新刊『民族への責任』について(十)

 この本の中から、あまり人の気がつかない、しかし本人は気が利いたことを言ったと少しだけ得意に思っている文章をひとつ引用させていただく。

 

戦闘において無類に強いアメリカは、イラクで戦術の甘さを露呈した。戦闘の終了後、50万人の大軍を派遣して国境封鎖と武装解除を徹底すれば、イラクの今の不始末はない。そう進言した武官の提案を退けたラムズフェルドの誤算である。

 「次第に明らかになってきた事実だが、米国はフセイン政権を倒した後のイラクをどうするかについて、明快な青写真を描いていなかった」(江畑謙介『日本防衛のあり方』KKベストセラーズ)

 戦後のイラクに第二次世界大戦後の日独方式が当てはまるだろうとの幻想を脱していなかったからである。アメリカのような用意周到な国も過去のイドラにとらわれている。アメリカだけでなく、どの国も過去の幻想に生きている。北朝鮮が半世紀前のソ連製の武器と地下壕だけで重武装のつもりでいるのも、イラクがアメリカ軍との開戦でフセインに勝ち目はないのに、湾岸で生き残った「フセイン政権自身は生き残れると考えていた」(江畑前掲書)のも、みんな過去のイドラにとらわれている自己幻想の姿である。ソ連消滅後に日米安保はもう日本防衛用ではなくなっているのに、北朝鮮問題がある限り、あたかも安保が有効であるかのように信じている日本も、過去のイドラを抱えて生きている。

 今の世界はどことなく箍(たが)が外れて、いささか滑稽である。そういう言い方は流血の犠牲者には相済まぬが、各国は互いに尻尾を出し、腹を見せ、間が抜けている。アメリカといえども例外でないのは今見た通りである。

 物事を少しばかり斜めから見ると、喜劇に見える。こんな風にも見えるではないかと、書いた本人は少し得意になっている。笑いながら読んでいただきたい。しかし笑わせておいて、ヒヤッとさせようと、私はすぐつづけて次のように書いた。

 

であるとすれば、北朝鮮に対してもアメリカは「明快な青写真」なしで、いきなり軍事行動に走らないとはいえない。海兵隊の上陸作戦と平壌の占領がない限り、空爆を始めてもらったら困る。日本が一番困る。

 アメリカが海兵隊を上陸させて平壌を占領してくれないと、本当になにも解決しない。空爆だけされたら、半島は反米一色になり、おいしいご馳走は全部中国の頂きである。日本は困ったことになる。

 結局、中国の体制が崩壊し、ソウルに軍事クーデターが起こらない限り、何も当分動かない。

 私の目にはだから今のところはすべてが喜劇的に見える。喜劇と悲劇は紙一重である。

 私の本にはこんな観察もあるということをお伝えしておく。

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