日本は自立した国の姿取り戻せ

産經新聞(平成31年3月1日)正論欄より

 天皇陛下のご退位と新天皇陛下のご即位という近づく式典は、日本人に象徴としての天皇のあり方を再認識させている。昔から皇室は政治的な権力ではなく、宗教的な権威として崇(あが)められてきた。皇室は権力に逆らわず、むしろ権力に守られ、そして静かに権力を超えるご存在であった。

 武家という権力がしっかり実在していて、皇室が心棒として安定しているときにこの国はうまく回転していた。そこまでは分かりやすいが、「権力を握ってきた武家」が1945年以来アメリカであること、しかも冷戦が終わった平成の御代にその「武家」が乱調ぎみになって、近頃では相当程度に利己的である、という情勢の急激な変化こそが問題である。
 

≪≪≪平成は地位落下の歴史と一致≫≫≫

 皇室は何度も言うが精神的権威であって、政治的権力ではない。昔から武士とは戦いを交わすことはなく、武士の誇示する政治力や軍事力を自(おの)ずと超えていた。第二次大戦の終結以後も同様である。しかもその武士が外国に取って代わられたということなのだ。ここに最大の問題、矛盾と無理が横たわっている。さらにそのアメリカはもう日本の守り手ではなくなりつつあり、史上初の「弱いアメリカ」の時代が始まっている。

 平成時代の回顧が近頃、盛んに行われているが、平成の30年間はソ連の消滅が示す冷戦の終焉(しゅうえん)より以降の30年にほかならず、日本の国際的地位の急激な落下の歴史と一致する。冷戦時代には世界のあらゆる国が米ソのいずれか一方に従属していたから、日本の対米従属は外交的にあまり目立たなかった。しかし今ではこの点は世界中から異常視されている。世界各国は日本がアメリカと違った行動をしたときだけ注目すればいい。
 
 わが皇室は敗戦以後、アメリカに逆らわず、一方的に管理され、細々たるその命脈を庇護(ひご)されたが、伝統の力が果たしてアメリカを黙って静かに超えることができたのかとなると、国内問題のようにはいかない。当然である。各国はそのスキを突いてくる。かくてわが国は中国から舐(な)められ、韓国から侮られ、北朝鮮からさえ脅かされ、なすすべがない。

≪≪≪自分で操縦桿を握ろうとしない≫≫≫

 今の危うさは、昭和の御代にはなかったことだ。すべて平成になってからの出来事である点に注目されたい。平成につづく次の時代にはさらに具体的で大きな危険が迫ってくると考えた方がいい。

 125代続いた天皇家の血統というものが世界の王家のなかで類例を見ないものであり、ローマ法王やエリザベス女王とご臨席されても最上位にお座りになるのはわが天皇陛下なのである。125代のこの尊厳は日本では学校教育を通じて国民に教えられてさえいない。そもそもその権威は外国によって庇護されるものであってはならず、日本国家が本当の意味での主権を確立し、自然なスタイルで天皇のご存在が守られるという、わが国の歴史本来の姿に立ち戻る所から始めなければならない。

 天皇、皇后両陛下が昭和天皇に比べても国民に大変に気を使っておられ、お気の毒なくらいなのは、国家と皇室とのこうした不自然な関係の犠牲を身に負うているからなのである。
 ではどうすればよいか。日本国民がものの考え方の基本をしっかり回復させることなのだ。

 アメリカに「武装解除」され、政治と外交の中枢を握られて以来74年、操縦席を預けたままの飛行は気楽で心地いいのだ。日本人は自分で操縦桿(かん)を握ろうとしなくなった。アメリカはこれまで何度も日本人に桿を譲ろうとした。自分で飛べ、と。彼らも動かない日本人に今や呆(あき)れているのである。

≪≪≪憲法改正を飛躍の第一歩に≫≫≫

 もっとも、操縦桿は譲っても、飛行機の自動運航装置は決して譲らないのかもしれない。日本人もそれを見越して手を出さないのかもしれない。しかし問題は意地の突っ張り合いを吹き飛ばしてしまう「意思」が日本人の側にあるのか否かなのだ。

 1945年までの日本人は、たとえ敗北しても、自分で戦争を始め、自分で敗れたのだ。今の日本人よりよほど上等である。この「自分」があるか否かが分かれ目なのである。「自分」がなければ何も始まらず、ずるずると後退があるのみである。

 2009年4月8日に今上陛下が事改めて支持表明をなさった日本国憲法は、日米安保条約といわば一体をなしている。憲法と条約のこの両立並行は、アメリカが日本人に操縦桿を渡しても自動運航装置を決して譲らない、という意向を早いうちに固めていた証拠と思われる。日本国民の過半が憲法改正を必要と考えるのは、逆にまともに生きるためにはたとえ不安でも自立が必要と信じる人が多いことにある。

 日本製の大型旅客機が世界の空を自由に飛行し、全国に130カ所ある米軍基地を撤退してもらい、貿易決済の円建てがどんどん拡大実行される日の到来を期待すればこそである。憲法改正はそのためのほんの第一歩にすぎない。(にしお かんじ)

「日本は自立した国の姿取り戻せ」への15件のフィードバック

  1. 坦々塾の先輩にして畏友の伊藤悠可さんが、この度『もう一人
    の昭和維新 歌人將軍・齋藤瀏の二・二六』(啓文社書房)を上
    梓されました。
    本日それを受贈。かねて西尾先生を初め何人かの方々から、前
    評判をお聞きしてゐたので、やつと!との思ひで、慶びに堪へ
    ません。取り急ぎ、著者に下記の御禮メールを送りました。

    ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
    御新著拜受、忝く存じます。
    これぞ大望久しい大作!
    私に讀み切れるかといふ不安と、もし讀めたら、得るところ
    無限に大きからうといふ期待が半々です。相對するのが樂し
    みです。

    今、あとがきを拜讀しました。

    「齋藤瀏という人が少しずつ好きになった」「また、齋藤瀏の
    短歌には素直に惹かれた。明るく濁りなく技巧のない真っ直
    ぐな歌は、心をきれいにしてくれる」に感じ入りました。
    そして萬一、著者のこの思ひを私もいくらかでも共有できた
    ら、殘り少い一生の、大變な所得だと思ひました。

    「〈二・二六産業〉という名の出版ブームがあった」とは知り
    ませんでしたが、私が北一輝や2・26に興味を持つたのは十
    代の頃です。2~3の本を讀みましたが、やがて、事件の粗筋
    も分らぬまま、所詮は、昭和初期に世を蔽つたマルクシズムの、
    兵營の壁を徹つて沁み込んで變形したものとあつさり決め込ん
    でしまひ、關心を失ひました。

    たしかにこの事件についての書物は汗牛充棟の感がありました
    が、私は手を出さず、三島由紀夫の小説すら讀みませんでした。

    「事件の全ては解明されても、事実関係の枝葉が把握されても、
    それは歴史の出来事の表皮に過ぎない」「表皮を剥がしてみた
    とき、われわれが気づいていない日本人の意識がそこにあるか
    もしれない」ーーそれを少しでも感じることができれば、「表
    皮」にすらしかと觸れたことのない自分としては、この上ない
    しあはせであらうと期待してゐます。
    もちろん、途中で挫折したら、私のレベルを超えた高尚さゆゑ
    と諦めます。

    27日の木魚の會に出席します。お目にかかるのを樂しみにし
    てゐます(それまでの讀了は無理でせうが)。

  2. 「任侠越後の石松」改め、小池広行です! 家族と古里、そして、この国を愛するごく常識的な?ただのおっさんです。引き続きよろしくお願いします。
    「正論」3月1日「日本は自立した国の姿を取り戻せ」に感想をと、池田さんからお誘いを受けておりました。語彙もないし、文章力にもないからと躊躇していたのですが、その理由の他に 2月27,28日の米朝首脳会談の決裂、韓国「3.1独立運動」100周年記念日があっての3月1日だったものですから、何もできない、やらない現政権に苛立ちと、直ぐに諦めの境地となり、悶々としたこともあります。拉致問題にはチャンスとの見方があることも承知、そして安倍首相が金正恩との対談の意向との発言あるもありますが、結局は解決しないとの思いが重なったこともあります。前にも書いた覚えがあるのですが、もしもなんらかの解決のための行動があって(失敗しても)その時は土下座します。 その時は、池田さんも一緒ですよ(笑) 

    憲法改正を飛躍の第一歩に

    もっとも、操縦桿は握っても、飛行機の自動運行装置は決して譲らないのかもしれない。日本人もそれを見越して手を出さないのかも知れない。しかし、問題は意地の引っ張り合いを吹き飛ばしてしまう「意志」が日本人の側にあるのか否か、なのだ。

    このブログ、西尾先生の著書を読み続けている皆さんならご理解頂けると思うのですが、
    先生はもう 諦めておられるのではないかと思う。以下、最近のblogからです。 
    ~~~~~~~~~~~~~~
    「2018年末から2019年初に思うこと」~石を投げ続けても少波ひとつ絶たない泥沼のように静まり返っている。~書き出し~から
    石を投げ入れても効果のなかったこの国への絶望がいかに深いかは、年末に完成した西尾幹二全集第17巻「歴史教科書問題」の以下にお見せする目次を見ていただくときっと了解されるであろう。以下略
    「移民国家宣言」に呆然とする
    四季めぐる美しい日本列島に「住民」がいなくなることはない。むしろ人口は増加の一途をたどるだろう。けれども日本人が減ってくる。日本語と日本文化が消えていく。寛容と和の民族性は内部のところに硬い異物が入れられると弱いのである。世界には繁栄した民族が政策の間違いで消滅した例は無数にある。それが歴史の興亡である。
    ~~~~~~
    本稿の最後には
    ~日本製の大型旅客機が世界の空を自由に飛行し、全国に130カ所ある米軍基地を撤退してもらい、貿易決済の円建てがどんどん拡大実行される日の到来を期待すればこそで、ある。憲法改正はそのためのほんの第一歩にすぎない。~
    国家、国民の強い「意志」がなければ叶うはずもない、昨年の坦々塾での先生のご発言、池田さんの書き込みをそのまま引用しますが「こんな国は地獄に堕ちるだろう」「皇室もなくなるだろう」
    私もそう思わざるを得ない。

  3. ところで、チャンネル桜 の以下、番組はなかなか興味深いものでした。 
    みなさん、分析力鋭く、こういった討論が地上波で 流れればとも思います。
    https://www.youtube.com/watch?v=CHv6BXsQCk4
    (第2回米朝会談とアジアの行方)

    私は 荒木和博さんの冒頭のコメントに共感しました。(19分頃)
    「米朝会談あまり興味がない、ただ、決裂したことは皆さん仰るとおり
    良かったと思う。~日本にチャンスがやってくるだろう(拉致)
    日本が主体的にできるだろうか 安部さんには期待していない。」

  4. 荒木和博さんは過去にこういう論文を掲載しています。

    https://ironna.jp/article/8104

    最後の方にある
    /* 本来トランプ大統領に拉致被害者家族を会わせるというのは恥ずかしいことだ。「拉致被害者の救出は日本がやります。米国も協力してください」と言うべきである。 */

    という文に非常に感銘を受けたことを覚えています。

  5. 岡田 樣

    荒木和博さんは、本来トランプ大統領に拉致被害者家族を会わせ
    るというのは恥ずかしいことだ。「拉致被害者の救出は日本がやり
    ます。米国も協力してください」と言うべきであるーーといふ意見
    なのですね。

    當たり前のことですね。

    でも、萬策盡き、よほど困つた場合に、そつとトランプの袖を引い
    て、「内々に頼みがある。この件でなんとか力を貸してくれないか。
    うまくいつたら、御禮は、ノーベル賞でもなんでも、そちらの言ふと
    ほりにする。ただし、絶對に内密にしてくれよ。あんたに頼んだな
    んてことが、もしも、ほかに知れたら、私の立場がなくなるのだか
    ら」と持ちかけることは、普通の國の普通の宰相にはあり得るの
    ではないでせうか。

    然るに、我が國の總理大臣は「トランプ大統領がきちんと北に傳
    へてくれた由。心強い」と宣ひました。トランプにそれを頼んだこと
    を恥ぢるどころか、むしろ、自分の功績だと言ひたい風情。奴隸
    根性も極はまりましたね。

    序でに。こんなことを言ふと、自分の品性も下りますがーー安倍
    さんがトランプに二度頼んだといふのはほんたうか、何か言つた
    にしても、トランプは居眠りをして聞いてゐなかつたのではとすら
    思つてゐます。

    この座談會で、産經の佐々木類といふ記者は、トランプの記者會
    見の場で、日本人記者が「拉致のことはどうなつた?」と質さなか
    つたことを責めてゐます。拉致被害の當事國でもない米國の大統
    領に、そんなことを依頼したり訊いたりできるるかといふ思ひはな
    いやうですね。

    流石に、安倍廣報局たる産經新聞の記者!そして、敗戰國らしい
    風景! 昭和20年、占領軍を迎へた時の爲政者や記者には、もう
    少し、ピリッとしたものがあつたのではないでせうか。

    西尾先生の「こんな國は地獄に墮ちるだらう」といふお言葉に、遺
    憾ながら同感せざるを得ません。

  6. 岡田様

    ありがとうございます。
    拉致解決を「トランプ任せ」にして恥ずかしくないのか。
    この表題をみて大多数の国民が違和感を覚えると信じたいものです。拉致家族の悲痛な叫びに心を寄せても結局は何もできず、『「安部外交」は現行憲法内でよくやっている』と思っているが多数としたら、もうおしまいです。

    『保守の真贋』あとがきに「安部氏が退陣しても、自民党はなおしばらく日本社会の保守体制として君臨し続けるでしょう。しかし、われわれはいつまでもそれを許してよいのでしょうか。この政党と政治家たちは日本と日本国民の首をゆるやかに絞め続け、やがては窒息死に向かわせてしまうのではないでしょうか。

    3月1日正論の まとめにおいて 大型飛行機も、米軍撤退、円の決済も到底無理であろうと、『憲法改正はそのためのほんの第一歩にすぎない』とは痛烈な皮肉と思いました。

    池田さん

    ありがとうございます。上京のおりまた連絡させて頂きます。

    先日投稿にて ブログ、blog 訂正 → 日録

    以上です。

  7. 横から失礼します。
    国の独立という問題に関係あると思われる、古い新聞記事をたまたま持って
    いたので、ご紹介させて下さい。
    昭和30年(1955)7月の記事で、予備自衛官に関するものです。
    (以下引用)

    「予備自衛官 八、九月に訓練招集 民兵制のテスト・ケース」

     防衛庁では二日、昭和三十年度第一回訓練招集計画を決定したが同庁では将
    来の民兵制度に対する一種のテスト・ケースとしてその実施成績に注目してい
    る。訓練招集命令の第一回実施は、本邦三月~四月にかけて約千五百名の予備自
    衛官に対して行われた。これは昨年七月施行された予備自衛官制度が、現役自衛
    官その他に全く不評判で、法律定員二万名、予算定員五千名に対し、応募者が極
    端に少なくその将来も危ぶまれる状態であったため、とりあえず千五百名の採
    用者にわずか一日間の訓練を行うにとどまった。しかし、三十年度に入ってから
    応募状況が好転、六月一日現在四千三百名に達したのでこのうちから三千五百
    名を厳選して第一次採用を行い、今後さらに数百名の追加採用予定者も含め、本
    格的訓練を行うことになったものである。このため三十年度第一回計画は、八月
    ~九月の間に採用者を全国主要部隊にそれぞれ五日間入隊させて訓練し、火器
    の取扱い、実弾射撃、密集訓練、小規模(判読不明の文字)、軍事学教育等を実
    施する予定である。
                       (昭和30年7月4日 讀賣新聞)

     この記事自体は大変短いし、同時期の他紙やその他の資料を読んだわけ
    でもないので、詳しいことは分かりませんが、「民兵制のテスト・ケース」
    という表現に注目しました。記事では、昭和29年7月から始まった「予備
    自衛官制度」は、翌30年に応募状況が好転した、と書かれています。
    この予備自衛官制度についてウィキペディアでは、「一般の軍隊における
    予備役、大日本帝国海軍における予備員制度等に相当する」となっています。

     ただこの記事によれば、「同庁では将来の民兵制度に対する一種のテスト・
    ケ―スとしてその実施成績に注目している」と書かれているので、少なくと
    も当時の防衛庁の人たちは、将来的には自衛隊は国軍に、その予備役として
    民兵制度を設けるつもりだったのではないかと思いました。もしそうでなけ
    れば、わざわざ「民兵」という言葉を使わないのではないでしょか。
     しかし昭和30年(1955)は、いわゆる55年体制が始まった時ですから、
    自衛隊に対する考え方も、この時期から、徐々に変化していったのではない
    かと思いました。
     

  8. 雑誌「WiLL」4月号の西尾幹二・岩田温対談「皇室の神格と民族の歴史」は、西尾氏の座談だけあって緊張と深みを備え、しっかり読み込むことを要求される。以下、私の読書ノートを書かせていただく。

    「女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いにほかなりません。大袈裟にいえば超越的世界観を信じるか、可視的世界観しか信じられないかの岐(わか)れ目がここにあるといってもいいでしょう」。
     難解である。この発言への注として以下の記述を補助線としてみたい。誤っているかも知れない。
    「大国主が古事記ではスサノヲの六代目に位置づけられている(中略)。肝心なのは「オヤ」と「コ」を縦に結ぶ男系の系譜であり、しかもそのなかに女子の誕生がふくまれていない点である。こうした構造をもつ系譜は他にいま一つ存する。ホノニニギと神武天皇を結ぶ系譜がそれで、(中略)そしてやはり女子誕生のことは記されていない。高天の原から降ってきた神が山と縁ある国つ神の娘と結婚して子を生む点でも、両者は軌を一にする」。(「古事記注釈」西郷信綱)

    「神話は歴史とは異なります。日本における王権の根拠は神話の中にあるのであって、歴史はどこまでも人間世界の限界の中にあります」。
    王権論となれば「国民の歴史 8.王権の根拠-日本の天皇と中国の皇帝」で説かれていることを思い出さなければならない。王権の根拠が神話の中にあるとは、次のような謂いである。
    「中国と違って、日本には天上の神々と地上の支配者とが直接に結ばれる天孫降臨神話が存在する。(中略)天皇がほかならぬ自分自身こそが天皇であるということの正当性の根拠を、言語によってきちんと語る際に依拠したものは『古事記』神話にほかならない」。
    「日の神の名を歴代天皇が背負っており、神統譜から王統譜へそれが引き継がれている」。
    「天皇を『現御神(あきつみかみ)』とする観念は、人でも神でもある存在を承認しているということであ」る。
    「『古事記』の世界においては人であり神でもある存在がごく普通に描かれ、活躍していた。というよりも、そこでは万物が神となり得たのである。人である神は、神々の世界の一部として存在していたにすぎない」。
     また、西郷信綱の以下の指摘も参考にすべきと考える。
    「高天の原はたんなる天ではなく、また神々のたんなる居所でもなく、この地上の王権の正統性が神話的にそこに由来すると考えられた天上の他界なのである」(前掲書)
     西郷信綱と聞いて眉を顰める方がおられるといけないので、申し上げておくが、西郷が「九条科学者の会」呼びかけ人の一人であることを当方は承知している(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による)。著作には違和感を禁じ得ない部分もごくまれに混じることはあるが、その研究は学問の名に値する高みに達していると思う。

     対話からの引用を続ける。
    「神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません。ですから神話を今の人にわかるように絵解きして無理なく伝えるのは容易な業ではなく、場合によっては危険でもあり、破壊的でもあるのです」。その例として、西尾氏は女性宮家創設を合理的とする保守派の一部の声、宮内庁官僚らによる宮中祭祀の簡略化、目茶苦茶になっている祝祭日の取り決め等を挙げ、天皇の祈りこそが国民統合の中心であることが急速に忘れられてきたことに警鐘を鳴らすのである。
    「科学を絶対化すれば、神話を背後に持つ王朝を信じろといわれてもそう簡単にはいかない。森鷗外ですら悩みをさらけ出した。
     でも、自然科学にはどうしても論証できない自然があるはずです。日本人はそれを持っている。神話思想がそれです。自然科学が絶対におよび届くことのない自然なのです。(中略)自分たちの歴史と自由を守るために、自然科学の力とどう戦うか、それが、現代の最大の問題で、根本にあるテーマです」。
     対談相手の岩田氏は、西尾氏の投げる直球を柔らかく受け止め、よく変奏しながら返している。たとえば、「本当の無神論者であるならば初詣などしませんし、お賽銭を投げることもないでしょう。何もない空間にお金を投げ込むなど馬鹿馬鹿しいというのが無神論者です。多くの日本国民はそれほど確信はしていないにしても人智を越えた“何か”を信じていて、その延長に皇室の存在があるように思います。この場合、『人智』は『科学』と言い換えることもできます」。

    「国民の歴史 6.神話と歴史」には次の一節がある。
    「前掲の『ケルト神話の世界』には『口承だけで伝えられてきたあらゆる歴史的な物語においては、どこまでが神話の部分でどこからが史実であるかを見分けるのは不可能である。それに、そんなことを探ってみても意味のないことだ』と述べられている。
     われわれはどんなに困難でも古代人のように感じ、考える努力をしなければ、古代史に立ち向かう意味がないだろう。
     神話を知ることは対象認識ではない。どこまでも科学とは逆の認識の仕方であらねばならぬ。
     認識とは、この場合、自分が神の世界と一体になる絶え間ない研鑽にほぼ近い」。

     対談の終わりでの両者の言葉を引用して閉じたい。
     西尾氏「あの戦争が天皇の名によって行われたことは間違いありません。しかし戦争の歴史というものはことごとく悪で、犯罪で、民族史の汚点だと考える人でない限り、すなわち戦争は、突然わが国に襲いかかった世界の理不尽と戦った『悲劇』であると考えられるのであれば、『天皇』は自己超克の象徴であり続けます。『天皇』は『人類』というような茫洋たる虚妄の観念ではないがゆえに、戦争が終わってから後のこの国にとっても守護神であり続けてきたのではないでしょうか」。
     岩田氏「自由とは抽象的な観念を求めるものではなく、生きるものである。先生が長年ご指摘されているところですが、(藤田)幽谷こそ自由を体現した人物でした。日本民族にとって天皇は最も大切な存在であり、それを自覚し自らを主張したとき、最も自由になれるのではないでしょうか」。

  9. 土屋六郎様

     3月12日付コメントありがとうございました。神話と歴史、歴史と科学の関係を分り易く解き明かして下さり、感謝に堪えません。ことに『国民の歴史』の「王権の根拠」の章を引き合いに出して下さり、我が意を得た思いです。

     今日のテレビのニュースで、天皇陛下がご譲位に先立ち、天照大御神にご報告なさる儀式に向かっていくお姿が映し出されました。土屋さんのお角になっているようなことがテレビの画像になっているのです。これを見て、皇室のことは昔より身近になったな、とさえ感じました。

     また今後ともコメント欄を充実させて下さい。よろしくお願いします。

  10. 小池様
    池田様

    少し補足をさせてください。
    2年前の国連総会で、トランプ大統領と安倍首相が演説を行いました。小生がその内容をネットで読み、
    ここで報告したことがありました。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2226#comment-5771
    背景+要約すると以下の通りです。
    ・トランプ大統領は演説で北朝鮮による拉致問題について触れた。
    ・そのことを多くのマスコミが大々的に好意的に報じた。
    ・安倍首相も演説で北朝鮮による拉致問題について触れた。
    ・そのことを多くの保守系のマスコミが好意的に報じた。
    ・しかしながらトランプ大統領が拉致問題に触れたのはほんの少しだけであり、被害者を救う
     意気込みは全く感じられなかった。
    ・安倍首相の演説では拉致問題に触れているものの核、ミサイル問題の合間に無理やり割り込んだ
     ような流れになっており不自然。しかも対策に関する具体的な内容無し。意気込みだけ。

    両者の演説内容、それに対するマスコミや世間の反応があまりにもひどかったのでショックを受けました。
    (でも小生の書き込みに対し小池様、池田様からコメントを頂戴したのは嬉しかった)
    当時の世論は、
    ・拉致被害者救済はアメリカが行うこと
    ・アメリカが動いてくれるように説得するのが日本の首相の責務
    という論調が支配的でした。ここは例外だけど。
    その中で同年11月に荒木和博さんがiRONNAに上記論文を書いていたのを読んだので
    記憶に残っているのです。

    さて、先日の米朝首脳会談でトランプ大統領が拉致問題に言及した(と本人が言った)
    という報道がありました。安倍首相が嬉しそうにマスコミのインタビューに答えて
    いました。そんなことどうでもいい話だと思うのですが、世論はあまり変わっていない
    ようです。

  11. 土屋 樣

    西尾先生、ずゐぶんお喜びですね。
    實際、貴コメント御立派だと思ひます。
    私にはとても、これほど適切なことは申せません。
    神話について、實感をもつて受け止め、實感をもつて語ることは、私
    には難しい。理論的になんとか蹤いて行ければ上々です。その理論
    も、『国民の歴史』の「王権の根拠」の記述には結びつけられません
    でした。讀み込み不足のせゐもあるかもしれません。

    「また今後ともコメント欄を充実させて下さい。よろしくお願いします」
    とはよくよくのこと。私は、こんなにありがたいお言葉を賜つたことは
    ありません。

    2ヵ月くらゐ前でせうか。私が貴台に「別册正論33の論文を讀み損
    ひました」と申したのを、先生に見つかつて、叱られはしませんが、輕
    く話題にされました。

    今後ともよろしくお願ひ申し上げます。

    岡田 様

    アーカイヴ公開の勞をお取り下さり忝く存じます。一年半經つて、變
    つたことも變らないこともありますが、全體として、事態がいい方に向
    いてゐるとは思へませんね。

    (ボク、ちゃんと喋ったよ)といふ、貴台制作の安倍坊や語録には大
    いに笑つたことを覺えてゐます。でも、あの演説「全文に目を通すと
    とても不自然」といふ鋭い分析を今、最確認しました。

    「横田早紀江さんがトランプ演説を好意的に受け止めたという報道が
    ありますが、横田さんにとってみれば米国の大統領が少しでも拉致問
    題に触れてくれたのなら希望を感じるというのは無理なからんところだ
    と思います。見方を変えると、彼女に斯様な感想を抱かせたのは他に
    希望を見出す機会が減っているからではないでしょうか」にも改めて
    首肯。
    家族會には、いまだに日本政府を見限らない人がゐますね(小池さん
    提供の座談會)。これも同樣で、他に頼るところがないからでせう。
    まあ、その先は毎度お馴染みのことしか言へませんので止めておきま
    す。

    宇井山さんとのやりとり、嬉しく讀み直しました。最近登場されませんが、
    どうなさつてゐるのでせうか。歸つて來て下さるといいのですが。

    ありがたうございました。

  12. 論壇netの記事を見てここにきました。
    小室圭さんたちについて語られていた内容です。
    引用
    絶えず色んな式典に顔を出すことになる。

    西尾幹二「皇室の神格と民族の歴史」 『WiLL』(2019.4号)

    これ、言わない方がいいと思います。小室圭さんが皇室の人と結婚すれば「式典に出れるんだ♪」と知って喜びそうだからです。
    私は個人的に小室圭さんに東北の慰霊祭には来て欲しくないです。

  13. 冬の富士を愛でる の記事にコメントしたものです。コメントが反映されていませんが、何かありましたか。
    ちなみにですが、宮内庁が圧力などかけるわけないですよ。やのつく自由業ももっと別の稼ぎ方があると思います。妨害があったのでしょうか。
    日本国民云々といっていますが、それよりこの皇室の問題。
    気がかりなことが生じたのならそれを言った方がいいですよ。わたしの職場でもあったのですが、黙ってそういうお客さんとやりとりしているとどんどんそういうお客さんばかりになるんです。
    こういうコメントをもらうとお客や、別のメール、電話など来ませんか。それですよ。

  14. すみません。コメントは『承認のち公開』ということのようなので、故Bruxelles様のTEL QUEL JAPONブログのメールフォームに送信した内容をこちらにも書かせていただきます。非公開でお願いいたします。

    『管理人様
    仏在住の、ハンドルネーム「まるこ」ことキッフェル恵美子と申します。初めまして。さて、いきなり本題ですが。真理子氏は、生前なぜか私のことも気にかけてくださり、メールでやり取りをし、また一度わざわざフランスまで資料を送ってもいただきました。
    2014年4月19日(土)の記事「四方の海 逆ベクトルの意味」の中に、私のつたないコメントを紹介してくださっており、また2016年3月23日(水)の記事「Albert Kahn 写真と映像」には、私にだけにわかるメッセージが「追記」で書かれています。
    で、ここにあるメッセージに関したことなのですが、この2019年3月、苦労の末、ホントにやっと、拙著「Le shintô, la source de l’esprit japonais」がフランス語圏で出版となりました。で、私は彼女に一番に読んでいただきたかった。
    https://www.amazon.fr/gp/product/2354323174?pf_rd_p=61e3aca3-2f4c-4ed4-8b56-08aa65c1d16f&pf_rd_r=62591KSAPG6TBATDGR0G

    彼女のブログは、私の尊敬する西尾幹二先生のブログに資料庫として残されています。それでもし可能ならば、僭越ではありますが、西尾幹二先生にこの拙著を献呈したく思っています。さて、私は明日3月21日に里帰りし、5月初めまで日本におります。で、西尾幹二先生あるいは管理人様が東京周辺にお住まいでしたら、こんな機会もめったにありませんので是非お会いしてお話聞かせていただけないでしょうか? 西尾先生のお話も伺いたいし、また真理子さんがどんな人だったかもお聞きしたいのです。彼女とはメールのやり取りの中で、「一体自分は誰と話しているのだろう?」と時々空恐ろしくなっていました。
    西尾先生ブログの方は、非表示にできるのかわかりませんので、こちらから連絡させていただきました。(あちらにも一言入れておきます)
    私のメルアドは、hi_po_po@hotmail.fr です。
    お返事お待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。 キッフェル拝
    PS 私の里帰り先は埼玉県川越市です。』

  15. 前に一寸觸れさせていただいた伊藤悠可さんの『もう一人の昭和維新 歌人將軍齋藤瀏の二・二六』、まだ途中ですが、實に愉しく讀んでゐます。私も、筆者とともに「齋藤瀏といふ人が」、「少しづつ」ではなく、「すぐに好きにな」りました。「心をきれいにしてくれる」とも感じました。讀み終ると淋しくなりさうで、なるべく引き延ばしたい・・・。以下、出だしの部分について、一言だけ。

    ディテールを實に丹念に描き込んでゐますが、これが見事に成功、どんなに小さなことでも、描かれる價値は十二分にありと思はされます。悠可さんの技倆の然らしめるところでせう。第一章だけでも、生家、丁稚奉公先の造り酒屋、やがてその養子になる醫師・漢學者の主宰する塾などのことが優しく、美しく、明るく、活き活きと描き出されてゐます。その中から一つだけをーー

    「私は丁稚生活がいやになつた、といふより父母が戀しくてたまらなかつた」といふ本人の正直な述懷と、「何がつらくて丁稚厭ふとなけれども衾かづけば泣けてならざりき」といふ短歌が紹介されたと思ふと、すぐに次の述懷「番頭に歸宅を申し出てひどく叱られたが、段々馴れると此處の人は皆な親切で、皆な可愛がつて呉れた。『ひねり餠』(酒を造る爲めの蒸した米を壓しつぶした餠)を竊かに持つて來て呉れるものや、梨や柿をこつそり麻倉に隱して置いて、用事で行つた時、此處で喰へと呉れたりする人もあつた」。

    そして悠可さんは次のやうに書きます。
    「この職場は善き人ばかりであった。酒の醸造場はいつも賑やかで。洗米のときに調子を取る歌がよく聞こえていた。『なによりも此処で働く者は皆笑顏を見せて居、きびきびしくして居り、明朗であり小僧さんとさんを附けて冗談を言つて相手にして呉れるので、此處がたまらなく好きになつた』
    一つ年下のこの家の次男坊が帳場によく遊びに来た。奥から叱られてもまた
    瀏のそばにやってくる。時折、絵本を持ってきて読んでくれとせがむ。源平合戦、宮本武蔵、田宮坊太郎といった武勇物が多かった。瀏も興味深く、それらを片端からむさぼり読んだ。次男坊にはやさしく解説してやった。学校の教科書を持ってきたら勉強も教えてあげた。(池田註:「解説してやった」は正しいが、「教えてあげた」は誤りで、「教えてやった」とすべきでせう)
      そうしているところを奥様が眼に留めていたらしい。呼び出されて行くと、学校に行きたくないか、と言って下さった。『學校にやると言はれしうれしさにうれしいなと叫びて笑はれたりき』。奧樣の言葉に甘え尋常小學校に行かせてもらうことにした」

    生家やこの後這入る塾についても、更には幼年學校についても、ほぼ同じ調子で、丹念に描かれてゐます。押しつけがましさのない穩やかな文に惹かれて、懷しいやうな氣分で讀んでゐるうちに、ふと、こんなことを思ひました。
    あの頃(明治10年代後半から20年代?)の日本は、大抵のところがこれに似た感じだつたのではないか。自分がその時代環境を直接には知らなくても、本來の日本人のありやうが、自分の血に流れ込んでゐるから、かく反應するのだらうーーこの懷しさには、それ以外の理由は考へられない。

    それが當つてゐるか否かはともかく、その後の日本の凄じい變質をひとしきり思ひました。あの本當の日本には決して戻れない・・・

    まあ、そんなことはさて措いて、殘りの部分を大事に大事にゆつくりと讀むつもりです。上等な酒を丁寧に、存分に味はふやうに。

    今夕の會合で、悠可さんに會へるかもしれないので、できれば署名してもらへるやうに、この御本を持つてゆくつもりです。

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