賀正
自由と民主主義と国土の安全は、我が国では戦後長らく空気や水のように当たり前の存在でした。ところがそう呑気に構えていいのかという不安を最近気にしだしている。それは日本の国内がナショナリズムの熱狂に走ったり、帝国主義化したりする心配ではなく、すべて外国の異常からくる。
例えば米国国内の信じがたい分断や分裂、中国の時節をわきまえぬ軍国主義化。ソ連が崩壊してから国家を超える連邦の理想は終わったはずなのに、この夢は欧州に乗り移り、国境を低くするというグローバリズムの幻想が生じ、他方、中国が一帯一路の名で経済帝国主義の挙に出た。同時に移民の大波が世界を襲った。だから危険なのは国家ではない。国家の連合である。グローバリズムの行き過ぎた応用の仕方である。
私は昨年末に『日本の希望』(徳間書店刊)という単行本を出した。そこに家族、民族、国民国家、ナショナリズムはいまや自由と民主主義の敵ではなく、むしろその味方であり、これを守り育ててきた母体ですらあると書いた。日本を取り巻く世界の情勢はいまや明治の開国期に似ていて、何となく「我に利あり」という印象を持っている。
令和四年元旦 西尾幹二
「我に利あり」ですか。そうであることを願っています。
新年おめでとうございます。
初めて書き込みいたします。小生現在23の時分であります。
19の時期に西部邁烈士の入水自決に衝撃を受けて保守思想を探求してまいり、保守系団体の運動に参加していたりおります。西尾先生の御著書の数々も拝読させていただきました。『国民の歴史』(文春文庫)や『あなたは自由か』(ちくま新書)はいまでも読み返して智慧の源と致しております。
さて、ここから雑感を記させていただきたく存じます。最近、小生はこの国家に対して一種の疑念を抱いております。それはかつて先の大戦で日本国民が総じて転がり落ちた「下り坂」のような形容仕様がないものであります。
私は大学生時よりあまたの国民運動や有識者の先生がたと関わらせていだたいておりましたが、ではいわゆる無党派層やノンポリと呼ばれる人をも巻き込む大国民運動に導けているのかと言えば、まことに口惜しいですがそうではありません。30年前より始まった歴史教科書問題やまた現代にいたっても、一つの問題を前にしても保守系の運動は内部対立や離合集散を繰り返して瓦解をしてしまいます。
一方左翼運動を例にみるとどうでしょうか。60年代より系譜を継ぐ学生運動に立つ現代のいわゆる「市民運動」はマスコミの報道にも大きく切り取られる形で今でも存続しています。形を変えて今でも共産主義が息吹を吹き返す中、保守思想は過激極右と結びつき知的劣化を引き起こしているようにも思えます。いや、成熟した思想は廃れ、インターネットという巨大情報網がある現在、簡素化した過激思想と結びつくことがいまや保守思想の生き延びる道のようになってしまったのかもしれません。
4年前、こちらのブログで『2018年末から2019年初にかけて思うこと』を拝読して、当方はずっと胸奥で使えていた痰のようなものが一気に出てまいりました。そのまま私のこれが言語化されていたのです。同世代にも政治に関心あるものはおらず、国に対しての愛国心はおろか日本に住んでいることもわからないような空気のような軽さ。バブル崩壊より一向に回復しない経済に対しての諦念が結婚したくない忌避観念はおろか、‘‘多様性‘‘
の名の下にいびつな家族観(シングルマザー奨励のような政府対策、フェミニズム、その他同性愛の解放運動等)に基づく家族解体思想の急速的浸透。もうこの国に希望はないのかもしれません。
三島烈士が1970.11.25に呼び掛けたあの決起が日本再起を懸けた最後のチャンスだったのかもしれんと最近考えてなりません。私ももう石を投げ込むのは止めました。SDGsやグレタトゥーンベリや、ビリーアイリッシュなど、形を変えた若手のℤ世代のコミュニストがSNSを中心とした情報発信で私たち世代のオピニオンリーダーとして祀り上げられ、その強大なエネルギーは止まることを知りません。全くこの先の大きな世界の潮流を私は到底理解も出来ませんし許容もできません。人類は熱狂的な進化神話を胸に破滅への「下り坂」を転げ落ちているのではないかと思います。
とりとめもなく長々と失礼しました。しかし、西部烈士も三島烈士も、また川端康成や江藤淳氏も彼らほどの大きな偉大な頭脳であっても日本の「下り坂」は止められずと絶望を感じ自らの命を絶ってゆかれたのかと思いを馳せております。我々の活動もこの「下り坂」に勝てぬとわかったとき、我々はどのように予後をすごすべきなのか、日々思考を重ねております。これからも先生の鋭い筆致で描かれる日本への評論活動を楽しみにしております。ありがとうございました。
昨日、越後の(小池)石松親分から、次のメールが來たので、早速返事を出しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(石松→池田三寸)
三寸先生
改めまして 本年もよろしくお願いいたします。
素敵な写真ありがとうございます。九品仏 って 奥沢にあるんですね。境内の大樹に登 つて剪定している庭師の方は間違いなく天国行きですね(笑)。
閻魔さんは 全国各地で ちゃんと 見ておられるんですね。 悪いことはいけません。
うそもいけません。でも 法華経では ウソも方便と言われていますから、ウソも大事です、妻 にバレルと 大変ですが(笑笑)。
さて、昨年 2度ほど電話での トライも 西尾先生とは相性悪く 繋がりません。避けておられるわけではないでしょうが・・・・
そのくせ 水間政憲氏のYOU-TUBEでは「日本の希望」に関して 40分近くお話されています。
(水間氏の 話は面白くないです、 https://www.youtube.com/watch?v=jzLxdGGNcBo)
ということで 年明けになっても 気が進まなくなり(タイミングを逸したよう) 、これはウソではなく本音です。
全集21Aを 読んでいます(安倍最悪論?) それにしても これだけ 政治は危険、危うさ一杯なのに 日本は よく もっているような~ そんなこの頃です。 先生にはもう一度 トライしてみます。
石松
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(池田三寸→小池石松)
石松 親分
先生へのトライ、お疲れ樣です。
「先生にはもう一度 トライ」、ありがたいことですが、無理はなさいませんやうに。
奧澤などといふ地名をよくも御存じですね。私は屡々吟行するにもかかはらず、廢城になつてゐた奧澤城を買ひ受けて寺を立てたと、聞いた記憶が微かにあるだけです。
「 ウソも方便」の出典は法華經ですか。初耳です。
「最惡」の安倍さんに提燈を持つ ”保守派”の人々の卷添へを食つての墮地獄は無念ですが、全ては宿命と諦めますか。
大寒の 咫 尺の 間の 三 途 かな 三 寸
堂寒し閻魔を伏し目がちに見る
奪 衣 婆の 立て膝 雅なる 春 鄰
搖れしだれ三途の川へ冬木の芽
淨 水に 差す 金 色の 冬 日かな
水間 you tube 忝く視聽しました。水間さん、人徳が不足してゐるやうで、さう好きにはなれませんが、「最惡」の安倍批判を初め、言ふことはまづまともで、少くとも、 我が坦々塾會員の90%よりはマシです。有本香論は、西尾先生より水間さんの方が正しい。先生はよく御存じないのでせう。
水間氏が西尾先生を讚へるのは、必ずしも他意あつてのことではなく、かなりの部分が本音のやうに聞えました。そして、安倍さんの本質に氣づいただけでも、昨今のマスコミ人としてはnearly bestでせう。
坦々塾で、「左翼があれほど目の敵にすることは、安倍さんが眞正保守である證據」などと宣つたり、「モリカケなど、どうでもいいこと」などとうそぶく御仁がたとは大變な違ひ。この方々は、つくる會のどこかの支部長もされてゐますね。
全て周りの空氣に支配され、自分の目で見る能力がない。そして、「最惡」の安倍さんが最善に見える。かういふ人々が寄つてたかつて、地獄墮ちに突き進んでゐるのですね。彼等が西尾先生の配下にゐるのは不思議なやうですが、先生の寛容さの故でせう。事務的に実害がない限り、排除されない。我々が同門になつたのは宿命と觀念すべきでせうね。
また、いつもの愚癡になつてしまひました。すみません。
謹賀新年。
先生ご作品の発送ありがとうございます。
今真剣に読んでます。
色んな事に感謝したい、そういう気分の年を迎えています。
個人個人色々な諸事情あるでしょうが、そういうことを卓越して語れる場所。
日録はすでに私の人生のワンクオーターを超える長さなんです。
いつも新鮮で、誰も語ろうとしない話題に直球で臨む、大リーガー西尾幹二。
あっぱれです!
幹二 先生!!おっす!!!!! !
春でヤンすねぇー!
幹二先生の講演会がアルなら、自分行っても良いですか??
SNSやオンゲー(OnLineGame)のオフ会でリアルに会った奴も居るし、会わないで付き合いが続いている奴も居るのですが、
幹二先生には会わなきゃなぁー・・って、自分は思っています。
*
アメリカは敵だと思うのですが、俺は実際に彼等を知らないし、向こうも俺を知らない。
SNS等で、どんなに勇ましい事を言っても、お前は誰に向けて喋ってんだ??_っつー感じだと思うんッよ。
:
令和4年—春 .
子路.