ヨーロッパを探す日本人(四)

 

 もうひとり別の老人は、そうさな、覚えがありますよ、どこかで確かにそう書いてある家を見た覚えがある、間違いありません、まあ、一緒にお出でなさい、そう確信をもって私をつれて歩き出した。だが、私がもう何度も往き来した同じ場所を歩くだけで、あっちに立ち停り、こっちに首を曲げしてみせるのだが、どこだったかどうしても思い出せないらしい。

 そうこうするうちに、さっき交番へ行けばよいと言ったおっさん風の老人が、通りの向う側で手を振って、私の方に歩みよって来た。判ったのかもしれない。老人は通りを横切って、こちら側に渡ると、大空を指さして、いい天気だ、と言う。私の肩に手を置いて、見ろ、飛行機が飛んでいる、ワハハと笑う。ビールに酔っていい御機嫌である。見れば、たしかに澄み切った秋の青空に、飛行機が爆音も小さく、高く飛んでいる。

 私は急に馬鹿馬鹿しくなった。だが、なぜか愉快で仕方がないという気持にもなった。今日という日が、なんとも言えず愉快になってきたのだ。第一、百年前の異国の哲学者の昔の下宿をさがして歩いている日本人というのがまことに愉快な存在だし、それに、飛行機が飛んでいるといって子供のように両手をひろげて、私の質問をすっかり忘れてしまっている愉快な老人を前にして、当惑した微笑を浮べていたに違いない私という存在ほど剽軽な人間はまたとないであろう。

 いったい私は何をさがしていたのだろうか?私はニーチェのバーゼル時代の下宿の住所をさがしていたのである。だが、私はなぜそんなものをさがしていたのだろうか?よく考えてみると、これは無条件に当り前なこととは必ずしも言えないように思えるのだった。

 私はニーチェを愛読しているからだろうか?だが、私はなぜニーチェを愛読しているのだろうか?ニーチェの文章を読んでいると、思想的にも、生理的にも、いや、確かに頭の訓練としても快適だからである。私は快適なことをするのが好きだからである。そして私は、不快なことをするのが嫌いだから、バーゼルでニーチェの昔の下宿をさがしているのだろうか?それがなかなか見付からなくて苛々しているのは不快なことではないのだろうか?私には不快なことが結局、愉快なことなのだろうか?それとも愉快なことが、不快なことなのだろうか?

 じっさい私は、笑いたかった。だが誰にたいしてこれは笑うべきことなのだろうか?私は私自身を笑って気が済むということをやっぱり笑うべきではないだろうか?それとも私はもう笑ってしまえば、もう笑うべき存在ではなくなるというのだろうか?

 私はこれまでもヨーロッパにやって来る日本人の、あのいつも物欲しげな、それでいてお人好しの顔付きがおかしくてならなかった。それは私自身をも含めてのつもりだったが、やっぱり今まで、どこかこころの片隅では、私は私自身をも含めていなかったのかもしれない。

 つい一週間前、私はローマにいた。ローマのレストラン・トーキョーにあつまっていた日本人の、あのいかにも間伸びのした、ちょっとはしゃいだ、きょろきょろ辺りを見廻して落ちつかない、それでいて俺は日本人だという傲然とした張りのあるところをも失うまいとする一群の表情を部屋の片隅からじっと眺めていて、ああ、日本人はこんな顔をしていたのか、久しく忘れていたな、東京にいたとき日本人はたしかにこんな顔をしていただろうか、そう気を張るなよ、のんびりし給え、あんまり緊張しすぎるから、刺身の食べられるレストランに来て、にわかにそんなにこやかな顔になってしまうのだ・・・・・・じっさい私はあのとき悪意の塊になって、日本人観光団の野放図なおしゃべりを冷笑し、ひそかに優越感をかんじ、それでいて自分も刺身が食べたくてレストラン・トーキョーをさがしにさがしあぐねた末ようやくたどり着いたという事実の方は好都合にもすっかり忘れる技術をも習得していたのである。

 旅行中日本人観光団に会うとぞっとしますよ、といつか私に真顔で言ったひともやっぱり日本人だったが、そのひとも私に言わせれば、やっぱりぞっとする日本人の一人だったのである。なにしろその人はドイツ語が一言もしゃべれないのに、日本の某大学から派遣されてミュンヘン大学の経済学部の某教授と会談するためにやって来たのだが、私は通訳をたのまれたので、至急経済学部の研究室に連絡をとってみたところ、うかつにも会談の約束なんかまるっきり取りつけてもいなかったからである。

 研究室の親切な秘書嬢が気を利かし、その日偶然ドイツ人教授が出講日だったので運良く会談は成立したからいいようなものの、ああ世話は焼き切れないなと腹を立てつつ通訳の場にのぞんだところ、日本人教授はドイツ人教授の前のソファーに坐りながら、相手の顔を正視して物を言うことが出来ないのである。

 しゃべっているのは易しい日本語である。それなのに日本人教授ははじめから終りまで、横に坐っている通訳の私の顔ばかり見ながらしゃべっている。ドイツ人教授は堂々とした長身で、悠々とソファーに坐し、にこやかに微笑をうかべつつ応対するその小憎らしいほどの落ちつきに調子を合わせようとすると、私の下手なドイツ語は、しだいしだいにヒステリックに上ずってきて、これほどの羞ずかしい、みじめな思いをさせた日本人教授に対し私はいささか恨みを抱いたものだった。

 それに別れるときになって、日本人教授は鞄の中から土産物のつつみを取り出して、ドイツ人教授からは代りに著書を一冊贈呈されたところまでは良かったが、彼の鞄のなかにはまだまだ沢山お土産の品が入っているらしく、隣室の秘書嬢にまでそのうちの一つを差出そうとする素振りをみせたので、私は「ああ、止めて下さい、その必要はありません、却っておかしいですよ。」と思わず手で制しつつことばに出していたのだった。これまでいくたびも日本人来客の通訳を頼まれて来たのだが、はらはらしたり、腹を立てたり、しまいには逃げ出したいと思う場面に出くわすことも一度や二度ではなかったのである。

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