新刊『民族への責任』について(十一)

お知らせ

 つくる会のホームページでは、文部科学省の許可を受けて、教科書採択の透明化の一環として明朝より教科書の一部を公開します。(約100ページ)

 なお、市販本については、現在扶桑社が諸手続きをしているところであり、時期については未定です。

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 本日は三氏からいたゞいた拙著の書評と感想を紹介する。

(1) 力石幸一氏(産経新聞平成17年6月11日)
 

 本書が取り扱う問題は多岐にわたる。扶桑社版の『新しい歴史教科書』に対する中国、韓国のヒステリックな反応、ジェンダーフリーという歪(いびつ)なフェミニズムの存在など、何年も前から顕在化していたテーマもあれば、日中中間線付近での中国のガス田開発や竹島問題、そしてホリエモンによる敵対的企業買収と新会社法への疑義など、この半年あまりの間に急激に浮上してきた問題もある。内と外から日本を揺るがすこれら一連の出来事は、一見すると相互に関連がないように見える。しかし、その背後には「日本人の弱さ」が見え隠れしてはいないだろうか。

 対立を避けようとソフトでつつましい性格は、日本人の美質と言っていい。日本の住みやすさはこの性格に大きく依存している。しかしその美質は、外国からの攻撃の前には自我の弱さとして現れてしまう。敵は外だけとはかぎらない。国家を内側から食い荒らすシロアリのような勢力の跋扈(ばっこ)を許してきたのもこの日本人の弱さではなかったか。敵を見ようとしない弱さこそが、戦後60年の空白の中心に横たわる問題なのだと説く本書の指摘は鋭い。

 じつは本書の企画は4年前に遡(さかのぼ)る。当時、西尾先生からタイトルを聞いたとき、「民族」という言葉にどこかどぎつい印象を感じて、反対した覚えがある。しかしいまその印象はなくなった。そのことがこの4年間の危機の深まりをよりいっそう強く感じさせる。問題はさまざまである。しかしそれを受け止める民族の性根は変らない。そこを見据えることからしか、民族の再生はありえないはずだ。本書のテーマは深く重い。

                    徳間書店 一般書籍編集長 力石幸一

(2) 小堀桂一郎氏(私信)
 

 『民族への責任』御恵興にあづかり御芳志忝く、厚く御禮申し上げます。今回はその標題からして、文字通りの並々ならぬ責任感を讀み取って、襟を正す思ひでした。就中、皇位継承問題にも立言して頂けたこと甚だ嬉しく存じます。保守を自称する小粒の言論人達は「敵」の手強さを知らないのです。その他の諸々の問題にしても、小生から見て、これだけ言はれてもまだわからないのか―と言はずにゐられない現在の亡状に憮然とするばかり、とにかく頼りにしてゐます。

(3) 大西裕氏(7月9日の私の鎌倉講演の主催者)
 

 民族への責任 読まさせていただきました。話題が直近の反日運動、領土問題、人権擁護法案から、皇位継承、アメリカとの経済戦争など、深みのあるテーマ、また、先般の教科書採択の生々しい実相など多岐にわたり、かつ、余計な遠慮のないタッチであるため、じつに迫真ある力に圧倒される思いです。
 
 最近いくつかの、活字にはふれておりますが、本書からはある感動が伝わってまいりました。

 勿論事象についての深いご理解があっての事でしょうが、いわば、論理的予言性とでもいうべき、将来への示唆を含みひさしぶりにある興奮を覚えています。
(歴史的証言の書として保存さるべきものですね)

 7月9日には、ぜひこれに基づき講演をお願いいたします。

 ついでに講演の日時をお知らせする。

 7月9日(土)午後2:00~4:30
 鎌倉鶴岡八幡境内 直会殿

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