WiLL4月号・ 「岸田外相、御厨座長代理の器を問う!」を読んで(二)

ゲストエッセー
坦々塾塾生 池田 俊二

無思想無内容の御厨論文

  御厨さんの 「衝撃のトランプ勝利、論壇は意地を見せろ」といふ文章をかなりの分量で引用されましたが、その作業に、先生は虚しさを感じられたのではないでせうか。折角なので、一應讀んでみましたが、先生の評語から「無思想無内容」の6文字を拜借するだけで十分です。

 そして、この人が敗戰教育を受けてから今日まで、なにも考へず、一切迷はず、ただ世間の風向きのままに、安全無事に生きてきた、その姿が彷彿としました。テレビでたまに見ますが、周りと違ふことはまづ言ひません。主として、野中広務・古賀誠・仙谷由人といつた左翼的人士を相手に、和氣藹々と司會を務めます。獨創性皆無とも言へますが、圓轉滑脱な人でもあります。

 座長代理としても、ふはふはと、その場の空氣によつて動くのではないでせうか。

保守系言論雜誌


  同じく先生の引用された御厨さんの文章「日本も右寄りの言論ばかりが目立つようになっている」から「・・・暴論・感情論が世の中を動かしかねない力を持ち始めている」を全部ここに寫さうとしましたが、無駄とも思はれ、このやうに、頭としつぽだけにしました。すべて、だれかが前に言つたことです。自分の目で見たり、新しいことを言つてやらうといふ氣は全くないやうです。先生の「左寄りの知識人の感情論を越えていません」といふ評で、すべて掬ひ盡されてゐます。

 「彼が罵倒する日本のいわゆる右バネの言論誌とは、私も永年參畫している世に『保守系言論雜誌』といわれるものでせう。『正論』『Voice』『WiLL』『Hanada』『月刊日本』『SAPIO』『Wedge』等々と思われます。御厨氏の意に反して申し譯ありませんが、これらは目下國論を引っ張っている唯一の健全な言論パワーです」は、先生が理想論を述べられたのでせう。 以下、またお言葉を返すやうですが、自分の感じてゐることを正直に申します。

 私は上記の雜誌のすべてを知つてゐるわけではありません。しかし一誌以外は少くとも手にしたことがあります。のみならず、今はない『諸君』と『正論』はある時期、毎月家に屆けてもらつて讀んでゐましたが、次第に魅力を感じなくなり、定期講讀を打ち切りました。

 先生の文章が載つたものは買ひますが、先生のもの以外には惹かれず、たまにいくつか讀んでも滿足したことはあまりありません。題を見ただけで、中の筋書きが分つたり、どこかで見たやうな論旨が多い。斬新だ、そんな考へ方・見方もあつたかと驚くことなど稀です。緻密な論理や氣迫も感じられず、著しくマンネリ化してゐます。その點、「左寄りの」御厨さんの文章に似てゐます。

保守反動

 こんなことを言ふのには、私の讀む能力・熱意の問題もありませうが、それだけではなく、最近の「保守」の言論の質の低さ・お粗末さは否定できません。その事情について、釋迦に説法ですが、簡單に記します。

  先生がよく囘顧されますが、昔福田恆存は「保守反動」を自稱しましたね。あの頃、「保守」は「惡」と同義でした。それに「反動」を加へれば、極惡非道とか惡の權化とかいふ意味になりませうか。だから、面白いのですね。福田は「お化けだぞー!」 とふざけて喜んだのでせう。

 あの頃、私は新聞廣告で、福田恆存が『文春』に書いたと知ると、本屋に急いで走り、『新潮』に書いたと知ると走り、それらが單行本になるとまた走るといつた風でした。福田恆存は勝手に書いてゐたので、保守論壇といふものはなく、その中のone of themではありませんでしたね。自分は、さういふ埒外の光に目を向けてゐるのだと感じることが、しあはせでした。

「眞正」保守

 蛇蝎のごとく嫌はれた「保守」の看板でも、商賣できるやうになり始めた頃の思ひ出は一切省きますが、新しい商賣に仲間が多ければ心強いが、同時に邪魔にもなるので、足の引つぱりりあひが起こります。看板も保守だけでは目立たないので、本家爭ひが起ります。そしてつひに、「眞正保守」といふ看板まで現はれました。あつちは僞物、こちらこそが本物といふ意味でせう。

  先生と私の對談本『自由と宿命・西尾幹二との對話』が出たのは、平成13年でしたが、本のカヴァーに、キャッチコピーとして「眞正保守」と印刷されてゐるのを見て、感慨を催しました。福田恆存の時代だつたら、いやしくも本を賣らうとする側が、元祖だらうと本家だらうと、「保守」を名乘ることは絶對になかつたでせう。福田恆存が見たら、卒倒するのではないかと思ひました。

論壇登場前の西尾先生

  現在の「保守」の實態はよく知りませんが、必ずしも 嫌はれないと分つてから寄つて來た人々には、特有の性向がありませう。 「左」からの轉向者がいまだ健在なのか知りませんが、現在の保守論壇の人々の大半は、50年前ならまづ「左」に行つてゐたと思はれます。

  それが時勢により反對の方に來た。こんなに多くの人が犇いてゐるのに、お化けも、奇人・變人も、惡まれ者も、ひねくれ者も殆どゐなくなり、皆さん禮儀正しく、毒にならないことを主張されてゐるやうに見えます。

 西尾先生は保守=惡の時代に文筆の世界に這入られたので、以來端境期を含めて今日まで、色々な思ひ出・感懷がおありでせう。さぞ孤獨だつたことでせうね。

 昭和37年に『新潮』に載つた「雙面神脱退の記」といふ先生の見開き2ページの短文を讀んだ時の電撃的感激!進歩派以外は人に非ずといつた時代に、なんといふ反進歩主義! あんな經驗を一生に一度でもできたのは、私にとつて無上のしあはせですが、先生の文章の價値は不變でも、あれが今の時代だつたら、二三行讀んで、なんだ、流行の「保守」かと勘違ひして、投げ出してゐたかもしれません。論壇人リストに載る以前だつたでせうが、先生が孤立無援でいらしたことは、私にはつくづく好運でした。時代にも感謝すべきかもしれません。

  八木秀次さんが騷ぎを起して、つくる會から出て行つた際、「日録」に伊藤悠可さんが、「最近保守が殖えたと言はれ、そんな氣がしてゐたが、今囘のことで、それが水増しだと分つた。考へてみれば、保守がそんなにゐるわけがない。あの時は全然ゐなかつた」と書かれ、私は同感しました。

安倍政權に對する兩論

「右に擧げた保守系言論雜誌には活氣があり、健全さも保たれている證據は、相互に對立し合う論調をのせているからです。例えば安倍政權の歩み方に對し正反對に衝突し合う兩論をのせ、論爭的精神を保持しています。安倍首相の『戰後七十年談話』の評價を例にあげますと、中西輝政氏、伊藤隆氏、それに私の否定論にきわだつ正反對の肯定論が渡邊昇一氏、櫻井よし子氏、平川祐弘氏等々から提起されました。否定・肯定の對立は越えられないほどに深い溝を示しましたが、日本を尊重する姿勢、未來志向の愛國的世界觀という一點においては對立を越えて共通基盤を有しています」は、實態を知悉してをられる先生が描かれた「あらまほしき姿」ではないでせうか。

 安倍政權に對する「兩論」といつても、量的には安倍支持が壓倒的に多いでせう。不支持はほんの僅かで、しかも、編輯部の「反安倍の限度はここまで」といふ目が感ぜられるのは氣のせゐでせうか。何人かのライターから、安倍批判の故に原稿を突き返された話を聞きました。これらの雜誌や産經新聞が「論爭的精神を保持している」とは見えません。畏れ多いことながら、先生のやうな別格官幣社でも、この點、完全フリーではないのではないかと想像してをります。

戰後70年談話

「 七十年談話」について(雜誌がどう扱つたか、だいたいは知つてゐるつもりですが、全部手にしたわけではありません)、産經新聞では、私の見た限りでは、批判的なコラムが一篇だけ、あとは絶讚また絶讚でした。

 日本といふ國をあそこまで譏り、先人を貶めた談話が、「安倍總理らしさが出た内容であり國民全體の思いを體現した内容」とは! 私も國民の一人のつもりですが、辭表を出したくなりました。そんな國なら解散した方がマシです。

 談話の一節に曰く 「私たちは、二十世紀において、戰時下、多くの女性たちの尊嚴や名譽が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み續けます。だからこそ、我が國は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う國でありたい。二十一世紀こそ、女性の人權が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」ーーこれは、我々の父や祖父が強姦して歩いたといふことではありませんか。これが、國民の思ひでせうか。それを總理大臣が代辯してくれたのでせうか。

 そして、強姦、慰安婦といふ語を使はなかつたから、あるいは、「傷つけられた」で、日本人が「傷つけた」とはつきりは言つてゐないから、文句あるまいといふのでせうか。上手に作文できましたといふことでせうか。さういへば、美しい言葉の竝び具合を見ると、國民に教へてやつてゐるのだといふ得意の表情も、目に浮かびます。いかにも安倍さんらしい。「戰後レジーム」といふ檻の外が全く見えないのです。オリジナリティゼロは御厨さんと同じです。

 かうまで懺悔しなければ許さないぞとは、たぶん、どこの國も言つてゐないでせう。でも、自分から進んで、あんなに土下座するのだから、ちよいと嚇してやれば、もつと謝るかもしれない、今度は三べん廻つてワンでもやらせてみるか、面白いと考へるやうになるのではないでせうか。

  談話は、自らをどんどん卑しめて、侮蔑されることを喜ぶ奴隸根性の産物です。これを肯定する人々の氣がしれません。100點滿點と言つた御仁もゐたとか。これを否定する側との間に「越えられないほどに深い溝」があると、先生がおつしやるのは當然です。

 先生の戰略の妨げにならないことを願ひつつ、一般の讀者に對して申しますが、私のやうに力も責任もない者として、個人的には、あの談話肯定派との「共通基盤」には乘りたくないといふのが本心です。

つづく

“WiLL4月号・ 「岸田外相、御厨座長代理の器を問う!」を読んで(二)” への 4 件のフィードバック

  1. 太陽が西から出ても

    70年談話では、故ブリュッセル女史から昨年2月に、次のコメントを貰っています。

    “超法規的措置で、個別的自衛権を発動して北朝鮮核基地を先制攻撃する、と安倍首相が決断する?と思われますか?ことあるごとにのたまわれる積極的平和主義の内容を熟読されておられますか? 日本人が百万人単位で核爆死しても、「安倍首相良く我慢して平和を守ってくださった」と逆にまた人気が高まっていることでしょう。あくまでも仮定のはなしですが、渡部昇一氏だけでなく平均的日本人のあたまは、すでにそこまでおかしくなっていると思いますよ。 誰が自己の責任において、先制攻撃を決定できるか?誰もいません。可能性はただひとつ、アメリカの鉄砲玉になって、つまり手先になって、先制攻撃をしかける側にまわる、可能性ありですよね。あくまでも北朝鮮対日本の開戦。それは結局(アメリカをバックにした)北朝鮮対日本韓国の合同軍の戦いになり、いつの間にかその目的は半島統一のためとなるでしょう。日本は疲弊して結果は統一された半島が、アメリカにとって現在の日本の役割を務めることになるでしょう。 自民党には昔から実は北朝鮮との裏パイプがしっかりと別枠で出来ていて、辛うじてそういう進行を免れている、と考えています。そのパイプがつまらない限り、北朝鮮が日本を核攻撃してくる理由はないと思います。日本の衰弱は北朝鮮にとってはマイナスにしかならないからです。”

    2年前の8月、「戦後70年首相談話21世紀構想懇談会報告」のときには彼女から以下のコメントが来ました。

    “記事の入稿ありがとうございました。「この報告書には日本国を愛し、日本の国益を重んじる日本人としての主体的姿勢が全くない。」全くそのとおりだと思います。日本国、日本国民、なにより日本人の視点が全く感じられない、奇怪な文章です。こちらは私の感想文で、中西と宮家に関しては、とうに暴いています。 昨日の朝から全く落ち着きませんがようやくお仲間に出会えた喜びを感じています。このメンバーは己の正体暴露なのに、それさえも気づかない、本質的非国民なのですよ、間違いなく。保守の大半は所詮この程度。ついでに以下、私の今日の安倍談話の記事。感想は言葉にしていませんが、勇馬様には伝わるのではないかと。なぜなら随分昔から長々と、今日の日を予告して来ましたから。” 

    故人を悪しざまに評するのは気の引けることですが、昨日訃報の出た渡部昇一氏が安倍総理の70年談話を「100點滿點」と評価したときの私の寄稿に対する彼女のコメントでした。あのとき渡部氏は、「練りに練った談話」で、「村山談話はおろか東京裁判史観をも乗り越えた安倍総理の、そして日本の大勝利である」「安倍総理は悲願だった戦後レジームの脱却にいよいよケリをつけ、名実ともに戦後を飾る大宰相となった」と書いています。同様に、堤堯氏も、「文言の前後を読めばどうにでも受け取れる。練りに練った実に巧妙な含みの多い言い回しで、各方面に気を配りながら、それでも従来の自説、主張を少しも譲っていない」

    池田様のご指摘通り、このお二人やあのとき賛同した保守の方々は皆揃って談話のなかに厳存する次のくだりを看過しているとしか思えませんでした。

     “我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war. — Such position articulated by the previous cabinets will remain unshakable into the future.”

    この文章のどこが「(渡部)村山談話はおろか東京裁判史観をも乗り越え」ている?どうやって「(堤)どうにでも受け取れる」ことができるのか?我々は国際社会の鏡に照らす客観性を常に保持すべきであり、外国人の支持のない日本人だけの自画自賛はナンセンスであることを知るべきと思います。

    では、なぜこのお二人のみならず、他の保守論客の殆どが積極的に若しくは消極的に、肯定したのでしょうか?安倍総理は「心ならずも」述べたのであって本意ではない、と受け止めた上で、「国を率いる首相の立場としては総じて合格、あれでいいんだ、ホンネは行動で示せ(堤)」や「首相としての談話においては、これ以上の内容は現時点ではあり得ないだろう。アジアで摩擦を起こしてくれるな、というアメリカの意向を踏まえてこれだけの言葉を述べ切ったのは、実に画期的だ(渡部)」と庇っているのは、日本を取り巻く国際政治の「現実」が、まだ「正面突破」を許す環境にないことを共通認識としているからです。

    もし今、正面から過去の謝罪を否定し、大東亜戦争の意義を云い出し始めたならば、たとえ周到なお膳立てをしたとしても、安倍政権は崩壊し、これに替われる保守勢力が育っていない以上、それは主敵である国内左翼勢力の台頭を許し、憲法改正、戦後レジームの超克は後退し、永遠に戦勝国や戦勝国を僭称する中韓に叩頭する「とんでもない現状」が続くことのないように「これからも」努力しようという心組みであろうと推測します。

    しかし、私はこの作戦は完全な誤りだと思います。池田様は、“日本といふ國をあそこまで譏り、先人を貶めた談話が、「安倍總理らしさが出た内容であり國民全體の思いを體現した内容」とは! 私も國民の一人のつもりですが、辭表を出したくなりました。そんな國なら解散した方がマシです。これは、我々の父や祖父が強姦して歩いたといふことではありませんか。これが、國民の思ひでせうか。それを總理大臣が代辯してくれたのでせうか。自らをどんどん卑しめて、侮蔑されることを喜ぶ奴隸根性の産物です。これを肯定する人々の氣がしれません。”とお書きになっていますが、私にはこれが誇張でも急進でもない極めて当たり前の常識だと思います。保守主義は漸進主義ですから先を急いではなりませんが、安倍総理擁護派、談話肯定派の戦略では日本は永遠に情報戦で勝てないことは子供にも分かることではないでしょうか。単純にアタマが悪いとしか考えられません。

  2. 勇馬 樣へ

    ブリュッセル女史と勇馬樣とのやりとり、息がピッタリと合つてゐますね。

    拙論を「誇張でも急進でもない極めて当たり前の常識」とお認めいただき
    忝く存じます。
    渡部昇一さんや堤堯さんの反應は、この「當たり前の常識」を缺いてゐる
    せゐ、つまり本氣なのでせうか。それとも、世間の空氣を讀んで、これに
    逆ふと危險、身の爲にならない、ここは調子を合せて、商賣がうまくつづ
    けられるやうにしようといふ意圖があるのでせうか。

    私はこの二人を少ししか知りませんが、それでも、この程度の常識は備
    へてゐるやうに感じられ、商賣上の都合だらうと思ひました。しかし、あれ
    これ見ると、本氣かもと思はれるところもあり、結局どつちか分らなくなつ
    てしまひます。
    渡部さんの産經での訃報につけられたのは、田久保忠衞さんと櫻井よし
    子さんによる「眞の愛國者だつた」といふ故人絶讚談話で、それは豫想ど
    ほりですが、この二人も含めて、どの人が本氣か、どれが本物かなど、判
    斷がつきません。
    えんだんじさん著『保守知識人を斷罪す』でも、渡部さんに對しては批判し
    ながら、決定的斷罪には至つてゐないやうな氣もしますが、どうでせう。

    安倍さんのことになると、一切批判しなくなる人々は、即座に思ひつくだけ
    で、十指に餘りますが、あの人たちの心理状態を勇馬樣はどう分析されて
    ゐるのでせう。參考にしたく、おしらせいただければ、さいはひです。

  3. 池田様
    私見などに本日録の読者の方々は興味がないと思われ、又この場所を長くお邪魔するのにも気が引けますが、お尋ねですので、皆さまのご発言への誘い水にでもなれればとも考え、安倍総理擁護派、談話肯定派の人たちの心理状態を忖度しますと、“商売(保身、政権への媚態)”と“軽佻浮薄”の混合で、混合の比率は人によりマチマチとみています。

    渡部氏の「百点満点」以外に、記憶する限り、宮家邦彦氏、井上寿一氏の単純な民族派と親米派のバランス論、長谷川三千子氏の「愛語」論が安倍談話を擁護し、平川祐弘氏に至っては、談話の第2段落をクローズアップして、「終戦の詔勅」と並べて読むべき日本人の「必読文献」で高校大学の入試問題にすべきとさえ称揚しました。

    “百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました”、

    確かにこの件りだけは談話の「取り柄」の部分なのですが、すぐあとに、“日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。”と云って東京裁判を肯定し、最後には、“我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。(略)こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。”と云って謝罪をダメ押しし、“私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます”と告白までしています。

    平川氏ともあろうお方がこの件りをうっかり過失で見落としたはずはなく、故意に目をつぶって見逃したとしか考えられません。

    専門知識も学識もない素人が、これら碩学の皆様に恐れ多くも「アタマが悪い」などと偉そうな口を利くのは、誰にも相手にされない無責任な発言ではありますが、ただ素人の常識と直感だけを頼りにしているからで、その限りで対等になれると申し上げると不遜でしょうか。材料となる情報も、産経を毎日読む以外、公刊書やネット情報の断片的知識にすぎませんので、誤っている可能性がないとはいえません。

    しかし故ブリュッセル女史が「居酒屋の宴会」と呼んで侮蔑したことに必ずしも全面的に賛同するわけではありませんが、安倍派の保守知識人は、山田風太郎日記が告発した戦後日本人の「軽薄」、協調性と和の精神の裏腹にある「右顧左眄性」と「無節操」の通弊を免れないのではないでしょうか。もう少し分析しますと;

    1. 保守論壇のようなものが出来、一旦仲間内が形成されるとその中で硬直化してしまい閉鎖性を帯びるに至り、反対意見に耳を貸す開かれた明朗闊達な議論をしなくなり、「時の風向き」がすべてとなること。

    2. 万事穏便に、外国と事を荒立てず、相手を刺激せず、軋轢を避けたい本能的心理がこの方々にも抜きがたく存在すること。

    3. 以前、鈴木様のブログで採りあげられた、「政治文書なのだから、深く問題にすることはない」は基本的にバランス論だったと推測しますが、前の内閣の文書より多少でも改善されるならば、“我が国は先の大戦における行いを(略)痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。こうした歴代内閣の立場は今後も揺るぎない”という明確で決定的な件りに目をつぶり、政治的前進と評価してしまう無節操さ。この部分を看過することが出来るのは、祖国の威信や名誉を守ることが重要な国益であることの認識が(たとえあっても)薄く、謝罪外交が有害無益、百害あって一利なしであることに恐ろしく鈍感だからと思います。池田様が以前、岸田外相を「惡意で國を賣つてゐるわけではない」と評されたことがありましたが、安倍派知識人の方々も同じで、この文言を否定しないことが「国を売る」ことに加担することになることに「善意」なのです。

    4. この謝罪外交には百害があり、その中には英霊の名誉を汚し、祖国の尊厳を蔑するだけでなく、現在と将来の国民を危険に晒すこと、最近よく報道される「神社仏閣へのテロ」や中韓の人間の日本人への危害を誘発している深刻な事態への認識が薄く感度も低いことを挙げなければなりません。日本政府が過去の過ちを否定しないことが中韓の嵩に懸かる反日を助長し、その結果、反日無罪を当然のこととして許容すれば日本人への犯罪が深刻な問題となり現に起こりつつあります。

    渡部氏の談話擁護論はまさにこの国民の安全に言及するものでした。以下3点が要旨です。

    “1.「慰安婦問題」は日韓問題ではなく、米国の北東アジアの軍事戦略の問題であり、北朝鮮と中国の現実の脅威を前に米国から要請されたもので日本も韓国も受けるべきだった。米国から見れば「慰安婦」は日韓のつまらぬ対立に過ぎない。

    2.「国家の名誉」という国益よりも「日本国民の安全」つまり中国の仕掛ける戦争で日本が侵略されず敗北しない国益が重く、後者の国益が優先すると判断した安倍総理は正しい。中国の南沙での侵略行動は日本のシーレーンを押さえ日本の石油エネルギーを締めあげるのが真の狙いで、大東亜戦争での米国の禁輸措置と本質的に同じであり、戦争になる危険が高く、そうなれば日本は憲法の縛りと国連の敵国条項で勝ち目はない。

    3.保守勢力は安倍総理のこの決断に反対することなく、結集して、東京裁判史観の払拭に向け行動しなければならない。安倍政権はそのための布石に着手している。“

    東京裁判を是認する言明が払拭の布石になるなどとは理不尽そのものですが、これ以上の追及はしません。しかし「国家の名誉」と「国民の安全」の2つの国益を対立させる発想は日本人の伝統的精神に悖るものではないでしょうか。

    我が国の名誉、尊厳、威光は謂わば国家のインフラの最下層の基盤であって、それが損なわれることは領土を失うことよりも、天災地変の降りかかることよりも、国家経済が破綻することよりも何より日本国民にとって恐ろしいことであり日本の自主と独立を根底から覆す結果となると観念することこそ日本人が連綿と維持してきた精神ですが、渡部氏他の談話擁護派の皆様はこのことに余りにも鈍感と言わざるをえません。
    「日本国民への危害」は、日本の戦争犯罪を否定しないことによるものが、因果関係が明確で、逼迫した現在の切実さを持ちますが、心ならずも日本の戦争犯罪を肯定して米国の袖に縋ることで回避できる「国民の安全」など取るに足らないものではないでしょうか。

    米国は日本の名誉などどうでもいいことであり、米国には「慰安婦」の問題など取るに足らぬことであり、事実かどうかにも関心はないでしょうが、日本にとっては決して見過ごせない切実な問題であり、渡部氏が「取るに足らぬ」こととする米国に同調したのは不可解です。

    北や中国の脅威から日米韓を守るため、韓国の無理難題と言いがかりを聞いてやって欲しいという米国の対日要求に従えば日本は米国の属領です。日本が苟も独立国であるなら、米国に韓国のウソを正確に告発し、米国に韓国を宥めさせ、説得させるのが筋と考えます。

    渡部氏他が、東京裁判を否定すれば、米国の保守勢力を敵に回すリスクが高いと心配しますが、米国側にも否定する者が存在し、東京裁判での米国人弁護士(ブレークニー・ローガン)、ビアード、ミアーズ、ランキン、フーバー大統領、マッカーサーなど対米説得に利用可能な意見は多く、あとはそれに乗り出す気概と勇気の問題と思います。結局、西尾先生の主張につながります。

    日本政府は、西暦2000年や、戦後50年、70年などの節目が好機でしたが、真正面から、①「過去の戦争の問題は決着済みとする」と公式に宣明すべきでした。村田良平氏は、米軍統合参謀本部議長になったシャリカシュビリが「ナチの子が米軍トップになるのか」と批判されたとき、某コラムニストが「人間は父親のしたことで処罰を受ける理由は無い」と擁護し、議論を終わらせた故事を引いて、「政府の意向表明をしないと我が国は永遠にトラブルを引きずり、中韓に対して精神的コンプレックスを持ち続けなければならない」と書かれています。基本的に正しいのですが、私はこれだけ言ったのでは失敗すると考えます。これを実行するためには、必ず、②「謝罪は誤りであり、撤回する」、なぜならば「大東亜戦争は欧米列強の植民地化したアジア諸国を開放したのであり、米国との覇権争いに過ぎず、侵略戦争ではなかった」ことを言明しなければ一貫せず、従ってこの2国からいつまでも謝罪要求を撤回させることができないからです。そしてこれだけでは不十分であり、さらにこの2国に対して反日教育を中止するよう要求すべきです。

    「大東亜戦争の肯定」があって「謝罪の撤回」が可能となり、「謝罪の撤回」が出来て、「日本の戦争問題の終局的決着表明」が可能となります。この3つが論理的に真っ直ぐに連続する、それ以外に根本的解決の道は無いと考えます。

    最後に、渡部昇一氏にはハマトンの「知的生活」以来これまでその論説、著述から多くを学び、現代保守論壇の重鎮として、その業績には敬意を表してきました。2014年9月の「月刊正論」で氏は、「事実ならともかく、事実ではないのです。汚名を着せられて私達の同胞がこれから肩をすぼめて生きていかなければならないのです。(略)それがこれから代々、何百年も続き、世界の歴史に残ってしまいかねない。日本国民にとってこんな許し難い話はありません。」と書いておられます。こちらが氏の本音と思われます。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

  4. 勇馬樣へ

    恐れ入りました。これほど犀利・精緻な分析には滅多にお目にかかれません
    が、しかも、それが確たる、unshakable な(この英語、かういふ使ひ方でよろしいでせうか)信念に裏打ちされてゐるので、説得力も強い。少くとも、私の中で、考へが一歩發展したことは間違ひありません。

    「事実ならともかく、事実ではないのです。汚名を着せられて私達の同胞がこれから肩をすぼめて生きていかなければならないのです。(略)それがこれから代々、何百年も続き、世界の歴史に残ってしまいかねない。日本国民にとってこんな許し難い話はありません」ーーこれが渡部昇一さんの「本音」なのですね。
    ならば、つまり、それを承知の上でのことなら、商賣の爲に、如何に舞文曲筆されても、文句のつけやうがありません。やはり渡部さんは聰明な人だつたのですね。

    嘗て西尾先生はあるところに、「他人の目を瞞すことは、ときには生産的でさえありますが、自分で自分を瞞すことには救いはありえません」とお書きになり、これに對して私は、「知つてゐてつく嘘のはうが知らないで言ふ嘘よりはましだ」といふプラトンの言葉を持出し、結局兩者の言はんとするところはほぼ同じだといふことになりました。
    (どちらもかなり逆説的で、これらの言葉の考察だけでも、意義はありますが、ここでは、長くならないために、西尾先生による(注)「無自覺ということはなによりも救いがたいからです。自覺的な嘘は、自分の意志でやめられる。しかし無自覺的な嘘は、やめようにもやめられない」を引用するに留めておきます。自分の意志でもやめられるし、周りから止めさせるにも、手立てを考へやすい)

    「70年談話」について、私が問題にする理由の一つは、その點です。昨年の坦々塾新年會で、私が談話のコピーのごく一部を讀み上げた上で、「安倍さんは、戰後レジームからの脱却などと唱へてゐるが、自身は戰後レジームの申し子であらう。その安倍さんの70年談話は本氣のやうに感ぜられる・・・」と申したところ、すかさず、離れた席の西尾先生から「本氣ですよ」とお聲がかかりました。
    先生は、「だから、 ”救ひはありません”」とおつしやりたかつたのだと推察しました。私は「”知らないで嘘を言つ ” てゐる。” 知つてゐてつく嘘 ”より始末が惡い」と申したかつたのです。

    勇馬樣が覺えてゐて下さつたやうに、私は岸田外相を「惡意で國を賣つてゐ
    るわけではない」と評しましたが、これも同じ意味です。だから、救ひはない、どうしやうもないと言ふことです。惡意で、つまり自覺的にやつてゐることなら、どうにでも對處できるが、本人にその意識がなく、知らずに國を賣つてゐるのにはお手上げです。まあ、本氣ほど、怖いものはありません。

    「安倍総理擁護派、談話肯定派の人たちの心理状態を忖度しますと、“商売
    (保身、政権への媚態)” と“軽佻浮薄”の混合で、混合の比率は人によりマ
    チマチ」との見方には勿論同感ですが、 ” 商賣 ”のための方が罪は輕く、
    ” 輕佻浮薄 ” の比率が高まるほど、惡質と考へます。

    例示された中から一人だけ、宮家邦彦氏といふ元外交官について、「ただ素
    人の常識と直感だけを頼りに」、私の感じたところを申しますと、この人は、すべてを承知して嘘をつくほどには頭がよくはなく、冴えてもゐない。どうも、5~6割は本氣のやうな氣がします。つまり、それだけ惡質だといふことです。
    しかし、その御主人樣たる安倍總理大臣の御意向や、自身の出演するテレビ番組の空氣を讀む才と感覺は頭拔けてゐます。
    安倍・プーチン會談、安倍・トランプ會談のあとの、この人のコメントを少し意地惡く、注意して聞き、點檢しましたが、かう言へば、御主人が聞いて相好を崩すこと間違ひなしといふ、そのツボを心得切つてゐることに、ホトホト感心しました。
    別の番組では、トランプ大統領について、「思想もドクトリンもない」と冷然と、傲然と言ひ放ちました。御主人が今や、その人との仲を賣り物の一つにしてゐる、大切なトランプさんのことをそんな風に言つていいのか、などと心配するのは、ヨミが浅い。テレビで受けるには、トランプさんをバカにするに限ります。そして、御主人その人を罵れば祟りがありませうが、その相手をこの程度貶しても、決してお怒りを招くやうなことはない。否、御主人としては、さういふ相手と、自分はかくも巧みに附き合つてゐるのだ、すべて國のためだ、との自覺・滿足を覺えるかも知れない。そして、自分に對するおぼえは益々めでたく・・・。そこまで、この人はヨミ切つてゐると感じました。

    「他人(自分)を瞞す」「知つてゐて(知らないで)つく嘘」といふことを別にして、(長くなることを避けるために)以下、結論だけを申します。

    安倍派の保守知識人についての分析

    1.「時の風向き」がすべて
    2.軋轢を避けたい本能的心理が・・・抜きがたく存在する
    3.バランス論
    4.謝罪外交には百害

    のいづれにも、完全に納得しました。

    渡部昇一氏の談話擁護論を、3點に要約して下さつたのは、私にも理解しやすく、ありがたいのですが、一番大きいのは、「國家の名譽」と「國家の安全」の關係を天秤にかけてみせることによつて、安倍さんに理解・媚びを示し、賣つたことでせうね。
    まあ渡部さんは故意にさうしたのでせうから、罪は輕いとも言へますが、これを本氣で信じる人が多いのは悲慘です。
    天秤が、如何なる場合も絶對にいけないとまでは、私は考へません。もし、その場での生命の維持がすべて、ここで生命を失へば何もかも終り。土下座をすれば、確たる保證はないにしても、生き延びる可能性が若干あるかもしれないーーそんな場面には、「自覺的な」土下座は選擇肢の一つになり得るとも思ひます。
    しかし、談話がそこまで突き詰めたものとは到底思へません。「2つの国益を対立させる発想は日本人の伝統的精神に悖るもの」で、安倍さんはそこまで思ひが至らなかつただけでせう。「 東京裁判を是認する言明が払拭の布石
    になる」などと解説をつければ、もつともらしく見えますが、實態は「理不尽そのものです」ね。

    「我が国の名誉、尊厳、威光が・・・損なわれることは領土を失うことよりも、天災地変の降りかかることよりも、国家経済が破綻することよりも日本国民にとって恐ろしいことであり日本の自主と独立を根底から覆す結果となると観念することこそ日本人が連綿と維持してきた精神ですが、渡部氏他の談話擁護派の皆様はこのことに余りにも鈍感と言わざるをえません」とのお説に、滿腔の敬意をもつて同意します(渡部さんが、商賣用の言説にさほど、神經を使はなかつたのは止むを得ませんが)。

    吉田茂が後年、「軍備はアメリカ持ち。日本は食ふことに專念」と得意げに
    囘顧し、「しかし、これほど復興した今は、軍備にもつと力を入れるべきだ」と言ふのを聞いた時、お説に似た感想を持ちました。
    兵馬の權は、その時の都合で手放したり、取り返したりできるものではない。一度なくすると、恢復がいかに困難か。たとへ、食へなくても、兵馬をおろそかにしてはいけない。吉田の樣々な功績は十分に評價すべきだが、この最も基本的にして、肝腎な點に思ひを致さなかつたのは致命的。彼は小錢入れを預つてゐるやうな感覺で、armamentsを扱つた・・・。

    「國の名譽」と「兵馬の權」は似てゐますね。出し入れ自由では、決してない。一度誤ると、あとで、どれほど苦勞するか。
    明治國家には、關税自主權などを失つた不平等條約の改正といふ大きな課題がありましたが、名譽・兵馬の權の恢復といふ課題は、それよりもずつと大きいのですね。しかも、明治期に要路にあつた者は、その課題をイヤといふほど知つてゐたが、今の當局者は殆ど自覺してゐません。難儀なことですね。

    貴論にかかはると、こちらの考へも次々と發展するやうな氣がして、實に有
    益です。場所塞ぎを恐れ、ここで打ち切りますが、また、いろいろと御教示
    いただければさいはいです。

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