「最近の一連の仕事をまとめて」の(D)別冊正論が発売されています。
私も今早速読んでいます。
誰でも年は取ります。今高齢の人ばかりでなく、
もうすぐ高齢になる人、
また高齢になる近親者がいる人にも、
是非読んで欲しい内容ばかりです。西尾論文は
「老いと病のはざまで―自らの目的に向かい淡々と生きる」です。日録管理人長谷川
「最近の一連の仕事をまとめて」の(D)別冊正論が発売されています。
私も今早速読んでいます。
誰でも年は取ります。今高齢の人ばかりでなく、
もうすぐ高齢になる人、
また高齢になる近親者がいる人にも、
是非読んで欲しい内容ばかりです。西尾論文は
「老いと病のはざまで―自らの目的に向かい淡々と生きる」です。日録管理人長谷川
別冊正論のインタビュー記事については特に申し上げることはありません。
6月の産経新聞正論欄に掲載された「トランプ外交は危機の叫びだ」の論点がいかに正鵠を射たものか、いよいよ明らかになったという感を深くします。
トランプが「人権や民主主義の危機などという理念のイデオロギーには関心がない」という指摘については、トランプ政権からウイグル弾圧批判の声が上がり始めたことがトランプ自身とどう関係しているか、新たな論点として本気で展開して行くつもりがあるのか、今後に俟つほかはないだろうと思われます。
「言論の衰退は止まず」(『正論』11月號)拜讀しました。
うしろの2ページから少し引用させていただきます。
先生は10年前、「言論雑誌がなぜ今日のような苦境に陥ってしまっ
たのか、本質的に、これはイデオロギーの災いであると私は見てい
ます」とお書きになりました。
そして今、「今も言論雑誌はリアリティをとらえる『極度の精神的な緊
張と触覚の敏感さ』に欠け、イデオロギーに逃げ込んでないか。私は
そう憂うるものです」とお書きになります。
かういふ風潮の淵源についてーー
「日米開戦回避のための交渉にあたった特命全権大使の来栖三郎
は、帰国後の昭和十七年十二月に日本人に対して講演し、アメリカ
側の戦争目的についてはっきりと『戦後の世界を米国又はアングロ
・サクソンの頤使の下におかんとすること』『彼等はわが国をして独立
国として再び立つ能わざる如き境地に転落せしめんとするものであり
まして・・・』と語っていました」
「日本を独立させず、征服下に置こうというアメリカの意思は公開され
ていました。日本もそれを承知で受けて立った。それなのに、いざ敗
戦というリアリティにさらされたとき、いけないのは戦後の日本人で、
彼らはなぜこのようなことになったのか、これからの自分たちがいか
にあるべきかを考える恐ろしさに堪えかね、『アメリカは民主主義の
教師だ』『科学文明の母だ』などという、容易に現在の自己を肯定で
きる観念、つまりイデオロギーに逃げ込んだのです」
「日本の言論は今また、その愚を繰り返そうとしています。憲法九条
二項削除を先送りしようとしている政治家や言論雑誌、言論人を見
れば分かります」
「本来、憲法改正は戦力不保持と交戦権の否認を定めた二項を削
除しなければ論理矛盾に陥ります」
「しかし、安倍首相がそのままにして自衛隊を明記する条文を書き
加えるという提案をすると、彼らはそこに飛びつきました。万が一
改憲案が国民投票で否決されたら怖いから、国民各層に受け入れ
られ易い案を作るというイデオロギーに逃げ込んでしまったのです」
「安倍首相はあれだけ一生懸命言いながら結局は、やらない、やる
気がない。これだけ憲法改正の機運が高まりながら、できないとな
れば、もうこの後は、どの内閣も手を出せないでしょう。つまり、憲
法改正を永久に葬るのと同じ結果になってしまいます」
「今の日本人は、国全体が大きく動き出すことを何かどこか心の底
で恐れていて、必死になって全員でそれを押さえています」
「国外はすさまじい勢いで変化し、嵐が吹き荒れているので、動き
出さなければならないということには気がついているのに、自分が
旗を振って何かをする、先鞭をつけることだけは嫌がる。言論人を
見ていると、特にこういう人が多い」
「現状のままに認めるしかないというイデオロギーに逃げ込んでい
るだけです」
やらやれ、とんでもないところに來てしまつたのですね。
先生はもちろん、安易な處方箋などお出しになつてゐません。私
などが思ひつくのは、さういふ不愉快な現状をしかと認め、自覺す
ることが第一歩、その先にしか明りは見えない、といふ、これまた
陳腐な科白くらゐのものです。
「言論の衰退」はたしかに目を覆ふばかりですね。この『正論11
月號』にしても、新聞廣告で、先生のお名前を見つけたので、本
屋に行つて買つて來ましたが、他の記事には殆ど魅力を感ぜず、
たぶん讀まずに終りさうです。タイトルと筆者の名を見ただけで、
また、あの人が、あのことを、いつもと同じやうに・・・とげんなり、
一向に食指が動きません。
一つの記事以外には目もくれずといふ點では、昔 福田恆存「常
識に還れ」(昭和35年ー60年安保の年ー・『新潮』)や同じく「象
徴を論ず」(昭和34年・『文藝春秋』)などを新聞廣告で見つけた
時と同じですが。
冒頭に先生は、「読者は存在するのです。雑誌が、読者の要求
に応えていないのではないでしょうか」といふ御自身の十年前の
お説を引いてをられるが、これはライターの立場から、まづ雜誌
に責任を問うてゐるので、讀者の方の責任も別途問題にすべき
ではないでせうか。
雜誌が面白くなくなつたことは間違ひないでせうが、それとは別
に、一讀者としての自分を考へると、著しく「精神的な緊張」を缺
いて、期待も感激も薄くなつたことは認めざるを得ません。その
理由が何か、晩蒔きながら、考へてみるつもりです。
如何なる國民も自分たち以上のレヴェルの政治家を持ち得な
いやうに、雜誌のレヴェルは讀者のレヴェルの正確な反映で
はないでせうか。
(追記)『あなたは自由か』の發賣は、前は十月中旬とされてゐ
ましたが、本稿では十月五日となつてゐます。繰上げられたの
でせう。「最近の一連の仕事をまとめて」の中では、勿論これが
メインでせう。それが樂しみといふより、私には讀み切れないの
ではといふ不安を抱きつつ、今まで待つてゐました。『別册正論
32號』その他から得た事前情報は、かなりむつかしく、一筋繩
ではゆかないことを示してゐるからです。蹤いてゆけなかつたら
どうしよう・・・。あと四日。
久々に投稿します。
まずは、西尾先生お身体の調子はいかがですか。
いろんな苦難があったようですね。
先生の御年を鑑み、色々感じなければならないという意識があります。
私は先生に色んなことでお世話になりっぱなしで、それに対して何もお返しが出来ていないのが現実で、それなのに今もこうしてただ先生の教えを伺うだけが精いっぱいで、自分では何も事が起こせないだらしない生き方しかできていません。
色々なご病気に合いながらも、それに負けない生き方を貫いていらっしゃる先生の生き方こそ、私にとっては最大の鑑であります。
私ができること、それは「国民の歴史」という作品を、より多くの国民に知らせることだと思っています。それをいかに実現できるか。それが私の生きるテーマです。
はたしてどれくらいのことができるのか、まったくわかりません。
なにも残せないかもしれない。でも、何かを残せるかもしれない。
現実社会でこれを伝えることは非常に難しいです。でも私はあえてその方向で死ぬまで貫こうと思っています。
何故なら、生きた言葉があって初めて言葉は通じると信じているからです。
ギリシャ神話の伝道師みたいな生き方ができるかどうかはわかりませんが、言葉のポイントを常に「国民の歴史」におくことで、その効果は違ってくると思います。
うざったいくらいにそれを意識しながらこれからの人生を歩んでいきたいと思っています。
私にはそれしかできません。
武士の
無き世に放つた
言の太刀
来しかた紡ぎし
西尾の言の葉
十字架の
歴疑いし
あの人と
虚無の行く末
憂うは似ていて
最新刊の「渡部昇一 対話 西尾幹二」、こうしてお二人の肉声を髣髴とさせる形で読むと、随所に鋭利な洞察が示されて改めて学ぶところ多く拝読した次第です。
まず、ここで扱われているテーマは現在の問題でもあるということです。
第1章「敗北史観に陥った言論界」で論じられた「諸君!」を廃刊した文藝春秋社の問題は、今の新潮社で繰り返され、一層深刻化していると思われます。それは第8章「人権擁護法が日本を滅ぼす」のではないかと深刻に危惧された状況が決して過去のものではなく、ポリティカルコレクトネスと言葉狩りが未だ猖獗を極めていることと不気味に響き合っております。教育問題も、いよいよ病膏肓に入り、たとえば就職協定の廃止の際に経済界からあがった声に窺われるように、新自由主義に拠るビジネス論理の横行は留まるところを知らず、大学教育そのものの大切さは一顧だにされていない始末です。
以下、本書の主調低音と思われる箇所を引用することをお許しください。
「『諸君』にしても『WiLL』にしても『正論』にしても敵がいないわけではない。敵ははっきりといるのですよ。日本国家を自立させるという目的の邪魔になるものは、敵です。日本はある意味でまだ属国ですから、『独立』という目的を掲げて、反米でもなければ反中でもなく、親日だという筋を一貫してとおすスタンス、主張は厳としてあるのです」(西尾、以下敬称略。p21)。
「私は自らを主張しない民族はやはり滅亡すると思いますね。生きるということはそういうことだと思います」(西尾、p135)
「二十一世紀には戦争が起こらない代わりに、二十世紀の戦争についての歴史認識をめぐる国際的な大ディベートが起きて、それが戦争の代用として国益を決めていくのではないか」(西尾、p157)。
「戦争以外の国家間の争いというのはいわば民事訴訟のようなもので、自分の言い分というものを国内的にきちんとしておかないと、外国からどこまでもつけこまれるということを自覚しない政治家、思想家が多すぎますね」(渡部、p158)。
「日本はいうならば民事訴訟で相手を沈黙させることができる論理構成を韓国にも、中国にも、アメリカにも、イギリスにも完璧にできるんです。ですから向こうもおいそれと歴史認識なんて言いださなかった」(渡部、p159)。
「現在の日米の同盟関係の絆を固くしていくことと、過去―もう半世紀も前の歴史となった二十世紀の戦争―を解釈するうえで日本が自己本位の見地を貫くということは、言葉あるいは思想において少しも矛盾していないんです。自己本位の姿勢を維持すれば、かえって同盟国の敬意を買うんです。
緊密な同盟関係を維持しつつ、かつ過去の認識においてはアメリカに譲歩しないという二重性―それはこれまで深く傷つけられていた国家本能というものを日本が回復するということであり、別段、反米になるわけではないのです」(西尾、p162)。
「日本としては『真実は反復に耐える』という方針で、倦むことなく歴史の真実を繰り返し中韓に対して説いていくべきだと思います」(渡部、p188)。
西尾先生ご自身が他の場でおっしゃったように、これをJapan 1stの姿勢と呼んでもよいのでしょう。そして、東京裁判史観の否定、ドイツと日本の全く異なる戦争、ドイツ人の自己欺瞞と今後、第一次大戦後の欧米のスローガンのうそ、有色人種への差別、日本への理不尽きわまるいじめが明晰に語られ、強い説得力を持っております。「解説」で西尾先生が「ヨーロッパの『文明』神話みたいなものを信じた愚かさが日本の歴史の中に強く認められる」とのご指摘のとおり、本書を始め、近著「日本の『世界史的立場』を取り戻す」や「あなたは自由か」は欧米と欧米の思想家を相対化し、われわれに思考の自由をもたらすものであります。
一点、 以下二つの西尾先生のご発言をどうとらえればよいかご教示いただければ幸いであります。
「中国戦線についても、不拡大方針を唱えながら、結局深入りしてしまう。だいたいあれだけの大国を制圧できるとは思っていないのに、ズルズル戦線を拡大してしまった。しかも、興味深いのは、拡大してから、とってつけたようにスローガンが追いかける。あちから『五族協和』とか『八紘一宇』といったスローガンで、既成事実を糊塗しようとした、ドイツに比べると、まさに政治行動が無計画、無方針だった証拠ですね」(p82)。
「これは昭和十七年二月十七日の朝日新聞、すなわちシンガポールが陥落した直後ですが、『首相インド独立に援助惜しまず インドネシアの希望を尊重』とはっきり書いてあります。細かく申しますと『ビルマはビルマ人の建設を積極的に行なう』、『インドは英国の支配から脱却せしめて独立の地位を与える』『インドネシアはオランダの圧政より開放して、その地域をインドネシアの安住の地に足らしめる』と、それから『豪州及びニュージーランドは無益な戦争を避け、我が日本の信用を公正に理解する限りは、協力を惜しまない』云々というような言葉ではっきりと記しています。これは当然、擬制―半分真実で半分プロパガンダ、一種のフィクションとしての真実、真実とフィクションの真ん中ぐらい、それを擬制といいますが。」「いってみればどんな政治的主張もしょせんは擬制なんです。それは英米側も同じです。当時、英米側には日本と戦う戦争理由というのはなかった。で、日本にはこれだけ立派な名目があった。名目にすぎないといったって、日本には名目があったけれど、英米側にはそれがなかった。なぜならば、英米は一貫して自分たちの中国およびアジアにおける権益を放棄しようとしなかったからです」(p124-125)。
中国戦線は無計画、無方針でずるずると拡大し「五族協和」や「八紘一宇」は後から既成事実を糊塗しようとしたスローガンに過ぎないが、東南アジアにおける日本の戦争は擬制(半分真実で半分プロパガンダ)としての目的があったのであり、二つは分けてとらえなければいけないということと存じます。翻って、「五族協和」「八紘一宇」には「擬制」としての真実はなかったのでしょうか、先生にパラフレーズしていただければそれにまさる幸いはございませんが、あるいは諸賢の教えを乞う次第です。
半分の眞實、半分の嘘
土屋さんの先生に對する、「『五族協和』『八紘一宇』には「擬制」としての真実はなかったのでしょうか」といふ御質問に、私が代つてお答へするつ
もりも能力もありませんが、御自身の「後から既成事実を糊塗しようとしたスローガンに過ぎないが、東南アジアにおける日本の戦争は擬制(半分真実で半分プロパガンダ)としての目的があったのであり」といふお言葉からして、御自身では、さういふ「眞實」があつたと考へてをられることは明かなのではないでせうか。私も同樣に考へます(論證拔きの ”感じ ”ですが)。
それをわざわざ「質問」されたのは確認のためでせうか。
申し譯ありませんが、私はお説につなげて、少し違ふことを述べたいと存じます。
「五族協和」「八紘一宇」に「半分」づつ眞實と嘘を感じますが、私が不
滿で、嫌惡さへ覺えるのは、これを唱へた人々がかなり本氣になつてしまつたのではないかと思はれる節にたいしてです。つまり、その裏にあるべ圖々しさや智慧、洞察力を缺いてゐたのではないかといふことです。
日清戰爭時の陸奧外務大臣は「朝鮮は我隣邦なり我國は多少の艱難に際會するも隣邦の友誼に對し之を扶助するは義侠國たる帝國として之を避くべからず」「我國は強を抑へ弱を扶け仁義の師を起すべし」といふ” 輿論 ” に乘つたにもかかはらず、陰では、「余は毫も義侠を精神として十字軍を興すの必要を視ざりし」 「朝鮮内政の改革なるものは第一に我國の利益を主眼とするの程度に止め 之が爲め我利益を犧牲とするの必要なし」 とうそぶき、 ほくそ笑みました。 ーーこれをJAPAN FIRST などと呼ぶといかにも安つぽくなりますが。
かういふ裏と表の使ひ分け、表では平然と嘘をつく能力は、國家の命運を預る要人には必須のものでせう。あの頃、かういふまともな外務大臣を持ち得たことはしあはせで、日本といふ國はまだまともでした。
「五族協和」「八紘一宇」を唱へた人たちには、それほどのふてぶてしさが感じられません。ひよつとすると、彼等は(なにがしかの眞實はあるにしても)、嘘をついてゐるといふことを忘れてゐた(それほど日本人が變質してしまつた)のではないかといふ疑ひを拭へません。
忘れてゐたとすると、自分を騙したことになります。それには、西尾先生の「他人の目を瞞すことは、ときには生産的でさへありますが、自分で自分を瞞すことには救ひはありません」といふ重要な箴言がぴたりとあてはまりさうです。
とすると、あれ以來の我が國の歩み・今のていたらくが理解できるやうな氣がします。「救ひ」がなくて當然といふことです。
妄言多謝。
池田様
コメントをくださり厚く御礼申し上げます。
西尾先生は既に過不足なく表現されているわけであり、「パラフレーズ」をお願いするなど童蒙の心得違いです。先生の発言を受け、読者が自分で勉強し考えるべきであります。
陸奥宗光については、「蹇蹇録」を近代日本の大文章の一つと思っております。そこに描かれた朝鮮は今に変わらぬ半島の姿を示しております。
話題が変って申し訳ありませんが、ここで「あなたは自由か」の感想を
書かせて下さい。
多少長くなることをお許しください(黒ユリ)
「あなたは自由か」を読んで
この本が発売されてから程なく、amazonのサイトには、早々と数人の
レビューが公開されていた。その中の一人は、この本を安易な気持ちで読
めば全身火達磨になり大火傷を負うだろうと書いているが、同感だ。
目次を見ると、一見著者がこれまで論じてきた様々なテーマを繰り返して
いるだけのように見える。ところが実際に読んでみると、読者は講義室で
哲学概論や文学概論、また歴史学概論を聞いているような気分になる。また、
現代を論じたと思えば、ヨーロッパ中世に立ち戻るなど、色んな場面へと引
き回されるかのようで、戸惑ってしまうだろう。
しかしよく読んでみると、一見無関係のように見える話題でも、ロンド形
式の楽曲のように、その底には同じ音色が流れていることが分かる。その基
調となっているキーワードとは、タイトルにある「自由」の外にもう一つ、
「奴隷」だ。我々現代人が大好きな「平等」などという言葉は、上記二つの
言葉に比べたら、二次的なものでしかない。
しかもどこを読んでも、現代日本に生きている我々が直面している危急の
問題が真正面から提示され、また誰もが心に引っかかっていても、うまく
言葉にできない事柄を鋭く抉り出し、読者の前に突き付ける。そして何より
も読者は、自分自身を忘却することだけは決して許されないことに気付く
のである。
例えば最後の第7章では、「さて、宗教改革とキリスト教の運命はわが国
に無関係ではなく『あなたは自由か』は不可避的に日本人であるあなたに向
けられているのです。近代史において西洋文明の受容を引き受けたわが国
のどの点において、どの範囲において、またどの方向においてルターとエラ
スムスの論争は私たち日本人にまで関わってくるかを次に考えねばなりま
せん。」(P348)と言う。一体これはどういうことなのだろうか?
その前に、ルター(1483~1546)がどんな考え方をしたかを知っておかねば
ならない。例えばその有名な『キリスト者の自由』は、以下の命題を唱える。
“キリスト者はすべての者の上に立つ自由な主人であって何人にも従属
しない”。
“キリスト者はすべての者に仕える僕(しもべ)であって何人にも従属
する”。
そしてそれがイエス・キリストから与えられた自由だと言う。ルターは、
なぜ一見矛盾するかのように見えるこれらの厳しい命題を掲げたのだろ
うか?それは以下のように説明される。
「時代が近代に入口にさしかかり、エラスムスのようなギリシャ=ローマ
の古典の知恵を身につけた開明主義者も立ち現れている時代に、『個人』の
内面の確立を言うのに、ルターは理性に訴える常識的立場はもはやとれな
いと判断したのでしょう。各人の心の奥に隠されている闇を突く自己否定
の論理をもってするしかなかったのでした。ただ彼が確信していたのは、
一神教としてのキリスト教の信仰を選ぶのにあれかこれかではなく、どこ
までも単なる『自己』ではなく、“私”に自覚を迫り、単なる『個人』では
なく、“私”の選択に待つべきということであります。『近代』の確立とは
そういうことでありましょう。」(P360)
この“私”とは、「認識する主体であるところの私だけは認識できない」
(P320)その“私”のことだ。
「マルティン・ルターの犀利な眼識は、いわゆるプロテスタントによる
『近代』の自主意識を切り拓いたとされますが、彼の宗教改革が単なる
解放の自由であるはずはありません。自己の『不自由』の認識を深い処で
据え直し、根源からの問いであったがゆえに歴史を動かし得たということ
は間違いありません。」(P348)
ルターのこの「究極の不自由を知ることによって自由になる」という厳
しい在り方について、私が最初に思い浮かべたのは、日本の特攻隊員だ。
無論キリスト者の自由とは全く意味が違うし、当然その心情も異なるだろ
うが、その生き方は似ているのではないだろうか?
特攻隊員が最後に叫んだのが「天皇陛下万歳」か「お母さん」かは分から
い。しかし特攻隊員だった人々の話を聞くと、「皆死ぬのだから」「悔しい
けど俺が行かなくて誰が行く」「あの時死んでおけばよかった」など、生と
死のギリギリの挟間での苦しい心情が伺える。そこには、よく言われるよう
に強制されて仕方なくとか、宗教的な狂気に駆られて、という単純な事情で
はない何かがあるように思える。つまり特攻隊員たちの精神を背後で支え
ていたのは、少なからぬ識者が指摘しているように「懐かしい故郷」「家族」
「祖国」だったに違いない。
それに対し、キリスト者を背後で支えるものとは、「主イエス・キリスト
から与えられる自由」ということになるのだろう。
問題はここからだ。なぜなら我々日本人には、もとよりこうした「西洋
キリスト教文明圏における自由の観念がなかった」(P354)からだ。
それでも日本人なら、国家存亡の危機の時代に、例え自らの命が失われ
ても、代りに家族や祖国が生き残って後を継いでくれるなら悔いはない、と
いう気持ちが分かるのではないだろうか?なぜなら「『自由』はあくまでも
自分の属する民族の歴史の具体的展開における、『決断』の瞬間以外には発
現しえないもの」(P256)だからだ。
ところが抽象的な「神が与えてくれる自由」のために命を捧げても、その
自由は一回きりでしかない。よしんば死に至らずとも、キリスト者として
行為すればするほど、その人はますます孤独になるのではないだろうか?
そもそもどうして西洋では、やたらと「自由」という言葉が出て来るのだ
ろうか?
そこでルターを生んだ西洋とは一体どんな所だったか、著者は以下のよ
うに説明する。
まずは「奴隷制」だ。この制度は奴隷から見れば、「自分のやりたいよう
に振る舞うことは一切できない」ということであり、逆に自由人から見たら、
要するに「嫌なことは他人にやらせる」ということだろう。
環境はと言えば、「西欧の地域は大略七世紀から十六世紀まで文盲の多い、
荒れ果てた野蛮の地となり果てていました。十四–十六世紀はことに飢饉と
病気と戦火に見舞われ悲惨な情況でした。これが西洋史の起点であります。
そもそも西洋は中世に始まり、古代ギリシアとは直接関係がありません。」
(P351)
「中世を通じヨーロッパは安定したキリスト教支配の時代だった、と日本人
は簡単に考えていますが、そうではありません。四世紀のゲルマン民族の
大移動とともに、ことに北方は多神教風土に蔽われていました。洞窟や樹木
に聖性を見るアニミズム、神秘や怪異などに寄せる民俗的な宗教、無敵の
英雄の活躍するゲルマン神話等々が生動していた地域でした。」(P356)
私は以前、この時代を題材としたアメリカ映画「ブレイブハート」を観た
ことがある。これは13~14世紀に生きたスコットランドの英雄ウィリアム
・ウォレスを描いたものだが、イングランド人とは異なり、スコットランド
人が掘立小屋みたいな家に住み、粗末な衣装を着ていたのが印象的だった。
それでいて、ウォレスがフランス語もラテン語も解する教養人であること
も示される。いずれにしても、あれが本当だったら、当時の日本の民衆の方
がよほど豊かだったのではないかと思った。
この「ゲルマン民族の大移動で、ローマ帝国が崩壊してゆく」という点だ
が、それは具体的にはどんな状況だったかを、我々はよくよく想像してみる
必要がある。現代日本でも、特に大都会では、昔と違って多くの外国人が住
むようになったので、中世ヨーロッパがどんな環境だったか、少しは理解で
きるはずだ。例えば、東京のある街を歩けば外国語が飛び交い、生活習慣が
全く違うため、従来からの住民とのトラブルも絶えない、などという噂には
事欠かなくなった。それでもまだ多くの人が「何となく、昔とは違ってきた
なぁ」くらいにしか思わないのは、まだ本国人の人口が勝っているからにす
ぎない。
しかし仮に今の日本よりもっとひどく混乱して無秩序な街の様子が、生れ
てこのかた「常態」だったとしたらどうだろう?例えば、お正月を祝うのに
異教徒に遠慮して、こっそりとずっと遠方の神社まで行かねばならないとし
たらどう感じるだろう?
実際中世のヨーロッパでは、キリスト教だって、その他大勢の中の一つに
すぎなかったのだ。「神秘主義的哲学として知られるグノーシス主義、イラ
ンに生まれたゾロアスター教、太陽崇拝のミトラ教、これらをつき混ぜたよ
うな徹底した二元論教義を有するマニ教。パレスチナを発祥の地とするユダ
ヤ教およびキリスト教はこうした数々の宗教の一つにすぎなかったのです」
(P356)。
そんなマイナーな宗教でしかなかったキリスト教が、如何にしてほとん
どヨーロッパ全土、後には地球規模で勢力を伸ばすに至ったのだろうか?
他方、西洋とは別に近代化を成し遂げたはずの我が国は、現在、歴史認識
を代表として、まるで卑屈なせむし男のように、下から人々を見上げ、何か
につけ謝り続けている。この違いはどこから来るのだろうか?
それにグローバルの名の元に、これからも移民が増え続けたら、我々の
神道も仏教も数ある宗教の一つに転落し、この日本列島も我々の国土では
なくなり、中世ヨーロッパのように、様々な民族の宗教や利害が対立する
だけの場になる危険性があるのではないだろうか?
こうして、第7章で提起された問題、「西洋文明の受容を引き受けたわが
国」が、「宗教改革とキリスト教がたどった運命とは到底無関係ではあり得な
い」ことが、日本の現状一つを取っても納得できる。
というのも日本人が好むと好まざるとにかかわらず、我々が受け入れた
文明とは「征服のための手段であり方策」(P313)だったのであり、また
その信仰・暴力・科学など、近代西欧のさまざまな構成要素は中世にすで
に形成されていたからだ。
例えば現代人から見ればバカバカしいと思われる錬金術も、その方法論と
それに拠る実験の多くは、アリストテレスの考え方に基づいていた。その
結果、一獲千金を夢見る山師たちが身上をつぶすなど、数えきれない犠牲を
生んだが、その中から後の科学の発達に貢献するいくつかの発見もなされた
ことが知られている。
さて本書は、「自由」の意味を問うことから始まり、西洋と我が国を対比
するという姿勢を維持しつつ、歴史的に「自由」がどのような現象として現
れて来たかを主に記述してきた。しかし第6章までの内容は、すべてこの
最後の7章に集約されると言っても過言ではない。
西洋とは関係なく近代化した民族がいた、それが我が国だ。特に今年は
明治150年を迎え、お祝い気分で盛り上がっている。しかし西洋の「自由」
の観念を持っていなかった我々が、如何に近代化することができたのか、
それを当の我々は、本当には理解していないのではないだろうか?
いやそれ以上に多くの人の心に重くのしかかっている事、それは、自分
たちが今どうして軛につながれたように不自由なのか、という疑問ではな
いだろうか?
こうした疑問を携えながら、この著書は一見欧米を主題にしているように
見える。でも本当は、我々日本人がこれまで平面的でモノクロの影絵のよう
にしか見ていなかった祖国の姿を、舞台の仕掛けである幕を引きはがして、
背後にいる内外の演技者たちの立体的な動きを見せることにより、自国の
真の姿を、我々の眼前に晒すためだったのである。
では著者は、如何にして我々日本人の眼前の煙幕となっていた仕掛けを
暴いたのだろうか?
この問題を理解するためには、近代的自我とは、そもそも具体的にはどう
いうものかを、今一度我々日本人は確認しておく必要がある。それはつまる
ところ、「根源的不安の克服こそ近代だ」と著者は言う。不安とは恐怖の別
名でもある。
何でも、不足すればするほど欲しくなるのが人間だ。また知識においても、
知れば知るほど、ますます「何故」と問いたくなってくるのが我々である。
しかも不足していた側のヨーロッパはイスラム教徒から、他方日本は中国
大陸から、様々な知識を学ばねばならなかった。その結果、当然ながら両者と
も「本当の事」に行きつくまでに、数多くの難関を通過せねばならなかった。
なぜならヨーロッパ人が聖書の原典を読むためには多くの外国語を知る
必要があったし、日本人も漢語と言う外国語で古代中国の文献を読まねば
ならなかったからだ。
ところが時間が経つと、両者ともある重大なことに気付く。宝物のように
尊重していた文献も、それらが伝えられる過程において、ある不特定の個人
或は複数人の主観が入っていると考えざるを得なくなったのだ。さらに日本
の場合は、中国の社会制度や法制を知れば知るほど、自国との違いを痛感
するに至った。これでは「本当の事」は知りようがない。ではどうするか?
「本当の事」を知るためには、まずは自分の五感を使って確かめることが
必要で、しかもどこまでも自分自身だけを頼りに前進するしかない。もはや
過去のように他人の手を経た学問を習得して満足するわけにはいかなくな
ったのだ。
こうして江戸時代の17世紀には、むしろヨーロッパに先駆けて、文献学
や近代解釈学にも似た方法論が出現した。この辺の事情は『江戸のダイナ
ミズム』に詳述されている。
そんな地道な努力の中から生まれたのが国学であり水戸学だった。これら
の学問によって、他の国のどことも違う独自の皇室を頂く我が国には、独特
の歴史があったことに気付いたからこそ、「自己の存在価値の確認、同時に
世界の歴史の中で自分がどこにいるのを確かめようとする試み」(P221)も
生まれ、またそれが可能となったのだ。これが日本人としての民族の目覚め
であり、「天皇という普遍を背にした」近代的自我の発現である。
つまり江戸時代の18世紀から、こうした準備があったからこそ明治維新
があったのであって、明治維新があって日本は近代化したのではないと著者
は言う。
ところが一方、あのヨーロッパはといえば、「十六世紀の科学革命がつけ
加わって、地球上の他の地域に対し怖いもののない自己中心の拡大運動体」
(P361)となっていた。
こうした所業の背景にあったものとは、あの「キリスト者の自由」だろう
か?否、究極の不自由を知ることにより、自己放棄して自由になる、という
ルターが唱えた崇高な理想とは裏腹に、歴史上現実に行われた事とは、内外
での厳しい異端審問であり、十字軍とその後の「力ずくでの境界の拡大」
(P358)だった。
そんな状況下にあっても、近代的自我に目覚めた我が国は、ついに日本列
島まで魔の手を伸ばしてきたヨーロッパ勢力を迎え撃つ心の準備はできて
いた。ただし、そこにはある重大な落とし穴があったと著者は言う。
それはカトリック教会が、以前の「寛容」の美徳をかなぐり捨ててでも、
強烈に意識していた相手、イスラム教勢力の存在を、明治の指導者が見落と
したことだと言う。
そしてこの事が、現代の我々の首を真綿で締めるように、不自由にしてい
る事につながっていることが、しだいに明らかとなる。
第7章はあたかも心理劇のように、近代西欧が誕生するメカニズムが描写
される。そして「歴史を動かし得た」本当のものとは、教科書で習う明るい
「解放の自由」でもなければ、「ヒューマニズム」でもなく、実は「意志の
不自由」と「宿命」だと著者は言うのだ。
先述したように近代とは「根源的不安の克服」であった。人間の何よりも
積極的な感情とは不安や恐怖であると、これまでも著者は繰り返し主張して
いる。その事は、第3章の「支配する側は奴隷が怖い」「じつは独立戦争前
のアメリカがそういう状態だった」(P131)という部分にも表現されている。
7世紀前半から18世紀前半の約1千年間も繁栄したイスラム世界に対し
地中海の内側に閉じ込められたヨーロッパは、信仰、暴力、科学という武器
を片手に「巨大な軍事的政治的勢力になって」「徐々に反撃に転じた」(P366)
というその姿が、すなわち西欧近代の本当の顔だったのだ。
より詳しく言えば、「文化的にも政治的にも制縛されていた、そこからの
解放が近代であり、相手から自らの古代像を奪い取る」(P371)という力ずく
の行為や運動そのものこそが近代の意味なのである。それは日本と中国の勢
力争いの姿でもある。ここでは、文明もまた征服のための手段や方策であり、
キリスト教もそれに全面協力した事は言うまでもない。
ところが我が国はそんな「両勢力均衡のこの全地図」(P368)を見ること
なくヨーロッパの自画像と基準のみを受け入れ、彼らを固定したお手本とし
て今に至った。ヨーロッパの「表芸」だけしか見ない日本人の傾向もここか
ら始まっている。だからこそ、現代中国が日本に対して行っている様々な挑
戦の意味も理解できないのだ。
しかし国学や水戸学を誕生させた先人たちはそうではなかった。日本は
その他のどことも違う皇室を頂く独自の国であることを理解していた彼ら、
殊に本居宣長は、自己主張が必要なことを知っていた。
なぜなら「そうしなければ圧倒する外の基準に規定され、近い山々の面
白い風景にさえぎられて、遠景にぼんやり見える日本人の魂が見失われて
しまいそうに思えたからに相違ありません。」(『江戸のダイナミズム』P239)
そもそも、ルターの言うキリスト者としての自己放棄や他人に対する奉仕
も、それらの行為の判断の基準は一体どこにあるのだろうか?他者をも自分
をも同時に生かすという気高い行為を目指しても、他者がそれを望んでいる
と、なぜ分かるのだろうか?だからこそ、仲介なしに直接聞いた神の言葉と
いっても、その解釈はたった一つであり、すなわちそれは自分自身の解釈で
しかない、つまり独断であると批判されたのだ。
それと同様に、戦後我々のことを、有無を言わさず「侵略者」と呼ぶのは
誰かが、まるで自身をGPSから地球を眺める神様或は宇宙人に見立てて、
高飛車に他人を裁く独断でしかないのではないか?或は、奴隷をこき使う
ように、自分の都合に合わせているだけなのに、それを「人類のため」とい
う美名で誤魔化しているにすぎないのではないだろうか?
のみならず、それ以上に問題なのは、現代の我々が、「人類」とか「普遍
的」などの美しい言葉に幻惑されて、それらに対する疑問すら抱くことが
出来ないほど、知力が衰えてしまっていることだ。
その証拠に、戦前の日本人は「人類」と「天皇」が矛盾するものではない
と知っていた。「『尊皇』は広く国民の通念であって、『人類』の思想とも調和
し、共存し、一体となって日本の発展に寄与すればよいという考え」(P224)
だったからだ。
この著作は「あなたは自由か」と一人一人に問いかけた。近年は、様々な
研究者の努力によって、歴史上我が国に嵌められた数々の罠の存在が暴かれ
ている。ただ個人としてできることは、宣長が指摘した「道なき道」「古代
日本からずっと伝わっている日本人の心」を、じっと耳を澄まして思い起こ
すことではないだろうか。自ら近代化をなしとげた我々に、それが出来ない
訳はないのである。 (完)
大変お久しぶりです。
先生、ようやくたった今「あなたは自由か」読み終えました。
正直難しかったです、今回は。先生のあとがきにもそれを思わすコメントが書かれていましたね。自由と歴史をどう結び合わせるべきなのか…というか、題名の問題を解き明かすには他の方法もあったという先生のお言葉に、私は内心「そうだよな、この本に書かれているような方向だけが王道ではなく、他にも表現は色々許されて当然なんだろうな」というのが率直な思いです。
今こうして書き込みしている段階でも、何を書こうかなという迷いがいつもより大きいというのが正直な気持ちです。色んな切り口があることはわかっていても、どの手段を選んでもどうやってまとめるべきか、本当に難しいです。
しかし、それはある意味何を書いても許されるということも一部含まれて入れ、そのことはつまり永遠に議論されるべき問題の提起でもあるのではないでしょうか。
もしかすると、明日と明後日で自分の中で意見がぶつかりあうこともあるかもしれません。それくらい読み手にとっては断言する決断を躊躇させる作品だといえるのかもしれません。
私はそこでおもいきって提案なんですが、この場を借りていろんな議論が生まれるべきなんではないかと思うんです。これをきっかけに大いに語り合おうじゃないか。時には先生も参加されて語り合える場が生まれたら、平成最後の大論議となりうる可能性があると思います。
そこでまずこのビデオをご覧いただきたいのです。
2016年正月に放送された「チャンネル桜」に出演した西尾先生の映像です。
先生はここで、今回の作品の中心をなす問題に触れています。
これをまずご覧いただくことで、まだ本を未読の方もご参加いただけるのではないかと思いましてアップさせていただきました。
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?m=201601
私のつたない文章力で今回の作品を総括するのはおこがましいと感じた次第でして、それならいろんな議論の中で自分の気持ちを語る方がいいのかなと思いました。
出来れば多くな方々に「あなたは自由か」を読んでいただきたいです。
こんな壮大なテーマだというのに価格は何とたったの1100円です。
正直申し訳ないくらいに価格と内容の不釣り合いを感じてしまう内容です。こんなに安く色んなことを認識できていいのだろうかというのが率直な気持ちです。
いつだったか忘れてしまったんですが、たしか先生から頂いた年賀状だったと思うんですが、こんな文面があったんです。
「私ほど自由な人間はいません・・・」と。
つまり先生は何物にも縛られて生きていない証です。
自由に書ける。これこそが物書きの最大の武器です。
実際はかなり縛られて書かされている方が多いと言うことを表現したかったんだと思います。それに気づかずに書いている論壇もいると言うことも書きたかったんだと思います。
つまり「あなたは自由か」という題名にはいろんな言葉を当てはめることが可能だと言うことになります。
例えば「あなたは自由に歴史を語れますか」とか、「あなたは自由に国家を語れますか」も有りでしょう。もしくは「あなたは自由に生きていますか」でもいい。
沖縄の皆さん、あなたは自由に生きていますか・・・と言う具合に。
この作品は大きなテーマで切り込んでいますが、あまりに自由すぎる世界に陥らないように、「歴史」を題材にこのテーマを拘束しています。
それはつまり何を言いたいかというと、「自由」というのは「不自由」となってはじめて意識できる感情であり、これを意識する手段はいろいろありますが、今回は歴史というロープで拘束して「自由」を意識しようじゃないかという大まかなあらすじの中で展開されていきます。
そうすると不思議なくらいに現実とマッチするんです。
自由なんてそんなに限定できるものではないだろうから、歴史の枠にはめ込んでしまって大丈夫なのか・・・という不安が最初に読み手を襲いだします。
それはかなり後半までつづく不安で、クライマックスは一体どうなるんだという期待と不安が読者に迫ってきます。
西尾幹二はいったい何を語ろうとしているんだろう・・・そういう疑問が単純に読者を襲うわけです。
そこで気づかなければならない歴史的重要課題が浮かび上がってきます。
それはビデオの冒頭にも出てくる、イスラム世界が西洋社会を1000年以上領土を封鎖してきた現実についてです。
そしてもう一つ、日本においては中国大陸による歴史的束縛がやはり1000年以上に渡って繰り広げられ、ヨーロッパと日本は、そうした苦しみの中で共通した苦難を経験してきた歴史共通理念が存在していることに着目しなければならないと展開します。
ただし日本という国家体系は2000年間継続してきた事実があり、ヨーロッパはたかだか500年しか経験していない。この差をまず認識しながら西洋500年史が重要なカギを握っていることを示唆します。
西洋の歴史はイスラム社会が数百年間保存してきたことを、日本人の殆どが認識していなく、西暦4、5世紀から15世紀のあたりまで、西洋の歴史がが存在していない歴史的事実は元より、その間のイスラム社会をまったく意識せず、ほとんど無視してきた現実に我々は本当の世界史を語る資格が存在するかどうかという疑問を提示します。
彼らの言語はもちろん、彼らの人間社会の仕組み、そして本当の感情は常に意識の外にあります。
それはある意味日本が西洋に傾注しすぎている証でもあり、世界的規模からいえば日本人の本当のバランス感覚はそこには存在しません。
簡単な表現で言えば「かたわ」です。
ところが宗教自体がそもそもそれを後押ししてきたという歴史的事実があって、その宗教に心を捧げている人間の生きざまは、かたわにならざるを得ない宿命を背負っていて、もともとの構造が「自由」とはかけ離れた場所で生き抜く運命から逃れることは不可能だと断言していいのでしょう。
つまり自由な人間は存在しない、その観点で言えば西尾先生の「私ほど自由な人間はいない」という断言は、理論上間違っているということになります。
しかしそこが重要ではあっても本当の問題ではなく、イスラム社会や中國大陸の歴史は、そこに対峙する国家にとっては重要問題ですが、対峙していない国家にとっては問題がほとんどないというのがおおまかな考え方です。
細かいことははぶきましょう、大方そうだという認識をご理解いただきたい。
そのとき浮かび上がるのが、日本はイスラムに疎く、西洋は中国に疎いという事実。
西尾先生はここに着目し重点を置いています。
歴史的決断の中で日本が西洋にすり寄ったことは、大方間違いではなかったが、しかしその代償もあったのは間違いないことで、歴史はこのように限られた路線の中での選択を余儀なくされるという現実であることを、よく認識しなければならないと訴えている。
もうすでに人間は宿命の中から飛び出すことは不可能なのだ。だがしかし我々はその宿命の中の自由を声高に主張する。
いや、もっとひそやかにそれを主張していると言うべきかな。
人間はその宿命を不思議なくらいに検知して認識できる生き物でもある。
この世の一番の不思議といえばそのことだと言い切ってもいいだろう。
おそらくこの認識においては国境は存在しない・・・。
私が『あなたは自由か』に難澁した理由
ーージェットコースターに乘せられて
『あなたは自由か』をやつと一度だけ讀了しました。全體を見廻して感想を
述べることは、まだできさうにありません。ジェットコースターから降りて、どうやら眩暈がをさまつたところです。
コースターから降りたのは、一卷の終りだけではありません。途中で降りる
か、あるいは止めて、バックして同じ場所を再度通つてみて、ああ、ここはか
う繋がるのだと確認した上、安心してアップダウンの心地よさを味はひもしま
したが、その中身を十分に我が糧とするには、何度か讀み返す必要がありさう
です。
内容を論ずるところまではゆかないので、コースターの昇降に、かくたじろ
いだといふことしか申せませんが、そんな個人的な話をあまり長くやつては申し
譯ないので、一例を擧げるに留めます。
『江戸のダイナミズム』の場合、厖大な數の登場人物が活々と活動し、時
に内面も見せてゐて、孔子の心の中までいくらか見えたやうな思ひがしたの
とはかなり違ひます。あちらも、必ずしもやさしい本ではないけれども、初め
から、砂に水が沁み込むやうに、中身がこちらに快く傳はつてくると感じつ
つ、讀み進んだのに・・・。
日録で先生御自身が「近年の私には少し無理だった力業」「私の一生をか
けて語りつづけた本来のテーマがこの一冊に凝縮されています」とおつしや
つても、さう恐れはしませんでした。これは本格的だな、さぞ讀みごたへがあ
るだらうと身構へるくらゐの氣持でした。
恐れを感じ始めたのは、『別册正論 32』のインタヴィウで、やはり先生の
「写真も図版も豊富にいれているんです。ちょっと驚かすような並べ方、例え
ばギリシャの奴隷出身の哲学者エピクテトスと、『国富論』を書いたイギリス
のアダム・スミス、それからオランダの公法学・国際法学者のフーゴー・グロ
ーティウスと後期水戸学の藤田幽谷というように並べて、ついぞ例のない捉え
方で論じています」といふ冒頭のお言葉を讀んだ時です。
その少し先の「私はいつでも、評価してくれる相手に対しては拒否します。
つまり、神様以外にこの地上で私を評価するものはないんですから、神が
いなければ私が私を評価するしかない。結局は評価できないということで、
それは救いがないことになる。そこから自由の自覚が芽生える」あたりで、
かなり不安になりました。 おつしやるとほりなのでせうが、氣の小さい私に
は少々脅威です。 インターヴィウアー も「難しい話になりますね」 「ふーむ
ーー」と、恐れをなしてゐる感じです。
あとがきの「私というものはたしかに実在するが、歴史はひょっとして実
在しないのではないかという空恐ろしい思いに襲われることがある」に至つ
て、こちらも空恐ろしくなつてきました。
暗示にかかつたやうな氣持で讀み始めましたが、案の定、先生が例示され
た部分で迷ひました。
光圀によつて始められた水戸學(についての、先生の講義を拜聽するの
はこれが初めてではありませんが)が、彼の死(1701年)によつてい
ったん止まり、1786年藤田幽谷によつて再興され、脱皮・發展する樣
が簡潔に敍せられて、私が忘れてゐた、以前の講義も蘇り、水戸學なるも
のの眞髓に觸れた思ひがしました。
「光圀の死までの事跡を前記水戸学といたしますと、藤田幽谷以降を
後期水戸学というふうにも括れます」
「前期水戸学の時代はアメリカのピルグリム・ファザーズの時代、入植
者が続々と東海岸に入ってくる時代です。そして後期水戸学が展開され
る時代はアメリカが独立戦争から南北戦争へ向かっている時代に相当
します」
幽谷は「ほぼモーツアルトの同時代人」か、ナポレオン帝政の少し前
あたりかなと、頭の中で位置付けができます。これはありがたい。
「幽谷の、この次の言葉がすごいんです」
「『日本は古より君子・礼儀の邦と称す。礼は分より大なるはなく、分は
名よりも大なるはなし、慎まざるべからざるなり』と。これは何を言って
るかというと、林羅山が明国に使いをするときに、将軍家を王と言った。
新井白石は朝鮮への外交文書に将軍を王と呼んだ。これは許せないと言っ
てるんですよ。そしてそう言ったあと、『慎まざるべからざるなり』と言
い放ったのは誰に向かってかといえば、松平定信に向かって言っている。
十八歳の小商人の倅が『あなた、お慎みあそばせ。慎まないんですか。そ
んなこともわかってないですか』。これから総理大臣になる人に向かって
とんでもないことを言った、これはぎょっとさせる言葉です。ああ、つい
にこういう言葉を言い放ったんですね。私はおもしろいなあと思い、また
感動もしました」
先生が感動されるのですから、私も當然感動します。
「幕末が動いたのはここからです。しかも少年を支えたのは天皇へ
の忠誠です。日本の歴史の正統性の宣揚でした。天皇はここでは、彼
を支えた普遍的な真理の別名でした」
ここに至つて、私は一層感動しました。「普遍的な真理の別名」と
は、言ひ得て絶妙! (同じ「普遍」でも、日本國憲法の稱する「人類
普遍の原理」や、安倍總理大臣の言ふ「普遍的價値」の淺ましくも空し
い安つぽさとはなんたる違ひ!)。
そして、「藤田幽谷は天皇を背にして幕府と戦いました。あの時代
にして最大級の『自由』の発現でした。私たちもまた天皇を背にして、
世界に、国際社会に、『人類』の名を掲げるグローバリズムに、怯む
ことなく立ち向かうことが『自由』の発展であるように生きることをた
めらう理由がありましょうか」といふお言葉に、幽谷は、後世に無二の
知己を得たりと會心の笑みをもらすであらう、自分もその心をなにがし
かでも我が心にしたいなどと、殊勝な感慨にふけりました。
そこまでは、自分では問題がないつもりです。さらに、同じ章の少
し前に、グローティウスのことが書かれてゐたと思ひ出したことにも
問題はないでせう。遡つて見ると、次の記述があり、私をこれをかな
り正確に覺えてゐました。
「『正しい戦争と不正な戦争の区別がある』(聖アウグスチヌス)の
ような、四ー五世紀人の厳格な他罰的な考え方が意識されるようになり
ます。そしてフーゴー・グローティウス(1583-1645年)が新
しい考え方を持ち出し、国際社会の戦争観を整理しました(「戦争と平
和の法」1625年刊)。彼はわゆる国際法の開祖といわれ、明治日本にも
彼の国際法は『万国公法』の名で知られ、大きな影響を与えました」
「個人は不正の側に立つべきではない、とも言いました。明らかに不正
と分かる戦争には国民(個人)は参加すべきではない、たとえ国家に対
する不服従の罪を犯すとしても、と」
「グローティウスは『私は圧迫されている異民族があれば圧迫者に対し
て戦争を行使することができると考える』と言っています。異民族を圧
迫する悪い国家は攻略してよいというのです。国家主権への侵害、内政
干渉をあえて主張しているのです」
これは私には、比較的見やすい部分です。
この「思ひつき」をアメリカの司法長官 ロバート・ジャクソンが實行
したことも覺えてゐました。
「アメリカ参戦以前の1941年3月、中立国アメリカにとって、イ
ギリスやソ連や蒋介石国民党を支援するための武器貸与法の制定は、国
際法違反ではないかと各方面から問われていました」
「けれども、ジャクソンは、ハーグの規定は第一次世界大戦を経過して
いて古い規則としてすでに廃棄されたと主張し、その論拠としてフーゴ
ー・グローティウスの『人類』の名における正義の戦争観に依拠すると
明確に言い出したのです」
「開戦前の日本にアメリカと戦争すべきではないとの自制はきわめて強
かったのです。しかしながら、世界史のすべての正・不正の認定権をい
かに大国といえども独り占めすべきではないという決然たる覚悟だけは、
日本という国家の伝統の力、皇室をいただく国の根源の力に支えられて
悠然たる意志をもって堅持されていたのです」
「そしてこの司法長官ロバート・ジャクソンこそ、遺憾とすべきことで
すが、ニュルンベルク軍事法廷を取り仕切った筆頭検事であります」
「ジャクソン検事の思想と方針を全面的に継承したのが東京裁判を取
り仕切ったキーナン検事でした」ーーこのあたりは、私には以前から
なじみの深い場面です。昨日、齒ぎしりする思ひでここを讀んだこと
は忘れてはゐませんでした。
でも、それが水戸學とどうつながるのか。思ひ出せませんでした。
それが一番肝腎ではないか。嗚呼! 確認しないわけにはゆきません。
そこで、再度進んで、水戸學講義の初めの部分を讀み直すと、次の
言葉がありました。
「私たちは第二次大戦後、天皇の名において世界に向かって自分を
主張することはできないんだと思い込んでいますが、果たしてそうで
しょうか。天皇は最初から地方性ないし特殊性の概念で、近代的な個
我意識の表現を支えるものとはならないと決めつけられているように
思いますが、そういう考え方自体がドグマではないでしょうか」
「私たちが日本人であることを自覚して、調和ある自我を打ち樹てて
いく上で、天皇の御存在がどこかで深くつながっていた歴史の現実を
見ないで逃げてしまうことはできません」
「そこでそれを検証するよすがに、18世紀の水戸学に目を向けてみた
いと思うのです」
あつ! 思ひ出しました。少年(幽谷)を支へたのは天皇への忠誠で
した 。 そしてグローティウスやジャクソンらの「人類」の名によるグ
ローバリズムが尤もらしく認定する、正義といふエゴイズムに、 天皇
を背にして立ち向かふべし、幽谷・水戸學のあとに蹤いてーーといふ、
先生の御説に同意したではないか。
そして、「日本の近代は蘭学が起こしたんじゃない。自らの内部か
ら発生したものです。儒学の中から国学が生まれて、それから民族意
識を目覚めさせた」 「再生した儒学が後期水戸学へ、日本が日本に目
覚めるのは1700年代後半から1800年にかけてで、世界的にそ
の時代までに精神的ナショナリズムがあった国や地域は全部近代化し
ているのです」に、我が意を得たりと喜んだではないか。
その大事な點がしかと頭に這入つてゐなかつたに過ぎないので、頭
が惡いとか、耄碌したと片づければ濟むことのやうです。
あとがきに「人は歴史を考えるとき、過去から現在へ、現在から未
来へという通俗的な時間観念を念頭に置く。私はそれを壊して、七つ
の相異なる省察を時間的にではなく、並列的に、並べるように書きた
かった。しかし歴史を題材にしていると、私にその意図があってもな
くても、何となく時代順に読まれてしまう傾向がある。いまさら因果
の法則に合わせて歴史叙述をするなんてどうしてできようと思った。
そこで私は、日本史の中の私にとって最も大切な、日本人にとっても
最も厳粛な瞬間をまず選んで、 そこに『自由』の発現を見た」と書か
れてゐるのも前以て讀んだので、時代順でないことは十二分に意識し
てゐました。 その上で、 迷子になるとは!
しかもジャクソン・キーナン兩檢事が幽谷より前に登場したことだ
けが、時代と逆なので、聖アウグスチヌス、グローティウス、幽谷は
時代順に現れます。 とすると、 私がもたついたのは、時代順でないせ
ゐにすることはできなくなります。どうでもいいことですが、意識過
剩になつて身構へてしまつたのがいけなかつたのかもしれません。
そんなことは別にして、同じあとがきの「ルターとかエラスムスの
『奴隸意志論爭』は、『あなたは自由か』のテーマにとって逸するこ
とのできない最も重要な西洋史の深層からの声を運んでくる。そして
すべてを見届けたニーチェがルターを突き放して言い放ったあの一語
こそ、キリスト教を我が運命としない日本および日本人の明日への覚
悟を予告している」との斷言がストレートに胸に響き、先生のこの心
を、いくぶんでも共有したいと考へた次第。
自分でも、何を言つてゐるのか分らなくなつてきました、 ジェット
コースターなどに譬へたのは間違ひでせうが、今、その動き、リズム
にかなり慣れたやうな氣がし、再讀以降はそれを樂しめるのではない
か、『江戸のダイナミズム』と同樣、スムーズに進むのではないかと
期待してゐます。もう一度身を任せてみます。お粗末でした。
(附記1)昨日(11月7日)の産經「正論」の「日本は米國に弓
を引いたのか」を拜讀しました。
ペンス副大統領の演説を意識したことはなく、少くとも、「悲痛
な叫び」とは捉へてゐませんでした。
最近支那の我が國に對する態度が變つたことには、人竝みに氣づ
いてゐました。來日した李克強首相はいつになく殊勝に見えまし
たし、傲慢無禮な王毅外相が屡々作り笑ひをしたり猫なで聲を出
すやうになつた理由は、米中の關係惡化→日本へのすり寄りであ
るといふ程度の、世間の取り沙汰を知つてゐました。
しかし、「今囘の日本の對中接近は間違つてゐる」とまで深刻に
は考へませんでした。安倍首相訪中は李首相訪日へのお返しとい
ふくらゐの輕い意味に受け取つて、それにより「對中接近を圖つ
た」といふ認識はあまりありませんでした。考へてみれば、お返
しをすることは、決して輕い意味ではありませんね。
「3兆4千億圓の人民元と圓のスワップ協定を結んだ。外貨が底
を盡きかけた中國でドルの缺乏をさらに加速させるのが米國の政
策である」
「日本の對中援助は米國の政策に弓を引く行爲ではないか」
「谷内正太郎國家安全保證局長が辯解に訪米したというが、詳報
はなく、日米關係に不氣味な火藥を抱えたことになる」
といふやうなことを、私はよく知らず、從つて、「わが國はとん
でもないことを引き起こした」とまでは思つてゐませんでした。
アメリカはどう感じるだらうかと想像したことはありますが、そ
れほどとは氣づきませんでした。
一つには、最近の自民黨政府にはすつかり諦めてゐるので、考へ
もしなかつたのですが、あの人たちなら、この危ふい事態に氣づ
いてゐない可能性もかなりありますね。力のバランスは大切です
が、「二股」は大抵、最惡の結果を招きますね。
先生の御指摘は有益ですが、私が教へられただけでは大きな意味は
ありません。なんとか、政府に考へ直させる手がないものでせうか。
以前は政府が先生の意見を聽いたことがありましたが、最近あまり
聽かないやうに見受けられるのは殘念です。
(附記2)入管難民法の改正についての論議を耳にします。こ
れも深く考へたことはありませんが、人手不足の解決には、外
國人を入れる(今までと同じ賃銀で)のが一番手つ取り早いで
せうね。もう一つは、日本人を主としたまま、人が集まる程度に
賃銀を上げるといふ方法。
前者は當面やさしいが、先々亡國につながる恐れもありませ
う(ずゐぶん前から、先生が指摘されてゐるとほり)。後者は、
勞賃の體系を變へることになり、難しく厄介だが、日本が健全
に發展するためには、それしかないでせう。
しかし、難易がある場合、易しい方を執るのは最近の政府の
不動の習性ですから、前者の方に進むのは當然でせう。それ
でゐて毎年、春には政府が經濟界に對して、賃上げを要請す
るなんて、いつから社會主義國になつたのかと片腹痛くなりま
すが、諦めが先に立つて、それ以上は考へません。諦めがよ
くないのは當然として、二つの策についての、私の認識も間違
へてゐませうか.