >今日のにぎ様のご指摘は、明治維新に関して、“源賴朝の開府以前に幕府の變體さらになし”であり、ということは鎌倉幕府から江戸幕府までの朝廷政策は正統ではなく変体だった、鎌倉以来日本史は変体が続いたが明治で正統になった、との御見解と理解しました。

    然り。これ江戸時代に基ある正論なり。大政委任をのたまはれたるはじめは誰か未だ知らず。されど鈴屋の大人ものたまはれたり。

    >その変体すなわち大政委任の許される3条件(①朝廷の缺陷、②幕府の皇室を尊ぶ至誠、③幕府の国家統治能力)自体、正統とは思えませんが、よしんば正しいと仮定しても、末期の江戸幕府だけでなく、白石の読史余論史観の5つの全武家治世がこの条件を①を除き2つとも満たしていたと推定されます。天皇が権力を武家に譲りながら精神的権威を保持するという理想的な日本統治の方式で、私はこれこそ正統であると考えます。

    承久の北條の狼藉、足利高氏の狼藉を是とするか、あなかしこ。また室町幕府の應仁文明以降の亂世は如何に。東照神御祖命の幕府はいとめでたき時代なり。而して正式に朝廷に大政を奉還したれば、よろしき而已矣。

    貴殿、大將軍が大政奉還されたることをな忘れそ。幕府は大政を奉還したり。大將軍は何時大政奉還を反故にしたるか。鳥羽伏見のあたりで然る御沙汰ありや。淺學寡聞にして存ぜず。また幕府、周防長門而已の弱小藩にさへ負けたる事實もな忘れそ。

    >孝明帝を暗殺したのは岩倉などの討幕派だったことはほぼ間違いない(中略)とする蜷川氏の立場からすれば、幕末の幕政改革が成功し小栗構想の郡県制度が実現し、公儀が外国の力を借りずに薩長を武力で鎮圧できていれば(これは将軍さえ臆さなければ可能でした)、より少ない犠牲で、反幕勢力も包摂しつつ、洗練された江戸文化と武士の倫理観をより強く継承する政権が誕生し、明治政府とは異なる近代化に邁進できたと思います。大隈重信の指摘したように明治の近代化政策、外交政策はすべて小栗忠順の施策の模倣でした。

    あなかしこ。おほけなし。長州てふ弱小藩にすら負けて、はたして露帝國に勝てるか。

    >三島由紀夫に触れておられますが、その国軍2分論だけは賛同できませんが、軍事上の栄誉は文化概念としての天皇から授けられねばならず、自衛隊の儀仗を受け、連隊旗を下賜する、という論には賛成で、これこそ正統的な皇室の在り方で、それは天皇主権ではなく、否な、あってはならないと思います。

    天皇陛下が大元帥陛下に坐すが神武東征以來の御國のてぶりぞ。萬葉集にある大伴防人の歌より悟るべし。

    >将来「王位を望む道鏡のような者」は現れないと思いますし、「共和制信奉者や左翼革命主義者」が天皇制を廃止する、天皇を処刑する危險性は存在しますので、その根源となる中共対策が現今の最大の、そして真の、日本国の政治課題と考えています。

    孟軻の邪説、共産主義の類、數十年、數百年單位で見れば必ずおこりぬべし。

  10. 訂正
    >允恭天皇篤しくあらせられ、御讓位の御意向仰せ給ひしかど群臣畏みて諫めたり。これ如何に。「天皇にとっての至上の役儀である本格の祭祀を続行するには、(中略)心身の機能が衰へ果てる前に、体力のある皇嗣が神格を得た天皇として継ぐことが唯一の解決策」と申し上げるか。あなかしこ。

    この件、誤りあり。本當は允恭天皇が卽位を固辭せらる件なり。申譯なし。されど、ここの群臣の申し上げたことこそ本來今上陛下に安倍政權が申し上げるべきことなれ。

  11. にぎ様

    かくも丹念に卑見を読みこんで頂いたうえ、「古事記に讓位の例なし」など貴重な数々のご教示にあずかり恐縮しております。私見は概ね述べ尽くしましたので、これ以上の口幅ったい生意気は申しませんが最後に一部だけ納得しがたいことと、誤解を解きたいことを申し上げます。

    納得しがたいのは、明治維新の大政復古は、古代の天皇が理想的文武兼備の政治権力者であった神武創業の始めに戻そう理念であり、「天皇陛下が大元帥陛下に坐すが神武東征以來の御國のてぶり」であったことを頭から肯定し、そのイドラに執着されることです。皇国史観は一つの立派な思想であり、占領軍や左翼が否定しましたので、肯定したくもなりますが、これを現代の原理主義的政治論として持ち出すのは、その正しいとする根拠が万葉集、古事記、建国の詔、大政復古の大号令では不十分で、現在を生きる日本人、GHQの洗脳から免れた者にも説得力のないこと、従ってその現実的実現性がないことから、採ることは出来ません。

    何故それが正しいのか?何故平泉教授の言説が間違っていないのか?という検証が為されなければ知的誠実を欠き、知的停滞に陥ることになります。山崎闇斎は臣下は君主に絶対服従することを説きましたが、私は合理的思想を貫いた荻生徂徠を支持します。

    御説は平泉説に準拠されますが、平泉教授こそは、不勉強で知りませんでしたが、戦後左翼から「皇国史観」の権化、「軍部と一体になり皇国日本の最大最高のイデオローグ」と評価される方のようです。もとより皇国史観ゆえに間違っているなどとは努々申しません。皇国史観がもし、日本の歴史は天皇を中心に形成され日本民族の統合の核心を万世一系の皇室に求める思想であれば、それは正しいと思いますが、旧憲法で“日本は万世一系かつ神聖不可侵の天皇が統治すること”すなわち君主である天皇が領土と国民を支配する君主主権は現代の政治体制ではあり得ません。我々には、天皇が権力を世俗の政権に譲りながら精神的権威を保持する立憲君主制か共和制の選択肢しかなく、日本は前者を選ぶのが、皇室という世界最高の資産を継承する所以で、賢明であり、この選択しかないと思います。天皇を文化的意味で神格化できても政治的意味での神格化は出来ません。

    平泉氏の以下の言葉は深い共感を覚えます。
    “去る12月8日、国民の待望してやまなかった宣戦の大詔は遂に下り、天兵は直に海を越えて四方に飛び、まつろはざるものを粉砕した。幾千年を忠義の至誠に貫く強き伝統に鍛えられた皇軍の前に僅かに利を以て結び富によって傲る者の、ひとたまりもなく潰えたことは、もとより当然といはなけらればならぬ。”

    “正しい日本人となる爲には、日本歴史の眞實を知り、之を受けつがねばならぬ。然るに、不幸にして、戰敗れた後の我が國は、占領軍の干渉の爲に、正しい歴史を教える事が許されなかった。占領は足掛け八年にして解除せられた。然し歴史の學問は、占領下に大きく曲げられたままに、今日に至っている。”

    “皆さん、人の貴いのは、それが誠實であるからだ。誠實は一切の徳の根本だ。その誠實を守る爲には、非常な勇氣を必要とするのだ。世の中には、自分の慾の爲に、事實を正しく視る事の出來ない人もあれば、世間の人々を恐れて、正しく事實を述べる勇氣のない人も多い。 今後の日本を携うべき少年の皆さん、敗戰の汚辱を拭い去って、光に充ちた日本の再興に當るべき皆さんは、何よりも先ず誠實でなければならぬ。そしてその誠實を一生守り通す勇氣を持たなければならぬ。 日本の歴史は、さような誠實と勇氣との結晶だ。凡そ不誠實なるもの、卑怯なるものは、歴史の組成に與る事は出來ない。それは非歴史的なるもの、人體でいえば病菌だ。病菌を自分自身であるかのような錯覺をいだいてはならぬ。”

    ここまでは結構なのですが、“わが国は天皇の親政をもって正しいとしたことは明瞭であります”と断言し、さらに“わが国は民主の国ではございません、あくまで君主の国であって、ただその君主の目的がその君主の目標が民本の政治をおとりになったことを法文に明記したのが明治憲法である”との説には首肯出来ません。平泉氏はさらに;

    “国史の真髄は国体の認識と天皇の崇拝にあり、その極致は忠の一字に帰着する。(略)大切なのは、国史3千年を貫いて流れる精神を感得せしめることで、それは結局、国体の自覚と天皇への絶対忠誠心をやしなうことに帰着する。そして、天皇への忠誠の極致は、天皇に喜んで命を捧げることであり、それが日本人の道徳の極致であり、もっとも美しい行為である。豚に歴史がないように、百姓・庶民には歴史はない!嗚呼、一朝有事の日には、一命を陛下に捧げ奉って、桜花の如く潔く散らうとする願、皇国の強みは、この念願に存するのである。”

    親戚に昭和17年3月のバンドン攻略戦で戦死した者、昭和20年5月沖縄の特攻で戦死した者がいます。当時のことですから天皇への絶対忠誠を抱いていたと思いますが、心中深いところでは同胞、家族、国土、郷里の山河を守るため命を捨てる覚悟だったと思います。天皇への「崇拝」はどうしても強制されがちですが、強制のない自然な「尊崇」「憧憬」「仰慕」が天皇への国民の心の在り方ではないかと思います。

    以下、誤解を解きたいと思います。

    「江戸幕府を愛する」のではありません。維新の功労者とされる人々が討幕の密勅や錦旗を偽造したり、孝明帝を暗殺したり、その出生に疑惑のある明治維新ではありましたが日本の近代化に成功し独立を保ったことは高く評価されます。しかし実現しなかったもう一つの選択肢、大村益次郎が告白したように小栗上野の東海道迎撃作戦が実施されていたならば官軍は敗退し、小栗、水野忠徳、川路聖謨、岩瀬忠震ら幕府の開明派官僚や、会津、桑名、薩摩、越前など諸藩の俊秀が主導する革新が実現し、公儀の絶対主義統治体制から明治政府とは異なるより強力で上品な体制に移行できたことを夢想するのは愉しいことですが、考えても詮のないことで、ただ天皇が政治権力ではなく文化的権威として君臨したという意味で徳川300年は日本の統治制度の手本になるとは思っております。飛鳥尽きて良弓蔵められたのは哀しいことでした。

    なお、上皇とは太上天皇(すめみおやのみこと)、天皇陛下の御隠居様と解しています。また「文化的意味での天皇中心主義」の文化は大正文化主義の文化では勿論なく、三島由紀夫の定義した文化です。

  12. 前回枝葉に細々と論難したりして論ひの本質に及ばざりき。今回は論者の主張する皇室典範不要論の核心に關して反論す。

    皇室典範にて天津日嗣を規定したるは明治の新制度なれど、これいと古事を辨へたるものなり。確かに御國は古へ君臣の別搖がず、民恭しけれども、萬國の主らと共通して皇族方の爭ひ多かりけり。早くは火照命と火遠理命とが爭ひ給へり。歷代爭ひ絶えず、安康天皇、雄略天皇の御代は甚だしかりけり。さらに弘文天皇の御代の壬申の亂、古代最大の戰となりぬ。その後御代御代は言ふに及ばず、遂に武者の世となりぬ。天津日嗣の安定的繼承が惟神にも難きこと明らかなり。ゆゑに天津日嗣を國家紊亂の基とせぬために、明治の御代に皇室典範にて皇位繼承順を定めたり。

    しかし、皇室に限らず、御家騷動は何処にでもあり、卑近な例では諸藩は言ふに及ばず、庶人にもあり。今日庶人民法にて私闘は許されず、当然民法に據りて法律で解決するから世は治まりたれども、民法、裁判所なくんば、私闘出で來べし。

    昭和十一年二月二十六日、近衛步兵第三聯隊、第一師團步兵第一第三聯隊が騷亂したり。嘗て秩父宮殿下が所屬されたる步兵第三聯隊が含まれてをり、また將校に秩父宮殿下を慕ふもの多く、畏くも昭和天皇に對する不信を抱き奉るものありけり。幸ひ事件の際皇室は一致團結せられたるも、若し皇室典範なく皇位繼承定まらざりければ、或いは昭和天皇と秩父宮殿下とに不和をうむ陰謀が行はれたるかもしれぬ。あなかしこ。明治以來、皇位繼承が爭ひの原因にならざるを觀ても、皇室典範に非なしと言ふべし。

    論者、皇位繼承を皇室に委ねよといふならば、古來皇位繼承を法制化せざる頃に皇位繼承をめぐる大亂さはなるを如何にか説明する。また皇室典範制定以降、皇位繼承が爭ひの基とならざるを如何にか評價する。今皇太子殿下に皇子無く、一方秋篠宮殿下に皇子あり。皇室典範なからば、此れ將來紛爭の元ともなりぬべし。今歐意の爲に民ゐやなく、敬宮内親王を儲君とせんと女性天皇女系容認を論ふものあり、一方、皇太子殿下を廢して秋篠宮殿下を皇太子とすべしてふ論あり。皇室典範を遵守すれば、抑々今上陛下の御讓位不可にして、次は皇太子殿下、次は此の點は改正必要なれど繼承順位から秋篠宮殿下、次に悠仁親王殿下なり。

    もし論者の云ふ樣に皇位繼承を皇室に奉還すれば、天皇陛下必ず讓位せらるべし。つまり皇太子殿下が天皇となられ、今上陛下は上皇となられる。この際、誰か皇位繼承順位を決めらるる。上皇か。しかれば上皇の權威強まるべし。院政の再開なり。天皇か。しかれば皇太子に敬宮殿下を立てらるるを欲し賜はゞ如何にかすべき。そこに皇室外の例へば外務省や小和田恆の意向が紛れ込む恐れ無きや。紛爭の基なり。

  13. 恐縮ながら、雜用の間隙を縫つて一言だけ。

    「しなの文六錢」さんが參加せられた昨年最後の坦々塾には私も出ました。そして、懇親會の最後には、指名されたわけでもないのに、自ら擧手をして、發言の許可を求め、次のやうに述べましたーー「昔、三笠宮樣による、紀元節復活反對論なるものがあつた。その論據が、神武天皇は實在しなかつたから、といふことであるのを知つて、畏れ多いことではあるが、こんな程度かと呆れ、いたく失望した。今の退位だか讓位だかの騷ぎも、所詮、似たやうなものであらう」。

    だから、無關心であつてもいいとは決して思つてゐませんが、私には、どうしても、この件に關心がもてません。前囘、烏滸がましくも、自らを忠臣などと稱しましたが、それは實は、願望に過ぎません。西尾先生から平素、「天皇に徳を求めてはいけない。ただ血統によつてのみ尊いのだ」と嚴しく戒められてゐるにもかかはらず、「君 君たらずとも、臣は臣たり」の心境になり得ないのです。

    にぎさんの「皇位繼承を皇室に奉還すれば、天皇陛下必ず讓位せらるべし。つまり皇太子殿下が天皇となられ、今上陛下は上皇となられる。この際、誰か皇位繼承順位を決めらるる。上皇か。しかれば上皇の權威強まるべし。院政の再開なり。天皇か。しかれば皇太子に敬宮殿下を立てらるるを欲し賜はゞ如何にかすべき。そこに皇室外の例へば外務省や小和田恆の意向が紛れ込む恐れ無きや。紛爭の基なり」との仰せ、反論の餘地なき正論です。
    正にその點に、明治の先人が思ひを致したのでせう。やはり先人は偉かつた!けれども、「必ず讓位せらるべし」⇒「小和田恆の意向云々」(間違ひなく、そのとほりになりませう)などとの思ひ(不信?)を抱いた上での天皇尊崇(それ以外にありうるべからざることを承知の上で)が虚しくなりました。一度すべてを「皇室に奉還」し、お上が一切の責任を自覺されることを唯一の條件とし、その他については條件なしに天皇陛下萬歳を叫びたいものです。

    支離滅裂にして、むなしい暴論(自分でもなにが言ひたいのかよく分りません)、すみません。

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  14. 先に、終りから6行めに「ありうるべからざる」とあるのは
    「ありうべからざる」の誤りにつき訂正いたします。

  15. どうしたら文語文が書けるのでせうか?
    どういふ本を讀めばよいかご指導ください。

  16. 江藤 淳著「落葉の掃き寄せ」の卷末に『戰艦大和の最期』初出テクストが付屬してゐる。彼が最後の文語文が書ける日本人だと思ひ込んでゐました。ここに文語文を自在に操る“にぎ”先生や舊漢字・舊假名遣ひの正當性を唱へる池田俊二 先生を知り、ぜひとも會員にして頂きたく思ひます。コメント欄から入會を申し込むことは失禮かと思ひますが、上記の諸先生のコメントを拜讀して甚く感じた次第です。

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