Will 4月号・「岸田外相・御厨座長代理の器を問う!」を読んで(3)

ゲストエッセイ:吉田圭介

 私の感想は以上なのですが、この際少し勇気を出して、慰安婦問題やユネスコ登録問題のような「日本の対外主張の在り方」について私が普段思っている事柄を書かせて頂くことをお許しください。

 西尾先生は先般『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた』という御著書を上梓されましたね。このタイトルの言葉に私は心から賛同致します。そして、究極的にはそれをやらなければ(つまり旧敵国に日本の戦争の意義を理解させなければ)歴史戦は終わらないし、慰安婦・ユネスコ問題を含む歴史認識論争には勝てないと考えて居ります。

 安倍さんとその周辺が掲げているような「戦前の日本は間違っていたが、敗戦によってアメリカの指導を受け模範的な自由民主主義国家となった。だから中国よりも道徳的上位にある」という価値観では歴史戦の出口は見えません。なぜなら、中国や韓国は時間軸において「アメリカの指導で模範的自由民主主義国家になる」よりも「前」の日本を断罪しているのですから。戦前の日本の行動の意義、合理性、妥当性、つまり大義を立証しない限り、この問題を終わらせることは出来ないのです。

 ・・・こんなことは西尾先生には釈迦に説法と言うべきですね。私の申し上げたいのは別のことです。

 日本の大義を説く相手として、中韓両国は除外して良いでしょう。無論、究極的にはその両国の国民にも理解して貰いたいですし、その両国にも科学的・客観的視点を持ち日本の主張に耳を傾けるだけの知性が存在することは疑いませんが、彼らの圧倒的大勢が事実を枉げてでも日本に恥辱を与えようと望んでいる現状にあっては、如何なる説明努力も無意味であり、むしろ相手に余計な知恵を授け増長させる結果にもなりかねないと考えます。

 そうなると説明する相手は欧米はじめ中韓以外の国々ということになりますが、そこで問題になるのは、そういった国の人々にとって日本と中韓との歴史論争などというものは全く興味の対象外であることですね。欧米の人々にとってアジアの歴史が如何に関心の外に在るかということは、西尾先生が一番よく御存知でしょう(笑)。

 興味を持っていない事柄について理解させるには、余程平易に、簡潔に、彼らの感覚にフィットした表現で説明しなければならないと思うのです。歴史上の事実関係の徹底した検証は勿論必要であり、そのための努力をされている研究者の方々には満腔の敬意を持って居りますが、当事者でない諸外国の人々にとっては、日本と中韓との間に起こった一つ一つの歴史的事象の真偽など、理解するには煩雑に過ぎまた判断の付きかねる問題ではないでしょうか。事実関係の検証とは並行して、世界中の誰が聞いても理解でき、共感できるような、平易で簡潔な形の主張の骨子を用意するべきだと考えます。

 西尾先生は、「やった事が異なれば謝罪も異なる」という誰もが納得せざるを得ない条理を用いて、日本社会を強固に覆っていた「ドイツ見習え論」を鮮やかに否定されました。外国人労働者問題でも、人権擁護法の問題でも、女系天皇問題でも、先生は、誰もが何が問題なのかをすぐに理解でき、そしてなるほどそうだ、と共感できる説明の仕方で世論の潮流を変えることに成功して来られました。

 その『西尾流』説得術を応用してこの問題を検討してみますに、まず、日本側が何を問題にしているのか、日本側がなぜ謝罪や賠償に応じられないのか、という点をハッキリさせるべきでしょう。この場合、「もう謝罪は済んでいるから」では主張として弱いですね。相手は「被害者が納得するまで謝るべき」と反論してくるでしょうし、第三者(日中韓以外の国民)から見れば後者の方が共感し易いでしょう。誰でも綺麗事を好むものです。

 やはり、日本が謝罪や賠償に応じられないのは「それが事実でないからだ」という点を徹底的にアピールしたほうが良いと考えます。虚偽に対して抵抗する姿勢は誰でも理解・共感できるものですし、誰も否定できない条理だからです。

 もう一点、虚偽に基づく恥辱を受けることが重大な人権侵害であることもアピールすべきでしょう。集団で拉致され監禁され強姦されることは重大な人権侵害です。しかし、やってもいないことで罪を着せられることも重大な人権侵害なのです。歴史問題に対する日本の法曹人たちの姿勢を見ていると、この点に無頓着な人が多いのは実に奇妙です。

 以上の二点を踏まえて、西尾先生流の適確・簡潔な説得のフレーズを考えると、

 「根拠の無いことを認めることはどうしてもできない」

 「やっていないことに対して謝罪することは不可能だ」

 「客観的証拠もなく人に罪を着せることはできない」

 と、この程度にシンプルな主張にできるのではないでしょうか。

 このくらい簡潔な主張を、総理大臣から閣僚、役人、ビジネスマン、海外留学する人、単なる海外旅行者に至るまで、あらゆる日本人が事あるごとに、あたかも決まり文句のように口にしていれば、関心の薄い第三者である諸外国の人々でも、「日本が何と戦っているのか」を理解し共感してくれるのではないか・・・・そんな風に思うのですが、先生は如何お思いになられるでしょうか。

 折角ですから調子に乗って、もう一つ私見を述べさせて頂きます。

 日本人が海外に向かって何かを主張する場面を見ていて残念に思うのは、先程も書きました相手の感覚にフィットした表現をしようとする工夫が足りないように見えることです。

 中韓両国民にはそれができています。日本側がいくら誠実に事実関係の真偽を説明しても、「日本のやったことはナチスと同じだ。なのに日本はドイツのように反省しようとしない」という粗雑な主張のほうが力を持ってしまうのは、ナチスという例えが海外の人々にとって理解し易く感覚的に身近だからでしょう。根本的に意識の低い外国人に何かを説明し理解して貰うためには、彼らの知識や感覚にピンと来る比喩を用いるべきだと考えます。

 イラク戦争で、バグダッドにおける市民の犠牲者数を、アメリカ側は一万数千人と発表し、イラク側は十万人以上と発表しました。「南京大虐殺に関する日中の論争というのはコレと同じことだよ!」とアメリカ人に説明すれば、彼らはたちまち理解するのではないでしょうか。

 北朝鮮の政治宣伝絵画というものが有ります。勇ましい北朝鮮兵士の姿や慈悲深げな指導者の肖像といったグロテスクで陳腐なものばかりですが、その中に、朝鮮戦争を描いたものなのでしょう、アメリカ軍兵士が泣き叫ぶ赤ん坊を井戸に投げ込む様子や朝鮮の若い娘に襲い掛かる様子を、ことさら残酷におどろおどろしく描いたものもかなり有るのです。「韓国が日本に対して主張しているのはコレと同様のことなんだよ!」と説明すれば、どちらが誇張や捏造をしているのかアメリカ人にはすぐに解って貰えるのではないでしょうか。

 ・・・と、後半は日頃の妄想ばかりを書き連ねてしまいました。誠に申し訳ありません。

 西尾先生のご論考を拝見すると、思考が無限に広がってしまうのです。先生の視点がフラットで自由で俯瞰的で、そして何より未来への意志に基づいているからだと思います。

 いつもながら、深遠な洞察に満ちたご論考を拝読させて頂き、有難う御座いました。

“Will 4月号・「岸田外相・御厨座長代理の器を問う!」を読んで(3)” への 7 件のフィードバック

  1. 吉田圭介様
    「事実にあらざる国際的恥辱の汚名を雪ぐ」ための方策に思索をめぐらされるご努力に強く共鳴し共感します。

    このところ嵩に懸かり図に乗る中韓の不快な言動を日本の次世代のために是が非でも根絶しておかなければなりませんが、そのためには、その根っ子に蟠る「日本戦争犯罪論(東京裁判)」の捏造とウソを暴き、戦前暗黒史観・日本悪玉史観をこの地上から解消することが必須であり、日本戦争犯罪論が否定されないかぎり、日本の戦後は本当には終わらず、いま『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時』に来ていると私も思いますが、これを正式の日米外交の中で、あるいは国連の場で、いくら説いてもだれも絶対に耳を貸さないこと、日本政府にその勇気と覚悟のないことは皆さまご承知と思います。ドイツを含む欧米諸国が戦後国際社会の根本秩序の土台となっている歴史認識を破壊する修正に応じるはずは無く、そうであるならば世界の民間有識者、歴史家へ日本の民間から説くしか方法はあり得ないと思います。

    しかし矛盾するようですが歴史戦とか歴史認識論争に日本が戦勝を得ることは不可能と思います。東京裁判史観の本質は戦勝国のプロパガンダであり、プロパガンダを企む相手は始めから論争をする意図などなく、仕掛けても応じる用意もなく、ただ一方的に大きな声で決め付け、日本が反論しなければ、反論しても声が小さければ、反論がへたくそであれば猶更、それで彼らの目的は達し、理性的論争に決して応じることはないからです。この問題を終わらせるには、彼らの断罪する戦前の軍部を含めた「日本の行動の意義、合理性、妥当性、つまり大義」を彼らに向かって主張しても効果はなく、立証も不可能と思います。

    従って我々が出来ることは、日本の立場からの主張を、カウンター・プロパガンダとして力強く、声高に、粘り強く、言い続けることであり、国際社会で引き分けに持ち込むことではないかと考えます。

    この戦いが極めて不利なのは、①肝心の我が政府に闘う意志がないことが最大の要因となっており、「国策を誤った」とか「もう謝罪は済んでいる」が外務省のHPにもありますが、これでは「主張として弱い」以上に闘う前からの敗北主義です。謝罪は間違っていた、謝罪すべきではなかったと云うことからしか戦いは始められません。②彼らには、朝日などの大手メディアという頼もしい味方、公然たる工作員が日本内部に存在し、さらに、③保守の言論も偽物が多く混じっており、この3つで、現状を彼らに優勢にしています。我々が優位戦に持ち込むには、吉田様の考案された「適確・簡潔な説得のフレーズ」を 「総理大臣から閣僚、役人」は無理としても、「ビジネスマン、海外留学する人、単なる海外旅行者に至るまであらゆる日本人が事あるごとに、あたかも決まり文句のように口にしていれば、関心の薄い第三者である諸外国の人々も耳を貸すようなる」ことが期待されますが、その前にこのフレーズを国内左派にぶつけて、彼らの主張を論難し、論破して国内世論を作りだすことが第1歩ではないでしょうか。国内での左翼との論戦は、日本語がベースとなり、ある程度可能で、大衆にもどちらの言い分が正しいか、その勝敗を分かり易く、論破することは出来そうに思います。その最前線に西尾先生が立っておられるのですが、客観的にみて劣勢です。

    居酒屋の宴会さながら、仲間内でいくら吠えたり、呟いていても殆ど無意味であり、トイレの落書きにもたとえられるネット記事は、例えばTEL QUELのように如何に良質であっても、支持する読者が限られれば、非力です。この保守系のバラバラな活動を一つの勢力にまとめあげる実力を備えたオルガナイザーの存在が待望されます。

    吉田様の先生への借問に私が応じるのは不遜ですが、その際、慰安婦、南京だけでなく、大東亜戦争そのものに関しても、仰るように、
     「根拠の無い日本の戦争犯罪を認めることは絶対にできない」
     「やっていない侵略を謝罪する必要は無く、だれも謝罪を強制することは出来ない」
     「客観的証拠もなく日本に罪を着せることこそ犯罪だ」
    という共通認識を先ず日本人全体に浸透させることが出来なければ海外に討って出ることは叶わないと思います。友人知人と議論するときにいつも痛感するのは、軍部もひっくるめて戦前の日本は悪だったという抜き差しならぬ通念といいますか常識が心底から植え付けられていることで、この日本人一般の誤った思い込みを正すことが第一歩であり、この日本人の常識を変えることが出来れば、次のステップとして国際常識の変革にも挑むことが出来るのではないかと思います。

    御厨副座長と大学同期の八幡和郎氏がネットで蓮舫の二重国籍をやり玉にあげ、その批判がネットの世界で拡散して可成りの成果を挙げたことに注目しました。

    大東亜戦争そのものに関する国際世論や国際常識を覆せるかもしれないひとつの表現として、私はこの戦争を日本の立場から、古代ギリシャの「テスモピライの戦い」に喩えるのが有効ではないかと思います。たとえ覆せぬとも、有力な視点として提供できれば成功です。数年前私自身のブログでLast Stands in the Warと題して、ブリュッセル女史とも相談し、海外の読者に向けて以下のように書きましたが全く反応がありませんでした。当時ヒットしたハリウッド映画「スリーハンドレッド」と、アンドレ・マルローの以下のカミカゼ評価がヒントとなりました。

    「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわりに何ものにも替え難いものを得た。 それは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよ、ナチ党員にせよ、結局は権力を手に入れるための行動だった。 日本の特別攻撃隊たちは、ファナチックだっただろうか。断じて違う。彼らには、権勢欲とか名誉欲など、かけらもなかった。祖国を憂える尊い情熱があるだけだった。 代償を求めない純粋な行為、そこには真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間は、いつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ」

    During the last stage of the Greater East Asia War, Japan fought desperate battles including those at the Island of Iwo-to (or Iwo-Jima), Okinawa, sorties by the Battleship Yamato, Kamikaze attacks, and so forth. These are the Japanese versions of the Battle of Thermopylae in ancient Greek history. Vastly outnumbered, 300 Spartans, 700 Thespians and 400 Thebans led by King Leonidas held off the Persians for seven days in total, before the rear-guard was annihilated in one of history’s most famous last stands. Notwithstanding the US forecast of a 5 day operation, Japanese garrisons at Iwo Jima, composed mainly of conscripted ordinary citizens like barbers, shopkeepers, teachers and office workers, held off the Americans for more than one month to prolong the start of US carpet bombing on the mainland of Japan where their parents, wives and children lived. As Clint Eastwood portrayed in “Letters from Iwo-Jima”, General Kuribayashi and his followers fought on nobly to the end on March 26, 1945. They achieved the greatest of victories, and they will be remembered for all time. Before the battle of Iwo-Jima, there had been several other similar battles on the islands of Attu, Makin, Saipan, Guam and Peleliu.

    最近NHKの放映した前衛書家井上有一の作品「噫横川国民小学校」をピカソのゲルニカに喩える手法も東京無差別爆撃の非人道的残虐さと連合軍の大義への疑問符を欧米人に知らせるのに効果的とおもいます。

  2.  吉田圭介氏および勇馬眞次郎氏の今回のコメントは、我が国の歴史戦の本質と惨状と対策を言い当てていると思いました。
     米国の独立戦争に関してすら米英での歴史認識は未だ一致していないように、日米中露など国際的歴史認識一致はありえないとの覚悟で、あくまでも冤罪の戦争犯罪・侵略きめつけに対して、
     「根拠の無いことを認めることはどうしてもできない」
     「やっていないことに対して謝罪することは不可能だ」
     「客観的証拠もなく人に罪を着せることはできない」・・・・・
    との異議申し立てと当方の認識と事実立証を言い続けるしかないととの決意に同意します。
    私達はその覚悟で不甲斐ない政府・関係者を突き上げ、国内外で議論し、年少者に説き続けるしかないようです。
     一方、それらの議論の中で、多くの相手は多分うるさそうに
     「おっしゃる通りかもしれませんし、お気持ちは分かるように思いますが、そんな昔のことはもうどうでもいいのでは? 今はグローバルな世界を目指していて、国家の利己的で個別の感情的な議論をするのは得策ではないのでは? 未来志向でグローバルな世界の平和建設に努力すべきでは? 『サピエンス全史』の作者も、人類がグローバルな統合を目指してゆく必然の中で、近年の国家回帰の動きは危険であり障害であると言ってるではないですか。国家を言うのは古い。もしかしてあなた極右?」
    などと反論してくる光景が目に浮かびます。

     「根拠の無い日本の戦争犯罪を認めることは絶対にできない」
     「やっていない侵略を謝罪する必要は無く、だれも謝罪を強制することは出来ない」
     「客観的証拠もなく日本に罪を着せることこそ犯罪だ」
    に加えて、
     「国境のない世界は悲惨で最悪のユートピア。
       多くの国家が理性的に国際協調してゆくしか人類の道はない。
        そのためには相互に歴史を含めて理解し合うしかない。」
    との言葉も必要に思います。

  3. 勇馬眞次郎様、楽秋庵主様、コメント有難う御座います。拙い文章でお恥ずかしい限りです。

    勇馬様の仰る、歴史戦が根本的に日本に不利である理由についてのご分析には全く同感です。また、日本の立場をスパルタ軍のエピソードになぞらえるお考えも素晴らしいと思いました。欧米人の知性・感性の基礎には、やはりギリシャ・ローマの事物が根強くあると感じますし、物語性・ドラマ性を持った説明は極めて有効だからです。映画『スリーハンドレッド』も観ていない私は、遥か昔に習った「テルモピレーの戦い」の微かな記憶を慌てて辿り、漸くお説を理解した次第です。教養不足がすぐに露呈してしまいますね(恥)。
    楽秋庵主様が挙げられた『サピエンス全史』も未読で、きちんとポイントを押さえたお答えができるかどうか自信はないのですが...。

    ただ、私はお二方ほど悲観的ではないのです。私の感想文が些か言葉足らずだったと反省しているのですが、私が歴史戦・歴史認識論争に勝利すべきだと思っているのは、祖国の名誉の為だけではなく、それが真の国際理解、国際親善、そして極端に言えば国際平和にも通じると思うからなのです。

    既述の通り西尾先生は「やった事が異なれば謝り方も異なるのは当然」という誰でも納得できる論理を用いて日本に跋扈していた「ドイツ見習え論」を覆しましたが、この論理は“日本を擁護する/非難する”という次元よりも一段上の、世界中どこでも通用する、言わば普遍的価値観ですよね。「道理」或いは「条理」とでも言いましょうか。だからこそ誰もが納得せざるを得なかったわけです。この点をどうかよくお考え頂きたい。
    「この普遍的価値観に照らすと」→「日本がドイツと同様の謝罪をする必要はない」という、まぁ言ってみれば二段階の考え方をするべきだと思います。

    どうも胡乱な説明で恐縮です(汗)。申し上げたい事が上手く伝わると良いのですが...。

    「根拠の無いことを認めるのはどうしてもできない」
    「やっていないことに対して謝罪するのは不可能だ」
    「客観的証拠もなく人に罪を着せることはできない」
    これらは、世界中どこの国のどんな立場の人が聞いても納得・共感せざるを得ない普遍的な価値基準ではないでしょうか。
    「この普遍的基準に照らすと」→「日本は従軍慰安婦問題で謝罪すべきではない」という形に持って行きたいのです。

    勇馬様・楽秋庵主様ご考案のフレーズは、誠に僭越ながら、普遍的というよりは日本擁護のニュアンスが感じられてしまうように思います。特に外国人はそう受け止める危険性が高いのではないでしょうか。お考えには大賛成なのですが、一つ一つの言葉の選び方にはやはり異論を挟ませて頂きたいと存じます。ご意見がお有りでしたら是非お聞かせください。

    「総理大臣から閣僚、役人」は無理としても...と、勇馬様は仰いましたが、普遍的価値を持ったフレーズなら、口に出すのに躊躇は要りません。「平和が大事」だの「人権を守ろう」だのといったフレーズと同様に常用すれば良いのです。そしてそれは普遍的価値観を表した言葉だからこそ言えるのです。使用のハードルが下がれば、安倍サンも岸田サンも軽~いヒトですから、あっさりと「軍の関与」と言ってのけたその軽率さでもって、「証拠もなく人に罪は着せられないヨ~」くらいは言ってくれるかも知れませんよ(笑)。
    マルローのカミカゼ評には日本人として深く心を打たれますが、それもやはり、「祖国を憂える尊い情熱や代償を求めない純粋な行為は偉大である」という「普遍価値観」に基づいているからこそ、フランス人にも受け入れられたのではないでしょうか。

    楽秋庵主様の例示された空想的グローバリズムも、よくある、そして根強い思想ですが、私は国際協調の行き着く先に「人類のグローバルな統合」という理想を掲げることは、それはそれで別に構わないと思います。ただ、「根拠なく認め、謝罪し、人を有罪にはできない」という普遍的価値観は、例え「グローバル人類社会」が到来しても不変のものでしょう。そうである以上、この普遍的価値観に反して日本に根拠なく謝罪や賠償を強いる行為は、グローバル人類社会にとっても有害なものだと言えるのではないでしょうか。

    カウンター・プロパガンダを確立し国内外で粘り強く説き続けるしかない、というお二方のお考えには心底から賛同致します。プロパガンダは強い説得力と共感性と単純明快さがなければなりません。私が西尾先生を崇拝する理由は、先生の言葉にその力があるからです。

  4. 吉田様には志を同じうする者として語り合えると思い聊か時間をとって補足に言葉を尽くしますが論争ではありません。御説を整理すると;

    “世界中どこでも通用する世界の誰もが納得せざるを得ない「普遍的価値観」に拠って、日本は歴史戦・歴史認識論争に勝利すべき。その歴史認識論争の目的は単に日本の名誉の為の日本を擁護する価値観より一段上の「普遍的価値観」に立てば真の国際理解、国際親善、国際平和にも通じる。「この普遍的基準に照らすと」→「日本は従軍慰安婦問題で謝罪すべきではない」という形に持って行きたい。以下のフレーズは世界中どこの国のどんな立場の人が聞いても納得・共感せざるを得ない普遍的な価値基準である。即ち;
    「根拠の無いことを認めるのはどうしてもできない」
    「やっていないことに対して謝罪するのは不可能だ」
    「客観的証拠もなく人に罪を着せることはできない」“

    となろうかと思います。そして私の改変した次のフレーズは、普遍的というよりは日本擁護のニュアンスが外人には感じられてしまうので歴史戦では使えないとされました。
     「根拠の無い日本の戦争犯罪を認めることは絶対にできない」
     「やっていない侵略を謝罪する必要は無く、だれも謝罪を強制することは出来ない」
     「客観的証拠もなく日本に罪を着せることこそ犯罪だ」

    実は私のこの改変は意図的なものです。吉田様の3行は確かに普遍化されてはいますが、それを国際社会の場で日本人が用いるときは、まさに私の3行の文脈に必然的にならざるを得ないのではないでしょうか。「日本は従軍慰安婦問題で謝罪すべきではない」に持って行きたいけれど、「やっていない強制連行・性奴隷化を謝罪する必要は無く、だれも謝罪を強制することは出来ない」と云わず、ただ「やっていないことに対して謝罪するのは不可能だ」と云って、あとは阿吽の呼吸で、何を言いたいかを悟って欲しいというのであれば、無視されるだけで、勝利はおぼつかないではありませんか。

    勝利することは不可能というのが私見です。この歴史戦の敵は、当方が受け身の立場で反論しても説得される相手ではありません。それこそ「普遍的倫理観」である「ウソは暴かれねばならない。真実は尊重されねばならない。濡れ衣ははらさなければならない。」に依拠して、アジア人だけでなく、ヨーロッパ人にとっても重要な大東亜戦争の世界史的意義という人類共有の尊い遺産を踏まえれば、「引き分け」には持ち込めると考えます。

    SS様の引用した高山氏の成功談は以前読んだことがあり感心したことを覚えています。「ユダヤ系で大学を2つ出てシナリオ選定の仕事をしている米国人」を、事実を適示して、改心させたこの好個の事例は模範的とさえいえると思います。確かに良心のある欧米人には使える手法であり、人類でさえあれば、特殊な先入観やドグマに支配されていない人間でなければ、本来誰にでも使える説得の方法です。

    「やった事が異なれば謝り方も異なるのは当然」ということも、「ナチの謝り方と異なる謝罪を日本は採用すべき」ではなく、抑々「日本は謝るべきではない」つまり吉田様の基準では「やっていないことに対して謝罪するのは不可能だ」が正しいのではないでしょうか。以下、論点を整理して繰り返します。

    1. まず「総理大臣から閣僚、役人」以下、日本人の多数が日本の歴史を正しく知ることがスタートです。ネット時代になって周知することが容易になっています。高山氏は、「日本人新聞記者、総領事館のスタッフ、各省庁役人、一流企業の駐在員が朝鮮併合の中身も近代史も何も知らない。」と云っていますが、悲しいかな、これが現状です。大方のインテリは洗脳されたまま、居心地のよさにかまけて、学ぶ努力さえしない。

    2. 慰安婦や南京の根源は日本戦犯論です。日本の戦争犯罪を否定できなければ慰安婦や南京のウソを根絶できません。

    3. 大東亜戦争はスパルタを侵略しようとして古代ペルシャにも匹敵する強大な軍事大国米国に正々堂々と正面から戦いを挑み、最後は敗北しましたが、その4年間に多くの日本軍将兵が英雄的行為のエピソードを数多く遺しました。米国は日本の武勇を隠蔽するため卑怯にも「真相はかうだ」で虚偽の歴史を捏造しましたが、今では立派に戦った敵として賞賛する動きも出始め、安倍総理も辛うじて言及するようになりました。しかし中国はいまだに、彼らには不都合な真実であり、かれらの建国の根底が覆るゆえに、否定するため躍起になっており、必死です。

    4. 現在の歴史戦の敵の正体はこの中国であり、日本戦争犯罪とそれに連なる南京などのウソを徹底的に暴くならば、政権がもたなくなります。共産党政権が消滅する日まで日本への攻撃と嫌がらせは終わらず、歴史戦も続きます。崩壊させ消滅させることが本当の意味で世界の平和と安定につながりますので、日本はその世界史使命を担っているとも云えます。

    楽秋庵主様の空想的グローバリズム論について、「国際協調の行き着く先に「人類のグローバルな統合」という理想を掲げることは、それはそれで別に構わない」と仰っていますが、庵主様の主張は、「国境のない世界は悲惨で最悪のユートピア」というものです。このグローバリズムとナショナリズムの問題は昔から日本にある対立であり、明治に欧米の先進思想と制度ならびに近代国家を作るための西欧中心のグローバルな啓蒙主義の価値観を導入しつつ、一方で日本の伝統的国体を維持するための日本という共同体の愛国的価値観を大切にして共存させてきました。明治以降、日本は前者を手段として採り入れましたが、後者を「教育勅語」などで保持しています。EU諸国も同じだったとおもいますが近年グローバリズムが行き過ぎた反動で、各国で右翼が勢力を伸ばしています。日本は健全な右翼が伸長しないのを嘆く発言が西尾先生からもあったと記憶します。庵主様の議論で、「人類のグローバルな統合」を拒否するのは、グローバリストは相手にはうわべで綺麗ごとを言いながらチャッカリ自国の権益だけは守る偽善と欺瞞への反感からとも推測します。

  5. 前回までの自分のコメントを讀み返して見ますと、てにをはの間違ひが多くて讀み難く、自分の文才の無きことに恥ぢ入りました。今度は英文の引用が多いので私の拙い飜譯が含まれます。誤譯があれば指摘して下さい。

    >西尾先生は先般『同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く時がきた』という御著書を上梓されましたね。このタイトルの言葉に私は心から賛同致します。そして、究極的にはそれをやらなければ(つまり旧敵国に日本の戦争の意義を理解させなければ)歴史戦は終わらないし、慰安婦・ユネスコ問題を含む歴史認識論争には勝てないと考えて居ります。

    >中国や韓国は時間軸において「アメリカの指導で模範的自由民主主義国家になる」よりも「前」の日本を断罪しているのですから。戦前の日本の行動の意義、合理性、妥当性、つまり大義を立証しない限り、この問題を終わらせることは出来ないのです。

    孫子卷三謀攻篇に彼を知り己を知れば百戰して殆ふからず、とあります。貴殿の「彼」すなはち對手は以下の箇所より歐米人、就中米人と察しますが、宜しいでせうか。

    >日本の大義を説く相手として、中韓両国は除外して良いでしょう。

    >説明する相手は欧米はじめ中韓以外の国々ということになります

    >…「南京大虐殺に関する日中の論争というのはコレと同じことだよ!」とアメリカ人に説明すれば、彼らはたちまち理解するのではないでしょうか。

    >…「韓国が日本に対して主張しているのはコレと同様のことなんだよ!」と説明すれば、どちらが誇張や捏造をしているのかアメリカ人にはすぐに解って貰えるのではないでしょうか。

    さうなれば、話はかなり複雜になります。何となれば米人は嘗ての敵であり、あながちに主張すれば、當然反感を持たれます。御國の正當性を主張すればするほど對手は自分の國の阿漕を詰られる譯で、自國の正當性を探さうとしてなかなかに唐韓の主張に絡め取られてしまひかねません。

    そこで貴殿は對手の氣持ちを慮り、共感を得ようと言はれます。確かに、それが無難ではありますし、大方の米人の共感は得られるでせう。しかし、米人の中には御國人が大東亞戰爭を肯定せむといふ意圖を察しただけで反抗して來る輩も必ずゐます。そしてさういふ輩としては唐韓の主張は誠に便利で、必ず使つて來ますし、全面的に肯定してきます。さうなれば對手の氣持ちに添はうなどとは云つてをれません。その輩との議論が始まり、それまで「さうかさうか」と聞いてゐた共感者は討論の審査員となります。さうなれば議論に勝たねばなりません。

    かうなると米人が有利となり、御國人は不利となります。何となれば、まづ言語の不利です。當然英語での議論となりませうが、御國人で英語を遣ひ熟す者は僅かです。次に議論(argument)は米人の得意分野であり、その技はただ正論を立證するばかりでなく、次々に根據を畳み掛け、對手と聽衆との感情に訴へて來ます。

    ここで、米人のさういふ輩を紹介しませう。レスター=テニイ(Lester Tenney)てふ最近身罷つた元捕虜(POW)のおきなと、その翁を取材するサンデイエゴ=ユニオントリビユーンの記者ピーター=ロウ(Peter Rowe)です。まづ彼らは謝罪不要などの主張をすると歷史修正主義者とレッテル張りをして來ます。最惡の場合、陰謀論(conspiracy theory)扱ひとなります。

    Awkward? Former WWII POW dining with Japan’s prime minister
    http://www.sandiegouniontribune.com/lifestyle/people/sdut-awkward-bataan-march-japan-prime-minister-2015apr27-story.html

    What Japan needs now, Tenney said, is to own up to its past.(地の文はロウ)
    譯 日本に今必要なことは自ら自國の歷史に向き合ふことだ、とテニイは言ふ。

    “We don’t need is another apology,” he said. “What we need is pure evidence that they are interested in being true friends who are not interested in rewriting history.”
    譯 「吾々は謝罪をば求めぬ。」と彼(テニイ)は言ふ。「吾々に必要なのは、彼ら(御國人)が歷史を書き變へることに興味を示さぬ眞の友となることに興味を示してゐるといふ全き證據だ。」

    “Do not rewrite history,” he said. “History is history, what you have done is done.”
    譯 「歷史を書き變へるな」彼は言ふ。「歷史は歷史、お前達がやつたことはやつたことだ。」

    さて、この頑なな態度は缺點だらけで、歷史を直視せよと言ひながら、俺の考へに隨ひ反證を擧げるなと脅して思考を禁止する傲慢な論法です。御國の左翼にも多いですが、この時點でこちらが沈黙すれば對手の勝ちです。議論を續けねばなりません。

    次に對手は御國の惡事を列擧して聽衆の心に訴へます。ロウは持ち出します。
    >Korean “comfort women” were forced into prostitution, that Chinese civilians were murdered by the thousands, that Dutch, Australian, British and American POWs were enslaved, starved and brutalized with uncommon ferocity.

    譯 韓人の慰安婦は娼婦にされ、唐人は幾千となく殺され、蘭豪英米の捕虜は尋常でない残忍さで奴隷とされ、飢ゑ、虐待せられた。

    安倍總理大臣は御國の惡事を聽かされ續けて次の樣な行動をとりました。

    Carlsbad’s Lester Tenney, a Bataan Death March survivor, dies at 96
    http://www.sandiegouniontribune.com/obituaries/sd-me-tenney-obit-20170224-story.html

    later that day, at a gala outside the Smithsonian Institution’s Freer Gallery, which specializes in Asian art, Abe apologized to Tenney in person.

    譯 その後、スミソニアン博物館の亞細亞美術を専門に扱ふフリーア美術館外での催しの場で安倍は個人的にテニイに謝罪した。

    テニイを安倍大臣に何度も會はせたのはオバマ政權の策謀でせうが、歷史修正主義者の代表も遂には自らの非を認めて、謝罪しました。因みに安倍總理大臣はバターン死の行進とテニイが奴隷化せられたこととを謝罪しました。

    ここで貴殿は次の樣に言ふことを提言します。尤もであります。テニイの話は明らかに誇張が含まれてゐます。けして謝罪すべきではありません。

    >「根拠の無いことを認めることはどうしてもできない」「やっていないことに対して謝罪することは不可能だ」「客観的証拠もなく人に罪を着せることはできない」

    >やはり、日本が謝罪や賠償に応じられないのは「それが事実でないからだ」という点を徹底的にアピールしたほうが良いと考えます。虚偽に対して抵抗する姿勢は誰でも理解・共感できるものですし、誰も否定できない条理だからです。

    しかし、米人、つまり對手には更なる秘策があります。何と對手に掩軍が來ます。

    >“We started the war,” Hatsue Shinohara, a history professor at Waseda University, told an American journalist in 2013. “But what the public tends to remember is the bombing by B-29s, Hiroshima, Nagasaki and Okinawa. Our sense of responsibility is not so clear.”

    譯 「私たちは戰爭を始めました。」早稻田大學の歷史學者篠原初枝敎授は平成二十五年に米人の文屋に云つた。「しかし日本の一般人の想ひ起すことはB29の爆擊、廣島、長崎、沖繩だ。吾々の責任意識は覺束なし。」

    なんと御國の學者を出してきました。更に堀田江理(Eri Hotta)の本を擧げて來ます。所詮三流學者三流作家の言ですから、反論することは出來ますが、此の段になるともう聽衆は飽きて散じる頃合ひでせう。勿論對手は次の議論を用意してゐるでせうから、埒が飽きません。

    此処で結論を申しますと、議論は避けた方が良いと思ひます。外國に行く人は「根拠の無いことを認めることはどうしてもできない」「やっていないことに対して謝罪することは不可能だ」「客観的証拠もなく人に罪を着せることはできない」と心に銘記しておくべきですが、對手に理解を求めることは避くべきです。「同盟国アメリカに日本の戦争の意義を説く」方法は書籍の英譯やSNS等の文章によるべきだと思ひます。

    >このくらい簡潔な主張を、総理大臣から閣僚、役人、ビジネスマン、海外留学する人、単なる海外旅行者に至るまで、あらゆる日本人が事あるごとに、あたかも決まり文句のように口にしていれば、関心の薄い第三者である諸外国の人々でも、「日本が何と戦っているのか」を理解し共感してくれるのではないか

    口に出さず、心に留めておくべきだと思ひます。さもなくば、安倍總理大臣の樣に謝罪を強要せられた擧句、謝罪してしまふことになりませう。

    また、米人は「第三者(日中韓以外の国民)」ではないと思ひます。彼ら(勿論一部ですが)が、唐韓の狼藉を黙認し、それを利用してゐることはロウ(Rowe)等が慰安婦南京虐殺を引用して來ることからも明らかです。さう考へると以下の事象も故意にさうしてゐる(確信犯)と考へられます。

    >日本側がいくら誠実に事実関係の真偽を説明しても、「日本のやったことはナチスと同じだ。なのに日本はドイツのように反省しようとしない」という粗雑な主張のほうが力を持ってしまうのは、ナチスという例えが海外の人々にとって理解し易く感覚的に身近だからでしょう。

  6.  吉田圭介様、コメント頂きありがとうございます。 貴重なコメント欄で恐縮ですが、意見を聞いてみたいとのお申し出に甘えて、補足のコメントをなるべく短く書いてみます。

     吉田様は楽観されておられるとのことですが、私は悲観的で歴史戦?歴史認識問題?の現状は日本の存亡にかかわる状況との理解で、焦燥を感じています。 
     悲観の原因は多いですが、一番大きいのはやはりグローバリズム(国民国家および国境を否定する思潮と定義させてください)の大勢、国内外での跋扈です。 つまり、日本の歴史戦は単に日本だけの問題ではなく、全ての国民国家の存続にもかかわる世界システムの方向のありかたに関する普遍的な大問題が根底にあるように思います。 吉田様のコメントではそのようなご認識が少ないので、楽観的なのではないかと推察いたしました。

     多くの知人や外国人などと、戦勝国史観や冤罪の戦争犯罪など歴史認識の問題点を議論しようとすると、「あなたはナショナリズムの立場であり、それは否定するべきもので道徳性がない。もはやそれは単なるノスタルジーの利己主義。 20世紀の戦争の世紀を経験して、国民国家が戦争の原因であることを人類は深く認識したのではないか。 交通・通信・情報技術が加速して狭くなった地球でいつまで古い過去の事実、それも敗戦国の言い分に拘泥するのか。そのようなあなたと議論する暇はない。これから国境のない希望ある世界で生きてゆくための多くの問題を考えるうえで、日本の過去の歴史、敗戦国の物語りなど議論する時間はない。それは考古学の教室でやってくれ。」と言うような言葉が返ってきます。
     これでは、「根拠の無いことを認めることはどうしてもできない」などの普遍的主張をしたところで、議論は全く始まりません。 そのうえむしろ道徳的な蔑みの目をされておしまいです。

     確かに、現人類の大半は10万年前にアフリカを出た100人足らずの集団の末裔であることが諸研究でわかってきており、20世紀の戦争の世紀の苦い経験もして、そしてようやく交通・通信・情報技術の進歩でグローバルな人類皆兄弟の新世界が見え出した時に、逆向きの国民国家などを堅持しようとする言動は許せず不道徳だとするのには分かり易く、甘美なヒューマニズムもあって世界に広がっているのだと思います。 新たなユートピア思想の勃興の状況だと思います。これはかなり手強い状況です。

     そのグローバリズムの虚構性と不道徳を逆に指摘し否定して、国民国家による世界の妥当性蓋然性そして道徳性を論証しないと歴史戦では勝利できないですし、土俵にも上ってもらえません。 しかし、これはかなり難題です。 
     共産主義はグローバリズムの前駆で19世紀から20世紀を覆ったユートピア思想だと思いますが、これが幻想だと人類が認識したのは、ようやくソ連が崩壊した時でした。それまで何千万もの犠牲者と経済の衰退辛苦を何億もの人々が経験しました。 人類は痛い目に合わないと夢から覚めない動物の様です。 新たな新自由主義グローバリズムの夢を覚まさせるのも、かなり難しいと思われます。 さらに対案となる、当方が主張する国民国家世界システムは中庸の大人の地道なシステムで、華やかさは無く若者好みではありません。

     以上が私が悲観的である理由ですが、近年のEU崩壊への軋みやトランプ大統領の登場など、反グローバリズムの動きとみられる状況には若干の希望を抱かせられています。 メディアの多くはポピュリズムだと腐していますが・・・・・
     またS.ハンチントンの『文明の衝突』の中で次のようなことを書いていて、学問的な論証の可能性がありそうで、これらをさらに明確にしてゆけばよいのかなと思いますが・・・・・難解そうで、また悲観的になってきました。

    「交通・情報処理通信などの急激な進展、国際交流と経済相互依存の進展が、普遍的共通文明の成立をもたらすとの説は、誤り。 過去に国際交流と経済相互依存が緊密な国同士がその緊密さのゆえに壮絶な戦争をした歴史の教訓は山ほどある。 
     社会科学研究からは貿易や通信が密であっても平和=共通の感情は生まれないとの結果がある。社会心理学の弁別化理論から、文明間の相互交流が増えると、人々はますます自分たちのアイデンティティと文明との関係を強く意識する。
     社会学の世界化理論も、貿易や通信などの緊密化による「グローバル化=世界の場の単一化」が進むと、文明、民族などの自意識が強まる。」

     近年、西尾先生が「もう言い疲れた」と言われる時がありますが、前衛の先生のご苦労と疲労はさぞやとお察ししている次第で、当方の何の役にも立たない「便所の落書きブログ親父」としては忸怩たる思いでいます。 長い補足コメントになってしまいました。 お許し下さい。

  7. 勇馬様、楽秋庵主様、にぎ様、ご意見有難う御座います。共に語るに足る者と思って頂けただけで幸甚です。知識も覚悟も足らぬ未熟者ですので。でも勇馬様、「論争」を避ける必要は無いではありませんか。まぁ、近年の論壇やネット上でのやり取りを見ていると論争と言うより単なる罵倒や揚げ足取りばかりですのでお気を遣われるのも当然ですが、本来、しっかりとした目的を持った建設的な論争というものは、自己顕示や誹謗中傷のための諍いとは違い、人間の未来にとって最も大切なものだと思います。Will論文の中で西尾先生が「波風が立つほうがよほど生産的で、未来を動かす」と仰っているのもそのことではないでしょうか。ご一緒に論争を楽しみましょう!

    ...とは言うものの、勇馬様の返信に対して私のほうに何か争点があるかというと、特には無いんですよね(笑)。要するに私の説明不足でして、私は普遍的な価値観を提示して「あとは阿吽の呼吸で、何を言いたいかを悟って」もらおうとは決して思っておりません。
    まず、「日本人が謝罪できないのは、日本に対して向けられている非難が事実じゃないからなんだよ」という原則的立場を言ってから → 具体的な歴史的事実の説明に入る、という言わば話し方の順序の問題なのです。

    SS様が引用してくださった高山正之氏のエッセイは実に痛快ですよね。高山氏もまた「誰もが納得せざるを得ない」語り口で世界を説明してくださる稀有な存在で、私も大ファンです。ただ、あのエピソードに出てきた米国人はかなりのインテリですよね。私はもう少し大衆レベルでの認識やイメージを是正することに興味があります。米国はやはり世論の国で、インテリや政治家も世論の持つ認識やイメージと異なる意見はなかなか言いません。日本も酷いですが、世論迎合は凡そ先進国と言われるような国ではどこも同じでしょう。あのエピソードに登場した米国人が高山氏と再会した際に「これまでは日本非難が有効だったのになァ」と悪びれもせずに笑ってみせた態度も、本当は何が真実かを知っていてもそれを表明するかどうかは空気次第で変える、という知識人の姿勢を示唆しているように思います。国民一般が大まかに持っている認識やイメージを変えなければ、知識層や政治家もなかなか意見を変えようとはしない、そういう構図もあるのではないでしょうか。

    一般国民、普通に生活している普通の人々は、自分の生活に関係のない事柄については根本的に興味を持ちませんよね。当然のことです。自分の国のことでなければ猶更でしょう。一般国民が持っているのは極めて大まかで大雑把な認識・イメージです。それを変えるにはやはり大まかで大雑把でそして簡単明瞭な説明をすべきです。それには、どこの国の人でも共感できる普遍的価値観を前面に出すのが一番です。中韓両国が「南京事件は(或いは慰安婦問題は)普遍的な人権問題だ」と主張し、ある程度成功を収めているのはそのためだと考えます。実際、インターネットサイトのコメント欄などを見ていると、「日本人はこれだけ罪を指摘されてどうして素直に謝らないの?」と実に素朴に悪意なく疑問を表明する外国人も大勢います。日本人がそもそも事実の有無を争っているのだ、ということすら外国の人々にはうまく伝わっていないのです。もっともこれは、「もう謝罪は済んだ」の一本槍で説明してきた我が国の外務省の責任が大きいのでしょうけれど...。

    クドクドと述べてきましたが、結局、申し上げたいのは「徹底して相手に分かりやすく説くべし」ということに尽きます。長々述べてきてこんな凡庸な結論で済みません(汗)。
    少し前に、ある中国人がブログで「アメリカで友人たちと食事をしていて南京事件の話になり私が日本を猛烈に非難した所、一人のアメリカ人が『そんなに酷いことをされたのにその時中国軍は一体何をしていたんだい?』と訊いてきた。私は何も答えられずポカ~ンとしてしまった。そんなことは今まで考えたことも無かったのだ....」という文章を発表して、一部で話題になったことがありました。まぁ、その程度のツッコミを今まで誰もしていなかったことも問題ですが、私の言いたいことは別で、「当事者の一方だけでなく、もう一方の行動も考慮する」「双方を公平に勘案する」というのは「普遍的観点」であり、この普遍的観点に基づく疑問を突き付けられて初めてこの中国人は「それは確かに不自然だ。一体事実はどうだったのだろう?」と、具体的事実の真偽に興味を持った、ということなのです。

    いきなり具体的な史実の真贋を説明する前に、言わばその導入部として「根拠なく認め、謝罪し、人を有罪にはできない」という普遍的な原則に日本が立っていることを一言表明しておけば、聞き手の分かりやすさ・共感度はグッとアップすると思うのですが如何でしょうか。

    歴史戦の敵の根源が中国であるというお考えには全く同意です。そしてその中国がアメリカの一般国民の認識・イメージの操作に長けている点を重視すべきです。我々は中国と戦争をしていたはずなのに、いつの間にかアメリカと戦う羽目になったことを忘れるべきではありません。私が世論レベルへのプロパガンダに興味があるのもそのためなのです。

    にぎ様の仰る通り、中韓以外の国々、就中、欧米の国々はそのほとんどは旧連合国ですから、潜在的に反日感情を持っている相手であり、日本の主張が不利であることは勿論です。だからこそ日本側は「根拠の無いことは認められない」という反論不能で単純明快な論理を徹底すべきだと思うのです。日本側がその態度を徹底した時に初めて、「では根拠について議論しよう」という段階に移行するのではないでしょうか。
    バターンの経験者と安倍首相を対面させるのはいかにも安っぽい政治ショーじみていますね。相手が辛苦を経験した老人というだけでもすでに安倍さんに不利な、一方的な舞台設定です。でも、そんな状況でも、普遍的価値観に基づく主張ならできると思います。なぜなら言い易いからです。単純明快だからです。誰も反論できないからです。
    「戦争中はご苦労なさったろうし、捕虜生活の中で我が国の兵士が貴方に苦痛を与えた事も有ったろう。その点は申し訳なく思う」→「しかし」→「根拠のない無いことは認められない」という言い方は十分に可能であり、不当でも不自然でもありません。悪印象ですらないと思います。それを言って初めて具体的な「根拠」についての議論ができるのです。
    元捕虜やその「援軍」であるところの反日日本人の提示する根拠や論理が「欠点だらけ」であることは、にぎ様もお見立ての通りです。具体的な「根拠」の議論に持ち込めば、日本側の持つ資料や物証のほうが圧倒的なのですから、まずはその議論に至るための導入部として「普遍的価値観」に基づく主張をすべきだと考えます。「大方の米人の共感」を得ることが、議論に興味を持ってもらうためのスタート地点だと思うのです。

    楽秋庵主様のグローバリズムに対するご主張は勿論理解して居りますし賛同も致します。ただ、遥か遥か遠い将来に人類のグローバルな統合を目指す、という理想を持つこと自体を否定はできませんし、そういう理想を持った人たちを敵に回す必要も無いのではありませんか。中国のような旧態依然たる覇権主義国家こそが、その理想の最大の脅威なのですから。
    敵の敵は味方、「中韓のやっていることは、グローバリズムの理想という観点から見ても間違っている」という論理で共闘できるかも知れませんよ?(笑) 最終的な目標が異なるからといって、すぐに敵に追いやるのは得策ではありますまい、と思うのですが胡乱な考え方でしょうか。

    私が余りにも「普遍的価値観」を連呼したので、皆様きっとウンザリなさったかと思います(笑)。私も別に普遍的価値観の絶対性などを信奉している訳ではなく、申し上げている通り、(外国人を含めた)相手に分かりやすく説得をするため手段として、そういう美しい建前は積極的に取り入れていくべきだと思うのです。
    「自由」とか「平和」とか「人権」といった普遍的に支持される美しい建前・語彙を全部左翼に取られてしまったのが日本の保守の迂闊さであり失敗だ、という趣旨のことを西尾先生が書いていらっしゃったと記憶します。

    他国に対して特定の歴史観を押し付けようとするのは「自由の侵害」であり、過去の被害を捏造して自国による現在進行形の侵略を正当化しようとするのは「平和の侵害」であり、根拠なく他国民に恥辱を与えようとするのは「人権の侵害」です。
    「我々こそが自由と平和と人権を守る政治勢力なのだ!」と、なぜ日本の保守は名乗らないのでしょうか。

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