平井康弘
今から40年前に西尾先生が共鳴したニーチェゆかりの地を、ニーチェの影を追い求め、歩かれたご様子が目に浮かびます。
40年たった今でもバーゼルの街はそれほど変わってないのではないでしょうか。
15世紀に大地震があって街に大きな被害があった以外は、大異変も戦争もなく、古くからの建物が多く残っています。街には18-19世紀に作られたアパートが軒を連ね、今でもバーゼルの人々はそうしたところで生活しています。
郊外にはローマ時代のコロシアム(円形劇場)や、石で固められた100メートル以上ある長い地下道なども残っており、目まぐるしく作っては壊される日本の街の変化とは無縁の、過去からの連続した風景をみることができます。
また、バーゼル市の人口自体もほとんど変化がなく、あいかわらずゆっくりとしたテンポで、日曜にはほとんどの店が閉まり、家族や知人と思い思いに時間を過ごす習慣が残っていますし、外食率も日本と比べるとかなり低く(物価の高さも原因している)、今でも家族中心の生活が守られています。きっと、先生がいらっしゃった頃から同じ生活の営みが繰り返されているのだろうと思いながら、この「ヨーロッパを探す日本人」を拝読しました。
若い頃の先生の、ヨーロッパを探訪しながらの自分や社会に対する洞察力は示唆に富み、先生の名著「ヨーロッパの個人主義」の原点がここにあるのだなと思いました。それはヨーロッパを探し、それに感銘を受けておしまい、という無邪気なヨーロッパ論ではなく、いつもその観察の先には、ヨーロッパを探訪しながら自分、あるいは日本の在り方をとことん追究するという一貫した、あくまで自分や日本の問題としてヨーロッパを見つめていらっしゃる姿勢があります。
日本人としてヨーロッパとの関わりを見つめ、内省し、自己分析される先生のご分析は正確で、日本人としての感性を確立した上での外国文化との対峙がいかに大切かを示されています。インド人学生の例を先生は引き合いに出されていましたが、バーゼルで子どもを育てる私達家族が、自分の子どもの感性が今後どのように育っていくのか不安をもつ所以です。
国籍にとらわれないインターナショナルな無国籍人より、私は子どもにはやはり日本固有の文化、考え方で、ヨーロッパと向かい合える人間になって欲しいと思っています。
その日本の文化自体もしかし、絶対なものではなく、常に変化していますし、最近はおかしなことが多く起きているのも事実ですが、それでも、価値観が多様化してきているとはいえ、日本には依然として、ヨーロッパには稀有な、人の気持ちを考え、尊重することのできる平和的なよい面もあります(時として必要以上に人の気持ちを読むことばかりを考えるのは、自己の弱さからくる場合もありますが)。
また、こちらには自分が日本人である前提を忘れてしまって、ヨーロッパの側から日本よ、こうすべきだ、だとか、日本を見下し、ヨーロッパを無条件に礼賛するだけの人もいますが、しかしそれは、自分だけ批判の対象から免れ、安全な圏外から高みにたって人を批評する知的傲慢であり、それを無意識に自己正当化していることに気づかない、警戒心を欠いた知的怠惰で、固く戒めるべきです。
私は自分の子ども達には将来、日本とヨーロッパを「日本人」の目でみることのできる、きちんとした感性と文化が内在化して欲しいと願っていますが、親の都合でバーゼルに暮らしていることが、その点で正解なのかどうかはわかりません。
先生のエッセーから外国文化との接し方、日本人のあり方を深く考えさせられましたが、そんな一方で、先生はどきっとさせることもおっしゃっています。
旅先で無節操に集団で行動する観光団を冷ややかにみているくだりの先生の自己分析、「悪意の塊になって、日本人観光団の野放図なおしゃべりを冷笑し、ひそかに優越感をかんじ、一方で自分も刺身が食べたくてレストラン・トーキョーをさがしにさがしあぐねた末ようやくたどり着いたということは忘れていた」という描写に、私は似たような感情を持った経験があることを言わなければなりません。いつも集団でしか行動できず、そのくせ気が大きくなって回りの迷惑を省みない人々を自然体でみれないことがままあったことは事実で、実は背後で、自分の優越をかんじているという動機、心情があったことに私は鈍感でした。
そして先生は、結局のところそういう観光団と自分が、いつでもなにかを探しているという点において変わりはないという点を見抜き、同時に、「通訳などで出会う短期旅行者を笑うことは易しいが、また私は、私よりも多く経験している人に笑われはしまいかという不安におびえていた自分をこそ笑わなければならなかった筈なのである。他人を笑うこころと、笑われまいとするこころとは同じ精神構造なのだが、しかし、こうした不具な感情から完全に自由な日本人というものは、私の知るかぎりひとりもいなかった。」と、人間の虚栄心を深く洞察されています。
今の円熟された先生の人間性に対する考察は、この頃既に基本姿勢として存在し、自分を偽らず、真摯に、真っ直ぐ見つめる姿勢があるからこその慧眼なのだと、何かが分かった気がしました。
私も学生時代、ニーチェは西尾先生の本と並び、夢中で読み耽った青春を持ちます。自分の生き方、覚悟が問われ、精神に刻み込まれる一冊でした。そんな私が、西尾先生の「ニーチェ」二部作を読み、バーゼルに来た当時にしたのは、ニーチェがバーゼル大学教授時代に下宿をしていたアパートを見つけることでした。ニーチェを愛読するアルゼンチンの親友と共に、西尾先生がちょうど40年前に探されたのと同じ、あの下宿アパートを探しに街を歩きました。ヨーロッパの寒く長い、冬のある日でした。
その日も、太陽が見えるとはいえ、気温は冷え込み、痛いほどの寒さで、石畳の歩道を歩く人々の足は静かで早く、運が悪く途中から雪までちらついてきました。
先生が歩いたシュパーレントールでバスを降りるとそこには、記述にあった三角の特徴のある塔が、白くかすんだ冬の空にそびえていました。中世バーゼルの中心地を守る城門の一つで、城壁がなくなったとはいえ、当時を容易に想像できる威厳のあるその面影をしばらく眺め、そしてそこから先生の「ニーチェ」にあった住所を頼りにシュッツェングラーベン通りを歩きました。
住所が分かっていたおかげで、私達は簡単にそのアパートに辿りつくことができました。ただ、40年前にあったプレートは発見することができず、しかし建築様式は紛れもなく19世紀のもので、きっとここにニーチェがいたんだろうと思いながら、記念に写真をとってきました。
家に帰って、あらためて先生の「ニーチェ」にあった記述を読んで、先生の鮮やかな情景を掴む力と文才に、私は愕然としました。同じものを見てきたとはとても思えませんでした。さすがに先生のような人は、見るべきものをしっかりと見てらっしゃるのだなあと思いました。
40年後の私が見たニーチェの下宿先を写真で添付します。
最近のバーゼルはすっかり秋も深まり、街は色とりどりに紅葉した街路樹の葉が石畳を覆っています。20分も車で駆け、街を抜けると、自然のままのヨーロッパに出会うことができます。今日は車で一時間近いところにあるフランス、アルザス地方の白ワイン街道を走ってきました。一面に広がる収穫を終えたぶどう畑も紅葉し、息を呑むヨーロッパの秋の風景でした。
西尾先生の「ヨーロッパを探す日本人」では
小生も幾度かのヨーロッパ旅行で感じた同じ日本人の姿に
嫌悪したり嘆いてみたりした、自己の傲慢さを教えられました。
平井康弘様
素晴らしい感想文、有り難うございました。
それと写真も^^
「ひとはつねに自分にとつて切実なことのみをかたらねばならぬ。」
これは、「ヨ-ロッパの個人主義」の前書きの冒頭の一節であります。私が初めて西尾先生の作品に出会った、最初に目にした一節なのですが、以後ズ-トこの書出しの文意が引っ掛かっておりました。
どの作品にも伴奏のように流れているのではないか、でもその文意が何であるか漠然としてはっきりと掴んではないもどかしさも感じておりました。
それが平井様のこの度のGUEST ESSAYを拝読致しまして、私に長年ぼんやり感じておりました事にある確信を与えて下さいました。
「ーーー無邪気なヨ-ロッパ論ではなく、いつもその観察の先には、ヨ-ロッパを探訪しながら自分、あるいは日本の在り方をとことん追求するという一貫した、あくまで自分や日本の問題としてヨ-ロッパを見つめていらっしゃる姿勢があります。―――――」との記述を拝読して、我が意を得たたりと嬉しくなりました。
西尾先生の歴史、政治、教育、経済論などどんな分野でもお書きになる作品の中には人間との係わりの中で語られるから、自分は惹き付けられるのではないかと思いが致しております。
平井様もまた西尾先生がお持ちになるような視点でバ-ゼルでの貴重な生活体験をなさっていらっしゃる事に一種のすがすがしさを感じております。
城門シュバ-レント-ルやヨ-ロッパの秋の風景の写真などご紹介くださりお陰様でより理解が深まりました。有難うございました。
今Google Earthにはまっていて、バーゼルも見に行きました。
百聞は一見にしかずといいますが、今回の平井さんの写真
とても参考になりました。
レベッカ様
過分なお言葉ありがとうございました。西尾先生のエッセーと並べるには拙い感想文で恥ずかしい思いをしていましたが、レベッカさんのコメントをみて嬉しい気持ちになりました。
こちらでは強烈な自我を持つ西洋人と日々、格闘(?)しています。どこまでも自分というものを中心に人との対話を進められる彼らの強い個性は一体どこからくるのだろうかと思っています。
あまり人の反応を深読みする気苦労もなく、思ったことをズバッと言いあってそれで対話が成り立っているのは、他人を傷つけるのではないかという配慮がない訳ではなく、そのくらいでは揺るがない自己を皆持っているからなのかもしれません。
だからといって他人を尊重する気持ちに欠けているかというとそうでもなく、意外と他人を「彼らの範囲」で思いやっているのが印象深いところです。
競争社会で日本人が、日本が生き抜く為に必要な条件をヨーロッパをみながら探しています。昔の日本人には多かった心胆の練られ、礼儀正しい姿はかえって今は西洋に多いかもしれません。日本の多くの家庭や学校、社会から鍛錬の思想が姿を失って久しいからかと思う今日この頃です。