ヨーロッパを探す日本人(八)

 

 自分が日本からもちこんできたある観念を打ちこわすためには、やはり未知のものへの畏敬のこころ、少くとも正直なこころがなくてはならないだろう。私がミュンヘンにきた前の年に、指揮者のクナッパースブッシュが死亡したが、あるレコードファンの日本人は、あの人の演奏がきけなければもう私はミュンヘンに定住する気がしませんよ、などとひどく落胆の体をしめし、私の顰蹙を買った。そんな言い方は嫌味である。なにもミュンヘンの芸術はひとりの指揮者によって左右されているわけではなく、その気になれば、まったく経験したこともない別の新しい世界に触れることができるはずなのである。どういうわけか日本のレコードファンにはこの種のモノマニアックなひとが多かった。

 バイロイト音楽祭で出会ったある日本人は、わざわざこの聖地を訪れるためにヨーロッパにやってきた。ワーグナーを生できくのは初めてのはずだった。それなのにいろいろ専門的な批評をして私を驚かせたが、しまいに歌手のアニア・シリアの生の声はどうもレコードのように美しくないといって不平を洩らすような始末だった。

 ある幻想をいだいてヨーロッパを訪れ、その幻想のなかにとらわれたままで帰国するような日本人が意外に多い。が、たいていの日本人はむしろ経験崇拝型であり、これとは反対に、無我夢中でなにかを探し求めて歩き廻るような人がごく普通で、いかに滑稽な失敗をつみ重ねたとしても、私にはこの方がむしろ自然なことに思える。

 経験は夢であり、同時に、現実である。夢をみないものは、経験をただ分量の大きさによって測ることしか出来ず、未知の現実にぶつからないものは、日本でみていた夢からさめずに、夢にとらわれたままに帰国するのみである。

 じっさい目の色を変えてヨーロッパの新しい経験を探し求める日本人は、ただ単に滑稽というだけではすまされない。幕末開国期の、欧州視察団以来の本能がなおわれわれのうちに生きていると言えなくはない。

 例えば、18年の長きにわたってフランスに滞在した森有正氏の経験に関する省察に、最近、まるで煙にまかれたように衝撃的に反応した日本の論壇は、あたかも私の拙い経験談に日本人旅行者がふりまわされていくときの、不安定にして、ナイーブな、暗示にかかり易い心理状態に似ていたところがあったようにも思えるのである。むろんそれは森氏の省察のある深さを否定するものではない。しかし、一片の論文に対する反応の大きさは、日本とヨーロッパの間に横たわる百年来の心理的惰性に由来していると思われるふしが私にはかんじられたのである。

 そのことの善し悪しを問うているのではない。ただ、要するに、ヨーロッパに来て経験を探し求めて狂奔する日本人の心理と行動を簡単に笑うことは出来ないということであり、多かれ少かれ、そのようなあり方にしか日本人のヨーロッパ経験の様式はないのではなかろうか?

 なにしろわずかな滞在期間に比して、ヨーロッパ全土はあまりにも豊富な経験の宝庫である。日本人は大抵、ひまがある限り夢中で旅行する。ヨーロッパ人が一生かかってする旅行範囲を1、2年で走破する。まるで物欲しげな飢えた表情で、花から花へ飛び移る蜜蜂にように、町から町へ、国から国へ、美術館から美術館へ、そうしないではいられないものを秘めているヨーロッパとは何だろうかと考える余裕もなく、次々に行動を起さずにはいられない日本人の旅行の仕方を評して、ドイツ人の某友人は、“Typisch japanisch”(典型的に日本人風だ)とからかったが、彼が出会った日本人はみなそうだったという意味なのである。

 日本人とアメリカ人の好奇心の強さはドイツ人の間ではすでに定評がある。なにかを探し求めて止まないそういう慣い性はもうわれわれの骨の髄まで犯しているのかもしれない。しかしそういう仕方ではとうてい自分自身というものにめぐり会えることはないのである。にもかかわらず、そうしなければまた自分自身にめぐり会えるよすがさえ摑めないのがヨーロッパなのであろう。

 ヨーロッパがアメリカと違って、各国文化の豊富な多様性によって成り立っている以上、ヨーロッパへの留学生が大学生活などをそっちのけにして、自分を多様性そのものにゆだね、そこから無意識のうちに入ってくるものの音を静かに聞きとろうとするのは避けがたいことだろう。

 イタリアのアッシジで出会ったある日本人女性は、半年もヨーロッパ各地をひとりで旅行し、とりわけイタリアの美術や自然を見て歩いている間に、毎日のように出会う「中世」の顔に感動し、その感動をだれにも日本語で打明けられない孤独な旅の空しさにほとんど耐えられなくなる思いだ、と漏らしていたが、私もまたそのころ、同じ気持で同じ事をかんじていた。

 今はそのときの感覚がどうしても鮮やかに、具体的に思い出せない。あのときでさえ言葉にならなかったあの感動の数々がどうして今ことばになろう。私自身、旅の一日で見た物の余りに多くをだれかに伝えたいという気持に駆られて、夜、ホテルで家族や友人にあてて手紙を書き出すが、伝えようとすると、伝達の機能が経験の量に及ばないという思いにいくたびもほぞを噛んだ。

 こういう孤独なたびの空しさに耐えて黙々と歩いている日本人が、これまでどの位の数にのぼったことだろう。

 荷風の『新帰朝者日記』のあの明治の新文明への憤りは、そういう空しさをかんじていた彼が、言いがたい感動をいだいて日本に帰って、だれも分ってくれない今浦島の思いなのに違いない。いったい彼は何を探してきたのだろうか。かれの絶望がはげしかったのは、孤独の空しさに耐えて味わった感動もまた深く、はげしかったからに違いない。観光バスでローマを一巡して帰る人たちの方がきっと確信をもってイタリアを批評することが出来るだろうと私は思った。じっさい荷風もまた、確信をもってヨーロッパの新文明を語る知識人に、帰国後、ただちに取巻かれている自分自身の始末に困ったのである。

「ヨーロッパを探す日本人(八)」への1件のフィードバック

  1. >とりわけイタリアの美術や自然を見て歩いている間に、毎日のように出会う「中世」の顔に感動し、その感動をだれにも日本語で打明けられない孤独な旅の空しさにほとんど耐えられなくなる思いだ、と漏らしていたが、私もまたそのころ、同じ気持で同じ事をかんじていた。<

    極一部の日録ファンならご存知かと思いますが、私には豪州の友人(クレイグ)がおりまして、彼はスイスに本社を構えるネスレーという会社に勤務しています。今は子会社の「猫大好きプリスキー」で有名なペットフード会社の雇われ社長として、現在日本に滞在中です。二年前から日本に住み、その前はスイスにいました。
    この夏私に会いに来道し、色々と話し込みました。
    その際父方の叔父の家にて彼を歓迎したわけですが、叔父は旅行が大好きで、毎年ヨーロッパに夫婦で出向いています。
    実は現在その旅行の最中ですが、たまたまクレイグが来た際に旅行のパンフを持ち出し、伯父はクレイグにツアーの善し悪しを尋ねたわけです。
    クレイグは「このツアーはとっても良いですね」と応え、叔父はさっそくそのアドバイスに従う気配でした。その後ヨーロッパの話題になり、クレイグはフランスとスペインとシチリア島を是非薦めたいと語り出しました。ところが叔父はフランスがあまり好きではなく、まだ一度も訪れたことが無いと打ち明けました。叔父は「自分はやはりドイツが好きだ。何故かあの国には愛着が湧く。できれば許されるならドイツを基点にヨーロッパをゆっくりと一ヶ月くらい旅したい」と言うのです。
    それに対しクレイグは「日本人はドイツを好きな方が多いですね。イタリアも好きでしょう。でもなぜフランスを嫌いますか?」と聞くので、私はすかさず「フランスは日本から見ると西洋の中国に見えるのさ」と応えました。彼は「へぇー」と言い、不思議そうな顔をしていました。
    多分この私の反応はかなり彼を傷つけたかもしれない。ネスレーのオーナーは間違いなくフランスと関わりを深く持つ方だろうし、ある意味自分の会社を侮辱された気分だったに違いないだろうからだ。
    しかし私はそれ以上に感じたのは、アングロサクソンがなぜフランスという国にそれほどまで心入れが強いのかだ。彼は何故かイギリスをひどく嫌う。両親の祖先を辿ればイギリスに辿り着くわけだが、何故か昔から彼は英国の実態を嫌うのだ。掘り下げて聞いたことは無いが、町並みを一つ例にしても、英仏の差は歴然だという。
    フランスというお国柄を彼はどれほど認識しているのか解らないが、案外最近は西洋人も暢気な一般人が増えつつあるのかなと思ったりした。
    それとも他に替えがたい人種的脳裏が存在し、この点に於いては譲りがたい現実がデンと構えているのだろうかと想像したぐらいだ。それに比べれば伯父の無邪気さはあまりに日本的で、この章にある西尾先生の観察はあまりに的を射すぎているわけです。

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