平成30年の年賀状

賀正

 現代世界の諸問題に囚われ過ぎて生きることは人間の弱点かもしれないと思うようになった。私は現代を研究する二つの勉強会を主宰し、月刊言論誌九冊の寄贈を受け、新聞やネットの方面も気懸かりで、家の中は到来する本を山積みにした気の利かない古書店のように乱雑である。

 耳がまだ聞こえるうちに少しでも良い音楽を聴いて死にたいと名演奏家を世界の涯てまで追いかけていた法律家の友人が四月死亡した。私は眼がまだ見えるうちに入るので、何とかパウル・ドイセンの『ヴェーダ・ウパニシャッド60篇』を読み込みたいと祈願している。これは金沢大で宗教哲学を教えていた友人が、ショーペンハウアーとニーチェを結んだドイセンの大業に直接に触れずしてどうして君は死ねるのか、とオランダで入手したドイツ語原本(第二版1905年)を私に寄贈してくれたものだ。一年前にその友も亡くなった。吉祥寺で二人で食事をした店の前を昨日も私は漫然と歩いていた。

平成30年 元旦  西尾幹二

「平成30年の年賀状」への5件のフィードバック

  1. ;

    幹二先生、こんばんは!!

    安倍政権を痛烈に批判したい、そう謂う息吹と、
    今一つ政権が間違っているのに、誰も抗言出来てい無い もどかしさを感じます。

    「 陽春白雪は、國中属して和する者、数十人に過ぎず。」

    俺は未だ勉強中故に語る語彙も浮かばず、短文でチョコチョコ書き込むのみですが。
    人とはこう或べきだよね!_と謂う理想は何となく分かります。

    俺は、ナラズ者の様な恰好で地元を楽しんでいますが、
    高いスーツを纏った者達が、汚い言葉で国会で野次を飛ばしている。

    子供の手本で或べき大人がですよ??

    ・・それってさ、そこらの不良と中身は何が違うの??と、素朴な疑問。

    *

    18/02/04 01:04

    子路

  2. わが好敵手への別れの言葉

    蓋棺事定といいますが、西部邁追悼記(正論3月号・西尾先生)を拝読し、氏をどう評価すべきか惑うところです。追悼の言葉は最初に登場した佐伯氏のように美辞に終始するのが普通ですが、ここでは西部氏の光と影の全貌が表されたように思えます。

    朝生やパリでの西部氏の議論は、好敵手ながら天晴れだったが、「新しい教科書」では味噌を付けたということなのでしょうか。教科書問題は日本の将来を決する天王山とも思っていますので強い関心を持って池田様、石原様、鈴木様のネットの断片を注意して読んでいますが、もし西部氏も又、”後足で砂をかけ”、 ”泥水をかけ”たのであれば、所詮は保守の贋物として振い分ける人物だったことになります。

    病のため拳銃自殺を目論んだと聞き、妙に親近感を覚え、ネットで主権回復記念日の講演会のスピーチを聞いてみると、西尾先生にも通底する情理を備えた憂国の正論であり、今回の自裁では、故国に絶望し石を抱いて入水した屈原にも擬えましたが、本物の屈原であれば如何なる方面でも胡乱な言動はしないはずであり、詳しいいきさつは素より知りませんが、その一事で全人格が判断されるのでしょう。社会的影響力のある故人の消極的評価は事実であれば之を書き残すことは必要であり、根拠なき中傷にあらざれば傷む心の発露でもあると思われます。

    これも偶然昨夜、西部氏と大学の同級だった方から、当時の氏の直話として、「資本論を読んだのは学生運動で逮捕された獄中だった。ただ騒ぎたいだけだった」と聞きました。しかしその後左翼の仲間を離れ保守に転向したときには、納得できる動機や弁明があったのでしょうか。死を選ぶほどの病魔に取り憑かれたのは葛藤や無理のストレスが祟ったのでしょうか。

    舛添要一のエピソードに2回触れられていますがこのエピソードだけで彼が心貧しく品性の卑しい人物であり戦後大衆民主主義の鬼子であることが分かります。東大教授になり一時的にせよ都知事にもなれたのは、彼が氷山の一角で、結局日本と日本人が、学界も政界も、腐っているからであり、舛添氏以外に御同様の亡国の鬼子が政界にも多数蔓延っているため、日本社会を劣化させ、人間性に信頼できるエリートが排除される結果、日本の国際的声価を落としご近所からも舐められているように思えます。

    「平成30年の年賀状」から屈原の「挙世皆濁我独清、衆人皆酔我独醒」を連想しました。亡くなったお二人の人生は見事だったと思いますし、そのような人が同時代に存在したことを嬉しく感じました。健康を保ちつつ、体力の限界まで、現代の諸問題に最期まで囚われ発言し続けるのが現代の屈原かも知れません。

  3. 西尾先生は(なんとなくですが)人間像が美しいというか、生き様が美しいという感じがします。
    こういった感情をもつ知識人は幾人かいますが、たとえば小林秀雄などにも同様の感覚があります。
    そういえば朝日新聞は鹿島茂という仏文学者に「ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて」という著作を書かせて出版してましたが、書店で読み、あまりの内容の無さに脱力しました。
    こういう風に左翼としては目の敵のように攻撃され、最近は大学入試でもあまり使用されなくなり、また最近の若い人にも関心が薄くなってきた小林秀雄ですが、なにがそんなにいいかというと、まず人物像が美しいと強く感じます。
    対談集や全集を読んだり、講演テープを聞いたりして浮かびあがってきた人物像です。これはうまく言いあらわし得ない概念です。知的に明晰とか潔いとか、そういう観点以外の感慨です。これは時代が変わっても後世に伝わるものではないでしょうか。
    西尾先生も美しく感じます。以前の飯田橋の講演会でさっぱりとしたお声と肝のすわったお姿は美しいと感じました。
    そういえば正論の故西部氏への追想おもしろく読みましたが、西部氏にはあまりそういった感慨を感じませんでした。いろいろなものと格闘したんだろうなという雑多な遠い印象だけです。
    そういえば父が一年間の闘病の後に亡くなりました。父の闘病を見て病院との付き合い方も重要と思いました。手術か緩和措置かの選択、また苦痛をやわらげることが生きる機能の低下につながるなど身体機能の複雑なものを感じました。生きる執念は最後まであり、残り寿命がわずかとなっても見舞いに行くと父はガッツポーズをしてくれました。人間ですから弱音を吐くこともありました。
    亡くなると心のなかで生き続けます。縁起でもないことをすみません。
    お元気で長生きをして頂きたいです。

  4. お久しぶりです。
    あきんどです。

    最近の日録のコメントは、みなさん優秀すぎて、かえって私はここいらで周りから批判を覚悟で書き込みます。

    私が思う西尾先生にはあるが西部氏にはなく、西部氏にはあるが西尾先生にはない・・・そんな角度から書きます。
    でもあまりうまく書けないかもしれませんのでご容赦ください。

    私が西尾先生に一番感じている部分は、「戦う姿」です。
    西部氏は一見闘っているようで実は世渡りが上手い方かなという印象があります。
    一方西尾先生はそういったことを本来切り捨てている方で、しかしそうではあっても公共人という意識は絶対あって、「文学」という分野でどうやってそれを表現すべきかを将来も追い続けている方だと認識しています。

    これが西尾先生にはあるが西部氏にはない部分だと思うんです。
    いやとんでもない、西部氏だってそれは最低限あるよ・・・という批判が即座に起こり得るのは覚悟して書いてます。
    でも私にはそれが「NO」という結論になってしまうのです。

    西尾先生はあくまでも「文学」を追求し、その視野から世界を評していますが、西部氏はそこが浅い。つまり持論の根底を易々とあからさまにする傾向がある。
    でも西尾先生はあくまでも文学者ですから、「持論」を追求する。
    他者の言をかみ砕くだけにとどまらず、批判も含めて自分の世界をしっかりと語る。
    ここが西尾先生の魅力的なところで、西部氏にはそれを感じられない。
    西部氏は我々に語るその機軸は「ハウツー人生」としてしか語ることがなかったという印象があります。
    彼はいつもそうですが、人生論を主体としていて、その象徴は「国民の道徳」に象徴的です。

    一方西部氏の魅力はと言うと、その人生論そのものです。
    人間なら自然に生まれるだろう「反抗」の精神。
    そして同時に育んでいる「道徳」というもう一つの精神。
    どちらも自分で育てなければ「人生論」は成り立たないという彼の持論。
    彼はいつも率直にそこに論を持っていく。
    そのことの痛快感はたしかに彼の魅力であり、同時に人間的幼さをも感じ、それが災いに転じたり、その逆人間的魅力に通じたりする。

    この辺から西尾先生と西部氏の比較が生みやすくなると感じる。

    文学の世界で自分に軸足を置くのはどうしても避けられないし、それがなければ価値がないのは当然だが、読者にそれを意識させてしまうのは残念で、普通に構えている読者にとっては、西部氏の語りはいやらしく感じる。

    断定的に語らせていただきましたが、普段から私は彼のその部分が気になって仕方がなかった。
    西尾先生ならズバッと批判する部分を、彼は一旦その発言者に寄り添ってから持論を語る。彼にはある意味その上手さがある。
    今の時代それを評価する意見が横行している。
    本当は彼がそれを一番嫌っている立場のはずなのに、彼はそれを自分で演じてしまう。

    結局彼は人間の弱さを許す人生だったのかもしれない。
    生きている間はそのことへの反骨心を軸にして、いろんな角度から語ったが、行きつくところは人間の弱さに甘えてしまったということなのか。
    最愛成る妻に先立たれてしまった人生。
    そうした感情を隠そうとしない生き方。

    たぶん西尾先生が唯一真似できない部分がそこにあるのではないかと、勝手に推測するあきんどです。

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