Will 4月号・「岸田外相・御厨座長代理の器を問う!」を読んで(1)

ゲストエッセイ
坦々塾会員・吉田圭介

 最新のご論考への感想を書かせて頂きます。若輩者が甚だ僭越ではありますが、「もっと自分の考えを言葉に出せ!」という、坦々塾会員に向けた西尾先生の年頭の檄に背中を押され、率直に自分の思う所を書いてみた次第です。先生並びに会員の皆様のご高覧を賜れば幸甚に存じます。
 
 では、ご論考の展開に従って述べさせて頂きます。

 冒頭の、沖縄で市街地を回避して不時着したオスプレイの操縦士に対する心無い非難の見苦しさは、私も痛感して居りました。そして、事あるごとに米軍を悪し様に罵りながら、それでいて米国防長官の「尖閣に安保適用」の一言には朝野を挙げて喜ぶ節操の無さも、およそ常識の有る者なら到底居たたまれないような恥ずかしさを覚えるのが当然でありましょう。

 ただ、西尾先生はそういった常識的感覚の欠如の問題よりも更に一歩奥にある日本人の感情に分析を加えていらっしゃると感じました。本文中の、「米軍に守られている自分がじつは本当の自分ではないという不本意な感情、後ろめたさが伴っていることがつねに問題です」という部分です。

 不本意な状況に置かれた者は、確かに卑屈になるものですね。それも不満や怒りを含んだ卑屈さですからタチが悪い(笑)。不貞腐れた状態、とでも言うべきでしょうか。「アメリカの庇護」を有り難がる森本敏氏的右派論客も、「どうせ中国には敵わない」と嘯く孫崎享氏的左派論客も、決して自己の言葉に確信を持った明るく前向きな表情で語ってはいないように思います。存外、両者の心の奥底にのしかかっている不安は共通のものなのかも知れませんね(笑)。

 もっとも、ホリエモンや辻元清美といった人たちの世代になると、現在の日本が「不本意」な状況に置かれているという認識も無さそうで、アメリカや中国の言う通りにすることに何の屈託も感じないかも知れず、それはそれで深刻な問題ではあるのですが・・・。

 さて、その左右問わず全ての日本国民の心を冷え込ませている不安を解消するには、自らの「力」を行使して自己の運命を切り開く、ということへの躊躇を克服するしかないのだと、これはもう論理的帰結として明らかだと思うのですが、それをハッキリと明確な言葉で主張なさっているのは例によって西尾先生だけです。

 卑屈な人間、不貞腐れた人間はイヤなことを考えなくなるものです。自己に都合の悪いことを目にするのさえ厭うようになります。私のような弱い精神の人間にはよく判ります。

「和」という美名に隠れたひ弱なご都合主義を、「無風型非思想性」と一刀両断される西尾先生の一喝に、冷や汗の出る思いが致しました。そういう、容赦なくかつ的確に相手の欠陥の核心を一言で言い表す絶妙の造語(?)も、西尾先生の文章の大きな魅力です。

 「波風が立つほうがよほど生産的で、未来を動かす」という一文にも心を打たれました。どこか暗くて、卑屈に用心深く、それでいて不貞腐れたように投げやりな感じのする当代の論客たちの姿勢に比べて、実に明るく前向きな力強さのあるお言葉だと思いました。思えば我々坦々塾会員も知らず知らずの内に世の風潮の影響を受け、少々「無風型非思想性」に浸食されていたかも知れません。反省して居ります。

 次に、御厨貴氏に関してなのですが、私は不勉強で御厨氏の著書を全く読んでおりませんので余り申し上げるべき所見も思い浮かびません。ただ、TV等での発言を見る限り戦後の国家観・歴史観から一歩も出ない思考の持ち主としか思えず、思想云々以前にその新味の無さ、退屈さから敬遠して居りました。

 御厨貴氏、内田樹氏、加藤陽子氏といった方々が、昨今、政治や歴史に関する議論の場で引っ張りだこの大人気ですが、私にはどこが魅力なのかよくわかりません。彼らの主張は丸山真男や鶴見俊輔といった方々の主張と何も変わらないもので、時代の変化に伴う新しい知見やそれに基づく新たな考察が全く感じられないからです。

 もし彼らに何か新味が有るとすれば、これまでの所謂進歩的知識人に比べ多少「分析的」なところでしょうか。例えば戦前の指導者の書き残した文章や発言、当時の新聞や雑誌の記事、選挙の結果、外交交渉の記録、各種の統計データ等々、実に様々な資料を引用して論考する点が、新しさと感じられなくもありません。

 しかしどうにも理解に苦しむのが、それら様々な資料を分析していけば、戦前の日本が(最善とは言わないまでも)それなりに必然性の有る合理的選択をしていった結果があの戦争であり今日まで日本国と日本民族が歩んできた歴史であることは解るはずなのに、彼らが相も変わらぬ戦前暗黒史観・日本悪玉史観に凝り固まっていることです。

 そして近年国民の中に湧き上がってきた、保守系言論誌からインターネット空間での草の根言論に至る「右寄りの言論」の勢いに対しては、感情論的罵倒を並べるばかり。トランプ現象に対しても、「そんなはずはない」程度のボヤキしか言っていませんね。アメリカ庶民の怒りを正確に分析していた藤井厳喜先生や、その怒りの源を「自由世界を守るために不利益に耐えてきたルサンチマン」だと喝破した西尾先生の深い人間洞察と比べて、その浅薄さ、粗雑さは驚くほどです。

 トランプ当選を伝えるNHKのドキュメンタリーの中で、今は閉鎖され廃墟と化したかつての自分の勤務先の工場を前にアメリカ人らしい筋骨隆々の大男が男泣きに泣きながら昔を懐かしむ映像を見て、「ああ、アメリカ人もこんなに苦しみ怒っていたんだなァ」と、粛然とした気持ちになったのを覚えています。

 「無風型非思想性」で目を覆われた日本人は、このようなアメリカ人の心の底に溢れていた怒りというものに気付いていなかったのですね。油断であり怠慢であったと思います。

 このような人物が皇室の在り方を決める有識者会議の実質的座長とは・・・。文中の引用文の中で御厨氏は天皇を「国の臍」と言っていますね。臍は生まれるときには必要ですがその後は不要でムダなものになります。そういうことが言いたいのでしょう。

 「主権在民」というドグマの中から一歩たりとも視野を広げようとしない硬直性。それでいて、「伝統を尊崇する民意」や「自国優先を支持する民意」は平気で無視する独善性。

 古い古い前時代の左翼と何が違うのでしょうか。

つづく

“Will 4月号・「岸田外相・御厨座長代理の器を問う!」を読んで(1)” への 2 件のフィードバック

  1. 吉田圭介樣の文、大變勉強になりました。

    >事あるごとに米軍を悪し様に罵りながら、それでいて米国防長官の「尖閣に安保適用」の一言には朝野を挙げて喜ぶ節操の無さ

    これは特に放送局新聞紙に言へることで、その淵源も事勿れ主義にあるのでせう。事あるごとに米軍を罵るのは、米軍への罵詈を望み、假に米軍を稱揚せば攻擊して來る左翼への阿りであり、罵詈しても米軍が危害を加へて來ぬことに甘えてゐるからでせう。尖閣への安保適用に悅ぶのは、唐國との戰爭の抑止に安堵する素直な氣持ちの顯れでせう。結局新聞紙、放送局は現狀維持を願ふ保守的な事勿れ體質です。因みにトランプ米國統領誕生を嫌つた安倍總理大臣、經團聯、新聞紙の態度も、軍事的、經濟的變革を恐れる事勿れ主義に由來すると思ひます。

    >「波風が立つほうがよほど生産的で、未来を動かす」という一文にも心を打たれました。

    このことを熟知してゐるのは残念ながら左翼であり、唐戎鮮奴であります。近隣諸國條項も從軍慰安婦も南京大虐殺も軍艦島強制徵用も、總て彼らが騷ぎを起すことで創作されたものです。事勿れ主義の政府首腦部や官僚は騷ぎを凪がうとして、對手の噓を事實と認めてしまひ、禍根を遺してきました。岸田文雄外務大臣が強制徵用を認めたことで、それまで奇觀がめでたく人気のあつた軍艦島が新たに『御國の惡事』に追加され、最近、安倍晉三總理大臣が謝罪したことで、從軍慰安婦とバターン死の行進且つ米軍捕虜の奴隷化(岡田克也外務大臣が公式謝罪濟)とが『總理大臣謝罪』の事實に追加されました。

    「安倍総理から,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明した。(日韓首脳電話会談http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001668.html)」

    「In April 2015, Mr. Tenney attended a joint session of Congress addressed by Japan’s prime minister, Shinzo Abe, who expressed “deep repentance” for American losses. Mr. Tenney told The San Diego Union-Tribune that Mr. Abe personally apologized to him later that day.(Lester Tenney, 96, Dies; Faced Japan’s Brutality and Won Its Apologies https://www.nytimes.com/2017/03/05/us/lester-tenney-dead.html?_r=0)」

    此方は波風を凪がうとして損害を被り、彼方は波風を立てて自分に有利な成果を得ました。

    >文中の引用文の中で御厨氏は天皇を「国の臍」と言っていますね。臍は生まれるときには必要ですがその後は不要でムダなものになります。そういうことが言いたいのでしょう。

    此れに關しては受け難うございます。確かに御厨貴敎授の話し振りはさうとられても仕方ないのですが、つらつら考へますに、國の臍とは素直に國の中心といふ意味であると思ひます。若し貴殿の考へをとるのであらば、臍ではなく、臍帯が相應しいと思ひます。臍は生まれた後も必要な場所で、雷樣に臍を取られたくないものです。

    また、敎授の論旨を理解すれば、自然國の中心を意味すると分かります。NHKスペシャルの『天皇と憲法』の編集の拙なさと敎授の口不調法とのせいで、ドキユメンタリからは聞えにくいのですが、敎授の『天皇と政治―近代日本のダイナミズム』てふ書物により敎授の論旨を理解出來ると思ひます。私も未讀ですが、幸ひ、藤原書店のPR誌「機」平成十八年九月號で敎授が要約してくれてゐました。内容はほゞドキユメンタリと同じで、且つより分かり易いです。要するに、敎授は國家を語る上で第一に語られるべき中心議題の天皇の坐すこと(國の臍)を避けて來たから、『戰後』を脱却して『二十一世紀』に相應しき日本が確立されぬ、と言ひたいのでせう。(http://fujiwara-shoten.co.jp/main/ki/archives/2006/09/post_1363.php)

    「天皇と皇室・皇族の存在を抜きにして、近代日本の政治を語ることはできない。こう言うと、戦前はまだしも戦後はそんなことはないとの反論にあうかもしれない。しかしそれは、戦後日本がある時期から、憲法改正、象徴天皇、戦争責任といった国家とイデオロギーに関する議論を放棄してきた事実を忘れている。これら三つの問題は、むしろ語ることさえタブー視され、敬遠されてきたと言ってよかろう。

    ところが21世紀に入って、小泉純一郎という特異な前例破壊主義の首相が登場するや、知らず知らずのうちに、以上の国家とイデオロギーに関する問題をたぐり寄せる結果となった。今や、憲法改正、女帝論、戦争責任の三課題は、相互に密接不可分の争点群として我々の前に立ち現われつつある。しかもこれらの問題は、いずれも近代日本の歴史の見方とこれまた不即不離の関係にある。

    もっともこうした天皇の存在は、いわゆるアカデミックな体裁の論文では、到底捉えることが不可能だ。いかにすれば、天皇を論じて近代日本のダイナミズムを描き出すことが可能か。本書は、これまで以上により大胆にかつ縦横に「天皇と政治」をテーマに論ずるものである。」

    「おそらく「左」がことさら強調する「歴史問題」に本当に対応するためには、天皇や国家や憲法の存在を今一度真正面から考え直す他はなかろう。さらに「右」が天皇や国家や憲法のあり方をあくまでも優先させるのならば、「歴史問題」をこれまた排他的でない形で引き受けるしかない。これによって、ある意味、今なお続く「占領」状態の蒙昧から脱却し、終わらない「戦後」に明確に終止符を打ち、日本は新たなステージに立つことになるのだと思う。」

  2. にぎ様、コメント有難う御座います。勉強になる、なんてとんでもありません。コメントされる皆様の知識の博さ、考察の深さにいつも感歎し、自己の浅学さを恥じ入ることばかりです。

    我が国の政府、財界、メディアが様々な局面で将来に禍根を残すような行動をとってしまうのは事勿れ主義に由来する、というお考えに心底から賛同致します。西尾先生がWill論文中で「“和”と称する無風型非思想性」と揶揄なさっているのも同じ問題だと思います。
    騒ぎ・衝突をひたすらに避けようとする日本人の「和」の精神は、国内にあっては安定した社会と穏やかで優しい国民性を作り上げましたが、国外に対しては相手から極めて理解されにくい曖昧で脆弱な性質を形成してしまったと考えます。

    この事態を解決するために、日本人は国内向けと国外向けでは思考・行動の様式を使い分けるべきだ、といった主張もよく聞かれますが、私の考えは少し違います。
    騒ぎや衝突をなるべく避けようとする日本的価値観を外国との関係の中にそのまま持ち込もうとすることは価値観の押し付けであり、和の精神には反しているとも言えるのではないでしょうか。和の精神を大切にする日本人だからこそ、相手のレベルに合わせた接し方をすべきです。即ち、国際関係を上下の序列でしか理解しない相手には上下関係をハッキリ分からせる態度で、軍事力を信奉する相手には軍事力をハッキリ見せつける態度で臨む。そのほうが彼らも理解しやすいですし、交渉もしやすく、ひいては妥協や合意も早いと思うのです。そしてそのほうがずっと、広い意味での「和」の精神に適っている...こんな風に考えるのは少々ふざけ過ぎでしょうか(笑)。

    御厨氏の言う「臍」については、にぎ様の仰せ誠にご尤もで、些か下衆の勘繰りじみた自分の物言いに汗顔の至りです。TV等で拝見する御厨氏の発言や今回引用されている氏の文章への反発心が先に立って、ピント外れなことを書いてしまったかも知れません。以後、気を付けたいと思います。もっとも、御厨氏にそういう含意が100%無かったかどうかは誰にも分かりませんけれど(笑)。

    きちんと著書も読まずに批判をすることも良い態度とは言えないと、少しく反省はして居りますが、ただ、氏のご専門である政治史・政治研究についての批判なら格別、TV・雑誌等で氏が折々語っている時局についてのコメントについてならば、一視聴者・一読者として感想を述べることも許されようと思い書いてみた次第です。世論に最も強く影響を与えるのは、ニュースキャスターやコメンテーターの片言隻句や新聞雑誌の些細な記事なのであり、そういう媒体において安易に偏向性の有る発言をすることは、批判を受けて当然ではないでしょうか。

    ...どうも生意気な物言いになってしまい、自己の言語力の無さを痛感します。にぎ様の如く、「教授の口不調法」といったような洗練された言葉遣いができるよう、修練したいと思います。

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