ヨーロッパを探す日本人(七)

第三節

 自然の成り行きとしてかように浅薄にならざるを得ないのが外国経験の宿命ではあろうが、しかしまたよく考えてみると、人間のおこなうどんな種類の経験も、そのそもそもの始まりは未知の事実への既知の心理の不確かな反応なのであるから、いつの場合にも経験とは、浅薄な誤認に陥る可能性をつねに伴っているものなのだとも言えるだろう。

 だからむしろ外国経験は、そういう経験一般のもついささか喜劇的な性格をもっとも赤裸々なかたちで剥き出してみせてくれるものだと考えてもよいのかもしれない。傍の目にはどんなに愚かな、滑稽な経験も、それをおこなっているひとりびとりにとっては、動かせない真剣な現実なのであり、その瞬間、瞬間において、彼のささやかな経験は、経験に関する人類の智恵の総量と等価だと言ってもいいのである。

 もとよりここでいう「経験」は1、2年もしくはそれ以下のヨーロッパ滞在中の生活の仕方というほどの意味なのであって、哲学的な意味内容のものではない。しかしまたこの不安定にして、暗示にかかり易かった自分自身の心理的現実を度外視して、いかなるヨーロッパ論、体験談も成り立つわけがないだろう。善かれ悪しかれ、われわれは自分に与えられた条件のなかで、自分の既知の経験を土台に、未知の経験をひろげていくという生き方以外のことはなし得ないからである。

 いや、それどころか、既知の経験内容を欠いては、未知の経験をもなし得ないし、経験内容はそもそも量によって保証されるものではない。われわれが、未知のある土地にいくら長く滞在しても、既知の尺度でしか反応しえてないという部分が巨大な量をなすことは明らかであり、一方、高台から臨んだ見知らぬ街の風姿や、ひとわたり町を一巡したときの初印象が意外にももっとも正確であり、場合によっては、これのみが未知の事実との本当の出会いなのであって、その後経験を重ねるにつれ、この最初の印象をこえることがだんだんに難しくなってくるというような事情に、経験のもつ不思議な性格が横たわっているともいえるであろう。

 いったい経験とは何だろうか?それは西洋体験とは何だろうか?というあの容易には答えがたい、古くて新しい本質的な問と同じなのである。ヨーロッパの土を一度も踏んだことのない者は西洋を「理解」していないなどと言えるだろうか?経験の量の豊富さが、逆に経験の質をおとすというようなこともないわけではなかろう。

 私の属していたゼミに、18歳でドイツに渡って、以来8年間、ドイツ文学の初等コースを踏んで大学院にまで進んできた26歳のインド人学生がいた。彼はほとんどドイツ人と同じように読み書きができるし、教養は並みのドイツ人学生と共通している。だが、妙なことだが、彼を混じえた座談の場で、ドイツ人学生と話が通じるのはむしろ私の方なのであった。私は共通する話題においてははるかに彼より劣勢であったが、書物や教授などの評価にあたって、私の判断力がより多くのドイツ人学生の共鳴をよんだのは興味深かった。

 文化的にインド青年は、知識や学力はいくら豊富であっても、ドイツ書やドイツ人教授に対して一種無差別な反応しかできないため、批評力においていちじるしく欠けたところがあるように見うけられた。青年としてのある大切な自己修練の一時期を、外国ですごすことが何を意味するかは、明らかである。自国文化の土台を欠いて、いかなる外国文化の吸収もありえないとよく言われるのは、既知の内容を欠いて、新しい、未知の経験もありえないということのひとつの例証にほかならないだろう。

 そう考えれば、傍目にはどんなに滑稽な、愚かしい行動であってもよい、日本から来たばかりのその戸惑いそのものが外国で新しい現実にふれたときの新鮮な驚きの表現なのであり、なにも長期に滞在し、外国生活に馴れることばかりが経験の内容を豊富にするとはいえないだろう。

 それどころか、愚かな失敗や錯誤が、経験そのものであるといえるかもしれない。経験は夢と現実の交錯のなかにしかない。外国に長く生活しすぎて、日本が観念的にしか感じられなくなれば、それは日本人の経験であることを止めたことを意味するのだし、逆に、日本で考えていたヨーロッパ像を打ちこわすことをせずに、既成の観念の殻に閉じこもって、妙に安定した表情で外国をひとわたり経験することも、けっして経験したことにはならないだろう。

 ドイツではイタリア・オペラを観ないことにしています、と見識ぶった人がいたが、ミラノのスカラ座に行ってふんだんにイタリア・オペラを楽しめる金と時間に余裕があるのならいざ知らず、さもなければすでにドイツ・オペラが自家薬籠中のものにしているヴェルディやプッチーニをドイツで観て有効でないはずはないし、それどころか、ドイツの居住地で多くのイタリア・オペラを観ておかなければ、たまたま1、2日滞在するスカラ座のヴェルディやプッチーニをどう評価することも出来ないだろう。

 私が驚いたのは、ヨーロッパにやってくる日本人のなかには、西洋の芸術一般に悪い意味でペダンティックな「通」が多過ぎることだった。「モスクワ芸術座をみてからというもの、私はもう日本の新劇はみないことにしています」などと口走るスノッブは、われわれの周辺にいくらもみかけるが、こういう人がヨーロッパに行くと、厄介なことには並みの西洋人より知識が豊富だから、素直にたのしんだり、感動したりすることがなかなか出来にくくなってしまうのである。

「ヨーロッパを探す日本人(七)」への3件のフィードバック

  1. 既にこの頃から先生は「退屈」についての思想哲学に開眼されていたんですね。カミュの「シーシュポスの神話」の書き出しにある岩転がしの刑・・・詳しくは「人生の深淵について」のP95・・・や、ドフトエフスキーの極中生活での印象・・・同じく「人生の深淵について」のP99・・・にありますように、意味の無い努力がいかに退屈になるかを語っている所を思い出しました。退屈とは暇な人生だけに起こるものではなく、忙しくしている人生にも見られるものだと語られたこの本は、実に理解しやすい纏まりのある作品だと思います。
    この本の完成を得る過程は色々な作品の中から窺い知れますが、その出発点がこの時代の旅にあることは今回始めて知りました。
    知識を得る為の忙しさが、いかに端から見て詰まらなく映るかを知る時、退屈を知らない人間の愚かさの恐ろしさを同時に人は知る事になる・・・と、私なりに纏めさせて頂きました。

  2. 外国での愚かな失敗こそ、その経験を通して、しっかりと身につく知識になるものです。そして日本人としての礼節があれば、その愚かな失敗も異国の人たちはやさしく、教え諭してくれるものです。

    最近私自身も又、友人らもよく見聞きすることに、外国での中国人の傍若無人ぶりがあります。周囲の諸外国の人たちが驚きあきれているのに、その蛮行はいつまでも続けられます。凡そ彼らには仲間内だけの反応しか見ない、見れない、いや見ようとしない傾向があるようです。

  3. このシリーズを読んでいると、バーゼルの古い石造りの建物が目に浮かんでくる。
    同じ道を行ったり来たりして、日本とは違ったスイスの街角を
    いろんなことを考えながら歩いている気分になってくる。

    西尾先生のこの文章は、少しクセがあり、
    若いなと感じる。(今の方が読む人に優しい文です)
    風景がさりげなく描写され、
    バーゼルのその町の色合いが見えるような気がするし、
    そして、ちょっと難しそうな若者が
    熱心に探しあぐねている様子も浮かんでくる。

    時事問題もいいけれど、私は西尾先生のこんな文章が好きだなぁ。

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