別冊正論 非常高齢社会

「最近の一連の仕事をまとめて」の(D)別冊正論が発売されています。

私も今早速読んでいます。

誰でも年は取ります。今高齢の人ばかりでなく、
もうすぐ高齢になる人、
また高齢になる近親者がいる人にも、
是非読んで欲しい内容ばかりです。

西尾論文は
「老いと病のはざまで―自らの目的に向かい淡々と生きる」です。

日録管理人長谷川

「別冊正論 非常高齢社会」への3件のフィードバック

  1. 別冊正論のインタビュー記事については特に申し上げることはありません。
    6月の産経新聞正論欄に掲載された「トランプ外交は危機の叫びだ」の論点がいかに正鵠を射たものか、いよいよ明らかになったという感を深くします。
    トランプが「人権や民主主義の危機などという理念のイデオロギーには関心がない」という指摘については、トランプ政権からウイグル弾圧批判の声が上がり始めたことがトランプ自身とどう関係しているか、新たな論点として本気で展開して行くつもりがあるのか、今後に俟つほかはないだろうと思われます。

  2. 「言論の衰退は止まず」(『正論』11月號)拜讀しました。

    うしろの2ページから少し引用させていただきます。

    先生は10年前、「言論雑誌がなぜ今日のような苦境に陥ってしまっ
    たのか、本質的に、これはイデオロギーの災いであると私は見てい
    ます」とお書きになりました。

    そして今、「今も言論雑誌はリアリティをとらえる『極度の精神的な緊
    張と触覚の敏感さ』に欠け、イデオロギーに逃げ込んでないか。私は
    そう憂うるものです」とお書きになります。

    かういふ風潮の淵源についてーー
    「日米開戦回避のための交渉にあたった特命全権大使の来栖三郎
    は、帰国後の昭和十七年十二月に日本人に対して講演し、アメリカ
    側の戦争目的についてはっきりと『戦後の世界を米国又はアングロ
    ・サクソンの頤使の下におかんとすること』『彼等はわが国をして独立
    国として再び立つ能わざる如き境地に転落せしめんとするものであり
    まして・・・』と語っていました」

    「日本を独立させず、征服下に置こうというアメリカの意思は公開され
    ていました。日本もそれを承知で受けて立った。それなのに、いざ敗
    戦というリアリティにさらされたとき、いけないのは戦後の日本人で、
    彼らはなぜこのようなことになったのか、これからの自分たちがいか
    にあるべきかを考える恐ろしさに堪えかね、『アメリカは民主主義の
    教師だ』『科学文明の母だ』などという、容易に現在の自己を肯定で
    きる観念、つまりイデオロギーに逃げ込んだのです」

    「日本の言論は今また、その愚を繰り返そうとしています。憲法九条
    二項削除を先送りしようとしている政治家や言論雑誌、言論人を見
    れば分かります」

    「本来、憲法改正は戦力不保持と交戦権の否認を定めた二項を削
    除しなければ論理矛盾に陥ります」

    「しかし、安倍首相がそのままにして自衛隊を明記する条文を書き
    加えるという提案をすると、彼らはそこに飛びつきました。万が一
    改憲案が国民投票で否決されたら怖いから、国民各層に受け入れ
    られ易い案を作るというイデオロギーに逃げ込んでしまったのです」

    「安倍首相はあれだけ一生懸命言いながら結局は、やらない、やる
    気がない。これだけ憲法改正の機運が高まりながら、できないとな
    れば、もうこの後は、どの内閣も手を出せないでしょう。つまり、憲
    法改正を永久に葬るのと同じ結果になってしまいます」

    「今の日本人は、国全体が大きく動き出すことを何かどこか心の底
    で恐れていて、必死になって全員でそれを押さえています」

    「国外はすさまじい勢いで変化し、嵐が吹き荒れているので、動き
    出さなければならないということには気がついているのに、自分が
    旗を振って何かをする、先鞭をつけることだけは嫌がる。言論人を
    見ていると、特にこういう人が多い」

    「現状のままに認めるしかないというイデオロギーに逃げ込んでい
    るだけです」

    やらやれ、とんでもないところに來てしまつたのですね。
    先生はもちろん、安易な處方箋などお出しになつてゐません。私
    などが思ひつくのは、さういふ不愉快な現状をしかと認め、自覺す
    ることが第一歩、その先にしか明りは見えない、といふ、これまた
    陳腐な科白くらゐのものです。

    「言論の衰退」はたしかに目を覆ふばかりですね。この『正論11
    月號』にしても、新聞廣告で、先生のお名前を見つけたので、本
    屋に行つて買つて來ましたが、他の記事には殆ど魅力を感ぜず、
    たぶん讀まずに終りさうです。タイトルと筆者の名を見ただけで、
    また、あの人が、あのことを、いつもと同じやうに・・・とげんなり、
    一向に食指が動きません。

    一つの記事以外には目もくれずといふ點では、昔 福田恆存「常
    識に還れ」(昭和35年ー60年安保の年ー・『新潮』)や同じく「象
    徴を論ず」(昭和34年・『文藝春秋』)などを新聞廣告で見つけた
    時と同じですが。

    冒頭に先生は、「読者は存在するのです。雑誌が、読者の要求
    に応えていないのではないでしょうか」といふ御自身の十年前の
    お説を引いてをられるが、これはライターの立場から、まづ雜誌
    に責任を問うてゐるので、讀者の方の責任も別途問題にすべき
    ではないでせうか。

    雜誌が面白くなくなつたことは間違ひないでせうが、それとは別
    に、一讀者としての自分を考へると、著しく「精神的な緊張」を缺
    いて、期待も感激も薄くなつたことは認めざるを得ません。その
    理由が何か、晩蒔きながら、考へてみるつもりです。

    如何なる國民も自分たち以上のレヴェルの政治家を持ち得な
    いやうに、雜誌のレヴェルは讀者のレヴェルの正確な反映で
    はないでせうか。

    (追記)『あなたは自由か』の發賣は、前は十月中旬とされてゐ
    ましたが、本稿では十月五日となつてゐます。繰上げられたの
    でせう。「最近の一連の仕事をまとめて」の中では、勿論これが
    メインでせう。それが樂しみといふより、私には讀み切れないの
    ではといふ不安を抱きつつ、今まで待つてゐました。『別册正論
    32號』その他から得た事前情報は、かなりむつかしく、一筋繩
    ではゆかないことを示してゐるからです。蹤いてゆけなかつたら
    どうしよう・・・。あと四日。

  3. 久々に投稿します。
    まずは、西尾先生お身体の調子はいかがですか。
    いろんな苦難があったようですね。
    先生の御年を鑑み、色々感じなければならないという意識があります。

    私は先生に色んなことでお世話になりっぱなしで、それに対して何もお返しが出来ていないのが現実で、それなのに今もこうしてただ先生の教えを伺うだけが精いっぱいで、自分では何も事が起こせないだらしない生き方しかできていません。

    色々なご病気に合いながらも、それに負けない生き方を貫いていらっしゃる先生の生き方こそ、私にとっては最大の鑑であります。

    私ができること、それは「国民の歴史」という作品を、より多くの国民に知らせることだと思っています。それをいかに実現できるか。それが私の生きるテーマです。
    はたしてどれくらいのことができるのか、まったくわかりません。
    なにも残せないかもしれない。でも、何かを残せるかもしれない。

    現実社会でこれを伝えることは非常に難しいです。でも私はあえてその方向で死ぬまで貫こうと思っています。
    何故なら、生きた言葉があって初めて言葉は通じると信じているからです。
    ギリシャ神話の伝道師みたいな生き方ができるかどうかはわかりませんが、言葉のポイントを常に「国民の歴史」におくことで、その効果は違ってくると思います。

    うざったいくらいにそれを意識しながらこれからの人生を歩んでいきたいと思っています。
    私にはそれしかできません。

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