山口氏はたいした器ではありませんが曲がりなりにも民主党のブレーン、今もこうやって左を代表して発言する方ですので、その主張をここで潰しておきます。
① 「村山談話は敗北した日本が国際社会に復帰するため受け入れた欧米中心の枠組みとしての国際標準に沿うもので現在も従わなくてはならない」という主張は、日本を永久に戦勝国クラブの国連に隷属させる売国奴の思想で、米国だけでなくロシア中国にも隷属させようとするものです。保守には対米従属と自主独立の2派がありますが、革新(左翼)には自主独立がなく、あるのは無国籍(ニヒリズム)か国連隷属のみです。
② 「戦後野党の役割は自民政権へのイチャモンを外野からつけることだった。」とは誠に正直な発言でした。あとで仲間から袋叩きにあったのではないか、今後彼は失脚するのではないかと心配するほどの失言ですが、さすが専門家だけあって戦後の野党の本質を言い当てています。その正直さは評価しえても、「西尾先生に共感する」が当座のおべんちゃらかもしれず、そうとすると、品性の卑しさを暴露したものです。
③ 「対北政策で選択肢は対話と圧力以外ない。安倍政権の圧力強化に賛成する。ラストには米軍の軍事力があろうが圧力強化を国際協力でやるしかない。軍事手段は取り返しのつかぬ結果となる。日本単独では解決能力が無い。」という発言は明らかに矛盾しているのに自分が気付かないとしたら相当のバカです。最後には米軍の武力に頼ることを認めつつ軍事手段を執ってはならない?
④ 「長年定着した自衛隊の姿を変える必要は無い。専守防衛を守るべきで、国軍に変えてはならない。」というのも左翼の決まり文句ですが、自衛隊の実態は軍隊であり、その軍隊の力を頼みながらその力を規制するという矛盾、戦力を自衛力と言い換えて満足する馬鹿さ加減、攻撃できる軍でなければ守れもしないという常識の欠如、現下の日本の危機が見えないのか等々いくらでも突っ込めます。
左翼や自称リベラルに根本的疑いを持っているのは、黒ユリ様だけではありません。疑いが拡がりつつあるための自民勝利の総選挙だったと思います。然し折角の保守勝利もあらぬ方向に舵を切られては元も子もありません。西尾発言はこの意味で極めて重要な意義をもちます。
「プライムニュース」を拝見しました。勇馬氏が懇切なコメントを付されていらっしゃるので、蛇足ながら感想まで。
西尾先生は、今回のお姿は峻厳凛烈というよりも相手の問い掛けに対し一歩引き、懇切丁寧に質問者の土俵に立ってお答えになっていらっしゃったことが特に印象的でした。失礼ながら、なんとか広く輿論に訴えたいという先生のお気持ちの発現であると推測しました。「保守の真贋」を番組の各パートで四度引用して先生のお考えを確認したことは、本書が静かに知識層に浸透し時代を動かしていることを表すものではないか。西尾先生のご主張にはもとより間然するところなく、司会者男女がそうであったに違いないように、視聴者は深く同意したことと思います。このような愛国者、論客を持ち得たわが国の幸いを思わねばならないでしょう。
衛藤首相補佐官は西尾先生の正確に的を射貫く発言に打ち砕かれ、たじたじとなり発言は精彩を欠き、サヨク代表法政大学教授山口二郎氏は、安保法制反対の首相官邸前集会で「安倍に言いたい!お前は人間じゃない!叩き斬ってやる!」と叫んだにも似ずおとなしく、発言がほとんどないばかりか、口を開けば学者とは思えぬ支離滅裂ぶりで馬脚を現しました。西尾先生の前で蛇に睨まれた蛙そのもの。日本の保守政治家、左翼論壇ともこの程度なのか、慨嘆に堪えない次第です。両氏のソフィストぶりは視聴者に見抜かれているに違いありません。
今後、保守の倫理と論理を堂々と深く鋭い声で語る思想家が現れ得るものか、安倍首相の代わり以上に心配です。
西尾先生の心身のお姿を的確に受け止められた土屋六郎さんの御感想に敬服しました。嬉しく、繰り返し拜讀しました。
曰く「西尾先生は、今回のお姿は峻厳凛烈というよりも相手の問い掛けに対し一歩引き、懇切丁寧に質問者の土俵に立ってお答えになっていらっしゃったことが特に印象的でした。失礼ながら、なんとか広く輿論に訴えたいという先生のお気持ちの発現であると推測しました」。
この「推測」、まづ間違ひないでせう。完全に同感です。私は土屋さんのやうに完璧な表現はできませんでしたが。
でも、若い頃の私は、「先生のお気持」を必ずしも十分汲み取れず、先生のテレビ出演などに何度か批判的なことを申上げました。諫言のつもりでした。先生のやうな最高の知性が、有象無象に交じることを好まなかつただけで、他意はないのですが、「なんとか広く・・・」といふ先生のお氣持ーー好き好んでのことではない、不愉快を忍んででもーーに思ひが至らなかつた面もあります。
先生はお怒りにならなかつたが、「私がマスコミで活躍すること自體にこの人(池田)は反對なのである」(『西尾幹二のブログ論壇』P155・平成22年・總和社)と書かれ、首をすくめました。
曰く「今後、保守の倫理と論理を堂々と深く鋭い声で語る思想家が現れ得るものか、安倍首相の代わり以上に心配です」。
これは當然以上ですね。以前は安倍批判をする度に、必ず、「では、安倍さんのほかに誰かゐますか」と言はれ、沈默を強ひられてきましたが、流石に最近はそんなことを言ふ人は少いでせう。
にもかかはらず、西尾先生のお出ましに頼らざるを得ないとは!我々大衆の擔當である筈のゴミ處分を、我々大衆が怠り、先生に押しつけてゐるせゐです。
申し譯ないことですね。やはり、先生がテレビなどにお出にならずに濟む世が良い世だと考へます。慙愧に堪へませんね。
補足します。
本来なら襟を正して傾聴すべき西尾意見に対して、安倍首相の身代わりともいえる衛藤氏は薄笑いを浮かべ、全く聞く耳を持たなかったと総括すべき番組と思います。現政権を支える保守本流の悲しむべき貧しき実態が浮き彫りになった番組でした。一国の宰相を裏切り者、腰抜け呼ばわりしているのですから西尾意見は日本の歴史上、国政上、極めて重大な発言です。天下の碩学、日本最高の知性が日本の最高権力者を糾弾する場でした。最も注目したのは米国と中国の大使館でしょう。安堵の胸を撫で下ろしたと思います。
素より先生は決死の覚悟で、文字通り“峻厳凛烈”に臨まれていますが、肝心の補佐官殿は蛙の面、ということは安倍首相にも影響はないと悲観します。倫理がないため西尾意見の真意を計ろうと意欲せず、論理がないため理解する能力もないまま、陳腐な世間請けする反論でお茶を濁して逃げおおせました。反省など微塵もありません。
土屋様の、“西尾先生のご主張にはもとより間然するところなくこのような愛国者、論客を持ち得たわが国の幸いを思わねばならないでしょう。”には勿論賛同しますが、以下の部分には出来ません。誠に失礼ながらこのような身内贔屓の楽観論には同調出来ません。
“司会者男女がそうであったに違いないように、視聴者は深く同意したことと思います。衛藤首相補佐官は西尾先生の正確に的を射貫く発言に打ち砕かれ、たじたじとなり発言は精彩を欠き”
土屋様、池田様のような心ある視聴者には届いたかもしれませんが、大方は最後に紹介された視聴者の声のように、❝徒らに高いハードルを掲げず70点でも80点でも現実的政策を積み重ねている安倍政権を支持する❞だったと思います。衛藤氏はさぞ満足されたでしょう。
そのあとの彼の発言はこれに歩調を合わせ、❝保守言論人の皆様は首相の必死の努力を認めて可愛いと評価している。一歩一歩現実的な政策を今後もとる。❞でした。
彼の反応をみるなら、“なんとか広く輿論に訴えたい”が先生の意図であったとすれば、その効果は殆ど無かったと私は感じます。言葉には出しませんが、❝生意気に異を唱え怪しからん、左翼を利する❞が彼や彼等の本音で、この内心の怒りを隠すための薄笑いでしょう。先生にやり込められたと感じての照れ笑いではありません。先生のご意見で反省する気配は微塵もありません。番組制作者も、右左からの安倍批判程度の面白半分の認識で、このままの保守政権では日本は駄目になる、否、すでに駄目になっているという西尾意見の憂国の本質を理解していません。
先生は、「言論人が高い理想を掲げないのが問題」と指摘されるにとどまりましたが、既に発言されたことを繰り返さなかっただけで、安倍政権のやってきたことは、70年談話でも、9条3項でも、皇室でも、0点だ、日本を腐らせるニセの保守政策に過ぎない、70点や80点という量の問題ではなく質の問題だ。国民意識が遅れていることを口実とするが、この国民意識こそ戦後GHQのやった国民意識改造の成果であり、この国民意識やその背後にある「世界標準」を変えるのが保守政権の真っ先にやるべき仕事ではないのか。米国に遠慮し、米国を憚って、米国の影に怯えていては、日本は永遠に米国の属国になる、が真意でしょう。
「中国の人権をトランプが云わないなら安倍が云え」も注目すべき発言でした。
先生の最後の「正直」ですが、信義、廉潔、嘘をつかない、約束は守る、人を裏切らない、といった日本人なら誰でももっているはずの徳をもたない政治家は失格と仰っています。長州吉田松陰の「敷島の大和心」さえ安倍首相も取り巻きも、左翼も、もっていないことが現在の日本の真の問題です。
池田様は恐らく、正直などという真面目なアプローチよりは、陸奥宗光の手練手管を選好されるでしょう。国益に資する結果さえ出せば、表面の倫理に反してもいい、憂国の士が却って国を誤る?結果無価値?
「居酒屋の初恋談義、しゃべっている本人だけが聞き手を得て高揚し、寒いのに、と開いたドアには腹を立てるが、開けた手にはいつまでも気づかない(坦ケ眞理子)。」を思い出します。大衆を説得し転向させることが大事と思います。
坦々塾会員への告知メールには共演者の名前までは記されていなかったので、番組が始まって西尾先生の隣に座っているのが山口二郎氏であるのを見て仰天し、これは大ゲンカの生放送に...?などと心配しましたが、勿論そんな事にはなりませんでしたね(笑)。土屋様の「蛇に睨まれた蛙そのもの」というお喩え誠に言い得て妙で、他の番組では常に保守陣営や体制側への毒を吐きまくっている山口氏が、次第に西尾先生寄りのトーンになり、終いには「中朝と渡り合うのはリベラルには無理、保守に頑張って貰わねば」...などと仰る始末。キャスター氏が(アナタがそんな事言うの?と言わんばかりに)「ほぉ~!」と、皮肉っぽく驚いてみせていました。そういえばあのキャスター氏、西尾先生の出演回の時はなんだかいつもより楽しそうに見えるのですが、私の気のせいでしょうか。まぁ、隣の秋元アナはいつもながらポーカーフェイス過ぎて、分かっていらっしゃるのかいらっしゃらないのか窺い知れませんけれど。尤も、「そこがまた良い」という男性諸氏も多いのでしょうかね。個人的には、これまであの番組で西尾先生の御発言に対し一番真摯な態度だったアシスタント女性は八木亜希子さんだと思っています。
...余計な話、失礼致しました。コメントなさっている皆様も、番組終了後に電話で感想を言ってきた私の友人達も、衛藤総理補佐官の態度・発言に傲慢さや鈍感さを感じて憤っていらっしゃるようですが、私も半分はそう感じつつも、もう半分では「自民党の代議士さんにしては、随分率直に話す人だな」という印象も感じていました。
「(先の大戦では)アメリカが日本を戦争に引き込もうとしていた」「日本の周囲の諸国がガンガン歴史戦を仕掛けてきている」「強制連行など無かった慰安婦問題まで責められて」...現役の政府要人がテレビでここまで率直に、所謂「保守的」歴史認識を語ることは、「日本は韓国に良いこと『も』した」と言っただけで大臣のクビが飛んでいた時代に比べれば隔世の感があります。衛藤氏が終始「支那事変」という言葉を使っていたことにも少し驚きました。官邸や首相周辺は、少なくともそういった従来の馬鹿げた言葉のタブーなどから解き放たれたムードにあることが窺えます。そしてそれは明らかに、安倍さんの周囲に付いた「安倍さん大好き保守系知識人」の影響でしょう。安倍総理本人の言葉遣いの中にも、「あぁ、この言い回しは多分あの方のご進講の成果だろうな」と感じさせるものがしばしば散見されます。そしてそれは素晴らしいことだと思います。従来の日本の政治家の決まり文句、「平和と繁栄」とか「自由で公正な」といった空疎な言葉では、世界に自国の立場を訴えることはおろか、もはや自国民の共感を得ることすらできないでしょうから。衛藤氏が「最終的には(西尾先生の仰るように9条2項を削除した本格的な憲法改正を)やりたいのは山々だ」とハッキリ言い切ったことも、これまでの政治家のテレビ出演では見られなかった率直さだと思います。政権中枢にある方が従来のタブーにとらわれず率直な語彙で語るのを見て、私は少し明るい気持ちになりました。
但し...と、持ち上げておいて落とすのも何ですが、率直さは軽さにも通じます。衛藤氏の発言で気になったのは、割と屈託なく「日本にはそういう能力は無いですから」「日本にはそういうことは出来ませんから」といったフレーズがポンポン口から出ることです。衛藤氏だけでなく、総理をはじめ最近の政治家諸氏は皆さんそうです。リアリズムと言ってしまえばそれまでですが、一昔前までの政治家はそういう物言いはしなかったのではないでしょうか。言うにしても、言い方があるではありませんか。西尾先生が仰った「歯ぎしりが無い」というのはこれだと思います。為政者たる者、苦悩や危機感などは表に出さずポーカーフェイスであれ、という考え方もあるかも知れませんが、苦悩や危機感を蔽い隠した政治表明は、どこか皮相的で嘘臭く、軽く感じるものです。「美しい日本を取り戻す」とか「福島はアンダーコントロール」とかもそうでした。
歯ぎしりが無いから、実際の行動もチグハグなものになるのでしょう。衛藤氏は頻りに「出来る所から一歩一歩やっています」と力説していましたが、それが今一つ実感できませんよね。国民の歴史観や皇室の将来を決する重大な諮問会議のメンバーの人選一つとっても、安倍さんに本当に苦悩や危機感があるのか、疑わしくなってしまうというものです。西尾先生はキャスター氏が議論の仲立ちをするたびに一々同意の返事をしていらっしゃいましたが、ただ一度、山口氏の「安倍さんはきっとやりたい事の半分もやれていないのだろう」という発言を受けて同意を求められた時だけは無言のままで返事をなさいませんでした。そもそも安倍晋三という人には本当にやりたい事なんてあるのだろうか?という根源的な疑念をお持ちだからではないか...と、勝手に推察致しております。
勇馬様は番組中の西尾先生の注目すべき発言として「中国の人権をトランプが云わないなら安倍が云え」を挙げられました。私もあの場面では痛快さに爆笑してしまいました(笑)。もう一つ、私が今回の番組の中で強く印象に残った西尾先生の発言、それは先生が「(9条を改正して自衛隊を国軍として認める事は)国民意識においてとうにクリアされている」と言い切った場面です。「安倍さん大好き知識人」の皆さんが言いたくても言えなかった台詞ですよね。そして多くの国民が、薄々思っているのに何かに遠慮して言えなかった台詞です。西尾先生が最初に言うんです。西尾先生はいつもそうです。そして周りの者は「どうしてこんな事、今まで話さなかったのだろう」と不思議に思いながら、いや、その自覚さえ無く当たり前のように平気でその話をするようになるのです。遠からず、保守系知識人も一般国民も「9条改正の国民投票をやったら改正派が勝つよ」と、平気で話すようになることを私は疑いません。ドイツを見習え論の欺瞞が暴かれた時も、外国人労働者受け入れの危険性が認識された時も、人権擁護法の正体に気付かされた時も、女系天皇容認論の重大性が理解された時も、いつだってそうでした。最初に扉を開くのは西尾先生です。こんな稀有の人の発言を、一言でも聞き漏らす訳にはいかないではありませんか!
西尾先生と山口氏は同じ大学出身の、いわば先輩と後輩です。山口氏は、すまし顔でしたが、大先輩を前にして、さぞかし居心地が悪かったことでしょう。山口氏は昭和33年(1958)生まれだそうですから、山口氏が学生の頃は、西尾先生はバリバリ、第一線で学生を教えていた時代です。
動画を見て私が驚いたのは、最後の「私の提言」で、山口氏が「現実的外交」と書きながら、「中国や北朝鮮と話をつけるなどは、リベラルじゃ手に負えない、保守だからできる、だから期待します」と言ったことです。今回は、「保守とリベラル双方から、安倍政治を批判する」のがテーマだから、もしかしたら西尾先生に遠慮したのかもしれません。しかしそれにしても、山口氏は現実の政治を問題にしないということでしょうか?
現実を真っ向から捉え、常に戦う言論人だった先生は、–突拍子もない言い方かもしれませんが–、今回山口氏には、思想的には相反すると思われる安倍首相と同じ臭いを感じたのではないでしょうか?
先生がこの番組の中で仰ったように、確かに10年ほど前、産経新聞の「正論」欄に、北朝鮮の核開発を前にして、我が国は敵基地攻撃能力を持つべきだと、書かれたのを、私は切り抜いて持っていました。
あれから我が国がもたもたしている間に、ここまで来てしまって、事態は本当に切羽詰まっている。「子供たちに防空訓練までさせて」と仰ったのは、避難訓練をするな、ということではなく、国民はもとより、国家全体が丸裸になっているのに、国民に「必死に逃げろ」との叱咤だけは声高に叫ぶ無責任さを、批判したに過ぎません。
衛藤氏は「国民意識がまだそこまで行っていない」と言いましたが、本当にそうでしょうか?中国船の密漁によって、成長に40年もかかる珊瑚をごっそりと盗まれた小笠原諸島や伊豆諸島の住民は、今でも怒りに打ち震えているのではないでしょうか。
北朝鮮の不審船が、次々と打ち寄せている北海道や東北の人々は、これまでにはなかったような最近の状況に、心底不気味さを感じているはずです。
私事ですが、私の実家も日本海側の海の近くにあり、両親が他界した現在、空き家になっていますが、もし敵方が上陸して、勝手に家を荒らされたり、滅茶苦茶にされたら、と想像するとゾッとします。
そればかりか、拉致問題を代表として、未解決の問題が「放置されている」のを見て、これ以上国民が危険に晒されたり、また外国から「へっぴり腰」とバカにされることに、私などはもう耐えられません。
もしこうした思いが日本国民の少数派だとして、「少数派は黙れ」というなら、我々一般庶民は、一つの意見も多数派になるまで待たねばならぬ「民主主義」こそ諸悪の根源だと思わざるを得ません。
そもそも世に影響力を持つ言論人の仕事とは、世間の「声なき声」を聴き、それを言葉にすることではないでしょうか?西尾先生の言論がこれほどまでに影響力を持ち、私を含め、多くの人々が、先生の声を一言も聞き漏らすまいとするのは、我々の知らなかった秘密のからくりをあぶり出すと共に、我々の少なからぬ思いを、先生が筋道立てて紡ぎ出して下さるからではないか?
ところで先生は少し前、現在の危機的状況に対して、日本列島のあちこちから、政府を突き上げるような真の保守の声が、何故出てこないのか?と仰ったと思います。これで私が思い出したのが、平成22年(2010)の映画『桜田門外の変』です。
この映画は、勝手に外国と修好通商条約を結んだとして井伊大老を襲撃するシーンで始まり、襲撃を指揮した主人公の水戸藩士関鉄之介と、その仲間たちの逃避行をめぐるドラマ、そして最後には、全員死ぬところまで描いた作品です。
印象的なのは、鉄之介に協力を約束していた頼みの鳥取藩が、事件の後、態度を翻す所です。鉄之介が再び鳥取を訪れると、信頼できるはずの鳥取藩士が、幕府や水戸藩からの圧力に耐えかねて、「大老襲撃は間違っていたのではないか」となじります。鉄之介は堪らず、「言うな!」と振り払うように去りますが、それと同じくして、水戸藩を脱藩した他の仲間たちも、次第に追い詰められ、大老襲撃は失敗だった、という当事者たちの苦渋の思いを残したままドラマは終わります。
どんな歴史も、当事者であればあるほど、先を見ることはできない。井伊大老を襲撃して死んだ水戸藩士たちは、その先の歴史を見ることは出来なかったが、我々現代人にとって「桜田門外の変」は無意味な事件だったのでしょうか?明らかにそうではありません。
先生は過去の著作の中で、確か、「大切なのは、人から見られている自分を意識すること」だという意味の事を書かれたと思います。例えば、我々一人一人は、限られた命しか与えられていません。しかも大抵は、自分が思っている自分の姿とは似ても似つかぬなりふりで、カッコ悪くても、死ぬまで生きて行かねばならないのです。現代の志ある政治家たちも、様々な制約、足枷があって、政治家になる前に思い描いていたようには、活動できないことも多いでしょう。しかし考えてみれば、我々一般庶民だって同じなのです。
でも、こうした「おもしろきこともなき世」を「おもしろく」言葉にするのが言葉を生業とする人々の役目なのではないでしょうか?
番組の中で先生は、安倍政権を含む我が国が、これまで何一つ自ら動かず、如何に人任せでやり過ごして来たかを、厳しく指摘されました。しかし安倍政権に真っ向から対立するとしている山口氏も、「現実政治は保守にお任せ」だと白状した以上、どちらも人任せである点で同じことが明らかとなりました。
山口氏のことはよく知りませんが、サヨクとかリベラルとか言われる人々というのは、ひょっとして、あちこちで言われているより、絶世の美女に変身しているヨボヨボの魔法使いの老婆の如く、現実の大きさ以上に増幅されて語られているのではないか、との疑いを持ったのは、私だけでしょうか?
黒ユリ様、土屋様
先のコメントで、西尾先生登壇の成果を否定的に述べましたが、それは対衛藤氏、対安倍首相、そして池田様のいわゆる対A、B、C層への即時的効果であって、「保守の真贋」と併せ、ご発言の影響力は計り知れなかったと思います。
心ある視聴者の共感を呼んだのはもちろんですが、この番組は安倍首相もみたと思います。保守を標榜して素地はある彼の心の深奥にも、応援団の保守言論人(B層)にも、安倍政権支持の一般保守層(C)にも、仮令いまは反感や反発をもたれても、彼らの心の隅には残ったはずです。“広く世論に訴えたい”先生の意図は無駄ではなかったといえます。
おそらく衛藤氏らは、自らを現実政治の「当路者」、西尾先生を無責任な「口舌の徒」として、勝海舟の台詞、「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与らず我に関せず」と心中に嘯いていることと思います。これとは本質的に違うという答えは「保守の真贋」に書かれていますのでここでは触れませんが、問題の本質は、日本人の魂が変わってしまったことにあるのではないでしょうか。
福沢諭吉の言った「独立自尊の気概」です。「痩せ我慢」という用語も用いましたが、「国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能わず。独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。」ともいい、これを戦後日本に当てはめれば、戦後自民に投票した国民の多く、現在の安倍支持の国民の多くに、独立志向の心がないために、米国へ追従、隷属の日本からいつまでも脱却できないのではないでしょうか?WGIPが人為的に変えたのであれば、人為的に戻せるのです。
2年前、安倍首相はスピーチで、「強い日本、それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。一身独立して一国独立する。私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません。」と言明しました。
西尾先生がシビレて、そして裏切られた言葉です。対米だけではありません。対中外交も自主独立ではありません。西尾先生同様、私も繰り返し、中国人権問題への日本の取組を主張しました。欧米諸国のごとく、劉暁波氏を賞賛し、中国政府を非難すべきでした。安倍政権は「隣国日本での治療」の希望を積極的に受け入れるべきでしたし、死去後は、「劉暁波氏が国家権力による暗殺ではなかったことを釈明せよ」と迫るべきでした。そうすれば、欧米も日本を見直し、日本国民からも見直されたことでしょう。言葉通り安倍首相に「一国独立」の気概があるなら、いまトランプが腰砕けになっているとき、中国を刺激したくないなどという腰抜けぶりを捨て、安倍首相が代わりにやるべきです。まだ間に合います。
土屋様の仰るように山口氏はこの番組では影が薄かったのですが、彼の言った、「中国や北朝鮮と話をつけるのは、リベラルじゃ手に負えない、保守だからできる、だから期待します」には私も唖然としました。西尾先生に遠慮しての発言ではありえなく(国立大学では先輩後輩の感覚など殆どなく増して学部が違えば)、本音が思わず出て馬脚を現わしたに過ぎません。戦争ではなく対話をと主張しながら手に負えない、というのですから。エセ保守の前に彼らエセ知識人を日本社会から殲滅するのが順番として先ではないかと思います。西尾先生は勿論すでに元凶の丸山真男以下を撫で斬りにしていますが、その論拠が国民の常識にまで広く共有されないために民主党や現在の立民、社民、共産、公明など左翼の輩がはびこっているのです。
山口氏はたいした器ではありませんが曲がりなりにも民主党のブレーン、今もこうやって左を代表して発言する方ですので、その主張をここで潰しておきます。
① 「村山談話は敗北した日本が国際社会に復帰するため受け入れた欧米中心の枠組みとしての国際標準に沿うもので現在も従わなくてはならない」という主張は、日本を永久に戦勝国クラブの国連に隷属させる売国奴の思想で、米国だけでなくロシア中国にも隷属させようとするものです。保守には対米従属と自主独立の2派がありますが、革新(左翼)には自主独立がなく、あるのは無国籍(ニヒリズム)か国連隷属のみです。
② 「戦後野党の役割は自民政権へのイチャモンを外野からつけることだった。」とは誠に正直な発言でした。あとで仲間から袋叩きにあったのではないか、今後彼は失脚するのではないかと心配するほどの失言ですが、さすが専門家だけあって戦後の野党の本質を言い当てています。その正直さは評価しえても、「西尾先生に共感する」が当座のおべんちゃらかもしれず、そうとすると、品性の卑しさを暴露したものです。
③ 「対北政策で選択肢は対話と圧力以外ない。安倍政権の圧力強化に賛成する。ラストには米軍の軍事力があろうが圧力強化を国際協力でやるしかない。軍事手段は取り返しのつかぬ結果となる。日本単独では解決能力が無い。」という発言は明らかに矛盾しているのに自分が気付かないとしたら相当のバカです。最後には米軍の武力に頼ることを認めつつ軍事手段を執ってはならない?
④ 「長年定着した自衛隊の姿を変える必要は無い。専守防衛を守るべきで、国軍に変えてはならない。」というのも左翼の決まり文句ですが、自衛隊の実態は軍隊であり、その軍隊の力を頼みながらその力を規制するという矛盾、戦力を自衛力と言い換えて満足する馬鹿さ加減、攻撃できる軍でなければ守れもしないという常識の欠如、現下の日本の危機が見えないのか等々いくらでも突っ込めます。
左翼や自称リベラルに根本的疑いを持っているのは、黒ユリ様だけではありません。疑いが拡がりつつあるための自民勝利の総選挙だったと思います。然し折角の保守勝利もあらぬ方向に舵を切られては元も子もありません。西尾発言はこの意味で極めて重要な意義をもちます。
黒ユリ様の、“これ以上国民が危険に晒されたり、また外国から「へっぴり腰」とバカにされることに、私などはもう耐えられません。―――もしこうした思いが日本国民の少数派だとして、「少数派は黙れ」というなら、我々一般庶民は、一つの意見も多数派になるまで待たねばならぬ「民主主義」こそ諸悪の根源だと思わざるを得ません。”にも共感を覚えます。
本番組の基調となった「保守の真贋」は日本の政治思想史に残る本と思います。私もアマゾンにコメントを寄せましたが、続いて土屋六郎様も同じ思いの熱のこもった優れたコメントを残されていることに今日気付きました。
「痛切な憂国の書である。一語一語肯綮にあたり、間然するところがない。」に始まるコメントは、本書のさわりともいえる、「人間がすべてなのです。『勇気の欠落』が物事のすべてをおかしくしているのです」。「大切なのは、わが国の未来を変えたいというひたむきな情熱です。観念ではなく、行為です。」「アメリカと中国の両国から独立しようとする、日本の軍事的意志です」を引用されています。
そして以下も。
「いまの日本は世界の中で非常に危うい状態に置かれているわけですから、ほんとうに真心から出た言葉、胸を打つ言葉があるはずです。それがあれば、いまからでも遅くはない。だから私は安倍さんに訴えたいんです。真性保守の精神を取り戻せ、と。そうすれば、まだ間に合うかもしれない。」
精神論だけに頼ってはなりませんが、根本原因は矢張り魂や心の問題に帰着します。
口舌の徒ではない、政治家を指導できる言論人、知識人、論客、オピニオンリーダーがいまの日本に必要です。桜田門の志士は会沢正志斎、藤田東湖、明治政府首脳は吉田松陰ら当時のオピニオンリーダーに学び精神的に鍛えられ現実に処しています。安倍政権を担う人々も、三島由紀夫、西尾幹二たち現代の松陰に謙虚に学ぶべきでしょう。70年談話に反対した4名の他にも本物の保守言論人が数名いらっしゃり、この方々が結束して安倍政権の後見となれば日本は盤石となると思います。
左翼教授 山口さん、仰せのやうに、ションボリしてゐましたね。
福田恆存の次の言葉を思ひ出しました。
「同じ事が言へる風向きになつたからそれに唱和するといふのが私の嫌 ふ『戰後の風潮』である」
「〔今は〕左翼的な『進歩的文化人』の言論の方が村八分にされかねな い世の中になつた。そして私は二十數年前と同樣、厭な世の中だなと 憮然としてゐる」(「言論の空しさ」 昭和55年)
私も左翼・進歩派の嘗ての猖獗ぶりを憶ひ、なんたる衰へやう!と哀れを感じてゐたので、同感しました。爾來37年、山口教授が未だに左翼たる立場を捨てないとすると、その節操の堅固さは賞讚されるべきでせう。よほど純情無垢の人なのでせう。
西尾先生は、誰かさんの「各國と協力して」といふせりふから「平和を愛する諸國民の正義と公正に信頼して」なる、何やらの一節を思ひ出された由。そ、そ、それです、先生。 私も何かに似てゐると感じました。でも、それが何か判然とせず、もやもやしてゐました。
私などが中學で、徹底的に暗記させられ、今でもスラスラと口から出る、例のアレだつたのですね。先生のお言葉で全て分つた氣がします。
この「アレ」こそ、誰かさんの全てですね。還暦を過ぎてなほ保持してきた「アレ」な のです、今更脱け出ることは彼には絶對無理ですね。そんな簡單・自明なことに、數年前まで氣づかなかつた己の間拔けさ加減!
最近いはゆる保守系の會合に出て感じるのが、このことです。國防が論じられたり、皇統が論じられ(女系天皇が否定され)たり、日本精神の振興が説かれたりーーちよつと見には右翼みたいです。しかし根本にあるのは、戰後民主主義で、これは誰かさんの場合と同じく骨の髓まで沁み込んでゐます。肝腎なことが正しく判斷できなくて當然です。
嘗て近衞文麿は「所謂右翼は國體の衣を着けたる共産主義なり」と斷じましたが、今、我々の前にあるのは「所謂保守は右翼の衣を着けたる戰後民主主義なり」でせう。WGIPの毒素は生やさしいものではなく、この現實をしかと見ない限り、未來は ないのではないか、そんな氣すらします。
勇馬さん、「保守を標榜して素地はある彼」「この方々が結束して安倍政権の後見となれば日本は盤石」とは、甘くないですか。
衛藤補佐官について、名前以外なにも知らないので、ウィキペディアで、經歴を調べました。いくつかの意外な記述に驚きましたが、他にコメントを附せず、その一部を下にコピペします(いづれも、主語は江藤氏です)。
(1)2004年9月、厚生労働副大臣に就任。2005年7月5日の郵政国会では、郵政民営化に造反して反対票を投じたため、副大臣を罷免された。
(2) 2008年11月11日、自民党の国防関係合同部会にて、歴史認識に関して、日本国政府見解を否定する論文(「真の近現代史観」懸賞論文)を発表して航空幕僚長を更迭された田母神俊雄を擁護。「歴史認識を教育するなんてことを言ってもらったら困る」と述べ、日本の歴史教育の在り方を見直す考えを示すとした防衛省側を批判した。
(3)安倍晋三首相が2013年12月26日におこなった靖国神社参拝に米国政府が「失望」を表明したことについて、2014年2月16日に「約束を果たした首相の靖国参拝」の題名でYouTubeに投稿した動画で、「我々の方が失望した」という内容の批判をおこなった。衛藤は動画の中で、安倍の靖国神社参拝前に、自身が2013年11月の訪米や同年12月初旬の米国大使館訪問で参拝への理解を求めていたことを説明し、「安倍政権は、民主党政権で崩れた日米関係修復に非常に大きな力を割いてきた。米国は同盟関係にある日本をなぜ
大事にしないのか」「米国はちゃんと中国にものが言えないようになりつつある。米国の声明は、中国に対する言い訳にすぎない」とアメリカ合衆国を非難した。
池田様
「この方々が結束して安倍政権の後見となれば日本は盤石」とは、確かに甘く舌足らずでした。死ぬまでにそのような日本を見とどけたい、という夢想でした。
ただ具体的方法論として日露戦争開戦前の「七博士意見書」が脳裏にあり、例えば今でいえば、さしずめ桂ではなく安倍内閣総理大臣・小村ではなく河野外務大臣ら時の政権に宛てて正式に提出する建白書というになりましょうか。
つまり先生がお一人で気を吐くより、70年談話を支持しなかった時流に靡かない中核の本物の保守言論人が、あの時は意見表明しなかった方も含め、10名前後名を連ねる直諫の公開書を日英バイリンガル(故意に誤訳されるのを防ぐためです)で共同発表され、それが内容自体の力によって、やがて急速に広く国民に浸透・支持されるならば、「戦後民主主義」の安倍自公政権も、苟も民主主義に違いありませんから無視できなくなり、そのままこのグループが、エセ保守を含む外野の雑音を排除し、本来の面目に目覚めた衛藤補佐官とも提携して、政権の後見人的役割を果たすようになるような事態の成り行きを想像しました。
私ひとりの偏見かもしれませんが、眼力のない者らは、お一人では年寄りの妄言、単独のご意見では個人的奇矯な意見と受け取られがちです。
「保守の真贋」で定立された保守の5基準を丁寧に織り込み、第1の皇室、第2の国土、第3の移民、そして第4の「反共」には中国のチベット・ウイグル問題も採り上げ、第5の「歴史」では70年談話を否定し、WGIPの関野様の成果も採り入れ、更にできれば第6として、米国に匹敵し中国を圧倒する軍備増強提案を追加し、あるべき日本の姿と将来の方向を示すというのは如何でしょう。
北だけでなく、心あるオピニオンリーダーがいま緊急に何か行動しなければ日本は危うい状況がここ数年続いています。「保守の真贋」がジャブとすればストレートの決定打がもう一つどうしても必要です。
原文全文を確認していませんが、七博士意見書には以下のくだりがあります。驚くほど現下の情勢と似ていますが私学の山口教授とどっこいどっこいの今の東大法学部の博士らには絶対に書けない文章と発想・思考です。
“特に注意を要すべきは極東の形勢漸く危急に迫り、既往の如く幾回も機会を逸する余裕を存せず。今日の機会を失へば遂に日清韓をして再び頭を上ぐるの機なからしむるに至るべきこと是なり。(中略)之を要するに、吾人は故なくして漫りに開戦を主帳するものにあらず。又吾人の言議適中して後世より先覚予言者たるの名称を得るは却て国家の為に嘆ずべしとするものなり。噫我邦人は千歳の好機を失はば我邦の存立を危うすることを自覚せざるべからず”
七博士筆頭の戸水寛人は晩年味噌を付けましたが、皆、当時一流の言論人でオピニオンリーダーだったと推測されます。当時の帝大6博士の参加した意見は殆どアカデミアの代表意見だったのではないかと思います。ロシアの満州からの完全撤退、対露武力強硬路線を政府に迫ったもので、反響も大きく、結局、日本の勝利に寄与することになりました。この時は世論と合致しましたが、今回は、始めは世論に反しつつも次第に世論を誘導する建白書・意見書となることが期待されます。
再び生意気なことを申しました。半分理想論、半分現実論です。贅言お許しください。
勇馬 樣
「七博士意見書」なるものがありましたね。
伊藤博文は「我々は博士がたの御高説ではなく、大砲の數を調べて決めるのだ」と言つたとか、高校の日本史の先生が、博文の身振りをしながら、熱意をこめて話してくれたのを覺えてゐますが、その他はなにも知らず、意識したこともありません。先生が何を強調したかつたのかも、今となつては分りません。
あれがどういふもので、どんな效果があつたのか、同じやうなことが「戰後
民主主義」の下でも・・・、乏しい我がイマジネーションをなんとか働かせてみます。
意外なことに思ひが至るかもしれません。ありがたうございました。
吉田 圭介 樣
吉田さんの11日のコメントを見落してゐました。
御指摘により、次の3點に、初めて氣づかされましたので、御禮かたがたー
ー
(1)衛藤氏が終始「支那事変」という言葉を使っていたことにも少し驚きました。
さうですか。そんな言葉を使ひましたか。今どき、支那などと言ふのは、石原シンちやんと私だけかと思ひましたが、それは頼もしい。
ただし、私は「官邸や首相周辺は、少なくともそういった従来の馬鹿げた言葉のタブーなどから解き放たれたムードにあることが窺えます。そしてそれは明らかに、安倍さんの周囲に付いた『安倍さん大好き保守系知識人』の影響でしょう」とまでは買ひ被れません、官邸をも、「・・・知識人」をも。
この人は總理や官房長官よりもかなり年上でせう。長く生きてきた間に、今の周邊のムードにはないことを學び、それがポロリと口から出ただけーーさう單純に解釋します。ウィキペディアで氣づいた意外な發言も、周圍とはあまり關係ないのではないでせうか。
(2)衛藤氏の発言で気になったのは、割と屈託なく「日本にはそういう力は無いですから」「日本にはそういうことは出来ませんから」といったフレーズがポンポン口から出ることです。
これも今氣づきました。さらに、「一昔前までの政治家はそういう物言いはしなかった」とおつしやられてみると、たしかに、そんな氣がします。そして正に、「西尾先生が仰った『歯ぎしりが無い』というのはこれ」ですね。全く同感です。
ただし、「苦悩や危機感を蔽い隠し」てゐるのではなく、さういふものがない(少くとも、しやべつてゐる間はそれを感じない)、つまり次項と同じく、nothingなのだと私は感じました。
(3)山口氏の「安倍さんはきっとやりたい事の半分もやれていないのだろう」という発言を受けて同意を求められた時だけは(西尾先生は)無言のままで返事をなさいませんでした。そもそも安倍晋三という人には本当にやりたい事なんてあるのだろうか?という根源的な疑念をお持ちだからではないか...と、勝手に推察致しております。
さうでしたか。私は先生が返事をされたとも、されなかつたとも意識しませんでした。
吉田さんはずゐぶん丁寧に視聽されたのですね。「こんな稀有の人の発言を、一言でも聞き漏らす訳にはいかないではありませんか!」の心構へですね。滿腔の敬意を表します。
そして、「勝手」な「推測」にも、滿腔の敬意を以て贊成します(本當のところは先生に伺はなければ分りませんが)。
坦々塾の新年會ではよろしくお願ひします。
池田俊二様
管理人様のコメント承認がなかなか得られず、1~2日表示されなかったようです。コメント欄への出席率が悪いので罰が当たったのでしょう。反省しております。
>「『安倍さん大好き保守系知識人』の影響でしょう」とまでは買ひ被れません、官邸をも、「・・・知識人」をも。
政治家諸氏、特に安倍さん周辺の方々の使う語彙やレトリックが少しずつ向上している、保守系知識人の方々が主張してきた事実・論理が少しずつ引用されるようになっているのは確かだと思いますよ。勿論、池田様ご指摘の通り、彼らの思考の根本は骨の髄まで染み込んだ戦後民主主義なので、向上・改善といっても限界がありますが。それでも、進歩が無いよりずっとマシです。前回の坦々塾で西尾先生が小池百合子氏を評して「歴史問題等に関する保守系学者の最新の論考などもよく読んでいるようだ。そういう素直に学ぶ姿勢だけは評価できる」という趣旨のことを仰っていましたが、安倍さんから下の世代くらいの国会議員の方々にも同じような傾向があると思います。
「こんな稀有の人の発言を、一言でも聞き漏らす訳にはいかないではありませんか!」の後に、「ですから皆様、ぜひ坦々塾にご参加ください」と書くべきだったと、今になって思いつきました(笑)。新年會でお目に掛かるのを楽しみに致して居ります。
日本に於いては「神」とは「みおやの神」であり、「千早ぶる神のひらきし道をまたひらくは人のちから」である。
(『学術維新原理日本』)
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幹二先生!!今朝の朝日新聞のコラムを読みましたよ!明日も楽しみです!!
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17.12/14
16:23 ,
子路。
遅ればせで恐縮ですが、先日12/7のBS-8Chプライムニュースへの私なりの感想を以下の通り記してみました。
西尾先生は、『保守の真贋』の主題(保守の根幹である歴史と国土保全・国防・移民制限・皇統継嗣などに関わる深刻な危機感と覚悟が、安倍総理と総理を支持する保守論客に欠落している状況を糾弾)を縷々述べられましたが、衛藤参院議員の「現実は簡単ではなく段階を踏んで保守の実現を図るしかない」との発言、また、紹介された視聴者の感想メール「理想を言っても始まらない。段階を踏んで保守の実現を図るしかない」に象徴される、一見現実主義的大人の感覚の世論?に負けたような雰囲気が漂ったように感じ、それは番組中の衛藤参院議員と反町キャスターの暖かいがやや冷笑的苦笑いが象徴していると思いました。これはまた、日本の思想と政治状況の根本が如実に露呈しているように感じました。
私は、先生の問題意識、焦燥を理解しているつもりなので、歯痒い思いが募り、なぜこうなのか、これをどう打開すべきなのかを少し考えてみました。
まず第一の大きな原因は、事態の深刻さの認識の違いにあるように思います。
例えば国防問題に関しては、早急に防衛予算を3倍にしかつ憲法を改正しネガティブリスト戦時法制整備をしなければ、50年以内に中国に併呑される可能性が高いことを認識していないからで、その認識があれば悠長に大人の議論などを気取ってはいられないと思います。
皇統嗣継承に関しては、男系皇統途絶の場合の日本の消失に至る認識。
歴史認識問題に関しては、日本人の精神の毀損と外交毀損と思想敗戦の認識。
移民問題に関しては、その不可逆性と中国の存在から日本の消滅に繋がるとの認識。などなど
この認識問題の打開策としては、具体的に各問題と危機を同定し構図と仕組みを明確にして説得してゆくことが重要だと思います。そうすれば、半分くらいの人々は事態を理解し、早急な対策に賛同すると思われます。 しかし残り半分近い人々は、そのような説得に反論すると思われます。そんな「日本」などなくなっても構わないとの趣旨で。 これが第二のより根本的な原因かと思います。
その第二のより根本的な原因は、ワンワールードのグローバリズムやコスモポタリズムのリベラル思想に由来していると思います。 あの「正義の話をしよう」のサンデル教授が示したように、リベラリズムに対するコミュニタリアズム≒ナショナリズムの相反の問題が横たわっていると思います。
この問題を解く鍵は、西尾先生やサンデル教授がその様なリベラリズムを排し、コミュニタリアズム≒ナショナリズムを是としていることにあると思います。 その論拠は説明がやや難しそうですが、世界の潮流はそちらに靡きつつあるようで希望は持てると思うのですが・・・・・
いずれにしても、二段構えの準備が要り、難物で手間がかかりそうで・・・・・楽観できず気が滅入ります。