ヨーロッパを探す日本人(九・最終回)

 いったいヨーロッパは何であるのか、荷風以来その認識はそれほど進んではいないし、ただわれわれがなにかを探すためにあそこに行かずにはいられないという衝動だけは依然としてつづいているのである。だが、考えてみれば、こうして探してばかりいる姿勢が健康である筈もなく、それはいつでもあの「教育視察団」の物欲しげな、話題さがしの経験崇拝に転落する危険をもうちに秘めていることは明らかである。

 じっさい私の二年間の生活を占めていた多くの部分が、あのカメラ狂の好奇心に類するものであったことは、残念ながら認めないわけにはいかない。そしてまた、私はすこしもそれを後悔していないのだが、ヨーロッパの短い滞在では、そうしなければたちまち自分の小さな我のうちに閉じこめられてしまい、何のために行ったのか分らないことにもなりかねないからである。

 われわれをふところの中にかんたんに飛びこませてくれない冷たい壁がこの社会にはあり、それは同化力のはげしいアメリカ社会との相違点であり、またアメリカ留学とヨーロッパ留学とは形式が変ってこざるを得ない所以であるともいえるかもしれない。われわれは自分の経験狂を笑いながら、それをつづけるほかはない。そして笑っているうちに探しているもの(傍点)をやがて見つけることだってあり得るだろう。

 思いがけないときに、思いがけないところで、探しあぐねているものにふとぶつかる。そういうときは嬉しいというよりあっけない。私がバーゼルの秋の日の午後、ニーチェが昔住んでいた家をついに見つけたのもそんな具合だった。それは余りにもあっけなかった。

 私はもう4時間も探し歩いてすっかり諦め公園を散歩していた。坐高の高い白髪の婦人が、ベンチで本をよんでいた。本をよんでいるくらいだから、ひょっとすると知っているかもしれない、私は半ば諦め半ば期待し乍ら同じ問をくりかえした。老人は多くを語らず、先に立って案内してくれた。ほとんど感動のないその無表情に、娘時代以来いく変転したニーチェ像へのどんな感慨がこめられていたのか私には分らない。

 さっき何度か通った覚えのある通りのひとつ、古いギムナジウムの建物を角にもつシュッツェングラーベン・シュトラーセの47番地だった。シュッツェンマット・シュトラーセとほんの一字違いだったのだ。そこからはあのギムナジウムのすぐ裏がみえる。

 通りは幅広く、真中がカスタニエンの枯葉に蔽われた中道公園になっていて、ベンチもあった。私はここを何度も通っていたのだが、立木に遮られて、気がつかなかったのだ。同じ形をした二階建ての、長屋形式のつづくとある中ほど、やや草色がかった灰色の壁がそこだけすこし古く、黒ずんでいる一軒があった。白い窓枠は汚れていた。壁のなかほどに、黒い石板に白文字で、

  Hier wohnte
  Friedrich Nietzsche
  von 1869-1875
 と張り出されてあった。

 あっけない結末だった。

 勿論なかには誰かが住んでいるとみえ、壁掛が窓からみえた。7、8メートル四方の小さな庭には、玄関口まで石畳が敷きつめられ、紫陽花が季節にふさわしくない狂い咲きをみせていた。庭の中ほどに、かなり丈の高い棕櫚が植えられ、周囲を手入れよく芝が取りかこみ、そのまた外縁を名も知らぬ蔦が円く、縁どるように匍っていた。

 すこし湿っぽい庭から家の方をみても、寂として物音もなく、道路をへだてる鉄の垣根の端にある小さな鉄の門には、かたく錠がおろされていて、びくともしない。折角のことで見つけたのだから、せめて写真だけでも写して行こうとして位置を考えていると、通行人はじろじろ私を見ていくし、私につられて鉄の垣根ごしに不思議そうに内部をうかがう通行人もいた。じっさい不思議そうにみえたのは私の方であったのに違いない。

 しかし私はさいごに、ここに今どういう人が住んでいるのかという無意味な好奇心に動かされはじめていた。なにしろ門には鍵がかかって、静かで、物音ひとつしない。だからこそ一層好奇心にかられたのかもしれない。

 私はしばらく躊躇したのち、思い切って隣家の鈴をならした。若い感じのいい娘が戸口を開いた。私は日本から来た者ですが、隣家のことについてお訊ねしたいのですが・・・・そう言うと、娘はにわかに怪訝な表情を顔にうかべた。

 「ニーチェの家についてお訊ねしたいのです。」
 「ああ、」
 と娘はすぐ納得のいったような表情にもどった。
 「今この家は何に使われているのですか。」
 「お婆さんがひとり住んでいます。」
 そう言ってから娘は身を一歩のり出し、私がそれ以上まだ何もきいていないのに、急に興に乗ったようにしゃべり出した。
 「それがね、とっても不思議なお婆さんなんですのよ。そのお婆さんのすがたを、私たちまだ見たことがないのです。白い髪をし、赤黒い顔をした老婆だって聞いていますけれど。一人にしては家が大き過ぎるのに、ほかには誰もいないらしく、夜になると窓を開け、昼間はけっしてカーテンを上げたことがありません。」
 「ずいぶん童話風のお話ですね。買物にも出ないのですか。」
 「それが、私たち、とにかく見たことがないのですから。家のなかでも、何をし、どんな生活をしているのか誰も知らないのです。」

 そう言って娘はすこし笑い、退屈そうな表情にもどった。

 私は丁寧に礼を言って、その家の玄関口から立ち去った。娘はすぐ扉をしめてしまった。隣家のニーチェ・ハウスはやはり前と同じように、しんとして、物音ひとつしなかった。私はバーゼル駅の方へ向って歩き出した。時計を見て、すこし慌てて、思いなしか私は歩調を早めていた。

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