坦々塾研修会・懇親会 ご報告①

吉田圭介

11月9日、恒例の坦々塾研修会・懇親会が開催されました。
不順な天候が続いた本年ですが、当日は秋らしい穏やかな晴天に恵まれ、これまでとは違う会場の中野サンプラザ研修室に35名の方々が集い、和やかなうちにも熱心な考究の場となりました。
まず研修会第一部として、坦々塾会員でもある、朝鮮問題研究家・松木國俊先生を講師に、「反日韓国の行方」のタイトルで、悪化する日韓関係についてご講演を頂きました。

初めに松木先生は、1980年から4年間商社マンとして韓国に駐在したご経験を振り返り、当時の50代以上の韓国人は日本の統治時代のことをよく覚えていて対日感情も良かったというご自身の印象、また昭和17年における日本軍への朝鮮人志願兵の倍率は62倍超にもなったという歴史的事実、さらに朴朁雄氏の著作『日本統治時代を肯定的に評価する』の記述から、戦前戦中には無かった反日感情が李承晩の個人的偏見と政治的策略に基づく徹底した反日教育によって引き起こされ、その後の日本統治時代を知らない世代が自家中毒をおこしていったのだと、韓国の反日感情形成の経緯を分析されました。

続いて先生は近年の日韓間の諸問題について、
・朝鮮人戦時労働者問題(徴用工問題)は1965年の日韓基本条約で完全に解決と明記されたことであり、最高裁判所が条約を覆すのはウィーン条約違反であること。
・レーダー照射問題に関しては100%韓国側に非があること。
・日本から送られた戦略物資の20%が行方不明でありイラン・北朝鮮に渡った恐れもある以上、日本の国際的義務としても韓国のホワイト国除外は当然であること。
...等々を列挙され、対抗措置と称してGSOMIA破棄やビール等日本製品の不買運動に奔る韓国を批判し、就中、福島の放射線被害を誇張して国際社会に喧伝する行為は、風評被害と戦い続ける被災地の人々に対し、人道上許されない行為だと強く非難されました。

さて、このような韓国人の不条理なまでの反日感情がどこから生まれるのか?という点について、先生は次にご自身の現地調査の結果を数々の映像を交えて披露してくださいました。
・ソウルの独立記念館における、日本兵が朝鮮の少女を捕らえてトラックに積み込む情景や慰安所で少女が犯される様子を描写したジオラマ。独立運動家の女性を日本の官憲が拷問し、骨の折れる音や悲鳴までついた動く蝋人形。しかしそれは実際には、余りに残酷すぎるからと日本が禁止した李氏朝鮮時代の拷問であること。
・西大門刑務所歴史館や2015年に出来たばかりの釜山の国立日帝強制動員歴史館等でも同様の展示が並べられ、日本兵による強姦場面等がサド・マゾ趣味の成人映画さながらに流されていること。
・韓国の子供たちが授業の一環としてそれを見せられ、絶えず「これが日本人の仕業だ」と引率の教師から指導されていること。
・軍艦島(端島)を「地獄の島」として描いた幼児教育用の絵本。
・日本大使館前の「少女像」や「徴用工像」の周囲には、日本への呪詛の言葉を記した札や石が絵馬のように並んでいること。ただし肝心の徴用工像は、日本の新聞に載った日本人労働者の写真がモデルであること。
...等々の惨状を紹介された先生は、こんなことでは1000年経っても日本人と韓国人が仲良くなれるわけがない!と嘆かれ、本当に日韓の友好を考えるなら駐韓日本大使館はこれらにキッチリ反論すべきであり、そうしないのは職務怠慢だ!と強く憤られました。

昨今流行の浅薄な嫌韓言辞とは違う、真に日韓の未来を憂える松木先生の誠意を見る思いが致しました。

お話は自然と日本側にも大いに責任があるという点に及び、捏造事実に基づく反日映画に自己のキャリアアップだけを目的に平気で出演してしまう人気俳優や、相手の求めるがままに謝罪すべきと主張する流行作家等々の、深い思慮に欠けた日本人の言動を批判され、その根本原因として、過去無分別に謝罪を繰り返してきた日本政府の責任を指摘されました。
そして謝罪というものの意味について述べられ、謝罪をするからには責任者の処罰と相手への賠償が必ず伴うのが国際社会の常識であり、そこまでする覚悟が無ければ謝罪などしてはならないこと、日韓の謝罪に対する認識の違いが摩擦の原因の一つである、と分析されました。さらに、武貞秀士氏や呉善花氏の考察を引用し、韓国人の求める謝罪の有り様とは、韓国が日本を35年間支配し、日本人が地に頭を打ち付けて許しを請い、日本人が世界中から蔑まれるようにすることなのだ、と喝破されました。

ここで松木先生は、今回の徴用工裁判問題が「日本の植民統治の不法性」を根拠とし、言わば「慰謝料」を請求してきているという点、関連する日本企業は二百数十社・請求総額は2兆円に及ぶ可能性もあるといった点で、慰安婦その他の問題よりも重大であるということを、ご自身の新著『恩を仇で返す国・韓国』から引用され、韓国の最高裁判所が示した判断が3つの点で誤っていると指摘されました。すなわち、
・日韓併合が両国政府の合意の上で合法的におこなわれた点を無視していること。
・過去の統治行為の合法・不法を現在の大韓民国憲法の価値観で判断していること。
・日本の最高裁の判断を否定し、外国である日本の財産を自国の裁判によって押収しようとする主権侵害行為であること。

さらに、日韓協定締結時に日本が支払った経済協力金8億ドルは、当時の韓国国家予算の半分であり日本の外貨準備高の4割にあたったこと、日本が朝鮮半島に残置し放棄した民間資産は10兆円以上にのぼること、そして、廬武鉉政権までは韓国政府自体も徴用工問題は日韓協定で終結したとの見解をとっており、2005年から2007年にかけて6万人の元徴用工に5000億ウォンを給付していること等々の事実から、如何に現在の韓国の要求が不当なものであるかを詳細に論証されました。

経済協力金8億ドルの話や日本の残置資産の話はメディアやインターネットでもよく取り上げられますが、韓国政府が既に徴用工に補償金を支払っているという事実などはあまり言及されることが無いように思います。日本人がきちんと押さえておかなければならないポイントだと感じました。

ここで先生は話題を変えて、現在の韓国の経済状態についてお話をされました。世界的な半導体需要の減少や中国企業の追い上げ、さらにトヨタよりも高くなったという現代自動車に代表される賃金の上昇等々の要因により、半導体と自動車以外主力輸出品の無い韓国の輸出額は19%も減少していること、中流層以下は教育費の負担から少子化と海外脱出が加速していること、日本の輸出管理強化に対抗して国産化を叫んでいるが、コストに見合うものが出来るわけがないこと、また、同じく対抗策として掲げる日本製品不買も、日本の会社員に聞くと韓国市場は無くなっても困らないという状態で影響力が無いこと、さらに根本的な問題として、韓国が輸出をする際、韓国企業の決済を担保するだけの信用力が韓国の銀行に無いため日本の銀行が信用状を出しているのが現状であること。
...等々の事実から、反日なんかやってる場合じゃない!と韓国経済の危機的状況を指摘されました。

この状況を文在寅大統領はどう乗り切ろうとしているのか?お話は文在寅という人物の解析へと進みました。
このまま経済不振が続き、財閥をはじめとする産業の低迷が進むと、自由主義経済が行き詰まり社会主義へと移行する道が拓けてしまう。実はそれこそが文大統領の狙いなのではないか...と、先生はご自身の衝撃的な推察を披露され、戦後の軍事政権と財閥を「日本と結託して私腹を肥やしてきた悪者・積弊」と規定して政権を獲った文大統領の目指すものは、北朝鮮との一国二制度を経由した高麗民主連邦共和国なのだと洞察されました。そしてそれは、政治的自由の無い核武装した反日国家の誕生を意味するが、その核によって歴史上初めて中国を含む周辺諸国に対抗できる国になれる以上、彼らは絶対にそれを手放さないであろうということ、その目的のためであればGSOMIA破棄などはむしろ望むところなのであろうということ、しかし、GSOMIA破棄が今後の韓国の外交カードになるようなことは絶対にあってはならず、輸出管理の透明化という筋が通るまで、日本はその国家意思である輸出管理強化を1ミリも妥協してはいけないことを強調されました。

彼らの目を覚まさせるにはどうしたら良いのか?先生はいくつかのポイントを挙げられました。すなわち、
・前出の信用状の問題のような、韓国に対する産業・金融面での日本の絶大な支援・影響力の実態を韓国国民に徹底的に知って貰うこと。
・韓国司法による日本企業の資産の現金化と差し押さえが行われた場合への、日本側の経済制裁措置を明確に示すこと。
・それらにより、日本を敵に回すことのデメリットを韓国国民に強く実感させること。
・韓国側の対抗措置を恐れる向きもあるが、制裁は返り血を浴びる覚悟を持って行うのが当然であり、アメリカの対中制裁の如く、日本も損害を恐れずに制裁を加えるべきであること。
・徴用工問題は我が国の名誉・尊厳、引いては国の将来が懸かっている問題であり、ここで韓国の歴史捏造を許せば我々の子孫までもが永久に屈辱に塗れ、財産を搾り取られることになる。肉を切らせて骨を断つくらいの覚悟で対処しなければならないこと。
そして、先生は再びご自身の在韓時代のご経験から、
・韓国人はその国民性として、交渉においてはダメ元で過大な要求を突き付けてくる。
・一方で日本人は、交渉の決裂を何より恐れてこちらの要求を下げてしまいがちである。
・韓国人との交渉で一番良い方法は、席を蹴って立つ覚悟を見せることであり、こちらの確固たる意志・決意を示して初めて、相手の妥協を引き出すことができる。
といった、日本側の持つべき心構えを説かれました。

この心構えの問題こそ、外務省はじめ日本政府・日本国民が未だに理解していない重大問題であり、韓国人を相手にまさしく返り血を浴びて論争してこられた松木先生だからこそ指摘できる、迫力に満ちたご提言だと強く感じました。

続いて先生は、その気迫に満ちた論戦の実践として、本年6月末に挙行された、ご自身の所属する国際歴史論戦研究所によるジュネーブの国連人権理事会への会員派遣の成果を報告されました。
端島(軍艦島)の元島民の坂本道徳氏による当時の平穏な生活の証言や韓国人研究者・李宇衍氏による朝鮮人徴用工の給与・待遇の実情報告等の日本側の反論スピーチの映像が紹介されましたが、松木先生の印象では、議長をはじめとする人権理事会の要人は日本人・韓国人・中国人の区別も碌に出来ないような何も判っていない人ばかりで、反日活動家による日本に対する根拠なき非難がこれまで10年以上に亘って言いたい放題になってきた実態が痛感されたとのことでした。そして、本来は日本政府が率先してこういう反論活動をすべきなのに、民間が孤軍奮闘しなければならない現状を嘆かれ、さらに、証言をした李宇衍氏はその直後から凄まじい脅迫・バッシングを受けているが、韓国人が真実の歴史を知ることこそが日韓友好の道という信念を持った李氏は少しも怯んでいないという心強い事実を披露されました。また、李氏の所属する落星台研究所の所長・李栄薫氏による、母国・韓国の歴史捏造を批判したインターネットTV『李承晩学堂』と、7月の発売以来、韓国では異例の15万部を売り上げている著書『反日種族主義』が紹介されました。この本は日本でも文芸春秋社から日本語版が刊行され大きな話題になっています。
これら韓国内の良識派の奮闘の結果か、韓国では保守派の勢いが盛り返してきており、10月3日の反文大統領デモ参加者は100万人を超え、また在日韓国人の中でも「自由韓国を守る協議会」を立ち上げるといった動きが出てきているとのことです。

最後に先生は、すべては結局のところ安全保障の問題に帰着するのだと総括し、それを考慮するに当たっては最悪の状況を想定しなければならないことを力説されました。すなわち、38度線が対馬海峡まで下がっても日本が自主独立を維持できるだけの国防力を備えることであり、当然に憲法改正が必要であり、そして外交的威圧装置としての核兵器を中国や統一韓国が保有する可能性が有る以上、日本が威圧に屈して属国となるのを防ぐためには核兵器の保有もやむを得ない、その実現可能な手段として、ドイツと同様のアメリカとの核シェアリング、米原潜への自衛隊員の同乗といった方法も検討すべきであること、等々。そして何より、中国をはじめとする侵略性を持った国家と対等に渡り合い、子孫に自由で豊かな誇りある日本を残すために「自分の国は自分で守る」という気迫を持つことである!という熱いお言葉で、先生はお話を締め括られました。

時折、韓国人と論争を交わした際の韓国語のやり取りも交えた、迫真に満ちた先生のお話は、韓国を深く知り愛するが故の誠実な憂いに満ちていて、強い感銘を受けました。また日本のメディアでは中々見られない現地の映像も数多く紹介され、極めて現実的・実践的な韓国論であったと思います。韓国を罵倒して気勢を上げるような次元の低い場ではなく、真の日韓の友好と相互理解を模索する講演会となったことを、松木先生に感謝申し上げる次第です。

「坦々塾研修会・懇親会 ご報告①」への3件のフィードバック

  1.  吉田圭介様の仔細なご報告、とてもありがたく思います。
     半島のことは現在、中国発の新型コロナウイルスや習近平の国賓待遇で招待すること等で霞み気味ですが、油断していると思いもよらぬことを仕掛けてくるので一切気を抜いてはいけません。そして、長谷川様もご指摘されましたが、日本人の憤怒に関係なく、「米国大衆は日中韓の区別がつかない」というご現実が、私たち日本人にどんどん重いものとして降りかかってくるように思えてなりません。

     ところで、ご存知の方も多いかと思われますが、1月30日に新潮社から『歴史の真贋』が刊行されました。西尾先生の半世紀以上に亘る言論活動との格闘(全集のご刊行)の終盤に築かれた、新たな発見に充ちた大著です。新潮社は『ヨーロッパ像の転換』以来、要所で西尾先生の重要な作品を刊行していますね。

     また、2月3日(月)の朝刊の一面に産経新聞のコラムを集めた『国家の行方』の発売が紹介されています。Hanada3月号の論文、『二つの病理―韓国の反日と日本の平和主義』は11月9日の研修会のご講話を基とした大きな論文ですが、文末に『国家の行方』の巻頭論文はその「対をなす続編」と告知されていて、とても興味深いです。

    今頃たいへん恐縮ですが、昨年末あきんど様に過分なお褒めをいただき、お礼申し上げます。

  2.  韓国に果てしなく謝罪するのは、ズバリ、「親韓国ナルシシズム(韓国を称賛して自分は無罪だとうっとりする)」と、謝罪ナルシシズム(韓国併合の後ろめたさを覆い隠すために、取り敢えず謝って許してもらい自己満足する)などがあります。

     この概念で相手を指摘して、相手の自己欺瞞を暴くことですね。

     正直、韓国や日本国内の諸事情について、いちいち分析していてもキリがありませんし、それで何かが変わるというものでもありません。

     西尾先生は、ニーチェを引き合いに出して、「相手の神を撃て!」と言いました。
     この場合、韓国に謝り続ける勢力の「神」になるのが、「親韓国ナルシシズム(韓国を称賛して自分は無罪だとうっとりする)」と「謝罪ナルシシズム(韓国併合の後ろめたさを覆い隠すために、取り敢えず謝って許してもらい自己満足する)」になる訳です。

     右派の勢力は、「愛国」とか「靖国」(私は崇敬会終身会員です)とか、言葉は勇ましいのですが、どうも「理論」がありません。

     左派には立派な「理論」があります。
     私は、レーニンの「革命論」を読みましたが、皆さんは、そういうことをしていますか?

     レーニンの「革命論」を論破して初めて、ロシア革命、引いてはソ連の失敗を指摘することが出来ると思います。

     保守に「思想」があるとしたら、そういうことだと思いますよ。

  3. 「歴史の真贋」を読んで

    平成二十三年以来の西尾氏の講演に筆が入ったものである。
    第1部「神の視座と歴史」、「神の歴史の行方」。
    「国民の歴史」、「江戸のダイナミズム」や全集第19巻「日本の根本問題」の変奏として読んだ。
    「神話は歴史であり、歴史はまたときに神話の姿を彷彿させることが多々あるのです」(p33)。
    西尾氏の神話と歴史を巡る新しい言葉ではないだろうか。いや、当方が見逃したか、読み切れていないかも知れない。神話とは世界はこうであったという、古代人が伝承した事柄が継起する歴史的叙述であり、歴史は時に神風特攻隊やオウム真理教事件のような、あるいは日々起きる事件においても、神話のように説明不可能な事柄に満ちているということであろう。二つは違うものであって、違うものではない。

    氏は全集第19巻後書に続き、本書でも「古代中国と中世、近世、あるいは近代初期のヨーロッパを学べ、いまこそ、そこに新しい目で挑戦することがわれわれの文明を蘇生させる新しい課題になるだろう」、「もう終わったと思っているもの、卒業したと思っているものをあらためて一から学び直せ」と力説する。これが氏の現代への最も根源的で大事なメッセージではないか。「日本の文明は語学を学ぶことから始まる」(p55)。「主体性は外国の文化を学ぶことから始める」(p54)。「解体新書」に取り組んだ前野良沢や杉田玄白がまずオランダ語を学び相手の文化に迫ったように「対象となる文明の全体を背負うことから始め」なければならない。空海、最澄、遣唐使の昔から、日本は、相手の文明に出会うとき決して部分的な摂取に終わらせず全体にぶつかり、自分を捨てて相手を理解することによって自らに息を吹き込むという文明だということである。「日本の文明は語学を学ぶことから始まる」とは「国民の歴史」「江戸のダイナミズム」の著者にして可能な端的直截な喝破である。平成に入る頃から日本人の生命力が枯渇しているのはなぜか。日本文明蘇生のため若き俊秀の古代中国あるいは西洋近代への全的取り組みを期待する。

    「徂徠の果敢な儒学の復興運動、言語ルネッサンスですが、外国文化のルネッサンスをこの国でやったのですから凄い話です。それが直截的に本居宣長の国学につながったのです。この精神のドラマを論じたのが私の『江戸のダイナミズム』です」(p54)。ここで「江戸のダイナミズム」に寄り道すると、これは自らの「神」を探し求めた激越な学問の英雄豪傑たちの生き生きとした列伝と言えるであろう。挑みかからんばかりの氏の徂徠に接する熱意は、藤田東湖に対するのと同様、精神の血脈あるいは「盟友」(長谷川三千子氏との対談での太安万侶と宣長についての西尾氏の言葉)への没入を感じさせる。
     同書は二十章各章の入り口を読者が興味を持って覗き見をするうちに、我知らず引き入れられるように作られている。作者が開陳するおもしろいお話を心地よく読んで中に入り、ダイナミックな知的展開を追っていると、各章終結部(コーダ)に向かって力強い筆調で引っ張られて行く。たとえば「第十六章 西洋古典文献学と契沖『万葉代匠記』」は西郷隆盛の写真も絵もこの世に実在しないという事実から始まる。ならばあの上野の銅像は何によって造られたのだろうか。西郷さんの本当の顔はついに分らないという指摘から始まる。ここから古代ギリシャローマの古典作家の自筆のテキストにしても今日何一つ残っていないのだという途方にくれるような事実へ読者を導く流れは絶妙である。西尾氏が高度に知的な話を面白く聞かせる達意の文章とその結構は見事と言うほかはない。
     また同書には口述筆記であるかのような口語表現が頻発する。
    講演録ではないのに、「何も教科書の話じゃありません」と砕けたり(p24)、「どちらも同じだということを私は言いたい。お分かりになりますね」という語りかけが現れる(同前)。「いいでしょうか、読者の皆さん」(p31)、「そこへ朱子学がどーっと入ってまいります」(p35)。「それに大事なことをここから申し上げるんですが」(p42)、「天照大御神は全世界の神であるとなると、ここからは国境意識は生まれませんよね」(p43)、「初期の儒学者たちは儒学を目茶苦茶勉強しておいて」(p44)、「彼(アリストテレス)が講義草稿として、無造作にほっぽって置いた紙の山」(p62)とあえて口語的(コロキュアル)な表現。西尾氏の無造作とも見える放胆さに注目せざるを得ない。しかしこれはもとより意識された表現でないはずがない。西尾氏の文章が平明であることはつとに知られている。氏は難しい言い回しで偉ぶらない。「文章はちょっと気取って書け」(丸谷才一)などとは言わない。あえて言えば誰もが入れる「民主的」な造りなのである(見慣れない漢語が時折自然にかつ的確に用いられることもその特徴であるが)。師福田恆存から中村光夫の文章に似ていると言われて、若き西尾氏は確か必ずしも意を得なかったようだが、福田の真意はともかく、少なくとも、小林秀雄流の文章の意外な飛躍や強い断定の魅力から離れて、難しいことを分り易く書くことを志した点において似ていると言ってよいであろう。しかし、上の表現を見ると、事はそれだけにとどまりそうもない。
    勝手なことを書かせていただく。
    同書を読んで強い印象を受けたのは、荻生徂徠「論語徴」の現代語訳の秀抜さである。たとえば小林秀雄「考へるヒント」を読んで仁斎、徂徠に向かった読者がいるはずだが、東洋文庫「論語徴」やみすず書房『荻生徂徠全集』「論語徴」には小川環樹の訓み下し文がついていても、それだけでは「ほとんどの人が読解できない」「開かずの扉」(「江戸のダイナミズム」あとがき)なのである。西尾氏の周到で生動する訳文に接して扉の開くのを感じ、心躍った読者がいるに違いない。全集第19巻「月報」に花田紀凱氏が「未来の年表」という西尾氏が明かした著作の計画に触れた文章がある。同じ内容は、西尾氏自身がどこかで書いていて、これを全部実行するには200歳まで生きる必要があると奥様がおっしゃったというエピソードが添えられていたと記憶する。そこに掲げられた「計画」(たとえば「ゲーテとフランス革命」)は魅力的で本格的なテーマばかりである。その中でこんなことを申し上げるのは、明らかに非礼であるが、西尾氏の筆になる「論語徴 現代語訳」が刊行されれば、それは知的一大事件であると無学の徒は思うのである。
    ついでに言えば、「詩経」の脚韻についての清朝考証学に基づく読解において、氏は吉川幸次郎の知見が清朝考証学に及んでいないのではないかという指摘をする。当方、白川静「詩経国風」(東洋文庫)にも当たってみたが、同様に西尾氏が紹介する明の陳第および清朝考証学の成果を反映していないのではないかと思えた。われわれが神様のごとき高みにいると仰いできた中国古典学ならびに中国古代漢字研究の泰斗の射程を超えて西尾氏の読解が正鵠を射ているというのは、ちょっと驚くべきことではなかろうか。

    第Ⅱ部「ニーチェの言葉『神は死せり』は日本人にとって何を意味するか」は最後に次の文章で締めくくられる。「私は困難をまさぐるようにわが指先を指し出す余りの心細さにわが民族の行方を見つめ、身の震える思いがいたしております」(p125)。西尾氏がこのような悲痛な言葉を発したことはないのではないか。氏は新帝陛下に対しても、わが民族に対しても、前途に控える苦難の道のりを深く気遣う言葉を記すことがある。一体何を憂えておられるのだろう、国際関係上日本が立たされる苦境が氏の慧眼には映るのだろうと思ってきたが。
    高校必修科目「世界史」の中には日本が書かれていない。キリスト教文明が作った世界史を日本人は世界の歴史だと思っている。そこで日本人は何ら役割を果していない。「日本史」にさえ産業革命とフランス革命は人類史の「メイクポイント」として書くよう文科省指導がなされている。西洋に科白(せりふ)を付けられ、西洋の言葉や概念で支配されているのだ。「『自らを発見する』ということは一体どういうことか、そこに至る手続きの厄介さは言語に絶するものがあります」。「脱出を今こそ考えねばなりません」(p121)と「国民の歴史」の著者は言う。
    「神は死んだ」といったニーチェは、「明るい近代の背後に虚無が居座っている、ということをわれわれに知らせようとしたに過ぎません。キリスト教のスタートがおかしかったんだよと。ルサンチマンに発したつくり話だったんだと。そのために大いなる文明は生まれたけど二千年経ってついにおわったと・・・」(p123-124)。この虚無とは、キリスト教の「悪」とも「闇」とも言い換えられており、例えば西洋中世末期の絵画に見える陰惨残酷な世界であり、西尾氏が「江戸のダイナミズム」で引用した「北のルネサンス」の惨劇、ドイツ「阿呆物語」に描かれた酸鼻を極めた蛮行を指すのである。また、身近な所では、「二十万人いた(米兵相手の)戦後の日本人慰安婦」(p288-2899を思えばよい。
    「われわれが『キリスト教の外の世界』にいながら、明らかに外に立っているともいえない」、「『外の世界』に生きる利点が何であるかも分らぬままに、二つの世界に引き裂かれて生きていて、向こう側にある『内の世界』にもう一度もぐり込まないと外に立つことも分らないという苦境にあり、これはよく考えると本当はニーチェの自覚や指摘よりさらに厳しい困難にさらされている事態だといえるのではないでしょうか」(p124-125)。この後に上記の「私は困難をまさぐるようにわが指先を指し出す・・・」の一文に繋がるのである。西尾氏がもう一度西洋中世から近代を学ばなければならないと力説するのは、西洋の「内の世界」にもう一度もぐり込まないと、キリスト教の「外の世界」(仏教)にいるわれわれの位置づけもなし得ないという理由もあるはずである。しかし、この圧倒的な精神の課題の前に「わが民族の行方を見つめ、身の震える思い」をしている氏の精神の消息にまでは通じることは当方にはできない。自らの非力を嘆くほかない。

    第Ⅱ部後半では、氏の尊敬置くあたわざる小林秀雄、福田恆存、そして氏がその死に一書を捧げた三島由紀夫が語られる。
    「三島さんは小林さんの影響を非常に強く受けていたと私は思います。
     小林さんは日本の近代思想史の上で初めて認識が行為であり、歴史は観照ではないことを身を以て示した思想家でした。大正文化主義の、たとえば和辻哲郎とか阿部次郎ぐらいまではそのような考えはなかったのですが、その時代までは認識は知識であって、歴史は教養だったんです。ですから、文壇では鷗外はもとより露伴まではそうです。小林さんはそれに対するアンチテーゼでした。歴史は客観知ではない、歴史は自己である。本当に知ることは行うことだという『私の人生観』のなかの有名な台詞があります」(p182)。
     「小林さんは歴史認識を問題にした人ですが、遂に歴史を自ら叙述することはなかった。小林さんは戦後の歴史研究上の重要な問題のどれか一つと責任をもって切り結んだことはない。東京裁判を論じなかったし、邪馬台国論争にも参加しなかった。(中略)あの問題のテーマについて、小林さんもなにか言うべきでした。国民にヒントを与えるべきでした。しかし彼はあぶないことには手を出さない人でした。
     彼自身は古代学者ではなくて、古代と闘った本居宣長を考察対象としたに過ぎません。それに対し、福田や三島は実作家でした。福田は劇団の主宰者でもありました。三島は「楯の会」を主催しました。つまり具体的な行動家だったんです」(p172)。
    青山二郎が小林秀雄に向かって、おまえの文章は魚を実際に釣り上げるのではなくて釣る手口を見せるだけだと言い、その時驚いたことに小林が涙を流していたという話を大岡昇平が書いていたはずである。青山二郎は何をこの時言ったのだろうというのが私の長い間の疑問だったが、西尾氏の言う「歴史認識を問題にした人ですが、遂に歴史を自ら叙述することはなかった」ということかと思い当たるのである。
    「(小林秀雄は)自分も古代人と同じように生きてみせたいが、そういう問いが限度を超えると何かを破壊し不毛に終わることを小林さんは若い頃から予感していた。だから批評家なのです。創造家ではないのです。だから歯ぎしりするほど俺は物を作れないと叫んでいたのです」(p187)。
    小林はおしゃべりをする知識人に対して市井の生活者の優位を語った人であり、何よりも彼の著作の登場人物は行動家である。「本物を仰ぎ見るという人生」(p173)であったし、本物を描くという「行動」において水際だった批評家であった。
    また、小林秀雄と江藤淳が三島由紀夫の自決を巡って対立した有名な対談で、三島の死は病気かさもなければ早すぎる老年が訪れたものとする江藤を小林は一蹴する。三島は、認識と行動の一致を説く小林の「考えに従った」(p182)。三島が小林秀雄全集内容見本に呈した「小林秀雄氏頌」の本論に関係しそうな部分を引いてみる。
     「もっとも繊細な事柄をもっとも雄々しく語り、もっとも強烈な行為をもっとも微妙に描いた人。
      あらゆるばかげた近代的先入観から自由である結果、近代精神の最奥の暗所へ、づかづかと素足で踏み込むことのできた人物。
     行為の精髄を言葉に、言葉の精髄を行動に転化できる接点に立ちつづけた人。
     一個の野蛮人としての知性。
     一人の大常識人としての天才。」
    これを見て、三島の戯曲の光彩陸離たるレトリックを思い出す人は少なくあるまい。
    また、「近代日本文学史において、はじめて、『芸術としての批評』を定立した人。批評を、真に自分の言葉、自分の文体、自分の肉感を以て創造した人」(上記、三島由紀夫「小林秀雄氏頌」)である小林秀雄に発した日本文芸批評の精神とその実践は福田恆存、中村光夫、江藤淳、西尾幹二が衣鉢を継ぎ、文芸批評家が時代の精神として光芒を放った時代が長く続いたことは言うまでもないことだ。しかしそれは、「宗教や哲学の背景を知らねば科学も法律も経済も知り得ないという局面をくぐり抜けた」(p54)明治、大正、昭和にこそ起こり得たことであった。私はAmazonの書評投稿で「西尾氏を最後の文学者と呼びたいのだが」などとしたが、この本でも「新潮」編集長だった坂本忠雄氏の「もうあかん。文学は無くなっちゃった」(p338)という嘆きが紹介され、西尾氏は平成以降「すでに没落文明の年代に入りました」(p54)という宣告を下すのである。

    本書で、私が一番心躍ったのは第Ⅲ部「昭和の連続性」である。本稿が雑誌「正論」に載った時一読し、切り抜きを保存し、ここで推薦されている本を古本で購入したがツンドクにしてある。再読して、戦前の学者たちを推す西尾氏の弾むような溌剌たる筆致に、以前に増して強い印象を受けた。氏が彼らに深い共感を抱くのは、小林・福田批判をする同じ場所からである。西尾氏は、学者として平泉澄や山田孝雄らに強い魅力を感じたばかりでなく、日本人として世界史を書く試みに挑んだ仲小路彰や大川周明に、「精神の血族」を発見したはずである。平泉の「中世に於ける精神生活」とホイジンガの「中世の秋」との比較研究を促し、「国體の本義」を著した山田を論じて国語論としての「国體」の研究の必要不可欠なることを提起しているが、これこそ創見と言うべきあろう。そして重要な言葉が吐かれる。
    「(戦争)協力者の中で誰が今から見て妥当であったか。知識人としての戦争参加の理想は誰が担っていたか。それを知ることはとりもなおさず、あの時代の日本の運命を、善悪の道徳基準によってではなく、国家を襲った歴史の必然性の基準によってどう評価するかという貴重な判定を下すことになります。
     戦後七十年にわたり保守、左翼を問わず、歴史的知性はそれをするのを怠ってきました。あの時代の日本の運命に、あの時代に身を置いて、直面することを避けつづけて来ました。それが今こそ必要なのではないでしょうか」(p206)。

    最後の「昭和のダイナミズム」、これも、歴史認識は相対的ものでしかなく、時と所が変わり人を得れば、歴史はこんなにも違って見えるという恰好の例をいくつも教えてくれる。「歴史家ブルクハルトは、ギリシャの歴史家ツキュディデスは百年後に今知られている事実とは異なる『事実』を教えてくれるであろう」(p38)という氏のお好きな譬えが示す通り、「歴史は動く」のである。
    「鎖国していた江戸時代において成熟した日本人の価値観。それに比べれば維新とか敗戦といった激動期の価値観はあまりに未成熟で、不完全で千慮の一失の観を免れないわけですが、そうではなくて、ゆったり成熟した時間の中に獲得した価値観あるいは考え方、生き方というものを再評価して、明治以降の歴史や戦後の歴史をもう一回見直すということが寧ろ求められるのではないか」(p310)。
    「日本は西洋を目指したといわれますが、西洋は本当に目指すに値する世界だったのでしょうか。説明のできないあの暗い闇を抱えた、自らは先々何処に行くかも分らなかった信仰と暴力が、果たして明治の日本人に見えていたのでしょうか。西洋の正体を誤認していたのではないか。『明治の偉大さ』とよく言われます。日本人はそういう言葉が好きですが、明治は本当に偉大な時代だったのでしょうか。見方を変えれば激震に喘いでいた維新からの七十年はそんな偉大な思想や精神が成熟した時代だったとは必ずしも言えない。そんな余裕があったとは思えません」(p311)。
    氏は明治・大正はつまらない、徂徠・宣長という大思想家に代表される江戸のダイナミズムを継承したのは昭和のダイナミズムであるとする。昭和の有力な思想家に見られる特徴は、古代復帰への願望、永遠というもの・時間を超えてゆくものへの視座があることだとする。それはもちろん徂徠・宣長のものであった。また、西洋に学び西洋を超えるという視座があり、皆語学に達者で比較文明の広角レンズを持っていることだとする。己を空しくして外の大文明に学び格闘するという日本の宿命を演じた人たちである。しかし西尾氏は「これをもって日本は終わりとなりつつある。この後出てこないかもしれない、なにも起こらないかもしれない」という。新潮の坂本元編集長ならずとも、われわれが感じ怖れていることを、氏はほぼ断定するし、事実そうなっていると言えよう。
    高校生の西尾少年に、母堂は文学部は「哲・史・文」だと教えたそうである(本書「あとがき」)。心理学や社会学は周辺の学問で、哲学・史学・文学を体得せよという意味であろう。「『哲・史・文』という全体によって初めて外の世界が見えるという若い日以来の私の理想とその主張に、あらためて活路を拓きたいと念じ、本書を上梓する」と結ばれている(p359)。産経新聞正論に書かれた「文学部をこそ重視せよ」とは氏の肺腑の言である。日本のノーベル賞受賞者、梶田隆章・大隅良典・本庶佑各博士が基礎研究重視を主張していることも響き合うものと言えるだろう。語学を学び、古代中国あるいは近代西洋を学び直すことこそが、自己回復への道である。

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