高原あきこ氏について

<西尾幹二より高原あきこ氏あての手紙の説明文>

 「二〇二二年の参議院選挙に当たり、私は元熊本大学教授高原あきこ氏の立候補を支持し、日録にも掲載の推薦文を書いた。この一文は、投票日に先立ち、旗揚げの会場で坦々塾事務局長の浅野正美氏が朗読して会衆はシーンとしづまり返ってご静聴下さったと聞いている。残念乍ら同氏は落選した。その後、同氏はWiLL誌に発言し、これに関連して私あての私書簡でも大変に遺憾な内容の文言を表明している。公開の表現に関わるので、高原氏あての私の私信の一部を以下ブログにも掲示することにした。」

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拝復
 お手紙拝見しました。
 貴女はWiLL十一月号でわざわざ私の名を挙げ、私と交流があると知られると、仲間が離れて行くと冒頭に書きました。「こんな恐ろしい教科書を作っている人」だと言わぬでもいいことも書いています。

 直接私やつくる会を誹謗した表現としてではないけれど、こういう不用意な非難の罵倒語が文中にあると、書き手の認識にも同じ動機があると思われがちなのです。

 まるで貴女が選挙に惨敗したのは西尾のせいだと言わんばかりですね。

 貴女は私あての最新の手紙(二〇二二年十月五日付)で次のように書いています。WiLLの「同記事は九月初めにWiLL編集者(40代くらいの男性)にインタビューを受け、もともとは選挙の話や統一教会の話しなどを聞かれたのですが、安倍晋三元總理の追悼号ということであのようにまとめられたものでございます。あの文自体は私自身の生の声の逐語、私の作文ではなく、編集者の手によるものでございます。時間がなかったとはいえ、ゲラの校正を丁寧にできておりませんでした。」

 貴女は選挙に敗けたのは西尾のせい、WiLLにまずいことを書いたのは若い編集者のせいで自分ではないと言わんばかりの言い分です。

 すべての不始末は他人(ひと)のせいにして、自己責任ではないと言っています。

 貴女の正体が見えました。

 旧統一教会の問題をすべて他人(ひと)のせいにして逃げ回っている自民党議員とよく似ています。お似合いですね。

 しかし私は知っています。貴女は口が軽く、いわゆるゴシップ好きで、「チャッカリ屋」さんです。そういう性格の軽さが現地選挙民に見抜かれたのではないですか。

 さようなら
                                 西尾幹二
       二〇二二年十月十八日

「高原あきこ氏について」への20件のフィードバック

  1. 私は高原女史の業績や人となりは詳しくは知りませんが、この事実経過が示していることは、こんな人物が落選したとはいえ候補者だったということに、自民党の凋落が急速に進んでいることを感じます。「でも政権与党ではないか」と自民党員やコア盲目な自民支持者はいうかもしれませんが、国民は他政党にはより完全に絶望しているため、「絶望度100%」より「絶望度90%」の自民党になんとか投票している、ということだけでしょう。

    西尾先生のおっしゃるように、旧統一教会問題の自民党議員の遁走と高原女史はよく似ている。僭越をおそれずにいうなら、西尾先生の怒りの矛先は、高原女史の西尾先生への拒否ではなく、その馬鹿げた言い訳振りにあるのではないですか。「悪しき言い訳をすればするほど、おかした失敗はどんどん目立って巨大化していく」というシェイクスピアの言葉がありますが、雑誌編集者のせいにする私信を西尾先生によこす「言い訳」はあまりに子供じみています。確かに編集部に執筆者·投稿者の原稿に手が入る。けど、ゲラの段階でそれは執筆投稿者が言葉を発する責任者として修正できることは誰でもわかることです。

    旧統一教会の問題でひたすら弁解その他の遁走をしている自民議員にしても、はっきりと関係を認めることから出発したほうがよほど国民大衆の猜疑心は少なくて済むでしょう。かつて、ほとんどの政治家が暴力団ヤクザなどの反社勢力と関係していたことは周知の事実だけれども、それで辞任に追い込まれたというようなことはほとんどなかったはずです。シェイクスピアの発言は確かにあたっています。

    ある統一教会の元信者の手記に、統一教会の勧誘集会で、安倍首相のビデオメッセージが流れたとありましたが、なんにも知らない若者なら、このビデオメッセージみたら、「この団体は自民党の重要関係組織だろう」と自然に思い込んでしまうでしょう。かくいう私も、1990年代はじめの大学一年生のとき、統一教会の勧誘をくらい、勧誘途中で命からがら逃げ出したことがあります。あのときも、自民党の某議員のビデオメッセージが使われていました。こんなふうな公然たる自民党と旧統一教会の関係に、「言い訳」はおそろしく逆効果ですね。「個人と同様、組織も間違いを犯すものだ」との一言を繰り返し謝罪すればいい。高原さんだって、雑誌発言を西尾先生に深く謝罪すればいい。

    「絶望度」の問題、といいましたが、高原さんのような話を知るたびに、「絶望」は極大化し、「終わり」「無」が近づいくるのを感じます。今の自民党の凋落が、ただの凋落ではないのは、かつての凋落と違い、「凋落のあと」の蘇生がまるで存在していないことです。安倍さんという看板に頼り過ぎていたことはもちろん主要因ですが、自分が総理であるという自覚さえ不在の自民党総裁·首相の側近も後継者もなんら見当たらない。かつての田中·福田·大平·中曽根·三木といった時代の政治批判とはまったくレベルが違う。政治は無にひとしく、ネーションステートでは、ネーションが抜け落ちたステートつまり機構のみ残存した日本が待ち受けている。その日本は「日本国家」なのでしょうか。「理想を失ったときこの世界は存在しなくなる」(チャーチル)と私も思いますが、(昨今危惧されている)ロシアの核戦争で核ミサイルが投下される(かもしれない)以前に、この日本は果たして意味的に存在しているのでしょうか。もちろん「理想」は政治や国家に限られたものではないのでしょうが。

    旧統一教会に一言、蛇足を付け加えますと、彼らは保守系政治家だけでなく、保守系評論家にも協賛関係の触手を伸ばしていて、私が勧誘された30年前には、彼らの機関誌に投稿していた林健太郎と細川隆元さんの文章をしきりにアピールしていました。林さんも細川さんもすでにこの世になく、また両者とも気骨あふれる方だから、もし統一教会関係を追及されても平然とされているでしょう。けどご存命の方で、統一教会とかなり深くかかわっている保守系言論人が相当数いることは、私ですらよく把握しています。自民党だけでなくこの面々に、「文春砲」や「朝日砲」がいつ炸裂するかわかったものではない。その際には、その方々にな、高原さんみたいな惨めな遁走だけはしていただきたくないと願っています。

    1. 最後の「さようなら」の5文字に、私は微苦笑(これは徳川夢聲の造語とか)した。

      先生はお優しいのである。私が先生だつたら、とても我慢できず、大聲で呶鳴りつけるであらう場面でも、先生は激せず、軟かく輕い語を一言か二言竝べられて終りである。
      「こんな恐ろしい教科書を作っている人」→「選挙に惨敗したのは西尾のせいだと言わんばかり」ーー言葉も簡單だし、怒りの色も淡い。私だつたら血相を變へたに違ひないのに。

      これは、一つには先生の生來の御氣性によるのだらう。理論的問題についての筋道をいい加減
      にすることは、先生は許されない。徹底的に追究し匡される。けれども、情緒的 behaviourについては決して深追ひされない。輕く觸れるだけで、罵つたりはされない。とにかく寛容なのである。そして、さういふ對處のしかた、騷ぎ立てない優しさは、つくる會運營の御經驗によつて殖え、搖ぎないものになつたのではないかーー私はそんな風に仰ぎみてきた(私などからすると、ジレッタイ感じは否めないが)。

      つくる會には、創設とともに、一般大衆は勿論、それまでの進歩派、左翼の中でも、たとへば中核派などといふ突拍子もない連中が雪崩れ込んできた。出身地の衰退と同時に、保守ブームといふ妙な趨勢に乘じたのである。保守=惡だつた時代からずつと、根つからの保守でいらした先生とされては、時流によつて漂着した有象無象とも附合はねばならないことになつた。政治運動なのだから、數が大事で、彼等を追ひ返したり、突き放すことはできない。彼等の中身を吟味する餘裕もない。伊藤悠可さんが「保守の水増し」と呼び、「保守がそんなにゐるわけがない」と評した、あの現象だ。

      先生とされては、周りの俄か保守にずゐぶん不快な思ひをされ、ひどい目にも合はれただらう。そして、それに堪へつつ學ばれたのが、いま言つた柔軟な穩やかな對しかたではないかーー私はそんな風に見てゐる。

      中西輝政氏や田中英道氏は、つくる會に「後足で砂をかけて」去り、安倍さんの側に走つた。それを先生は非難されたが、間もなく、再びこちらへ近づいてきた彼等を振り拂つたりはせず、やがて許されたーー私には、なんといふ抑制した對應と、もの足りなかつたが。あの八木
      秀次さんをも、「許すかもしれない」とおつしやつた。私には、ただ見上げるばかりの境地に達してをられると感じ、言葉が出なかつた。

      高原あきこさんとは、どんな人か知らない。ただ一度、坦々塾での先生の講話時間を一部割いて、運動員のやうな人が、我々に訴へることを許された(今年の參院選ではなく、その前?)。そして彼女の落選。そして、間をおいて、「手紙の説明文」の掲載。流石の先生も、一切問題にしないといふ氣にもなられず、「さようなら」でおしまひに。いかにも先生らしく、私は再度微苦笑。

      今囘は心の小波程度のことを洩らされたが、つくる會以來、現在まで、會員・塾員の言動について、顏を少しばかり顰められるだけで、何もおつしやらなかつた場合が、問題の大小を問はず、壓倒的に多かつたらう。一々取上げたり、注意してゐたら、正しく直る前に會が潰れたり、皆が疲れてしまふ。よほどのことがない限り、沈默を守られる。

      ごく最近のことなので、記憶されてゐる向きもあらうが、本欄で小池廣之さんのコメントが、管理人の長谷川さんの出鱈目な扱ひで目茶苦茶になつた。温厚な小池さんも堪り難ねたのだらう、本欄に、抗議ぎみに、次のやうに書いた。

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      長谷川様 宛て(ブログ)にも 削除依頼をいているのですが、レスもなし。
      なにか 不都合でもあるのですか? 書き手の 小生のバカさ
      加減はともかく、日録を見ている人たちには 繋がりなく、迷惑だと思います。
      管理人として 如何お考えでしょう!
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      その少し前、私自身も、長谷川さんの怠慢・不作爲(故意ではない由)により、もつとひどい目に遭つたので、小池さんの掩護抗議をしたところ、「小池さんには、個人的にお詫びしました」といふ答。

      管理人は、パソコンが一通り扱へる人なら、基本的には誰でも務まるだらう。改めて、その任務などを論じ合ふ必要はない。ところが、長谷川さんの場合、「個人的」などと宣ふことにより、管理人とは何かさへ全く分つてゐないことが判明した。この種のブログは、(当り前だが)投稿する人と、讀む人の兩方によつて成り立つて ゐる。

      コメントの扱ひが不當な場合、迷惑するのは、書いた者と讀む者だ。書いた者に「個人的に」謝つて、濟むことではない。この理窟が長谷川さんには呑み込めないのだらう。

      更に、我々の抗議により、「承認待ち」と稱する不當なブロックは解除されたが、長谷川さんにより亂されたコメントは、今も、一部ダブッたり順序が前後したままである。その匡正といふ基本的な理窟が長谷川さんには理解できないらしい。

      日録は大した問題ではない(?)から、それ以上は問はないとしても、それしきの常識的判斷すら出來ない長谷川さんが、つくる會の廣島支部長とは(今も續けてゐるのか否かは知らない)!

      つくる會とはどういふ團體なのだらう。それほど、人不足なの(だつたの)か。ともかく、西尾先生が會長などとされて、なさつた御苦勞は想像に絶する。

      それに比べれば、高原あきこさんの件など、芥子粒以下。私は餘裕をもつて拜讀した。

      (追伸)渡邊さんのコメントに魅了され、その「悪しき言い訳をすればするほど、おかした失敗はどんどん目立って巨大化していく」に續けようとしたのですが、それには、ちと改まらないと論じられないので、取り敢へず以上ーー

  2. 「病中閑あり」の方でコメントしようと思っていたのですが、こちらで投稿させて下さい。

    ここで『西尾幹二全集 第21巻A』の中から、現代日本の状況が、端的に表現されている思われる一節を引用させて下さい。これは『WILL 2012年6月号』に発表されています。ちょうど10年前ですから、覚えておられる方も少なくないでしょう。(以下引用)

     日本の歴史に「保守」は存在しない 

     わが国に「保守」は存在するのだろうか。「疑似保守」は存在したが、それは永い間「親米反共」の別名であった。米ソ冷戦時代のいわゆる55年体制において、自由主義体制を守ろうとする思想の立場である。世は反体制一色で、左翼でなければ思想家でない時代、1960年代から70年代を思い起こしてほしい。
     日本を共産主義陣営の一国に本気でしようとしているのかそうでないかもよく分からないような、無責任で危ない論調の「世界」「中央公論」に対し、竹山道雄、福田恒存、林健太郎、田中美知太郎氏等々が拠点としたのが「自由」だった。60年代は「自由」が保守の中核と思われていたが、正しくは「親米反共」の中核であって、必ずしも「保守」という言葉では呼べない。
     60年代の終わりに、新左翼の出現と学生の反乱に財界と知識人の一部が危機感を深めて日本文化会議が起ち上げられ、1969年5月に「諸君!」が、73年11月に「正論」が創刊された。ここに拠った新しく増幅された勢力も、「反米容共」に対抗するために力を結集したのであって、私に言わせれば言葉の正しい意味での「保守」ではない。日本に西洋でいうところのconservativeの概念は成立したことがない。
    明治以来の近代化の流れのなかに、尊王攘夷に対する文明開化、民族的守旧感情に対する西洋的個人主義・自由主義の対立はあったが、対立し合うどちらも「革新」であった。革新官僚とか革新皇道派とか、前向きのいいことをするのは革新勢力であって、保守が積極概念で呼ばれたことはない。歴史の流れのなかに革新はあり、それに対する反動はあったが、保守はなかった。積極的な運動概念としての保守はなかった。背後を支える市民階級(ブルジョワジー)が存在しなかったからである。
     政治概念として保守が唱えられだしたのは戦後であり、政治思想の書物に最初に用いられたのは、たしか1955年のはずだ。55年の保守合同を受けてのことである。左右の社会党が統一したのにほぼ歩調を合わせて、自由党と民主党がひとつになり、いまの自民党ができて、世間では自民党と社会党とを保守と革新の対立項で呼ぶようになった。けれども、それでも「保守」が成立したとはいえない。
     いったい、自民党は保守だろうか。国際共産主義に対する防波堤ではあっても、何かというと「改革!」を叫ぶ自民党は日本の何を守ろうとしてきただろうか。ずっと改革路線を歩み、経済政策でも政治外交方針でもアメリカの市場競争原理やアメリカ型民主主義に合わせること以外のことをしてこなかった。自民党を保守と呼ぶことはできるだろうか。
     自民党をはじめ、日本の既成政治勢力は自らを保守と呼ぶことに後ろめたさを持っていたはずだ。もしそうでなければ、自らをなぜ「保守党」とためらわずに名づけることができなかったのだろうか。
     「保守」は人気のない、悪い言葉だった。永いこと大衆の価値概念ではなく、選挙に使えなかった。福田恒存氏がときおり自分のことを、「私は保守反動ですから・・・」とわざと口にしたのは氏一流のアイロニーであって、「保守」がネガティヴな意味合いを持っていたからこそ、悪者ぶってみせる言葉の遊びが可能になったのであった。

      「保守」を利用する思惑

     ところが、どういうわけだか最近、というかここ10年、20年くらい「保守」はいい言葉として用いられるようになっている。保守派を名乗ることが、言論人の一つの価値概念にさえなった。いつまでつづくか分からないが、若いもの書きは競い合って自分を保守派として売り込んでいる。保守言論界と言ってみたり、保守思想史研究を唱えてみたりしている。
     私はそういうのをあまり信じないのだが、10年後の日本を占う当企画の一項目に「保守」があがっていること自体に、隔世の感がある。
     おそらく、元左翼の人たちがいっせいに右旋回した時代に、「保守」がカッコイイ看板に担ぎ上げられたといういきさつがあったためであろう。西部邁氏の果たした役割の一つがこれであったと思う。
     また、市民階級(ブルジョワジー)は生まれなくても、20世紀の終わり頃のわが国には一定の小市民的中間層が成立し、一億中流意識が定着した、とまでいわれた経済の安定期があって、それが「保守」の概念を良い意味に格上げし、支え、維持したといえなくない。
     「保守」を利用する人たちの思惑はどうであれ、人々がこの言葉を価値として用いることにさして抵抗を覚えないムードが形成された背景の事情はそれなりに理解できる。
     しかし、二つの理由からこれはいかにも空しい。あっという間に消えてなくなる根拠なきものであることを申し上げたい。
     一つは、思想的根拠にエドマンド・パークなどを代表とする外国の思想家を求め、日本の歴史のなかに必然性を発見できていない。もう一つは、金融危機が世界を襲いつつある現代において、新興国はもとより、先進国にも格差社会が到来し、中間階層が引き裂かれ、再び体制と反体制とが生じ、両社が反目する怨念の渦が逆巻く嵐の社会になるであろうということである
     安定期にうたた寝をまどろむことのできた仮そめの「疑似保守」は、10年後には雲散霧消し、やがてどこにも「保守」という言葉をいい言葉として、価値あるものの印として掲げる人はいなくなるであろう。
     大切なことは、1960~70年代に「反米容共」に取り巻かれた左翼中心の思想空間で「親米反共」を命がけで説いた世代の人々は、自らを決して保守とは呼ばなかったことだ。
     たとえば、三島由紀夫は保守だったろうか。命がけで説いたその熱情はいまも必要であり、大事なのは愛国の熱情の維持であって、時代環境が変わればそれを振り向ける対象も変わって当然である。

     十年後の悲劇的破局の光景

     時代は大きく変わった。「親米反共」が愛国に通じ、日本の国益を守ることと同じだった情勢はとうの昔に変質した。
     私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。どちらか片一方に傾くことはいまや危うい。それなのに、一昔前の冷戦思考のままに、「親米反共」の古いけだるい流行歌を唄いつづけている人々がいまだにいて、しかもこれがいつの間にかある種の「体制」を形成している。
     そして、愛国心も国家意識もない最近の経済界、商人国家の請負人たちと手を結んでいる。「生ぬるい保守」「微温的な保守」「ハーフリベラルな保守」と一脈通じ合っているにもかかわらず、自分たちを「真正保守」と思い込んで、そのように名づけて振る舞っている一群の人々がいる。言論界では岡崎久彦氏から竹中平蔵氏、櫻井よしこ氏で、冷戦思考を引き摺っている人々はいまだに多く、新聞やテレビは大半がこの固定観念のままである。
     中国に対する軍事的警戒はもとより、きわめて重要である。しかしそれと同じくらいに、あるいはそれ以上に、アメリカに対する金融的警戒が必要なのである。
     遅れた国や地域から先進国が資源を買い上げて、付加価値をつけて高く売るということで成り立ってきた500年来の資本主義の支配構造が、いまや危殆に瀕しているのである。
     1973年の石油危機でOPECの挑戦を受けた先進国は、いまや防戦に血眼になっている。資源国は次第に有利になり、日本を含む先進国の企業は収益が下がり、賃金の長期低落傾向にあるが、それでも日本は物づくりに精を出し、戦後60年間で貯めた外資資産は15兆ドル(1500兆円)に達した。
     ところが、欧米主導の金融資本はわずか13年間で手品のように100兆ドル(1京円)
    のカネを作り出した。あぶくのようなそのカネが逆流して自ら足下を脅かしているのは
    目下、展開中の破産寸前の欧米の光景である。
    アメリカは「先物取引」という手を用いて石油価格の決定権をニューヨーク、ロンドンに取リ戻すといった、資源国との戦いをいま限界まで演じているが、もう間もなく打つ手は行き詰まり、次に狙っているのは日本の金融資産である。
    「非関税障壁の撤廃」(ISD条項はその手段)を振りかざしたTPPの目的は明瞭である。日本からあの手この手で収奪する以外に、アメリカは目前に迫った破産を逃れる術がないことをよく分かっているのだ。
    「親米反共」の古い歌を唄っている自称「保守」体制は、これから収奪される国民の恨みと怒りの総攻撃を受けるであろう。格差社会はますます激しくなり、反体制政治運動が愛国の名においてはじまるだろう。
    「保守」などという積極概念は、もともとわが国にはなかった。いま「親米反共」路線を気楽に歩む者は、政治権力の中枢がアメリカにある前提に甘えすぎているのであり、やがて権力が牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。わが国の10年後の悲劇的破局の光景である。
                                   以上 引用終
                                   (pp. 142-146)

    先生が「わが国の10年後の悲劇的破局の光景」と書かれた、まさにその10年後の今を
    見ると、先生の予想が正しかったことがよく分かります。
    わが国には「保守」はなく、あるのは「左翼くずれ」に過ぎない・・・
    しかも国民の多くにとって、今の政治は「親米反共」ですらなく、強いて言えば「親米親中」であって、自民党は「経済第一党」とでも名付ければいいのではないでしょうか。とはいえ、自国の利益を最優先するでもなく、『日本列島は日本人だけのものではない』ことを文字通り実践している面が多々ある訳で、日本国民のフラストレーションは如何ばかりかと思います。
    それなのに一見、日本国民は大人しく従順で、よく現状に耐えているように見えるのはどうしたことでしょうか?
    それは一つには、現在日本でよく使われている言葉である「保守」が、先生が書かれたように「積極的な行動概念としての保守」ではないからです。いくら「外国人(特に米中)が日本の土地を買いあさっている」ことや「自国民を差し置き、外国人のために膨大な税金が投入されている」等々を知らせても、国民が動かない(ように見える)のは、例え「そんなことを分かっていても、こっち(国民)は生活で手が一杯」、「嫌でも、外国人と一緒に働かなければいけない」のです。
    それなのに、「危機だけ叫んで、乙に済ましている(と見えてしまう)自称保守」は、密かに反発を買っているのではないでしょうか?
    翻って、国民が大人しいのをいいことに、「グローバル」「外国人との共生」「少数派を大切に」等々を、これでもかと新聞、雑誌、TV、ネットで流し続ければ、「バカな日本人を洗脳できる」と考え、これまでのやり方を踏襲している「伝統左翼」は論外です。

     国民としては、もう限界なのではないでしょうか?
    毎回「この話題」を出して申し訳ありませんが、昨年から始まった新型コロナワクチンで多くの人が亡くなり、また後遺症で苦しんでいるそうです。国民の命がかかっているこの問題を無視する政治家は、党派に関わらず「国民の敵」だと、既に多くの人が考えています。

    治験もまともになされていないという、正体不明の乳幼児対象ワクチンも、既に接種開始されました。他国は条件付きか、或いは禁止しているにも拘わらず、です。
    専門家によると、このワクチンを接種した女子高生の8割が生理不順に悩んでいるとか。素人の私には正確に表現できませんが、注射の中身のmRNAは、特に生殖器に多く蓄積され臓器にダメージを与え、男女を問わず、(河野太郎氏が否定しても)将来不妊をもたらす可能性大だそうです。

     自民党はもとより、こんなワクチンを特に積極的に推進しているのが公明党だそうです大半の野党も、党を上げてワクチン問題を真剣に取り上げない以上、いくら自民党の脚を引っ張ろうが支持率は上がらないでしょう。それどころか、「日本人が次々と減っていくのを、これ幸いと黙認しているに違ない、やっぱり外国人の政党だ」と、国民から思われるのがオチです。
     私自身、3年目に入る新型コロナ問題で、こんなに社会がガラリと変わるとは思ってもみませんでした。狙われているのは「カネ」よりも「命」なのですから。「国」や「カネという権力を持っている勢力(国内外を問わず)」は、文字通り人々の「制裁与奪の権を握っている」ことを、まざまざと見せつけました。

     それでも我々日本人が「大人しく見える」のは、個人や少数の団体で頑張っている人たちがいるからだと思います。彼らは、「自分がやらねば誰がやる」という已むに已まれぬ気持ちから「行動」するのであって、隣国人のように、上から下まで「一方的な情報とカネを与えておけば、日本全体が洗脳され、日本は間もなく自分たちのものになって、日本人を奴隷のようにこき使えるようになる」などという、全体主義的思考に陥ることを免れています。
     しかしこのことは同時に、日本国民各人も「子や孫を守るため」、自ら何らかの行動をすべき厳しい時代が来たことを意味します。過去我が国が、世界を相手に大戦争をした、その先人たちも今の我々と同じような気持ちだったろう、と私は想像しています。
     毎度長くなって、大変失礼しました。

  3. 字の間違いがありました。
    「乙に済ます」→「乙に澄ます(清ます)」
    「制裁与奪」→「生殺与奪」
    失礼しました。

  4. 高原あきこ氏については、タモリ氏の後輩で産経阿比留氏の先輩にあたる人かと思ったくらいで、あとは高市氏推しといい先生は相変わらず自民推しなのだなあと。
    先の「激励メッセージ」にはいろいろ違和感があった。あれえ、先生は心理学に興味がなかったのでは。国立大学の教授なら信用できるのか、へええ。などなど。
    しかし、このたびの公開には重い感銘を受けた。「口が軽く、いわゆるゴシップ好きで、『チャッカリ屋』さん」の性格を知りながら需に応じて推された先生の高原氏に対するサービス精神と、このことを公開された先生の読者に対するサービス精神とに私は感銘を受けた。
    高原氏にしても、「つくる会」の一部にしても、先生のサービス精神からもたらされる快適な居心地を認めるがゆえに甘えておられるのではないか。
    世界的な超高級ホテルで至れり尽くせりの世話を受けながらなお苦情をいわずにいられない客があるように。苦情をいいながらも予約してくる客があるように。
    先生、少しでもお元気になられてほしい。おいしいものを皆さんで食べに出かけてほしい。
    渡辺望氏の健康なコメントに共感して、二度読み返した。

  5. 西江 樣

    「快適な居心地を認めるがゆえに甘えておられるのではないか」との御指摘、圖星です(つくる會に私は關係ありませんが)。

    そして、(少くとも私自身は)甘えてはゐるが、絶對に、先生を「なめて」はゐないつもりと申したいところですが、それを信じていただけるかどうか。

    「国立大学の教授なら信用できるのか、へええ」なぞと憎まれ口をききながら、それにも「私は感銘を受けた」との貴兄の仰せに私は感銘を受けました。柔らかい感受性を以て、人や事の本質に迫る能力を備へてをられるのですね。

    貴兄のシャープにして、時に尖つた科白には、ドキリとさせられ、慌てるることもあるが、基本は、暖かい心をお持ちのやうに察し、今後もよろしくと御挨拶したくなりました。

    さいはひ、先生は過日退院されたとか。「おいしいものを食べに出かけ」られるやう、私も念じます。
    そして、そのお側に、私も侍することができたら! なんて圖々し過ぎですね。調子に乘るな!
    次の貴コメントが待たれます。

  6. 池田 様
    お世話さまでございます。西江と申します。
    読者の末席からも遠い立ち見の、さらにその後ろにおります底辺です。
    わたくしのような者にまで西尾先生ご退院をお知らせくださり本当にありがとうございます。
    池田様のおかげで、思いがけないお福分けに預かったような気持ちがいたしました。
    先生のご退院、嬉しいです。少しホッとしました。
    「日録」は怖いもの見たさから読みはじめ、ずいぶん経ちましたが、いまだ関心が尽きません。
    先生を宗匠に手練れ揃いのご連衆が「路の会」「坦々塾」と歌仙を巻いている、そのおさらい会のようなものが「日録」で、ふつう歌仙なんて座で実作に携わってないとおもしろくも何ともないはずなのに、座からほど遠い底辺が読んでも「日録」は無類におもしろい、でもおっかない、でも座を超え広範を巻き込む迫力がある、そう思いながら何年も読んでいて、気がついたら、つい立ち見の前まで出てつりこまれてしまっていました。
    何かと行儀がなってなくて申し訳ございません。後ろに引き下がります。
    たいせつな時間を割いてくださり本当にありがとうございました。

  7. やっぱりまちがえてました。
    「歌仙」ではなく「俳諧」ですよね。
    いまはやりの壺があったら、でなく穴があったら入りたいです。
    申し訳ございません。

  8. 西江 樣

    「末席からも遠い立ち見の、さらにその後ろに」をられるのですね。
    私も、末席のそのまた末席にゐるつもりです(謙遜してゐるわけでは決してありません)。
    ところが、私より遙かに上席の方々(年齡なら、私はかなり上位にゐる筈ですが、坦々塾での閲歴と、學識、文章力では、私など足許にも及ばない人物が無數にゐます)が、御健在にもかかはらず、本欄に滅多に登場されなくなつて久しいーー私はさう感じてゐます。

    理由はハッキリしませんが、西尾先生御自らの御登場の少くなつたことが上級者には淋しく、自身も顏を出さうといふ意欲が減退したーー張り合ひがなくなつたせゐではないかと、私は推察してゐます。

    私は上級者の何人かに、考へ直して、我々と附合つてくれるやう頼んでみましたが、結果はいづれも、はかばかしくありませんでした。私の哀願を聞き容れて、書いてくれた(と私が自負する)のは、渡邊望さんオンリー・ワンです。まあ、彼氏のやうに、既に名をなした大評論家に無心するのは氣がひけますが、なにしろ、我が子よりも若いのですから、その點だけは大きな顏ができます。

    彼の經歴には「西尾幹二師に師事」と堂々と謳つてあります。私は「師事」とまでは言へないが、西尾先生に傾倒したことは間違ひなく、それは渡邊さんの生れるよりずつと前からで、廣く見れば、同門で、こちらが大先輩といふことになります。

    でも、その見識に觸れてみると、彼氏は仰ぎみる存在となり、こちらは、兄弟子もしくは師匠に對する態度で接することになります。そして面白いことに、世代の差といつたものは、初めから信じませんでしたが、彼とやりとりをしてゐると、愈々、そんなものは存在しないことに氣づきます。たとへば、5~6歳下の人に、昭和55年の清水幾太郎の「核の選擇」を讀んで、感心したの!?と驚き呆れ、「差」を感じることはあつても、渡邊さんに對して、そんな思ひをしたことは一度もありません。彼の博識のせゐだけではないでせう。

    それだけでも、坦々塾に入れていただき、ここに駄文を寄せられることはしあはせです。

    閑話休題。

    「『日録』は怖いもの見たさから読みはじめ、ずいぶん経ちましたが、いまだ関心が尽きません」。本當ですか。そして、もし渡邊さんと私のやり取りを御覽になつたとしたら、私があらゆることで、彼の教へを請うてゐることにお氣づきいただけたでせうか。年齡ではガキ以下の彼に!

    ゴチャゴチャ申しましたが、私は日録に愛着を持ちつつも、段々と人が寄りつかなく、淋しくなるのは已むを得ずと諦めてもゐます。しかし、そこで、貴台の文を何度か拜讀して、この人が日録の常連になつてくれれば面白いだらうな。相當な見識がありさうだ。同時に圭角も一筋繩ではゆかないやうだ。一理屈も二理屈もありさうだ。大喧嘩になるかもしれない。自分など滅多打ちにあふ恐れもある。しかし、それも一興ではないかーーそんな氣がして來ました。

    そこでお願ひします。なるべく頻繁にここに御投稿いただけないでせうか。ただし、私は管理人でもなく、本欄を差配する者ではありません。「個人的に」お願ひ致します。御一考のほどを。

  9. 西尾先生が困難な状況にありながらも、今もって強いお心と揺るぎない知性を持っておられることに大変安堵いたしました。
    さて、ここでコメントするのは筋違いなのですが、他に書く場所がどうしても思い浮かばないので書かせていただきます。
    西尾先生の原子力発電に関する著作を読んで以来、日本の命運を握るであろう水素エネルギーについて只今、勉強中なのですが、脱炭素、水素先進国化を目指す日本について、先生の発言を拝見できる出版物というのは
    あるのでしょうか? 

    1. 石田賢司様

      当日録にコメントありがとうございます。

      脱炭素などに関する西尾先生の出版物は今のところないと思います。

      1. 日録管理人様
        場違いな質問にお答え頂き、本当にありがとうございました。
        実はご返答を頂けるのでないかと「ちゃっかり」期待しておりました。先生の御発言と向かい合う時まで、勉強を続けたく思います。

  10. 石田様
    エネルギーに関する先生のご著書(震災以降 原発を否定される
    理由を発言されているものはあります。 日録で小生が掲載した
    WiLL等の言論誌です。再生可能エネルギーへの期待にも言及
    されていますが。それは少々。
    川口マーン恵美氏との共著「膨張するドイツの衝撃」(第7章 原発再稼働か脱原発か)そこでは、原発を否定する明確な理由を述べておられます。
    「原子力村 規制(委員長(当時) 電力 経産省の酷さ、組織としてもです」

    当事者の私もこれには共感しております。ミサイルがどんどん飛んできても
    規制庁は電力に異常の有無を確認する程度。「国家の強い意志」なくして
    原発など運営しないほうが良いでしょう、国民生活がどうなるかはとは別問題ですが。残念ながら今の心境です。 

    すみません、横ブレしました!

    したがって小生が代わってお答えするのも 僭越ですが水素エネルギーに関する先生のご著書はないと思います。

    1. 小池様
      ぶしつけな書きなぐりに、そのように親切なお返事を頂戴して恐縮しております。どうもありがとうございました。
      西尾先生の原発に関する著作はおおむね読んだつもりでおりますが、私がご発言の中でいま最も頭から離れないのが「国民の反原発の感情は正しい」と仰った部分です。ゼロ地点と先生は表現しておられましたが、「本当に生命の危険を感じた場合、私たちはベストの選択・判断できるのだ」、そのようなことを仰っていたと思います。日本のこれからのあり方、それだけでなく自分の個人的な人生を振り返ってみたときにも、とても重くのしかかる言葉になっております。

  11. 石田 樣

    貴兄の眞劍に西尾先生と向き合ひ、とことん考へ拔いてをられることが感じられて嬉しく、ついコメントを寄せたくなりました。

    私自身は、この問題を自分で徹底的に考へることを省略して、先日、次のやうに記しました。

    ーーここは西尾先生と別の道にはなるが、「防備コストを用いたとしても、やはり原発稼働は必要であり、私達日本人は『覚悟』を有して原子力発電を共有しなければならない、というのが私の賛成派論です。ですから原発全稼働でまずやらなければならないのは自衛隊の増強と改革ということになる・・・」の方に蹤きたいーー

    これは渡邊望さんの説に感銘を受け、心から納得した上で、出した結論です。豫想できる範圍で、これを變へることはないでせう。自身で、「考へ拔く」といふ大切な過程を省いたことは、決して襃められたことではありませんが、尊敬する人の説に心底動かされたのだから、已むを得ません。

    けれども、結論も大事だが、一番大事なのは、「考へ、考へ、考へる」といふ行爲でせう。貴兄が如何なる結論に達しても、私はそれを尊重します。その眞摯な姿勢・態度に感銘を受け、乾杯したい思ひで以上申上げました。

    Bon voyage!

    1. 池田様
      私は本当に皆さまのような自立した一人の思索者であったのか、
      実は西尾先生の回答に自分の人生の決定さえも委ね続けてきただけではないのだろうか?
      そんなことを思うと、私のような者にはふさわしくない、身に余る言葉です。でも、本当に涙が出そうになるほど嬉しく思います。
      ワールドカップで日本がドイツを撃破。ドイツ国民に与えた衝撃は自動車戦争のそれにも勝るなどと考えていた私は、「いま西尾先生はどんな気持ちでいらっしゃるのだろう?」と思い、ここを久しぶりに訪れた次第です。
      返信、遅くなりました。
      どうもありがとうございました。

      1. 石田 樣

        「西尾先生の回答に自分の人生の決定さえも委ね続けてきた」、それでよろしいのではないでせうか。「委ねる」に足るやうな相手を持ち得たとは最高のしあはせでせう。世の風潮に引きずられて、ワッショイ、ワッショイと蹤いて行くだけなのに、自分で考へて決めたと思ひ込むおめでたい人々に、教へてやりたいものですね。

        西尾先生も案外ミーハーだから、ドイツ戰を見て、萬歳を叫んだかもしれません。20數年前でせうか、W杯で、日本がとんでもない大番狂はせにより勝つた時、先生から電話をいただいたことがあります。當時、先生のお住居の鄰町にゐたので、御自身の昂奮を傳へるのに、一番手つ取り早い相手として、思ひつかれたのでせう。

        我々の世代は、祖國の戰勝を喜ぶといふ幸福を味はつたことがありません。そのせゐか、私などは、スポーツの國際試合に入れ込み、日本の戰ひぶりに一喜一憂しました。しかし、勝つて喜んでも、しばらく經つと、何か違ふといふ氣がして、虚しくなるのが常でした。そこに發揚されてゐるのは擬似國威であつて、本物ではないと氣づくのです。やはり、本當の國威は、戰爭で勝つた時にしか發揚されない・・・。今は、自分の目の黒いうちは無理と諦めました。妄言多謝。

        御健鬪を祈つて乾杯!

  12. 「宮崎正弘のメルマガ」で、13日、14日、15日の三日間、JK生・池田俊二・高柴昭の3人が、下記のやりとりをしました。暇つぶしにそれを横流しします。お暇のある方はどうぞ。なほ、中の宮崎先生のコメントにある「ヤマトタケルノミコトと安倍晉三」については、他の、”保守評論家”の同じやうな説を渡邊望さんが以前ここに、引用されたのでは?私には、宮崎説の意味が分りませんが、渡邊さん、できれば御解説をお願ひします。

    2022年11月13日
    (読者の声3)日本の世論は愛子天皇に賛成が6割を超えています。女性天王と女系天皇の区別が出来ない人ですが、とくにテレビの影響を受けて、テレビが正しいとおもってワクチンを打つし、国葬に反対する人たちです。
    このように「ものを考えない人たち」が日本人の過半ですから、この国に未来はないと思います。
    かと言って移住するような国は世界にないし、とどのつまりは日本をいかに正常な姿に復帰させるか。それには第二、第三の安倍首相の出現を待つしか無いのでしょうか。
    (JK生、鹿児島)

    2022年11月14日
    (読者の声1)貴誌前号投書欄にあった「JK生」さん、「ものを考えない人たち」の典型が貴下でせう。「第二、第三の安倍首相の出現を待つ」!
    何故ですか。ひよつとすると、貴下も何も「考へ」てゐないのでは? ワーッ、安倍さんいいぞ、それワッショイ、ワッショイの行列に蹤いてゐるだけではないですか。しかも、その自覺が皆無。
    馬鹿左翼は、安倍さんを右翼だの、ファッショだのと言ふけれども、ちゃんちゃら可笑しい。安倍さんが、そんなに上等なものなら、少しは國家國民の爲になることをしてくれたでせう。彼が何をしてくれましたか。北方領土、拉致、竹島、尖閣・・・ETC、一歩でも進みましたか。拉致をあれほど政權浮揚に利用したのに、あとは、放つたらかし、知らんぷり。
    一方、やつたことは、戰後70年談話、9條3項論などの奴隸宣言と、移民促進、アイヌ新法、水道民營化等々の國柄破壞・植民地化促進。彼こそは骨の髓までWGIPの毒に冒された賣國奴。それを支へ續けたのが、貴下のやうに、自分では考へたつもりの神輿擔ぎたち。かくて、亡國へ、亡國へ。
    「この国に未来はない」との貴見に全面的に贊成せざるを得ません。(池田俊二)

    2022年11月15日
    (読者の声4)通巻第7522号の池田俊二様のご意見に全面的に賛意を表します。よく言って頂きました。
    私が唯一の安倍元首相の功績だと思っていた、インド・太平洋論文も、米国が用意した台本通りに振舞っただけではないかという疑問が出てきています。
    その根拠に、原文は英語で書かれていて先に米国で発表されており、日本語の文章はいまだに公表されず、その公表を拒んでいるのは安倍事務所だという論があります。
    https://www.mag2.com/p/news/556501

    これを読んで、安倍元首相が舌の根も乾かぬうちに「日中関係は完全に正常化した」と、まるで見当違いな発言をした訳が分かったように思います。
    安倍元首相は米中のバランスを取ったつもりだったのではないでしょうか。また、財務省に抑え込まれて財政支出は掛け声倒れで横ばいで推移し、ゼロ成長が続いたことは失政と言うレベルを超えていると考えています。(高柴昭)

    (宮崎正弘のコメント)安倍さんは「なにごとも匍匐前進」というのが口癖でした。しかし悲劇に見舞われて伝説となるのはヤマトタケル以来の伝統。JFKはあれほど失政ばかりでしたが。

       2022年11月15日(に投稿。掲載の有無は未定)
    通卷第7523號の高柴樣の御意見を讀んで、なるほど、さういふことだつたのかと納得しました。それまでは、安倍さんの「日中関係は完全に正常化した」とはどういふ文脈かと訝つてゐました(もつとも、支離滅裂が安倍さんの常態ではありますが)。
    世を擧げて、安倍提燈行列がつづきましたね。評論家、ジャーナリストで安倍批判をした人は0.001%くらゐでせうか。彼等は、JK生さんのやうな説が壓倒的であることを知つてゐるので、それに逆つて身を危ふくすることを避けてゐるのです。安倍さんのふやけた顏、しどろもどろの議會(委員會)答辯、無論理の”政見”などにテレビで接するだけで、普通の人には、安倍さんの中身はnothingで、ただのボンクラ と、はつきり判斷できるはずですが。
    國民病たる、JK生さんのやうな感覺痲痺を治せるか否かで、日本の浮沈は決まりませう。
    私自身は、安倍官房副長官が拉致歸國者5人を絶對に北に歸さないと主張したと新聞に報道された(多分捏造でせう)頃は、安倍さんを救世主と仰ぎましたが、總理になつた途端に、村山談話繼承、竹島の日を國家行事にすることを取り止め、and so on・・・。加へて、祖國の侮辱・破壞活動のオンパレードーーいくら私が魯鈍でも、オヤオヤといふことにならざるを得ません。
    高柴さん、また教へて下さい。(池田 俊二)

  13. 池田さま

    宮崎さんがあまりにもヤマトタケル=安倍晋三説を繰り返されるので、私は「もしかしたら自分の認識が間違っているのではないか?」と自己懐疑に陥り、久々にヤマトタケルの事績を追ってみることにしました。

    ヤマトタケルは「英傑」といいきるには憚りが感じられる人物ですね。三島由紀夫はヒトラーを評して「ヒトラーは英傑に必要な爽やかさが欠けている」といいましたが、ヤマトタケルも同様。熊襲討伐の騙し討ち、兄の大碓命への理不尽な殺害などなど。結局その粗暴さが父の景行天皇に疎まれ、後継者は異母弟の成務天皇になってしまい、彼の日本列島各地での活躍も、いわば、ドサまわりの観は否めない。けど彼の活躍が大和朝廷の拡大に貢献したのは間違いないことでもあります。大和の地への帰還を目前にした彼の死は、アウトサイダー的な暴れ者が最期に正気に戻るような、見事な物語性をもっています。

    さて、このヤマトタケルがいったいどこをどう考えると、安倍さんに擬えることができるのか。安倍さんは直系では三世政治家、傍系をいれれば岸信介さんを総理にもつ名家をきちんと承継しており、ヤマトタケルのような、血縁からの外れものという存在性はまったくありません。また安倍さんは少なくとも一個人としては品行方正であり、兄弟殺しまでしたヤマトタケルのイメージとは無限の距離があるといえましょう。

    私がさらに宮崎さんの言葉で驚いたのは、「JFKは失政つづきで」の箇所です。これではまるで、JFK<安倍晋三のような言いぶりです。もちろんケネディに失政はありました。しかしアポロ計画開始なり公民権問題の対処、さらにはキューバ危機回避でみせたギリギリの胆力などは、少なくとも安倍さんとは桁違いの政治家だったというべきではないか、と私には思います。これは専門的分析など必要ない、誰だってイメージがすぐできる事実ではないかと思います。

    結局、「大衆は自らの幻想を満たしてくれる作品を求める」(フローベール)ということに尽きるのではないでしょうか。日本の右派大衆や右派言論人は、安倍晋三という「作品」を編み出しつづけていたとしかいいようがないでしょう。何のための「物語」かといえば、遥か遠くにみえる我が国のナショナリズムのユートピアを、一人の政治家総理がかなえてくれるという、ほとんどメルヘンじみた幻想郷を求める物語です。その美しい(かどうかはわかりませんが)幻想はしかし、ゆるやかにではなく、ほぼクライマックスで不意に消えることになった。「幻想の死は悲しいものだ」(ケストラー)ということもあるでしょう。しかし幻想の外にいた人間からすれば、大衆の作品づくり、作品=幻想の死ということに右往左往している(していた)ことは、なんとも滑稽としかいいようがない事象といわなければなりません。ユートピアを安倍さんを通じていくら見ようとしてもみえなかった私は、空想力に欠けた人間なのでしょうか。

    加えて、これはある意味で困ったことともいえると思うのですが、統一教会問題を巡っての安倍批判が、安倍さんの無功績という、「作品」「幻想」の空虚さと別次元で華やかに展開されていて、本当の安倍評価というのがほとんど進展していない、いやむしろ隠蔽されてしまっているということがあると思います。統一教会問題はおおいにやればいいでしょう。しかし統一教会に深入りしたのは何も安倍さんに限ったことではない。憲法改正から拉致問題、北方領土問題、教科書問題など、取り返しのつかない「無解決の10年」が安倍さんの物語と幻想とともにあった、ということこそが、統一教会の話よりずっと大事なことではないかと私は思います。

    しかし、幻想は、それがあるように見えたときはまだ人間に何かの活力を与えるだけよかったのかもしれません。宗教だって革命だって大半は幻想で、それが生きていることで生き生きとする人間もたくさんいる(いた)かもしれませんから。これから、安倍さん幻想、安倍さん物語は、急速に死滅を迎えていくでしょう。小川榮太郎さん、八木さん、それから宮崎さんたちたくさんの「物語読者」に、ケストラーのいう「悲しみ」がジワシワとやがて虚無のようにやってくるでしょう。安倍さんは、「幻想の後継者」を作ることもなく消え去ってしまったのですから、物語の続編もつくられることはないのです。「ヤマトタケル」のむなしい比喩も、「幻想の死」の悲しみによる錯乱にみえます。しかし「幻想」も「物語」にも無関心だった私には、そうした光景は、ただ単に、お気の毒なことだ、としか感じられないでおります。

  14. 渡邊 樣

    毎度の御高見、樂しく拜讀し全て首肯しました。今囘は、あまり難しい理論もないやうなので、こちらは氣樂に雜談を。前後が繋がらないこと(支離滅裂とも言ふやうです)をお許し下さい。

    「ユートピアを安倍さんを通じていくら見ようとしてもみえなかった私は、空想力に欠けた人間なのでしょうか」
    ーーYes.とも、No.とも申せません。幸か不幸か、私にも見えないからです。そして、「大衆は自らの幻想を満たしてくれる作品を求める」(フローベール)とは至言だと思ひますが、そこには、「幻想」を起させるやうな何かがあるのが普通でせう。小さな、小さな切れつ端でも、それを見たのがキッカケで、どんどん思ひが擴がるーーそれが幻想でせう。そして、私には(多分渡邊さんも同樣でせう)、切れつ端も滓も見えないのに、「大衆」にはなにかが見えるのでせうか。

    逆に、如何なる幻想にも結びつかない nothing の安倍さんなら、私にはよく見えます。テレビで、記者に向つて手を擧げるところを見ても、パフォーマンス下手、他に何もなしーー以外のことは感ぜられません。「大衆」はテレビも見ないのか、それとも、テレビを見る私の感覺が狂つてゐるのか・・・。といつて、「大衆」は私より馬鹿だと主張するつもりはありません。網膜に映る像からして、違ふのでせうか。

    「『ヤマトタケル』のむなしい比喩も、『幻想の死』の悲しみによる錯乱にみえます。しかし『幻想』も『物語』にも無関心だった私には、そうした光景は、ただ単に、お気の毒なことだ、としか感じられないでおります」ーー仰せの趣旨には同感ですが、ややオーバーにも感じられました。「幻想の死」といふ評に値ひするほど高尚なものでせうか。彼等は大抵、普段どほりに、喋り、笑ひました。中には涙を流した向きもあるやうですが、これは次なる「幻想」「錯亂」でせう。私は「お氣の毒」といふ感情を催しません。自作自演で、終れば、何事もなかつたかのごとくケロッと・・・。

    稻田朋美さんが防衞大臣を辭めた後、廣島に來たのを、我等が管理人長谷川女史は大歡迎、お土産まで渡して見送つた次第を、御自身のブログに嬉しさうに報告しました。私は可笑しくなつて、「賣國奴は常に愛國者の衣裳をつけて現れる」といふ箴言を捏造、呈上しましたが、全く通じませんでした。からかはれてゐるとも感じなかつたらしい。

    女史には、靖國參拜や教育敕語は善といふイデオロギーが強く、他のものは目に這入らないのです。そして、女史のイデオロギーでは惡とされる「夫婦別姓」に稻田さんが加擔しても、女史はギョッとするわけでもなく、ケロッと。

    常に「ケロッと」なのです。典型的な「大衆」ですね。そして、歴史をひもとくと、この種のワーッ→ケロリの人々こそ、國の興亡の決め手になるのですね。

    さて、ヤマトタケル=安倍晋三説がピンと來ない點は私も全く同じです。そして、その理由として、渡邊さんの擧げられることに、すべて納得しました。ただ、私の神話についての知識・理解は頗る怪しい。今から20年くらゐ前でせうか、西尾先生にお尋ねしたことがあります、「先生は、何により最も神話に親しまれましたか」と。「繪本だね」ーー先生は言下に、さう答へられました。この時、私は自身の神話コンプレックスの原因の一つが分つたやうな氣がしました。

    先生と私は、年齡は4、5歳しか違はない。しかし、私が小學校に這入つたのが戰後の昭和21年であるのに對して、先生は大東亞戰爭たけなはの17年。あの時期の4~5年の差は大きい。決定的な差でもあります。私は繪本で神話に接したことはなく(大國主命と因幡の白兔の話くらゐは見たかもしれないが)、神話への親疎はそのせゐだと勝手に決めました。

    もつとも、本人の興味と心がけ次第で、そんなものは簡單に克服できることは明かです(我が子より若い渡邊さんの神話理解を俟つまでもなく)。それは分つてゐますが、一應の言ひ譯を用意したのでした。古事記も日本書紀も、岩波文庫のものを買ひましたが、それは讀まず、どこやらの注釋書を一讀しただけです。特に惹かれたとか、氣になつたとかの箇所はありませんから、義務的に、物理的に「讀んだ」だけなのでせう。從つて、ここでも、神話談義は嫌でも控へめにならざるを得ません。

    三島由紀夫が「ヒトラーは英傑に必要な爽やかさが欠けている」と言ひましたか。爽やかさはたしかに、有力な要素でせう。しかし、indispensable とまではゆかないのでは(ただし、ネガティヴな感じが少しでもあれば、「英傑」になれないのなら、三島の言ふとほりですが)。ヒトラーの演説を聞いて涙するドイツ國民、中には卒倒する婦人も。映像を見てゐると、爽やかさはなくとも、十分に英雄、天才・怪物だと感じられます。そして、字幕を讀むと、彼が「民衆は馬鹿だから、すぐに忘れる。同じことを何度も繰り返し教へてやらねばならない」といふ持論に忠實に從つてゐることがよく分ります。安倍さんには絶對にないものによつて、民衆に幻想を起させてゐます。

    オッと、ヒトラーとヤマトタケルノミコトと安倍さんと・・・何が言ひたいのか分らなくなつて來ました。すみません。いづれにしても、前の二人と安倍さんに共通するものは皆無ですね。そして、ミコトも爽やかさに缺けてゐるのですね。粗暴であることは承知してゐました。彼の治績を「ドサまはり」とは愉快な適評で、十分納得させられました。

    しかし、たとへば、兄の大碓命の手足を引き千切つて殺してしまひ、それを得意になつて、父に嬉しさうに報告、父を驚愕させる場面(あれは父の指示を誤解した結果?)など、陰慘といふよりも、寧ろユーモアを感じましたが、讀み損ひでせうか。

    ミコトには殘忍・殘虐のイメージを持つのが正しいのでせうか(勿論、他にポジティヴな面があるにしても)。殘忍・殘虐といへば、私は雄略天皇、武烈天皇を思ひ浮べます。どちらも、相當なことをやつたやうですね。そして、日本人には大したこと、徹底的に非情なことは出來ないといふ持論から、彼等は渡來人ではないか、何かの理由で紛れ込んだのではないのかなどと考へます。兄弟に温和な人物がゐたりすると、それは遺傳の法則による、雄略、武烈には兇暴性の因子が作用したのだなどと。西尾先生の「四方八方から寄つてきた、樣々な人種が混ざり合つて日本民族となつた。それは他民族と同じだ。違ふのは、集まつて來るだけで、殆ど外に出てゆかなかつたこと。これが日本人の特徴だ」といふ説に忠實に從つたつもりです。神話の時代は未だ、人種の混淆融和が十分に進んでゐなかつた。そこで大陸系の夷狄の猛々しい性質が時に現れたのだなどと理論化したりしました。

    といふやうに、如何に脱線しても、安倍さんに繋がるものは發見されません。渡邊さんがどこを探しても、安倍さんと違ふことばかりと述懐されるのは當然です。JFK<安倍晋三とは笑止。「安倍さんとは桁違いの政治家だった」ことは、議論の餘地がありません。

    「日本の右派大衆や右派言論人は、安倍晋三という『作品』を編み出しつづけていた」「何のための『物語』かといえば、遥か遠くにみえる我が国のナショナリズムのユートピアを、一人の政治家総理がかなえてくれるという、ほとんどメルヘンじみた幻想郷を求める物語」とは見事な分析です。そしてしかし、メルヘンにしても、白日夢にしても、スタートのためのとつかかり、素材などが全く見當らない(「無解決の10年」を初めとして、逆の材料なら溢れてゐるのに)のは、依然として、私には不思議です。なぜ安倍さんなのでせうか。

    宮崎正弘さんといへば、西尾先生と仲良しですね。私が坦々塾に入れていただいた頃は、勉強會にはほとんど必ず宮崎さんも出てゐましたね。副座長といつた感じでした。宮崎さんも私もヘビースモーカーだつたので、休憩時間にはロビーなどで灰皿を圍んで、喫煙竸爭を演じたのも懷しい。後に、西尾先生の指示により、私が自著を贈つたところ、すぐにかなり長文の感想文(本をよく讀まなくては書けない類の、内容に普く觸れたもの)を下さり、最近の御著書も添へられてゐて、私は恐縮しました。ずゐぶんマメで、面倒見のいい人らしい。

    後に、この日録で、宇位山さんといふ人が「宮崎さん、コスイ」と書きました。テレビの座談會で、西尾先生が安倍批判をされた場面で、すかさず宮崎さんが、これを引き取つて、安倍總理を擁護した。そのやり方がフェアでないし、時流に便乘しようとの下心が明かであるといふ趣旨でした。私と大藏さん(當時は勇馬さん)が反論を試みましたが、二人とも、宇位山さんに説伏されてしまひました。

    今囘、渡邊さんの引用された宮崎説を見ると、どうも下心はなく、本氣のやうですね。ただの阿諛、迎合なら、考へつかないやうな中身、口ぶりだからです。そして、御本人は決して安倍さんの惡口を言ひませんが、私が安倍さんを惡し様に罵つても、大抵、そのメルマガには載せてくれます。寛容でもあるのでせう。

    もちろん私は、本氣なら、いいとか惡いとか申す積りはありません。そして、「安倍晋三という『作品』を編み出しつづけていた」人々も、8割方は本氣でせう(長谷川管理人も)。そこが問題なのですが、今さら、私が改めてそれを論じる意味はないし、長くなつたので、「宗教だって革命だって大半は幻想で、それが生きていることで生き生きとする人間もたくさんい
    る(いた)かもしれません」との御説を借用して、打ち切りにします。

    だらだらとすみません。渡邊さん、またお教へを。

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