『日本と西欧の五〇〇年史』への感想(一)


星野彰男氏より


 この度は、ご新著『日本と西欧の500年史』をお贈り下さり、真にありがとうございます。これも代表作の一つに加えられる力作と拝察されます。また、アダム・スミス論に関わり、拙著(2002)を挙げて下さり、光栄です。ただしスミスの楽観論を厳しく批判されたことについては、改めて検討すべき課題として受け止めます。

 各拙著の課題は単なる肯定的評価ではなく、従来、根本的に破綻視されて来たスミス理解への肯定的反論に終始してきました。その限りでは肯定的ですが、その内容の全面的評価については、後の課題として留保してきました。このように分けて考えないと、従来の破綻説を克服できません。仮にスミス説への批判点があるにしても、それを隠して、破綻していない=肯定する立場を採らざるを得ません。今のところ、この私見への本格的な反論は寄せられていないので、その論争の手間は省かれつつあり、それを踏まえてスミス説への本格的な評価または批判をこれから考えます。その場合に、貴見の「楽観」論も従来のそれとは根底的に異なる視点からの批判ですので、容易ならぬ思想史上、社会科学史上の大問題ですが、残り僅かな生涯をかけて考えたいと思います。貴著全体については、従来、タブー視されて来た根源的問題提起であり、文明批評でもあるので、これらを受け止めつつ、先の観点を交えながら拝読します。読後感はその後にお伝えします。

 今、直感的に言えることは、貴著の西欧文明批判とスミスの重商主義批判とがほぼ重なり、それは西欧人としての内部告発でしょう。それ故にマルクスのスミス批判が援用されて、当の破綻説が19世紀以来、世論化した。「神の見えざる手」解釈もその一端です。高校の教科書で定番だったその解釈は、前世紀末頃までにほとんど単なる「見えざる手」に書き換えられています。かつてはそういう信仰を経済学に持ち込んだという理由で、破綻説を正当化してきました。スミス批判にはそういう不純な動機があったと解され、拙著はそれを追及し、払拭しつつあります。今世紀初頭の「ダンバー宣言」は私見の解するスミス視点に沿うものです。

 関東学院大名誉教授・アダム・スミス研究家 星野彰男

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