つれづれなるままに(11月第一週)

 暦のうえでは11月は立冬であり、小雪である。旧暦だから約一ヶ月ずれると考えても、10月は寒露であり、霜降(そうこう)である。てんでそんな気候ではない。外出するとき上着は羽織るが、散歩中に暑くなってぬぐ。

 このところ睡眠障害で、なんとか身体のリズムを建て直すため、朝日を浴びて歩くようにするが、起きられなく午前中眠っていたり、散歩から帰って寝入ってしまったりする。

 31日に西野晧三さんの誕生日パーティに出席した。人も知る「氣」の大家で、西野さんに近づくだけで自分の身体がほてる、という人がいる。一定の訓練をしていないと、そうはならない。訓練をしていると、西野さんがさし出す指の先の「氣」の力によって自分の身体が数メートルも飛ばされる。これはすごい力で、神秘主義ではない。

 10年ほど前に私も道場に通ったことがあるのだが、根氣がつづかなくて初級で中断した。それでも、忘れずにパーティへの招待状をくださる。

 睡眠障害だといったら、西野さんに笑われた。以前はよくがん治療の結果が報告されたが、今年は講演で骨量の著しい向上がデータで報告された。日本を代表する医学者や科学者が次々と演壇に立って、自分の体験と西野さんへの感謝、そして21世紀は生命の源である「氣」の解明が自然科学の最重要の課題の一つになると語っていた。

 道場は私も実体験しているので、「氣」の実在を少しも疑わない。私もすでに身体が壊れかかっているので、訓練を再開したいと思った。西野塾の師範の一人に、別れぎわに、「正月からやります。お願いします」と言った。「整体」はダイナミズムがないので続かなかったが、「氣」は道理があるように思えてならない。自分の呼吸法をいかに換えるかが基本である。

 11月2日に旧友夫妻を吉祥寺に招いて、私共夫婦で接待した。近くに住んでいるのだが、しばらく会わない。過日の大雨で善福寺川が氾濫し、床下浸水の被害を受けられたので、その慰労会のつもりである。むかし気難しかった友人がやけに軽口になってよく話すので、驚いた。老人になるということは不思議である。

 このところ「新しい歴史教科書をつくる会」の事務局の再生のために、非常に多くの時間とエネルギーを取られている。11月2日と4日にはそれぞれ数時間づつ、事務局の8人のメンバーと交互に分けて懇談した。八木秀次、藤岡信勝、遠藤浩一の三氏が事務局再建委員会を作った。私は相談役で末席にいる。

 理念的な方面に先走ってきたこの会はまず足許から見直す必要に迫られている。それほどの大敗北であった。しかし事務局の事務に専門性はなく、頼るべきは常識だけである。みんな何も知らない素人が集って始めた会である。

 若い事務局員にこれから果すべき課題を書いてもらった。みんないい意見を持っている。敗因は何であったかの洞察も鋭い。問題を見出すのは易しい。ただ、一つでもそれを実行するのが難しいのである。

 事務の日常の平凡な事柄が必ずしも実行されていない。若い女性のメンバーが時間の厳守と饒舌の中止、各自の分担の明確化とそれとは矛盾するが分担の相互乗り入れを語っていた。案外こんな処に、会の前進の秘密があるのかもしれない。理事たちにも同じ課題が求められていると見るべきである。

 これらの時間を縫って、私は毎日せっせと、PHP研究所より12月初旬に出す小泉首相批判の一書――ついに300ページを越えた――の最終ゲラの校正作業を急いだ。現政権の徹底的批判、政治的、経済的、かつ道徳的批判は恐らく読書界に例を見ないであろう。私の全人格を挙げての闘争の一書である。11月5日夜に校了となった。

 11月3日の文化の日に小石川高校時代の友人、早川義郎元高裁判事が昔でいう勲二等の勲章をもらったことが新聞に出ていたので、早速に電話で祝意を述べた。お祝いには花がいいか、酒がいいかと聞いたら、赤のワインがいいというので、上等のブルゴーニュを贈ることにした。

 早川君は私とクラスで、たった二人、現役で東大に合格した仲である。今も一年に二、三回は酒杯を交している。しかしいつも日本酒である。ワインが好きとは知らなかった。現政府批判の激烈な一書が間もなく彼の手にも届く。きっと「西尾は相変わらずだなァ」と苦笑するだろう。

 11月4日には夕方に、WAC出版(ワック株式会社)という新しい出版社の松本道明出版局長に荻窪の魚のうまい店にて落ち合う。この出版社は他社の既刊本で、もう絶版になった本を次々と出してベストセラーにしている智恵ある会社である。渡部昇一さんや黄文雄さんの本がすでによく売れている。新書よりやゝ大型のソフトカバーの本で、最近本屋さんによく置いてある。

 私の昔の本もこれから次々と出して下さるということで、ありがたい。この日の夕方、第一弾『日本はナチスと同罪か』を10冊ぶら下げて、「いよいよ出来あがりました」と持って来て下さった。文藝春秋より1994年(文庫は97年)に出された『異なる悲劇 日本とドイツ』の改題再刊である。

 旧著が蘇えるのはことのほか嬉しい。以上一週間の出来事を綴った。

「つれづれなるままに(11月第一週)」への4件のフィードバック

  1. >十冊にさん

    十冊にさんのコメントを読んで、私が一行抜かしていたことがわかりました。

    「労働鎖国のすすめ」などは、フランスでの暴動を今目の当たりしていると、日本政府にも是非読んで欲しいものですね。

  2. 「労働鎖国のすすめ」は我が町の図書館に唯一存在した先生の作品でした。他は残念ながら存在しない。長谷川さんがおっしゃるように、フランス国内の暴動は何が根本に居座り問題化しているのか、おそらく日本人の殆どが理解していないと思います。今年ワールドカップの前哨戦である、コンフェデ杯がドイツで行われましたが、実況中継した方が「ドイツにはトルコ人の文化が根強い通りが以外に多いのです」と語っていた。また余談ですが、室蘭のある公立高校に交換留学生でやってきたドイツ人が私の店に訪れてくれた事がある。彼の容姿はスラブとアラブの中間のような顔立ちで、どうみてもドイツ人には見えなかった。よく聞いたら母親がドイツ人で父親がギリシャ人だという。更に彼は「日本では珍しいと言われるけど、ドイツには混血人が沢山いますよ」と言った。
    これら全てがこの本の存在を際立たせているように感じた次第。

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