台湾の楊さん

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豊城和彦
 56歳、会社員。団塊の中心世代。全共闘運動真っ盛りの時期に学生時代を過ごし、三島由紀夫の自決に言い知れぬ衝撃を受けた。素材メーカーに勤務すること三十余年。進行する日本社会の劣化崩壊に、こうしてはいられない、の思いが強い。

 台湾の楊さん

 劉さんの時の台湾出張から10年ほど経った頃、また別の新製品の市場開拓で何度か台湾に出かけた。代理店の楊さんは私よりもだいぶ若い。市場打診を始めたばかりの特殊な製品を目ざとく見つけて台湾代理店に名乗りを上げた、小さな商社の経営者である。日本の大学に留学していた時のバイト先(?)で今の奥さんと恋仲になって千葉県から台湾に連れ帰ったという辣腕。奥さんは日本人だからもう少しうまい日本語を話してもいい筈なのに、性分なのかかなり雑な日本語をしゃべる。

 10歳ほども年下だし、ややがさつでさっぱりした男だから、遠慮のない話ができる。現地で一緒に市場開拓に回った時、途中で車を止めて楊さんとその部下の3人で昼食を取った。例によって絶対に食べきれないほどの種類と量を注文しようとする。

 「そんなに食べられないよ、このくらいにしようよ。」と言っても「まあまあ」とか言いながらどんどん注文する。過剰注文をして大量に余らせるのはもう2度目か3度目である。たまりかねて年の差をいいことにお説教を試みた。

 「こっちの言葉でもったいないはどう書くんだっけ?」
 「可惜。」
 「日本語の『もったいない』には単に経済的に惜しいとか、損をするという意味だけでなく、例えば食べ物だとかに対しても、そのものの本来の目的を達して上げられないような状態になる時に、そのものに対して申し訳ない、気の毒だ、と思う気持ちがこもっているんだ。その食べ物を作ってくれた人に申し訳ない、という気持ちもあるが、それだけでなく、人間が接する森羅万象にはすべて何らかのたましいがあって、それが、本来果たすべき役割を果たせていないような状況にある時、その気の毒なたましいに対す
る同情心のこもった言葉が『もったいない』なのだ。」

 大略こんな話をした。楊さんは神妙そうに聞いていたが、話は耳の穴を素通りしたのか、それともちょっとは記憶に残ってもう一回お説教されると面倒と考えたのか、その晩は台湾人の経営らしい日本料理屋に連れて行かれた。和食ならコースで出るから量が多すぎると言って文句をつけられる心配がないと考えたのかもしれない。

 そんなに安い店ではなかったろうと思うが、お皿やお椀は確かに和風なのに、料理の出し方はめちゃくちゃで順序も何もあったものでなく、ほとんど全品をいっしょくたに持ってきて、お膳の上にごちゃごちゃにおいて行った。盛り付けだってなんか洗練されてないのである。

 全体にこっちの人は大まかで、細かい事にこだわらない。(台湾人に限らず、大陸でもシンガポールでも似たような印象を受けるから、シナ人全体と言った方がいいか?)

 お膳の上のありさまにちょっとしたカルチャーショックを受けながら、和食というのは順序だとか容器のとりあわせだとか盛り付けだとか、要するに総体のものなのだなあ、ということを改めて感じた。

 『もったいない』が地球環境保全のキーワードとして使われる気配である。森羅万象に精霊が宿ると考えるアニミズムに根差しているらしい日本人の「もったいない」感覚をぜひ世界中に広めたいものだ。

「台湾の楊さん」への3件のフィードバック

  1. 最近「もったいない」という本が出版されました。
    これは、ケニアの環境副大臣が来日した際知った言葉で、心を打たれたそうで、それが契機で作られたそうです。この「もったいない」が改めて日本や外国でそのまま使われるようになったらいいですね。
    マガジンハウス社、1000円

  2. 勝手に貴ブログの最新記事にTBさせて頂いたご無礼をお許し下さい。お忙しい中、誠に申し訳ありませんが、もし宜しければ、次の方に(ミュージカル)バトンを渡して頂ければ幸いです。ご迷惑でしたら、無視して頂いても全くかまいません。それでは失礼致します。

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