ヨーロッパを探す日本人(五)

 

 いつであったか、「教育視察団」をつれてミュンヘンの女子職業学校を訪れたことがある。

 日本の中学校、高等学校の校長先生や教頭先生などを主体にした老人ばかりの団体視察旅行だが、私が引受けたのはそのうちの15人ほどで、出かけた学校は「帳簿記帳と管理業務のための女子商業学校」、簡単にいえばBG養成所とでも言うべきところだろう。だが、なぜあんなに写真をとりたがるのか。女の校長先生に案内されて、機械の置いてある部屋で説明を受けたが、そのまわりに集ったのはほんの4、5人で、ほかの者はカメラをあちこちに向けていて説明をきこうとしない。

 やがて授業中の教室にわれわれは這入ったが、そこでもカメラのフラッシュをたく人がいる。窓の外を写している人もいる。だが、たったいま私に深い感銘を与えたのは、われわれが教室に這入った瞬間、13、4歳の少女たちはお客さんを迎えて一斉に立ち上がったことだ。だれからの指示もない。担任の先生はノックした校長先生の方に歩み寄っていて、ドアのそばに来ていたため生徒に指示を与える暇もなかったことは先頭にいた通訳の私がこの眼でよく見ていたからはっきりとそう言えるのである。

 校庭に出たとき、そこでこの一団は校舎を背景に女の校長先生を撮影したいと言い出した。通訳の身だから、仕方がないのでそのむね伝達した。校長さんが「どうぞ(ビッテ)」と言った瞬間である。驚くべきことが起った。約10-15メートル四方に、15人がぱっといっせいにくもの子を散らすようにグランドにひろがって、女の校長さんに向って、あるいは立ったままで、あるいは中腰でそろってカメラを構えたのだ。彼女はどう思ったろう。飛行機のタラップを降りて来た有名女優に新聞社のカメラマンが一斉にカメラの放列を布いたのとちっとも変らない。

 ひとりが代表して撮影するのならそれも御愛嬌だが、15人がひとりの例外もなく、とつぜん目の色を輝かせ、さっと校庭にひろがって思い思いの姿勢でカメラを向けたのだ。私は顔から火の出る思いがした。なにしろ日本から来た先生たちの代表なのであり、校長職など老人が多いのだから尚更である。

 しかし、そのあとでさらに驚くべきことが起ったのだ。

 12時過ぎになって、校門を三々伍々、女生徒たちが出てくる。日本人の一団のなかの、陽気な、大柄な先生のひとりが女生徒を3人つかまえて、校門の前に立たせ、自分がさらにそのうしろに立って、同僚の一人に自分のカメラを渡し、女生徒といっしょに立っている自分の姿をカメラに収めてもらおうとしたのである。無邪気といえば無邪気だから、女生徒も笑っているので、それだけならむろんなにもとり立てておかしいわけではない。

 問題は、その大柄の先生が終ると、次から次へ、われもわれもと同じことを真似しはじめ、15人全部が完全に同じことを繰返し終るまで、3人のドイツ人の女生徒がじっと立っていなければならなかったことなのである。私は見ていられなくなってその場を離れかかった。それは見事というほかはない行動の連鎖反応だった。ひとりぐらい真似しないという人があったっていいのに、彼らを完璧なまでの模倣衝動にかり立てたものは旅の心のいたずらか、はたまた老人の痴呆症か、いずれにせよ、日本人であることに屈辱を覚えたいくつかの瞬間のひとつに属する出来事ではあった。

 私が通訳として外国で付き合った日本人のなかで一番立派だったのは、若い警察官僚F氏だった。F氏はまだ28歳の若さだが、質問は要領を得ていて鋭く、礼儀も正しく、たちまちミュンヘン市警の本部長の信頼を買って、約束の時間が過ぎても歓談は止まなかった。

 F氏は自動車の交通違反に現場罰金制度を日本にも取り入れるため、それが理想的に行われているバイエルン州の実情をしらべに来たのだが、日本では警察官の不正が起り、罰金がネコババされる怖れもあるのでその点を質問しようとした。

 「しかし、その通り>ストレートには質問しないで下さい。」
と彼は私に注意を促した。

 「19**年にアメリカのカリフォルニア州でこうした警察官の不正が大規模に起って問題になったことがあります。そこで、ミュンヘン市警ではこうした憂いを防止するためになんらかの手を打っているかどうか、そういう訊ね方をして下さい。」
さもないと失礼に当るというのである。

 こういう細かい日本人的な心遣いは、たいてい外国に来るとたちまち失われ、バランスを破った非礼、破廉恥を平気で犯す日本人旅行者があまりにも多いなかで、私はF氏が際立った存在にみえたものだった。

 「教育視察団」のなかのひとりの如きは、女の校長先生に、
 「あなたの月給はいくらですか」
という質問を呈したので、私はただちに訂正して、
 「教師の給料は平均いくら位ですか」
と言い直したものだった。

 それでもこのひとたちは日本に帰れば、職員会議あたりでドイツの教育制度について一席ぶち、ドイツの女生徒といっしょに写したフィルムを同僚、下輩に御披露して、大いに滞欧経験の有意義であったことのお土産にするだけの下心は持ち合わせていよう。いや、そういう下心がつねにあるから、なにかの機械に恥も外聞も忘れて、「証拠写真」をあつめようとしているのに違いない。

 あれは痴呆現象でも模倣衝動でもなく、計算ずくの行動かもしれないのだ。いや、そう考えた方が筋が通っているし、少くとも私の感じた屈辱感の半分位は減殺される。

「ヨーロッパを探す日本人(五)」への3件のフィードバック

  1. 私も欧州滞在中に同じ様な経験がありますが、あの行動は一種の「恥ずかしさ」から来ているのですかね?誠に不思議な現象です。

  2. 校長先生達がこんなことでは、授業参観や運動会で父兄が子供の写真やビデオを撮るのに必死になって、周りに迷惑をかけることを、批判することもできませんね。
    それとも、全員そろって、日常ではやらないことを、旅の恥は掻き捨てでやったとでも言うのでしょうか、
    他者への思いやり、他人に迷惑をかけない、これらのことを教えることが教育の第一歩ですよね。

  3. 市民団体やPTAの公費支出への監視がうるさくなったので、防衛反応としてこうした行動に出る面もあるのでしょうね。100の言葉より1つの証拠などと称して。
     実際の目的が果たして達成できたのかどうかがはなはだ疑問ではあります。
    視察とは証拠写真を撮ることではないですね。そう言えば、どこぞの元首相はカメラを抱えて視察に行ったとかいかなかったとか・・・指導者がこんな体たらくだから。

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