新刊 日本の希望

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この本の感想はこちらにお書きください。
小池さまのコメントより、目次を転載させていただきます。

西尾先生の新刊紹介 

「日本の希望」 徳間書店

【目次】
I
・回転する独楽のように
・上皇陛下の平和主義に対し、沈黙する保守、取りすがるリベラル
・講演筆録 歴史が痛い!
・宮内庁の無為無策を憂う
II
・言論界を動かす地下水脈を洗い出す
・そもそも「自由」を脅かすものは一体何か
・私が高市早苗氏を支持する理由
III
・安倍晋三と国家の命運
・「移民国家宣言」に呆然とする
・日本国民は何かを深く諦めている
・保守の立場から保守政権批判の声をあげよ
IV
・二つの病理
――韓国の「反日」と日本の「平和主義」
・朝鮮と日本とはまったく異なる宗教社会である
V
・中国は二〇二〇年代に
反転攻勢から鎖国に向かう
・日本とアメリカは現代中国に「アヘン戦争」を仕掛けている
・歴史の古さからくる中国の優越には理由がない
・中国に対する悠然たる優位が見えない日本人
・「反日」は日本人の心の問題
VI
・「なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか」ではなく、
「なぜアメリカは日本と戦争をしたのか」と問うてこそ見えてくる歴史の真実
・今の日本は具体的にアメリカに何をどの程度依存しているか
・ありがとうアメリカ、さようならアメリカ
VII
・二つの世界大戦と日本の孤独
VIII
・上皇陛下が天皇をご退位あそばされる頃合に、
「陛下、あまねく国民に平安をお与えください」と私は申し上げました。

・あとがき

「新刊 日本の希望」への11件のフィードバック

  1. 昨日の朝、越後の(小池)石松親分と電話で、先生の御新著『日本の希望』(徳間書店。1800圓+税)について話し合ひました。ただし、二人とも未讀で、新聞廣告、書評などに基いた雜談が主でした。

    電話の後、一時間くらゐでアマゾンから同書が屆きました。でも、注文したのは私ではなく、家内です。優先權は當然そちらにあり、熱心に讀んでゐるやうで、當分こちらには廻つてきません。

    先ほど、家内の留守を狙つて、同書を手にし、ぱらぱらと捲つてみました。各章のタイトルを見ただけで、感じたことがあり、口走りたい思ひに驅られますが、中身を讀みもしないで、それは失禮に當りますので、今は愼みます。

    そこで、目次の紹介といふ手を私も考へましたが、それは管理人の長谷川さんの職權を侵すことにならないかと躊躇しました。 發行日が11月30日(あとがきの執筆は2021年10月)になつてゐるにもかかはらず、未だに本欄に、そのお知らせが載らないのは、先生からの指示がないからか、その他の事情によるのでせう。

    幸か不幸か、その手は石松親分に先を越されてしまつたので、私は扉に掲げられた先生のお言葉7行(あとがきの出だしでもあります)を書き寫すにとどめます。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    「日本の希望」などと言うと意外な思い、少し楽天的な観測、
    いや大袈裟すぎる見通しなどと思われる方が多いかもしれない。
    しかし、この本を読んでいただけば、
    希望は一方的に与えられるものではなく、
    当然予想される苦難と困難をわが国が背負うという前提で、
    しかしそれでもこれから迎える運命の世界的状況は、
    どことなく「我に利あり」という印象を私は持っている。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    序でに、あとがきの終りに近い部分の two sentences をも引きます。
    「この本は小さいながら比較的いまの問題に正面から向かって、刺激的な内容を問題意識を研ぎ澄ませて書いていますのでぜひとも心してご注目賜りたく存じます」
    「私の人生の最後に比較的よく書かれているものを今度のテーマに即応するように配列して論旨の強化にあてました」(以上)

    (追記)家内曰く「週刊誌を賑はしたやうな生々しい話題がずゐぶん出てくるので驚いた。先生の論鋒は鋭く、全て本質を衝いてゐる。しかも論證もきちんとしてゐて、自分は完全に納得した。もつと早く讀みたかつた」。
    皇室のことらしい。私は以前、西尾先生から「天皇に徳を求めてはいけない。血統によつてのみ天皇は尊いのだ」と嚴しく戒められました。それを自らに言ひ聞かせてゐるのは當然ですが、現實の表面上の現象を目にすると、精神衞生によくないので、先帝陛下(現上皇さま)の時代から、テレビに天皇と安倍總理大臣が映ると、チャンネルを切り替へました。さういふ現實逃避が許されるのか、家内の後に讀んで、考へ直さざるを得なくなるのかしれません。

  2. 小池石松親分からのメールに、
    「『日本の希望』 読了。かつてのものを 一部修正し、警鐘をならしたものと 理解、読み易いですね。『日本の希望』というより『日本は絶望』っていう気持ちになりますね。その一つが 秋篠宮家の件です」とありました。

    すぐに返事を出しました。
    「『日本の希望』というより『日本は絶望』っていう気持ちーーには同感です。先生の氣力が漲つてゐるのには驚きました、それに奮ひ立つて、よし、やるぞと即座に燃えるべきところ、さうならないのは、こちらの精神が衰弱してゐるからでせう。氣力、體力とも、先生に負けてゐる。その恢復・充實を俟つた上で、日録に、感想文を書かせてもらふつもりですが、いつのことになるやら・・・」

    「秋篠宮に限らず、皇室のことを考へると、不愉快になるので、あの方々をなるべく見ないやうに、考へないやうにしてきました。先に電話で、先生が『マコさんだよ。マコさん』とおつしやつたのは、その件を話さうとされたのでせうが、私は反應しませんでした。觸れたくなかつたからです」

    「それでゐて、自分では一應、忠臣たらむと欲してゐるのですから、胸中は穩やかならず、不謹愼な申しやうですが、酒も旨く飮めません。まあ、『君 君タラズトモ臣ハ臣タリ』とまでの覺悟は出來てゐないのです」

    「それもこれも、我等愚民の愚かさと淺はかさが上つ方に傳播してゐるのでせう。それを反映した姿が明かに見えるので、私などはいらいらするのです。本文に先生はかうお書きになつてゐますね。
    【天皇とその一族が民衆と同じようでありたい、とお考えになるのは妙な話である。民衆と異なる立場でいることになにか後ろめたさを覚えるという空気は戦後に特有のもので、平成の天皇陛下のご言動にも往々にしてこの点が感じられることがないでもなかった。 昭和天皇の弟君に当る故三笠宮崇仁親王殿下の 『進歩的文化人風』ともいうべき戦後のご言動にいちばん顕著に現われていた】」

    「これで、はつきりと思ひ出しました。あの頃は進歩的文化人に非ざれば人にあらずで、猫も杓子も・・・。昨今の”保守派言論人”が竸つて安倍提燈を提げるのに似てゐました。三笠宮殿下は紀元節復活反對を唱へられましたが、その論據が、神武天皇は實在しなかつたからといふことで、 當時もの心がついたかつかないかの私は、 なんだ、その程度のことかとガツカリした(露骨に言へば、 輕侮の念をおぼえた)記憶があります」

    「先生の仰せのやうに『戦後に特有なもの』かどうかはともかく、あの心理はよく分ります。そして、それは決して好ましいものではありません。ああいふスタンドプレーといふのか、媚びといふかーーを生じさせないためには、私の考へでは、最終的には、上つ方に ”祕すれば花”を旨として、國民の前には滅多に姿を現はされず、閉ざされた皇室になつていただく他に手段はないやうな氣がします」

    「でも、今さら、そんなことは不可能でせう。そして、先生の透徹した考察に基いた、情理兼ね備へた、精緻・堂々たる本質論を我々がしかと受け止め、そこから考へを進めることは容易ではありませんね。氣輕にといふわけにはゆかないでせう。よほど、肚を据ゑてかからなければならない。取り敢へず、すぐには感想文を書けない理由でも、日録にかかせて貰ひますか。呵呵」

    以上で、”理由”はほぼ尽きますが、少しだけ追加ーー
    實は、初めにあとがきを讀みました。そこで先生は

    「最後に申し上げなければならないのは、実は私が大変大きな病気をしていたにもかかわらず、 最近書き上げることができたものが本書にあります」
    「私は病気をしていてとてもできないと思っていたこの書を世に送り出すことができて幸いですが、なかでも新鮮な大作はこの韓国論と日本論を論じたものだと思っています。みなさんこれを真っ先に読んでみてください。他にもそれぞれの自信作を並べていますが、この時期にかなり徹底的に書き切ったものです」
    とおつしやつてゐますから、これは相當な力作であらうとは豫想してゐました。けれども、これほどとは思つてゐませんでした。先生の氣迫に壓倒されます。

    「希望は一方的に与えられるものではなく、当然予想される苦難と困難をわが国が背負うという前提で、しかしそれでもこれから迎える運命の世界的状況は、どことなく『我に利あり』という印象を私は持っている」
    ともおつしやつてゐますが、今の私は「苦難と困難」に押し潰されさうな思ひが先立ちます。

    本書に收められてゐる「中国は2020年代に反転攻勢から鎖国に向かう」(『正論』2020年6月号)が雜誌に發表された際、私は「久しぶりに日本國民の一員たることを自覺し、 年甲斐もなく血の滾る思ひがした」と、ここに書きました。あの頃の方が、氣持はしつかりしてゐたのでせうか。とにかく、自身の心身の強靱化が先のやうです。お恥かしい。

  3. 池田さま
    日録 拝見しました。 皇室に対する憂いは100%共感します! 秋篠宮家のことなど口に出したくないほどの酷い話で「宮内庁の無為無策を憂う」(問題は多々ありますが。ご身内である上皇陛下、天皇陛下のご指導などはなかったのか?  小泉信三の帝王学とはなんだったの?美智子様の「ナルちゃん憲法」って 大失敗だったんではないのか?(天皇陛下が皇后を雅子雅子と発言、そういった 会見でみるとき)

    以下 本書、P40 引用です。
    ~~~~~~~~~~
    「私は秋篠宮殿下に訴えたいですよね。「どうなさったのか」と。「ご自分の娘さんのことなんですか、お考えになるのは国民のことをお考えにならないのですか」陛下にも言いたいですね。「畏れながら、どうされたのですか、お孫さんのことだけでよろしいのですか。ずうっと進歩的と称されたい天皇なんですか」と。しかし、この切なる思いは具体的にどこに向けたらよいのでしょう。嗚呼。 
    ~~~~~~~~~~~
    そして 10月26日の記者会見、いくらなんでもと少なからず衝撃。 「支援してくれた人には感謝」、KKに留学等、私がお願いしました。等々。。え~~‼ 驚き、呆れ、言葉がなかった。皇室をなくしてしまおうとする勢力は、さておき、流石に多くの国民の顰蹙をかったに違いない。皇室はこんなにも変わられてしまったのか。

    そして、ふと、浮かんできたのが、全集11巻「自由の悲劇」 「宿命について」でした。皇室に生を受けたのは宿命というものに理解が及ばない「マコ」。「カコも?」

    あとがき P361 引用
    ~~~~~~~~~~
    総じていろいろなことを申しあげましたが、日本は希望に満ちている。日本の希望はあくまでも希望で、輝きの光だから明日実現するという話ではない。しかし、忍耐とともに実現に向かっていく情熱の発露である。(そうあって欲しい;石松)
    私はその点で、日本が西洋に向かって、学習し、学び取るために立ち向かった明治開国のあの雄々しい姿、自分の弱点を正直に認めてそれでも負けないぞという姿を見たい。しかも当時の世界はいまの日本を取り巻く状況に大変似ている。
    そのような意味で、「日本の希望」というこの本を読んでいただきたい。出てくる希望は華々しくなく、小さい発見のいくつかにすぎないかもしれないが、決して消極的ではないのだ。
    ~~~~~~~~~~

    先生の主張に批判などあるわけはない。 しかし、現在の日本の情勢をみるとき 決して明治開国のあのころの気概(命をかけて世界の中に飛び込んでいった) が見えてこない。 やはり、「日本は絶望」ではないのか?率直な感想です。

  4. 『日本の希望』を離れるやうで、申し譯ありませんが、西尾先生にも全く無關係ではありませんので、以下少々ーー

    今日發賣の『クライテリオン』1月號をめくつて、下記記事の渡邊望發言部分だけを讀みました。そして、渡邊さんに愚感の一端を書き送りました。

    【特集2】通巻一〇〇号記念 回想・西部邁
    [座談会]
    西部邁が追い求めたもの――非行、同盟(ブント)、散文的健全性/高澤秀次×渡辺望×富岡幸一郎×川端祐一郎

    渡邊 樣

    さして忙しいわけではありませんが、無駄な勞力を費やすことはいやなので、例の”クライテリオン”の座談會、貴兄の發言のところだけ拜讀しました。西部さんはやはり私には縁遠い人で、愛嬌のある、憎めないタレントといつた元々の印象を超えることはできませんでした。

    「西部さんのアメリカ解釋、アメリカ批判というのは、あまりにも無理がある」には同感ですが、こちらは眞面目に、本氣で附合ふつもりはないので、「付いていけなくなっ」たといふことはありませんでした。

    西部さんの輕業のやうな「アメリカ論」をむしろ樂しませてもらつたと思ひます。合法ではないが、「合徳」といふ西部理論には西尾先生も呆れられたやうですが、私は面白がつてゐました。

    「端的にいうと、西部さんがニヒリズムという度に、その意味が伝わってこなかったんです、私には。存命だったら、『ニヒリズムって何なのか』と西部さんに問いただしたいんですが、その答えが見つかってこないというかな」ーーさうだつたのですか。

    たしか西部さんの自裁の後、西尾先生が追悼文をお書きになつた。それが先生の日録に載つた時、私は貴兄にしつこく、”ニヒリズム”について質問し、貴兄が言葉を盡して説明して下さつたにもかかはらず、私には全く理解できませんでした。あれを思ひ出して可笑しくなりました。

    「西部さんならコロナ禍の『日本人の弱さ』に對決できた」はよく理解できません。川崎氏の「行きつけの居酒屋が自肅していたら、頼んで開けさせろとか言いそう」くらゐのことは、西部さんならやりさうな氣がしますが、戰時下の福田恆存の「僕は今こそ日本人の弱さについて語りたいと思ひます」といふ發言と比肩するほどのことでせうか・・・?まあ、私にはどうでもよいことですが。

    「西部邁の中にあった『フェミニズム』」を、私は全く知らず、今更知らうとも思ひません。

    西部一門の佐伯啓思の安倍晉三批判がシャープだと感心したことがあります。この京大名譽教授は、西尾全集の月報に寄稿してゐたと思ひますが、どういふ人ですか。

    ざつと感想を申しましたが、投げやりで申し譯ありません。

    貴兄の写真写りーーかなり痩せられましたね。私も同樣で、減量に勵んだ結果18㎏ばかり痩せました。でも、年を取つて痩せると、ただの貧相にとどまらず、癌などの病ひを疑はれさうで、氣にしてゐます。宮澤喜一などの最晩年の顏はゲッソリといつた感じで、目を反らしたくなります。

    私自身はあと5㎏くらゐ減らすつもりですが、この二ヶ月ほどは變動なし、難しいですね。老人のダイエットは危險といふ雜誌記事のタイトルを新聞廣告で見ました。どうなんでせう。

    お元氣で。

    池田 三寸

  5. 池田さま

    早速のご感想ありがとうこざいます。

    基本的には追悼座談会ですから、西部さんへのリップサービスもあります。ただ、西部さんへのニヒリズム論とか、暴走的アメリカ論とか、言うべき批判はきちんといえたのではないかとも思っています。

    結局、西部さんは、言葉とか思想を超えたところに、引力圏みたいなものがある人で、私は「エピソードの人」といいましたが、そこをある種の距離をおいて見ないと、彼の無数の思想的欠点を指摘してはい終わり、ということになってしまうのですね。

    反面、側近の方たちの大半がこの引力圏に取り込まれ過ぎて、西部さんについての冷静な議論ができない。西部さんへのオマージュみたいな特集が組まれたこともありますが、大半はその引力圏内から離れられないものばかりで、ただ、何編か例外はあって、小浜逸郎さんの追悼文とかはなかなかよくできていて、「非行保守」という言葉も、小浜さんの追悼エッセイの発明語です。

    この場が日録だからいうわけではないですが、思想家・文章家ということなら、西尾先生の方が西部さんに比べ段違いに上です。ただそうした正当派面でないところの西部論を、拙著と座談会をあわせて、ある程度深読みしてくだされば幸いですし、池田さんの論はその深読みをしてくださっているものと感じられます。感謝です。

    渡辺

  6. 渡邊 樣

    いつもどほりの犀利なコメント忝く存じます。
    「引力圏」「エピソードの人」が西部論のポイントでせうね。

    『日本の希望』についても、貴説を期待してをります。

    池田 三寸

  7. 「日本の希望」に寄せて

    まず、本書第Ⅲ章から第Ⅴ章まで、注目した一節を引き、時に贅言(ぜいげん)を付させていただく。引用が長くなることをお断りしておく。私の不得要領の要約や解説よりも原文に就くに如くはなく、よく読むために西尾氏の声をそのままなぞることになる。私は西尾氏の文章を模倣して発語する。私の声に西尾氏の声が乗る。うまく発音できたとすれば、それは私自身の声であり文章ではないか。小林秀雄がそんなことをどこかで言っていた。「ゴッホの手紙」に引用されたゴッホの声はいつしか小林自身の声でもある。
    「日本国民がトランプにどうしても問い質さねばならない最重要の問いは(安倍首相によって)放置されたままである。すなわち米国は北朝鮮の核の脅威が具体的にレッドラインを越えたときに反撃すると早くから公言し、大陸間弾道弾が米大陸に届かないことを以て、国内の選挙民を納得させている。しかし日本列島はとうの昔にレッドラインを越えているのだ。日本は丸裸である。そのことをどうしてくれるのか。安倍氏はトランプに問いつめたことがあるのか、ないのか。そしてその答えが日本の核武装のすすめだったのか否か、そのあたりの論理をはっきりさせて欲しい。もしはっきりした応答があり、米国の計画表まで示されていたのだとしたら、トランプの答えを日本国民に伏せて置くのは亡国の無責任である」(「安倍晋三と国家の命運」)。
    トランプの答えを日本国民に明らかにすることが政治的にできるものかどうか、私は知らない。しかしここで説かれていることは、われわれの生存に懸かる直截端的な問いである。故中川昭一が北朝鮮の核実験をふまえて「非核三原則を見直すべきかどうか議論を尽くすべきだ」と発言すると、たちどころにコンドリー・ザ・ライス国務長官が飛んで来て核の傘を保証したうえで(確かfull rangで日本を護ると言った)、日本はこれ以上の議論をやめるよう釘を刺した。二〇〇六年のことだ。その後、中川のローマでの不可解な記者会見があり死がある。中川の発した言葉から日本は後退しただけだ。ライス発言という歴史的経緯がある以上、北朝鮮がレッドラインを越えた瞬間に、間髪を入れず日本の核武装の選択を含め、総理大臣がアメリカ大統領の意志を問うのは国民に対する当然の責務である。
    今、日本の総理大臣は核について何を述べているか。12月14日衆議院予算委員会で首相の発言を引く。「バイデン大統領は昨年の大統領選挙で核兵器のない世界をめざすと明言した。是非首脳会談においては、核兵器のない世界をめざすという観点から信頼関係をしっかりつくりたい。そこから様々な取組をスタートしていきたい。是非、来年1月のNPT運用検討会議では成功に向けてわが国として貢献をしていきたい。核兵器のない世界をめざす上で(中略)ベースとなるのは、核兵器国と非核兵器国との信頼関係、すなわち透明性であり、日本として貢献できるように努力していきたい」。韓国を含む周辺国が隠密に開発を進め、原潜への搭載を図っている現在、この脳天気な発言はわが国の首相が幼稚で無慙な戦後民主主義の徒でしかないことを示している。「核兵器のない世界」などオバマに同じく実のない標榜でしかないことはもちろん、ウクライナ侵攻を企図するロシアに経済制裁以上の抑止策を示せないバイデン政権に核なき世界などめざせるはずもない。チャンネル桜12月7日の討論番組「今こそ日本は核武装を」で自衛隊OB三人の将官・提督が、喫緊の核戦力保有の方法、すなわち核シェアリングによる米国核兵器持ち込みか自国開発かをめぐって烈々たる激論を交わしている。われわれの生存のためのリアリズムはここにしかない。
    「平和めかした“マスク外交”をしながら尖閣近くの中国公船の襲来を増加させているたぐいの国の元首に礼儀正しく応対すること自体が「位負け」なのである。招待するなら公船の停止を条件とすべきである。
    (中略)米国議会は中国のウイグル人虐待を告発する法手続きをした。今後、習近平は“二十一世紀のヒトラー”として歴史に名を遺す可能性すらある。安倍氏にはここでよく考え踏み止まって、以後徹底して距離を取ってもらいたい」(同)。
    日本政府の姿勢は何も変わっていない。
    「香港、韓国、台湾の情勢の変化いかんで条件はたちどころに変化するに違いない。そうなれば日米安保条約の破棄はハードルではなく、日本防衛を自国への有利と捉(とら)えるか負担と捉えるかのその時のアメリカ政府の判断ひとつにかかってくる。現実に破棄するときには対日通告のかたちであっという間に行われるだろう。日本側が衝撃にソフトに耐えられるには条件に幻想的に甘えてきた『病理』に早く気が付き、これを克服しておくことが求められる」(二つの病理―韓国の『反日』と日本の『平和主義』〔前篇〕)。
    「トランプ氏はアメリカが危うくなるレッドラインを越えたら容赦しないと(金正恩を)威嚇した。しかし日本列島はずっと前からレッドラインを越えていた。それでもアメリカは責任を果たそうとはしなかったし、今もしていない。この段階で日本は核不拡散条約(NPT)を脱退する権利を得ていたはずなのだ。国際社会へ向けたブラフとしてそう公言しても良かったのである。
    しかし誰一人としてこのことを課題として考えないし、考えようともしない。安保条約はすでに事実上破棄されているに等しいと言い換えてもいい。トランプはいざとなったらこの現実をあっさり、日本政府と相談もせずに、再確認するだけだろう。
    彼が大阪会議の前にひとこと日米安保について、日本人よ、いまこそ本気で考えよ、と言ってくれたのは、親切心の表れであって、脅しでも何でもない。それなのに日本人は今度も反応しない。居眠りを続けている」(同〔後篇〕)。
    「またしても日本を頼りにできないという失望感が政策をきめる重要な要因になっていることを、小泉首相はどこまで気がついているか」(同)。
    「拉致だけ騒いで、核に責任分担できないいつもの日本にはもう飽きている」(同)。
    蛇足ながら補足すると、これはもとより拉致問題を軽視した発言ではない。核を抑止するには核兵器しか意味を持たない世界で、核戦力を備えずに拉致問題解決の外交力は生じないという常識を自覚しようとしない日本の愚昧を指摘したものだろう。
    「習近平中国国家主席の世界覇権意志の露呈以来、アメリカもまた自らの帝国主義の本能を深く傷つけられ、中国の独走を放置できなくなった。北朝鮮問題もこのテーマとワンセットで処理されなければならないと考えだし、重荷を背負わざるを得なくなった。けれどもアジアの問題はどこまでもアジアの手で、という『孤立(モンロー)主義』の国らしい政策上の方針は奥底に必ずあるはずで、中国問題と北朝鮮問題とをどのように一括して解決したら良いのか、その際、日本にどのような役割を割り振ろうとしているのか、今のところまだまったく見えてこない。恐らくアメリカ自身も分かっていないのだろう。いっさいは五里霧中であるというほかないのではなかろうか。
    いっさいは暗中模索であるというのなら、何かが起こったときには、それは瞬時にして起こるのに違いない。あっという間に何かが起こり、それが歴史を決める決定的瞬間となるのだ」(同)。
    かつて六ヵ国協議が行われていた際、東アジアで何かが起こる時は、サッカーゴール前で敵味方が入り乱れ争ううちに思わぬゴールが入るように核ミサイルが発射されるだろう、という怖い比喩を西尾氏が語ったことを思い出す。
    「今の日本が敗戦後遺症を引き摺っていて、それをむしろ自らに有利とする米政府の政策のおかげで自分が何処にいて何をしているのかが見えない恐ろしい自失状態を再生産し続けていることは間違いない。戦争終結後もアメリカは対日戦争を続けているのである」(同)。
    「(北朝鮮に)戦争を仕掛けられていると常識的に認めざるを得ないほどに立ち至った場合を考えてみよう。当然、日米安保条約が発動する。アメリカは報復しようとするだろう。問題はそのときである。アメリカは日本が戦争をやる意志があるかどうかの最終確認を求めるであろう。運命の岐(わか)れ目はそのときである。国際社会のルールに従って戦争に踏み切れば、この国は生き延びられる。万が一、時の首相がアメリカに一寸(ちょっと)待ってくれ、とためらいを見せたら。それが『日本がアメリカに見捨てられる日』になるに相違ない。
    日本がアメリカに見捨てられるということの意味は、日本列島がアメリカ軍にほどなく『再占領』されるということである。東日本大震災時の無政府状態に陥ったときの列島のあの太平洋に頼りなく浮いている漂流国家の姿を思い出していただきたい。あのような状態が再来する可能性がある。しかも軍事的緊張の下にこのことが起こる。アメリカが東アジア全域をこういう場合に管理経営する機能を与えられていることを国際社会は暗黙のうちに認めている。そのための日米安保条約でもある。残念ながらこれが現実である」(同)。
    「経済人に言っておくが、尖閣を失えば、世界の中で日本はいっぺんに軽視され、国債は暴落し、株は投げ売りされ、国家の格が地に落ちた影響はたちどころに他の地域との輸出入にも響いてくるだろう。
    戦後の日本は経済力が国家の格を支えてきたが、逆にいえば、国家の格が経済力を支えてきたともいえるのである。尖閣はだからこそ、経済のためにも死に物ぐるいで守らなければいけないのだ」(「中国人に対する悠然たる優位が見えない日本人」)。
    氏の熱心な読者にとっては、本書のエッセイのすべてが、あるいはほとんどを既読ということもあろう。しかし本になって再読すると、文字が浮き立ち、著者の声がより直截に語りかけてくることを体験するであろう。引用文すべてが肺腑の言である。さらに、初読で十分理解が及ばなかった部分が光を発するのを見るのもまた喜びである。たとえば、二つの戦争は「西洋の内戦」であり、日本はそれに巻き込まれたに過ぎないと氏が語る意味が、以前はよくは腑に落ちなかったのだが、第Ⅶ章を読み直すことで了解できたように思う。一九四一年八月には「大西洋憲章」が出され、国際司法軍事裁判開廷の予告となったセント・ジェームズ宣言は真珠湾の翌月には発出されている。ドイツに対する道義的懲罰の用意が整っていたことの証左である。東京裁判の被告達はヒトラーの側杖を喰ったのである。

    第Ⅵ章「『なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか』ではなく、『なぜアメリカは日本と戦争をしたのか』と問うてこそ見えてくる歴史の事実」は、大東亜戦争開戦経緯を十全的確に語る得難い啓蒙の文章である。「真珠湾攻撃の直前において日本人がどう考えて日米戦争を迎えたかを広い認識から正確に手に入れることが、なぜ開戦に至ったかの秘密をわれわれに解き明かしてくれる切っ掛けとなる」。この論文だけでも悠仁親王殿下がご覧になることを冀(こいねが)わずにはいられない。殿下に日本近代史をご進講申し上げたのはひとり故半藤一利だけではなく、伊藤隆東大名誉教授もその任に就いたらしきことを最近知った。殿下が半藤流の「昭和史」以外に歴史の真実があるのだとお気づきになられる契機となれば、希望があるはずである。
    「第一次大戦後のベルサイユ会議の民族自決主義、第二次大戦直前の大西洋憲章という、それぞれアメリカ提案の『正義』イデオロギーにおいて西欧列強の植民地主義を不可能にしていく」。ここまでは世に流布している認識と言えよう。西尾氏が卓越しているのは、この後踏み込んでゆく認識にある。「植民地否定の民族自決主義ならば日本の年来の主張であり、アメリカが『正義の』の理念通りに動くのなら日米両国はここで手を結ぶことができたはずだ。大西洋憲章と東條内閣の大東亜共同宣言に、理念において大きな隔たりはない。しかし、アメリカは理念と正反対に行動する国だった。アメリカを動かしたのは自国の利己主義だけだった」(傍点、引用者)。
    「ジョンヘイの門戸開放宣言の本当の狙いはじつは満州におけるロシアの勢力排除にあった。アメリカの目の上のたんこぶは最初日本ではなく、ロシアだった。だから日露戦争でアメリカは日本を応援し、日本はアメリカを友好国だと信じたが、ロシアが邪魔だっただけの話である。戦争が終わってアメリカの政策は今度は日本の勢力排除に向けられるようになった」(傍点、引用者)。
    「メキシコから領土を奪い、スペインを制圧して太平洋の島々に理由もなく必要もなく進出し、無意味に膨張したアメリカに対して、アジアの民(たみ)草(くさ)を代表して初めてNO!と言ったのが真珠湾攻撃だったのではないか。そのため日本は火だるまとなって焼け尽きたが、アメリカの西進の野蛮を問い質し、これを高い道義から否定した貴い犠牲ではあった。
    さりとて聞く耳を持たぬものは同じことを繰り返す。西へ向かうアメリカの熱病は近年中国を飛び越え、アフガニスタンから中東イスラム圏にまで到達し、ドルの急落を招き、ついに大国としての黄昏を迎えつつある。真珠湾攻撃は七十年かけてようやく一定の効果をあげたというべきではないか」(傍点、引用者)。
    この論文は、世界史の中に置かれた日本を海外との相互作用の中で捉え、かつ五百年のスパンで世界史のダイナミズムをつかむという、雑誌「正論」に連載されていた巨視的戦争史論の方法がコンパクトに凝集し成果を挙げているのである。

    「ありがとうアメリカ、さようならアメリカ」でしかと認識に収めておくべき一節は以下であろう。
    「アジア・アフリカ諸国がすべて解放され、地上から植民地がなくなった時代が来たというのに、日本一国のみが政治的・外交的・軍事的・経済的にアメリカ一国に植民地のごとく服属している異様さは疑うことができない現実である。それはドイツと日本が冷戦中の段階で、NPT(核不拡散条約)が生まれた一九七〇年代に、核を持たない国として特定され、封じ込められ、いわば『再占領』状態に陥ったことに由来しているといっていいだろう」。
    「アメリカが日米安保条約を破棄し、独立した大国としての日本に進んで報復核抑止力を与え、海上輸送ルートや海上領土主権を守るための軍事力の充実に協力することが、アメリカの国益でもあるということに否応なく気づく時期は遅かれ早かれやってくる。われわれはそれをただ無為に待つのではなく、それには相応の準備、一年や二年ではできない心の用意と法制度の改変と整備が至急求められていることは、改めて言うまでもない」。
    上記チャンネル桜の討論に出席した元海上自衛隊潜水艦隊司令官海将は、原子力潜水艦建造を今から初めて一番艦就役までには少なくとも五年を要すると言っている。

    「二つの世界大戦と日本の孤独」は上記論文とまったく別の角度から戦争を論じ、いわゆる東京裁判史観を根底からひっくり返す論述が史実を基に展開される。
    「一九四五年に何かが変わった。それ以前には『差別』が公然の行動原理であった。ナチズムだけがそうであったのではない。英、米、仏、蘭、白(ベルギー)、豪など白人文明国は有色人種を差別することに躊躇の念がなかった。(中略)植民地帝国主義に向けられてきた永年の呪いの音声は、歴史の背後から、地鳴りのように今でも白人たちの耳に響いているはずである。
    彼らは魘(うな)されている。なぜあんな非人間的なことを自分たちはしてしまったのだろう。しかし本当はなにも反省していない。本心では今でも有色人種を『差別』しているし、巧みな政治機構を作って囲い込もうとしているにすぎない。が、公的には人種に関する『差別』を絶対に口外することができない情勢が一九四五年を境に生まれてしまった。
    アウシュヴィッツ!
    稲妻が走り、雷が落ちたのである。彼ら白人たちの頭上に。
    ソ連の崩壊は第三次世界大戦の終結であり、本来なら国際軍事法廷が開かれ、ソ連や中国の首脳の絞首刑が判決されるべき事件であった。だが、大量破壊兵器を保有する国の「人道に対する罪」はことごとく蔽い隠されたままである。かくて、ソ連や中国は『全体(トータル)戦争(ウォー)』の敗北国家でありながら、ドイツや日本のような扱いを受けないで無罪方面となり、大きな顔をしてのうのうとしている」。
    片や「太平洋上で英、米、仏、蘭、独、豪のした陣取り合戦は、『侵略』の概念に当たり、『平和への罪』を形成していないのだろうか」。西尾氏は「米国と豪州が手を結んだ対日悪意」が「戦意にまで高まっていた」様相を描く。また、豪州は「白豪主義」のもと日本人移民を排斥した。「英、米、豪は日本に対し『共同謀議』の罪を犯していないか。広域にわたってあらゆる島々で起こった虐殺には、正確な記録はないが、ホロコーストの名で呼ばれるのがふさわしいのではないか」と跡づけてゆく。この辺の本文は水も漏らさぬ筆致であり、直接当たっていただきたい。
    「いま世界はあの二つの裁判(ニュルンベルクと東京<引用者註>)を心の中でたえず思い出しているかのように思われる。裁いた側の戦勝国が、裁かれた側と同じ罪業、すなわち侵略戦争(平和に対する罪)、戦争犯罪、人道への罪、国家犯罪に対する個人の責任などの、自分たちも裁かれて当然な所業を再三やってきたこと、つまりは自分たちが無理な裁きをしたことに否応なく気がついているからである」。
    「十七-十八世紀という東アジアの安眠していた静かな時代に、インドから東へかけて太平洋の島々を好き勝手に占有し、暴虐の限りを尽くしていた国々は、『ならず者国家』以外のなにものでもないであろう。(中略)先の戦争、私の父や母が健気(けなげ)に戦ったあの戦争は『ならず者国家同士の内戦』とはまったく別のもので、私にいわせれば掛け値なしの『大祖国戦争』にほかならない。
    ただこの戦争は二つの世界大戦に同伴し、しかも時間的に後追いした形になったために、ややもすると同一視され、参戦前に決められていたドイツへの戦後の裁きと同じ形式によって、無関係な罪状で裁かれるという不運な目に遭った」。
    第一次大戦後にはインドの詩人タゴールが文明のもたらす非文明、ヨーロッパの野蛮を指摘し、ヨーロッパ内部からの強い反省の書としてシュペングラーの「西洋の没落」が上梓され、詩人・文明批評家ポール・ヴァレリーが国連知的協力委員会を指導して文明再建の手段を見出そうとしたと西尾氏は説く。その講(こう)筵(えん)に列した中村光夫が留学記「戦争まで」で、「風貌や口のきき方などにはどこか僕等が昔習った漢文の先生といったところがある」と描いたあのヴァレリーが、である。一九二八年にはパリ不戦条約(ケロッグ・協定)が調印される。「しかし、第二次大戦の後で欧米の勝者の中から反省の強い声は出たであろうか。惨劇の規模は前の戦争よりずっと大きかったのに、戦勝国はナチスの悪口ばかり言って、自己批判の声はなく、ついに異なる戦争をした日本まで巻き添えにして、責任を敗戦国に転嫁しつづけた」。
    「人類はここでは精神の秩序をつくれない。そのため第二次大戦の自己反省ができないだけではない。二つの裁判で敗戦国に強要した贖罪を戦勝国もまた自分の課題としなければならないのに、そのことがすっかり忘れられてしまった。
    ニュルンベルク裁判の首席検事ジャクソンはドイツの高官に対し適用した法律は今後あらゆる他の国民の侵略戦争に対し有功でなければならないと言明したが、それに従うとすると、第二次大戦の戦勝国は大いに困ることになるはずである」。
    「ヒトラーの大本営がどこにあるかは知られていたにも拘(かか)わらず、連合国の空からの攻撃を受けたことはない。イラクのフセイン大統領にはピンポイント爆撃が繰り返された。最後に地下の小さな穴から這い出てきた髯ぼうぼうの大統領は全世界に配信されるテレビの見世物になった。
    南北戦争の南軍大統領に足かせまでかけたあの辱(はずかし)め、リンカーンの正義のイデオロギーによる懲らしめは、一五〇年たってついに極限に来た。乃木将軍の寛仁(かんじん)大度(たいど)の武士道の精神どころの話ではない。ヒトラー一味にも加えられなかった残酷な見せしめが今では大国の政治利用の道具となった」。
    「いうまでもなく広島、長崎の幻影が悪夢のごとく彼ら(米国)を追いかけてくるのである。歴史の復讐を恐れているといっていい。
    十七世紀以来の白人キリスト教文明の地上で犯した数限りない犯罪の幻影に、いま欧米世界は密かに心を労しているように見える。(中略)彼らは領土拡大欲はもうもたない(中国は別だが)。世界の歴史を塗り替えることにじつは密かに意を注いでいる。自分たちの犯した悪の幻影を振り払いたいからにほかならない」。
    「大罪を消すために小罪を告白する。歴史の改竄をしたいのは、彼らが過去に怯えている証拠である。謝罪できるものは何でも謝罪したいだろう。しかし主権国家としては謝罪しない。国家行為に関わる歴史は謝罪の対象に絶対にしないのだ。
    日本のように天皇、首相、閣僚が過去の『植民地支配』や『侵略戦争』に対して毎年のように謝罪や遺憾の表明をくりかえす国は世界に他にただのひとつもないといっていいだろう」。
    「反復謝罪の要求は、世界で日本を抑えつけておこうとする『戦争』がなお続いていることの何よりの証拠である。日本が半世紀以上も前の戦勝国にいまだに許しを乞うことは、将来の戦争に道を開くような愚挙に外ならない」。
    民族の自尊心を何重にも傷つけられた日本が、名誉回復を求めて立ち上がらないとどうして言えようか、ということだろう。

    Ⅷ章「陛下、あまねく国民に平安をお与えください」
    「怒りにかられた国同士が戦争するのは昔は当たり前で、勝者が領土を取り、敗者は賠償金を払って、一切が決着し、後は恨みっこなし。これが人類の正義の付け方、戦争の倫理でした。ところが核兵器が登場すると、全滅戦争に拡大しかねないだけに何もできなくなってしまった。
     平和が続くのは結構なことだと人は言いますが、では正義はどこへ行くのか。核保有国がいかなる不正を働いても、核を持たない国は屈服するほかない。これが、戦後七十年の安倍総理大臣談話にある『不戦条約』がもたらした『戦争自体を違法化する新たな国際社会の潮流』の行き着いた姿なのです。
     こんな『道理を持たない平和』は生暖かいものでしかなく、私の脳裏には「明るい猥褻(わいせつ)」という言葉が浮かんできます。ここでは勇気とか素朴さとか英雄願望とか、理念への忠誠とか自己犠牲とか、人類が古来大切にした普遍的な善の大きな部分が育たない。これは人格に歪(ゆが)みや屈折をもたらします。
     このような平和においては、そもそも人間として必要な成長や老成が起こらない。人間が老熟することと無気力との区別はつかないことになるでしょう。沈着で冷静なことは大切ですが、無感動との区別がつきますか。そういう時代をわれわれは生きていませんか。私はこれを『永遠の未成熟』と言うのですが。その淵源がパリの不戦条約にある、と敢えて言いたいのです」。
      こういう情勢下、政治が国民の生命を守るために立ち上がらず、核の脅威に裸身をさらすままでいる倫理と責任を放棄した姿に、国民が心の奥底で信を置かないのは当然の反応である。選挙で自民党政権が勝つのは消極的選択の結果に過ぎない。少子高齢化には高度産業社会ゆえの必然という要素はあるだろう。しかし、いつまでも日本の歴史の『正義』を主張せず、内にも外国人の急増の放置やゼロ成長経済という無策も加わり、日本の将来に希望を抱けないという深い落胆を抱いているからこそ生じた根源的な政治不信、生命力の低下のゆえだと思われる。こんな国どうとでもなれ、という喉まで出かかっている声を押し戻し、どこかに希望を繫ごうとして生きている人は少なくないだろう。
     「第一次大戦の戦勝国を中心に結成された国際連盟でも、日本は常任理事国として優等生的に振る舞った。にもかかわらず、わがまま勝手でデタラメで分担金も払わないシナを、連盟の主導権を握るイギリスを中心に、非加盟のアメリカまでもが応援しました。日本の連盟脱退は「国際社会に背を向けた」と言われますが、それは理不尽なイギリスと丁々発止やり合った末の結果なのです」。
     「開戦時の状況を考えれば、戦っても戦わなくても潰されて隷属国の運命に置かれることは必定で、国家存立の基盤もプライドも永遠に奪われていたはずです」。
     「売られた戦いは受けるしか道はない、が最終会談に臨んだ特命全権大使来栖三郎の心境でした。アメリカにも紳士道があるので、まさか最後に「新型爆弾」を投下するなどとは夢にも考えられてはいませんでした」。
     「一九四五年(昭和二十年)のこの国(アメリカ)のパワーは一九四一年の段階でそれとはまるきり違うものとなっていました。
     一九四一年の段階でそこまで読み切ることは当時の日本人には不可能でした。これは間違いなく一大悲劇であり、愚かであったと『反省』してどんな代替策があったと言うのでしょう。申し訳なかったと戦勝国に『謝罪』するのは死んで行ったわが国将兵の名誉と矜持とを深く傷つけることに他なりません」。
    これらは現在静かに行き渡って来た認識かも知れない。しかしそれは、昭和二十年一月、雑誌「近代文学」同人に向けた小林秀雄の言葉、「この大戦争は一部の人達の無智と野心から起ったか、それさえなければ起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃない」を皮切りに、福田恆存・江藤淳・西尾幹二、あるいは田中美知太郎・中村粲(あきら)といった人たちが蒙を啓いてくれた結果である。小林が「歴史の必然性」と言っているのは、本章冒頭の西尾氏の文章が的確に敷衍(パラフレーズ)していると言ってさほど誤りではないだろう。「孤立した単独の一文明国家であったわが国の近代史が、世界のあらゆる地域の覇権国家を次々に制圧してきた現代の帝国アメリカの成立史にぶつかってしまった。近代史の門口でわれわれが出会ったこの偶発事故は誰にも予想がつかない、あまりに唐突な出来事であったので、これを悲劇と呼ばずして何と呼ぼうかという以外の言葉を知りません」。
    「一体このような過去に私たちは『謝罪』とか『反省』とかいう言葉を用いるのは、あまりに傲慢ではないでしょうか。何が何に対して謝罪しなければならないのか。そんな偉い立派な認識に私たちは到達しているのでしょうか。そんなことを言える資格があるだろうか。
    あまりにも厳しい、あまりにも辛い環境に置かれたわが日本一国、単一文明国。それゆえに主張してきた先祖たち、先輩たちの悲しみを、改めて追認し祈る以外に方法はない、と私は思います」。
    戦後、この「傲慢」の嚆矢となったのは丸山眞男「超国家主義の論理と心理」であろう。私が読んだのは五〇年前だが、日本の指導者や中小商工業者を嘲弄するにナチスの巨魁ゲーリングを以てする筆法に、一読して贋物の臭いを嗅ぎ取って遠ざけた。こんなものが政治学の世界で猛威を振るい、英訳されて日本研究の基本文献と位置づけられるなど悪夢のようなものだ。私が読んだ限りこれを正面から最も意を尽くして論破したのは佐伯啓思氏である(著書の題名は失念した)。
    「何度も申しますが、もはや謝罪や反省の時代ではない。単一文明国の近代史が、巨大な不運と悲劇にぶつかった歴史的事実が存在するだけです。その歴史的事実の頂点にあらせられたのは皇室であり、皇室に守られて私たち日本人はここまで生きてこられたということも、見逃せない事実だと思います。そしてその皇室をも護ろうとしてきたのは、外ならぬ靖国の英雄だったのです」。

    本書の、特に第Ⅰ章(特に「回転する独楽の動かぬ心棒に ―今上陛下に改元を機にご奏上申し上げたこと」)、第Ⅵ・Ⅶ・Ⅷ章から、読者は西尾氏の日本への心魂に徹した静謐な祈りの声を聞くであろう。永年、恐るべき真実を、憂国の情を世に問うてきた氏にして、晩年の書物の標題を「日本の希望」と銘打ったことが、氏の祈りがこめられていることを示しているであろう。何が希望なのかは必ずしも明示的ではない。また朝露のごとく消える希望の影を指し示すことは氏の本意であろうはずもない。では、希望の基(もとい)は何か。視程を短くとっても幕末から現在に続いてきた苦難とそれに直面し事態を切り拓いてきたわが国の歴史、省みて恥じるところのない日本近代の正義が時とともに明らかになりつつあり、われわれに静かだが確固たる自信をもたらしていることである。そしてもとより皇室である。敗戦後に勝者と向き合って自らの生死を問わず万世一系の皇統を護った昭和天皇の存在はいかに尊いことであろう。西尾氏は、日本の歴史と皇室に希望の淵源があることを、その叙述によって明らかにしたのである。

    <追記>
    本書を読む前に私の脳裏にあったのは、「全体主義の呪い」の最後に語られる「恐らくこれからは独裁者への熱狂の声もなく、まったき行政のみから成り立つ後期全体主義が、(中略)静かに、辷るように、それと気づかぬうちにするすると始められてしまっているであろう」という指摘であり、西尾氏自身最近どうお考えかということであった。それは、単行本刊行時の江藤淳の推薦の辞にある「本書の最大の功績は、(中略)ひょっとすると『自由』世界で暮しているはずの自分もまた、既に『全体主義の呪い』に浸されて生きているのではないかという、恐るべき認識に目覚めざるを得ないところにある」という言葉で的確に捉えられた認識である。

     さらに本書第Ⅱ章「言論界を動かす地下水脈を洗い出す」にある次の文章が印象的であった。「今われわれは、家族、民族、国民国家、各種のエスニックな地域共同体、そして十九世紀ヨーロッパ(いわゆる大英帝国覇権時代)に一時的であれ均斉と調和を保った国民国家とヨーロッパという大秩序との間の幸福なバランス、ナショナリズムの美徳の回復を今一度回顧し、これからの文明の理想的方向を模索すべきではないだろうか」。
     「印象的」と言ったのは、本書が出版された時、たまたま私は高坂正堯の「古典外交の成熟と崩壊」を四十年ぶりに読み返しており、ウイーン会議の主役たち、すなわちメッテルニヒ(墺)、カースルリー(英)、カニング(英)、タレイラン(仏)たちが安全保障の装置としての勢力均衡の実現にいかに力を尽くし、さらにそれが崩壊していったかにページを繰ろうとする途中だったからだ。フランス革命が生んだジャコビニズムの波及を食い止め、ナポレオン戦争という全面戦争の衝撃に対処するために、彼らはヨーロッパという共同体と国家利益との調和と妥協、バランスに腐心を重ねたのであった。カースルリーに至っては、その過酷な課題の解き難いジレンマの前に立たされ自ら命を絶つに至るほどだった。高坂はこの時期の「高度の発達を遂げたという意味で完結性」を有する外交、「戦争の危険をあまり大きくないものに封じこめるのに成功した外交」を「古典外交」と呼んだが、「こうした歴史から現在の時期に役立つものとして引き出しうる特定の教訓は最小限のもの」(キッシンジャー)であり、「なにが国益であるかについての過去の方式はわれわれになにも教えない」。しかし「この捉え難い概念を捉え、実現しようとする苦闘の秀れた事例は、われわれに多くの知恵を与えるのである」とする。「古典外交」たる所以であり、「それは結局、百年の間、つづいたのであった」(キッシンジャー)。われわれが還るべき場所が「古典」であるならば、高坂が「古典」外交の時代と呼んで活写しようとした世を、以て範とすべく「模索」すべきなのだろう。

  8. マキャベリに「地獄への道を知っている者が、天国への道を知っている」という言葉があります。

    「天国・地獄」と「絶望・希望」は必ずしも一致する対義語ではないですが、けれどもこの『日本の希望』という書物の表題はマキャベリの言葉になぞらえて「日本の絶望を知る者は、日本の希望を語ることができる」という逆説を言っているのではないでしょうか。

    この本は基本的に雑誌掲載の論文集ですが、大概の読者がまず少し驚くのは、掲載雑誌の時間的スパンが非常に長く十数年にも及んでいて、もはや懐かしい「諸君!」の名前もあることでしょう。その上でたいへん面白いことは(「あとがき」で西尾先生がこれに近いことを言われていますが)先生の各種議論で、もっとも色褪せていないというか、何年たっても新鮮なのは、韓国論だということです。

    これは韓国という国の悪い意味での原理主義を、西尾先生が丁寧さと怒りを使い分けつつ抉りだしているからで、「日本の絶望への道」には今までもこれからも、韓半島の原理主義というものがあるのだ、ということを思い知らされます。十数年どころか百年も千年も、韓半島にとって、時間というものは意味をなさないといってよいわけです。西尾の先生の縦横無尽の韓国論と、韓半島のあまりに変わらない現実は、ユーモアさえ感じさせます。

    ではそれ以外で、本書から、十数年という時間に何か意味を感じることはなんでしょうか。十数年前といえば、西尾先生が、ある種、言論人の存在を賭けて、雅子さん問題をきっぱり指摘した頃です。

    あの指摘はセンセーションを巻き起こしましたが、ではそのセンセーションで日本人が変わったのかどうか。西尾先生が今度は小室圭さんの問題でまたしても苦言を呈さなければならないのはどういうわけなのか。もちろん皇室や宮内庁の内部に問題が深刻にあるのは間違いないでしょう。しかし、皇室をはじめとする内外の諸問題に対しての日本人は、この十数年でいったいどうなったのでしょうか。

    先生は本のある箇所では「静かな狂気」と言ったり別の部分では「諦め」と言ったりあるいは「引きこもり」と日本人の推移を形容しています。これらの裏返しなのか「成熟」という言葉なんかもみえます。端的にいえば、日本人全体が、気味の悪い希薄さに向かって進んでいる。だから、西尾先生の雅子さんへの十数年前の指摘と今回の小室さんへの指摘は、同じく論理的に全く正当であっても、ずっと孤立を強いられている主張にみえます。韓国人の「わかりやすい不気味さ」より、実は日本人の静寂化の方がよほど不気味で、これこそが、「絶望への道」の正体なのではないでしょうか。

    先生が本の中の複数の論文で言われているように、中国への日本の優位は基本的に揺るぎないもので、また中国は2020年代に鎖国傾向を強めていくのは明らかです。だけれども、それを利する日本人がほとんど現れない。過去の歴史のだいたいのパターンだったら、中国が鎖国化し内輪もめをした場合に、日本は政治的に「活発」で「元気」になってきたはずです。しかし2020年代の日本にはその気配はほとんどみられません。

    武漢ウイルス一つにしてみても、日本人が対中国への怒りを爆発させ、これが日本人のナショナリズムの起爆剤になる、という事態になるのが論理的なようにみえます。だけれども、これは私の持論ですが、昨今の日本に台頭する改憲論は、ロックダウンやワクチン強制などを可能にする「個の防衛」からのものであって、中国や北朝鮮への国防意識を底に据えた「公の防衛」からのものではまったくありません。中国への怒りはむしろ欧米で燃え上がっているという状況です。

    本書で西尾先生いわくの「軍事アレルギー」がまったく継続したまま憲法改正に進もうとしている。こんな憲法改正はむしろ左派的改憲になる危険すら孕んでいると思われます。

    いったい、日本人はどうしてしまったのか。このことへの答えに一番近いものは、本書では「保守の立場から保守政権批判の声をあげよ」の論稿ではないかと思います。ここで言われている「仲良しクラブ」という言葉…..実はこれこそが、この十数年で、表面的には「保守化」したようにみえた日本人の精神性や言論世界の実体だったのではないですか。本書には西尾先生の安倍論(批判的なようにみえますが決して安倍さんへの一方的批判論ではありません)も掲載されていますが、ある段階から西尾先生がいわれた「安倍仲良しクラブ」、これが日本人を精神的に空白化させた正体だったと私は考えるようになっています。

    「仲良しクラブ」は仲間うちでの批判力を制限規制していき、言論人や国民の言論力をどんどん弱めていきます。実名は出しませんが、保守言論界の有力部分の評論家や出版人が「仲良しクラブ」になり、結果、安倍さん本人が退陣すればクラブは解散、武漢ウイルスなどの新状況に対応できず、本当の論壇の消滅を防げなくなっているようにみえます。かつて、大平正芳さんなどの総理も知識人ブレーンをつくりましたが、決して「仲良しクラブ」なんかではありませんでした。

    「西尾先生の苦言に従えばこんなふうにならなかった」と言いたいところで一言だけ、私がさらに危ないと思うのは息も絶え絶えの「安倍仲良しクラブ」の言論人や出版人が「高市仲良しクラブ」に模様替えをはかっている向きがみられることです。「仲良しクラブの再生産」というべきでしょうか。西尾先生の本書での高市さんへの評価はもちろんきわめて正しいものと思いました。しかし、高市さんへの自称保守派の面々のそうした動きをいえるのは、まず西尾先生だけだ、ということを私は付け加えることで、本書の感想の第一段階をとりあえず終えたいと思います。

    「絶望」「希望」ということでいうなら、マキャベリ以外に、三島由紀夫さんがある作家について「あらゆる絶望はすでに氏の作品に語られ尽くしていた。だから氏の作品を読むことが唯一の希望になった」という批評も思い出します。希望と絶望とは、そんなふうに本当は対立しているものではないということを文化史上の賢人は熟知していて、その先端に西尾先生の新刊はあるのかな、と私は思っております。

  9. 渡邊 樣

    見事な御論評に目が醒めたやうな氣がしました。といつて、私ごとき怠け者に天國へ行ける保證が與へられたわけではありませんが。

    さうですか、「地獄への道を知っている者が、天国への道を・・・」ですか。私は「地獄への道」を全く知りません。「道」について考へたことがないのです。どうせ墮ちるなら、考 へてもしかたがない。「我々は地獄行きの特別指定券を西尾先生からいただいてゐるのだから、ジタバタすることはない」などと、越後の(小池)石松親分と戲れたり、強がりを言つたりしますが、實は怖くて、私は地獄そのものにも、そこへの道にも觸れないや うにしてきました。でも先日、少々心配になつて、親分に「地獄とはどんな所か」と質問したところ、「柏崎にある閻魔堂の地獄絵」の寫眞を、釜茹で・針の山などの解説づき
    で送つてくれました。顫へ上つた私は「なんとか地獄墮ちを免れる方法はないか」と哀 訴したところ、親分は「今度、東京でイッパイやつた時に教へてやる」とじらしてゐます。

    地獄が怖いからとて、その(道をも含めて)研究を怠つていいわけではありませんね。 「知る」ことによつて、墮ちずに濟む場合もあるし、墮ちるにしても、墮ち方を變へられることだつてあるかもしれないのですから。

    (序でにうかがひますが、マキャベリはこの言葉を手紙に書いたやうですが、誰への手 紙ですか。「君主論」だけは何度も熟讀玩味したつもりですが、この言葉は出てこなか つた やうな氣がします)

    そして「書物の表題はマキャベリの言葉になぞらえて『日本の絶望を知る者は、日本の 希望を語ることができる』という逆説」との御説に、心底から共感をおぼえました。同時に私のやうに、「絶望」から目を逸し續けた者に希望を語る資格のないことも認めざる を得ません。まあ、今後の心がけにもよりませうが、既に、日は暮れて・・・。

    「十数年前といえば、西尾先生が、ある種、言論人の存在を賭けて、雅子さん問題をき っぱり指摘した頃」との御指摘には、穴があつたら這入りたい思ひです。あの頃も今も、 私は雅子さんを含めて、皇室のことはなるべく考へないやうにしてきました。先生の『皇太 子さまへの御忠言』をも避けました。 坦々塾で、 先生の講話の後、私は雅子さんの”適 應障碍”とはどんなものなのか質問しました(先生は「オフレコでいいなら」といふ條件でお答へ下さいました)が、私としては、それほど眞劍にお訊ねしたわけではなく、とぎれた質問の穴埋めくらゐの氣持でした。

    そして先日は電話ですが、先生が眞子さん(即ち小室圭さん)問題についてお話し下さらうとされたのに、こちらは反應しなかつたのですから、罪萬死に値ひするかもしれません。要するに、考へると不愉快になるやうなことからは、逃げてゐたのです。

    「西尾先生が今度は小室圭さんの問題でまたしても苦言を呈さなければならないのはど ういうわけなのか」「皇室をはじめとする内外の諸問題に対しての日本人は、この十数年でいったいどうなったのでしょうか」とのお言葉は、私自身に對する批判と受け止めざるを得ません。先生がこれほどの思ひをされてゐるのに、私が知らぬ顏でいいのか。嘗て天 皇に徳を求めるなと言はれたことを楯に、自分にはかかはりのないことと、都合よく決めてゐたのです。越後の 親分と「酒が不味くなるやうな話は止めよう」などと申し合せたのもいけなかつた。「どうなつたのでしょうか」。

    數年前の日録を見ると、先生の
    「日本国民の過半が憲法改正を必要と考えるのは、逆にまともに生きるためにはたとえ不安でも自立が必要と信じる人が多いことにある」
    との御所論に對して私は、
    「”過半”といふ數字があるにしても、私は最早、我が同胞をあまり信用することができない。如何なる國民も、自分たちのレベル以上の政治家を持つことはできない、と言はれる。9條3項とやらを、自信なささうに唱へる總理大臣がさして咎められずにすんでゐる、そのやうなことを默許する國民が、”まともに生き”ようといふ意志を持つてゐるだらうか、”自立が必要”と信じてゐるだらうか。今の皇室も政治も、そのやうな國民の程度を正確に反映してゐると私
    には見える」
    「この『正論』でおつしやつてゐることの先に、先生がどうお考へになつてゐるのかは、『こんな國は地獄に墮ちるだらう』『皇室もなくなるだらう』(いづれも、昨年末の坦々塾に於ける講話から)といふお言葉が示してゐるのではないか。インフォーマルな場だけに、先生は眞意をそのままお出しになつたのだと私は考へてゐる」
    と素直でないことを書いてゐます。いま讀み返して、生意氣で、眞劍な先生に失禮ではあるが、さう間違つてゐるとも感じません。御指摘の、先生の「逆説」への顧慮が不十分であつた、そして今は氣が弱くなつたーー程度の反省ですましていいものでせうか。

    「大概の読者がまず少し驚くのは、掲載雑誌の時間的スパンが非常に長く十数年にも及んでいて、もはや懐かしい『諸君!』の名前もあることでしょう」には完全に同感です。そして個人的思ひ出もあります。たしか渡邊さんの文章が『諸君!』に載ることになつてゐたのに、その直前に廢刊といふやうなことがありましたね。「載る」ことは先生からお聞きしてゐましたが、「廢刊」決定のことは知らなかつたために、坦々塾の後の宴席で、隣合はせた『諸君!』の編輯長に貴稿のことを持ち出して、話がをかしくなり、恥をかいたことがあります。

    「西尾の先生の縦横無尽の韓国論と、韓半島のあまりに変わらない現実は、ユーモアさえ感じさせます」、これも全く同感です。先生は呉善花さんの説からかなり得るところがあつたのではないでせうか。彼女のひたむきなところ、眞面目に考へる姿勢をかなり高く評價されてゐると感じました。坦々塾で彼女に講演してもらつたことがありますね。あの翌日、先生と電話でかなり長く呉善花論を交しました。先生は彼女の眞摯さ、考察の深さを讚へられましたが、その舊自國(既に、日本に歸化してゐました)の比較對象國が日本オンリー・ワンであることを「氣の毒だね」とおつしやいました。我々元々の日本人は、「アメリカではーー」「英國ではーー」「フランスでは」「支那ではーー」と、自國を色々な國と比べますから、日本としか比べられない呉さんが氣の毒なのは間違ひなく、私は即座に贊成しました。でも、唯一なのは彼女の一途さの證明かもしれません。 私も、先生と共に彼女が好きです。

    しかし、あの時は少くとも私は韓國を、餘裕をもつて見てゐました。「氣の毒」に贊成した所以です。「韓国人の『わかりやすい不気味さ』より、実は日本人の静寂化の方がよほど不気味で、これこそが、『絶望への道』の正体なのではないでしょうか」ーーウーン、これには考へ込みました。たしか、先生が「静かな狂気」とおつしやつた時、私は本欄に、そのお言葉がよく理解できないと書いた記憶がありますが、「別の部分では『諦め』と言ったりあるいは『引きこもり』と日本人の推移を形容しています。これらの裏返しなのか『成熟』という言葉なんかもみえます。端的にいえば、日本人全体が、気味の悪い希薄さに向かって進んでいる」ーーさうなのですか。しばらく考へさせて下さい。たしかに不氣味ですが、何もまとまつたことは申せません。

    「『日本の絶望への道』には今までもこれからも、韓半島の原理主義というものがある」といふことも、考へさせて下さい。

    「中国が鎖国化し内輪もめをした場合に、日本は政治的に『活発』で『元気』になってきた」歴史については、嘗て渡邊さんに講義していただき、十分納得しました。けれども、
    「中国への日本の優位は基本的に揺るぎないもので、また中国は2020年代に鎖国傾向を強めていくのは明らかです。だけれども、それを利する日本人がほとんど現れない」ことの不思議さ、
    「武漢ウイルス一つにしてみても、日本人が対中国への怒りを爆発させ、これが日本人のナショナリズムの起爆剤になる、という事態になるのが論理的」なのに、さうならない不思議さーー
    には今、はつと氣づきました。現に私自身、2年前には、憎しみを込めて「武漢ウィルス」「武漢肺炎」「武漢熱」と呼んでゐました。

    然るに今は世間と同樣に、「コロナ」と言つてゐます。西尾先生の「新型コロナウイルス」といふ呼稱に對する批判は覺えてゐるのに。要するに、以前のやうに突つ張る氣力がなくなつたのでせうか。屡々聞くハニートラップとやらに感心し、それを仕掛けられる程の權力を持ち得なかつた自分にイヤケがさして、偉い人々に反抗する氣力もなくしたーーなどと、逃げることは許されない
    でせうね。

    「日本人はどうしてしまったのか。このことへの答えに一番近いものは、本書では『保守の立場から保守政権批判の声をあげよ』の論稿ではないかと思います」ーーさうでせうね。「仲良しクラブ」の實態についても、巧みに、簡潔にまとめて下さいました。嘗て、平林たい子が松本清張のことを「反米タイプライター」と一言で説明してくれたことを思ひ出しました。

    その「仲良しクラブ」の「言論人」のカモになり、お先走りをしてゐる、我が坦々塾の仲間や、つくる會の人々に對しても、私は嘗ては批判的に見てゐました。「左翼があれほど目の敵にすることからも、安倍さんが眞正保守であることは明か」などと宣ふ仲間を「左翼の鑑識眼がそれほどたしかなのか。左翼は馬鹿なので、自分たちと共に、日本を亡ぼすために働いてゐる安倍さんを、
    我等の同志と認識する能力がないのではないか」などと思つてゐました。それに氣づかない仲間を些か憫れみつつ。

    左翼の見解に乘つかる者が、我等の身近かにゐるのは殘念だが、しかたがない。 元々、つくる會は政治運動をやる團體だから、數が大事で、有象無象が雪崩込んで來るのを歡迎、かき集めた。そこから坦々塾へも流れてきた。彼等の中には、嘗て全學連、全共鬪、中核・革マルetcに屬してゐた者もゐる。

    彼等は何も考へずに、全學連etc所屬だつた。そして何も考へないでゐるうちに、周りの状況が變つて、自然につくる會に入會してゐた。變つたことは同じでも、平林たい子がプロレタリア作家から反共に轉じた(西尾先生が「自由」新人賞を與へられた時、彼女は、その選考委員だつた)のとはまるで違ふ。否、そんな比較は失禮だ。平林女史は考へ拔いてプロ作家に、更に考へ拔
    いて反共に、明確な自覺と意志を以てなつたのだ。その判斷には確たる根據があつた。

    これに反して、三島由紀夫の割腹の翌年、中核派主導の松本樓燒打ちに加はり、今はつくる會や坦々塾でジャンヌダルクのやうに振舞つてゐる御仁の、何も考へないことに徹してゐる(全てが條件反射で、教育敕語・靖國はOK、夫婦別姓はNOと、オートマティックに反應するのみ)のも見事だけれどーーといふくらゐのことは思つて、笑ひながら眺めてゐましたが、今はどうでもよ
    く、見たり、相手になる氣もなくなつてゐます。私自身が考へなくなつてゐるのです。老化現象としてお許しをといふわけにはゆきませんね。生きてゐる以上、世の中への影響力はゼロでも、少しはマジメに・・・考へ直すべきですね。

    「高市さんへの自称保守派の面々のそうした動きをいえるのは、まず西尾先生だけだ」も、そのとほりでせうね。なにしろ、今の世の中、「保守」ほど、インチキ、ペテン、賣國、裏切り等々のはびこる世界はありません。日録の常連 故坦ケ眞理子さんは早くから、さういふ時代を見通してをられました。彼女は安倍クラブ批判の故に、ほとんどの友人を失つたさうです。

    貴重なお教へをありがたうございます。にもかかはらず、こちらがしかと考へをまとめられずに申し譯ありません。これに懲りられずに、今後も御厚誼のほどを。

    (追伸)「三島由紀夫が『あらゆる絶望はすでに氏の作品に語られ尽くしていた。・・・』」と評した「氏」とは誰か、お教へいただけませんか。「作家論」には出てこなかつたやうな氣がしますが、自分でも信じられないやうな、いい加減な讀み方をすることもあるので、アテになりません。

  10. 渡邊さんから、下記の私信をいただき、こちらもその下のやうに返しました。
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    池田さま

    日録での感想文へのお言葉、ありがとうございます。
    ちなみに、マキャベリの言葉は『手紙』から、三島由紀夫の言葉は埴谷雄高
    への批評文からでございます。

    渡辺望
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    渡邊 樣

    さうですか。
    『手紙』には誰宛とは記されてゐないのですね。

    埴谷雄高は三島の『作家論』(中央公論社)に載つて
    ゐるのに、私が全く興味なく、讀み飛ばしたかと思ひ、
    確認したところ、埴谷雄高は這入つてゐませんでした。

    すつ飛ばしたのは稻垣足穗でした。私が勤務してゐた
    ビルに電電公社職員で白川 正芳といふ人がゐて、世
    間には文藝評論家として(碁の強いことでも)かなり名
    が通つてゐたやうです。そんなこととは無關係に、鄰
    組として少し附合つて、『稻垣足穗』といふ著書を貰ひ
    ましたが、つひに1行も讀みませんでした。

    池田 三寸
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