今度参考までに氏の著書『ポスト覇権システムと日本の選択』も拝読した。特に大きな欠点や目くじらを立てるべき逸脱は認められない本だが、どこといって特色もなく、独創性に乏しい。どの論文も、モチーフはどこかで見たが読んだことのある不特定の誰かの意見の二番煎じである。
例えば、日本から外国に届くのは物が圧倒的に多く、言葉が余りに少ない。日本は広報予算を増やし、外国人と接する日本人はあらゆる場面で論理の達人、理屈の名人になれ、と説いているが、文章の調子がどことなく自分を高みに置いたお説教調であるのが気になる。そういう口調になるわけは、誰でもが近頃気づいているこの日本人の欠点の認識に、単に口裏を合わせているだけだからで、日本人は何を外国に広報すべきか、日本に元来その資格、用意はあるか、ひょっとしてわれわれの言葉は何ひとつ相手に伝わらないのではないか、という恐怖にも似た感情への予感が欠けている。
外国人と言葉で戦った人間は、この恐怖をみな体験している。要するにこの本は、自分の真の経験からは出ていない、物事の上っ面をかすめただけの演説集にすぎない。結語として、著者は日本という同質社会に抵抗する個性的生き方を説いているが、それなら著者自身が類型的なことを言わず、個性的でなくてはならないではないかと、苦笑を禁じ得なかった。
とまれ、次の引用をお読み頂きたい。
よりよい人間社会を目指す人類の歴史はいまもなお進行中であり、新たな文明的価値の創出と実現に積極的に参与していくときにこそ、日本は真の国際国家になるだろう。日本社会ははたして、普遍的な価値として人類社会全体に訴えるべき理念を自らの内部において培養してきただろうか。(中略)これは、日本の国際化における最も根源的な問題である。小国には理念は期待されない。しかし、人類社会に対して理念的貢献もなく、よりよい人間社会への範を示すこともできない大国は、世界において歓迎されざる存在になるだろう。
日本社会が世界に対して問うべき規範的価値とはなにか、ということについての明快な答えをこの時点で出すことはできそうにない。しかし、冒頭の章にも触れたとおり、非暴力の理念はあるいは戦後日本社会が最も深い情熱をこめて追求しようとしてきたものかもしれない。西欧国家体系(ウエスタン・ステート・システム)の誕生以来、軍事力は国力の基幹であり、経済大国は軍事大国であることが歴史の定型であった。国内の源泉を経済に求め、軍事力には求めないことを国是としてきた日本は、その理念を遵守していく限りにおいて新しい国家のあり方を世界に問い続けることになるだろう。
国際社会の福利のために積極的に貢献していくことも、国際国家としての当然の条件である。・・・・・・途上国への経済協力や災害地域の救済、あるいは技術移転や国際機関への協力など、人類社会が苦難を克服し、平和を達成していくためのさまざまな活動に対して、これからの日本は圧倒的な貢献をしていく勇気と誠意を持たなくてはならない。「世界のなかの日本」という漠然とした認識のみでなく、「世界に役立つ日本」という積極的で建設的な発想も必要になってくるだろう。
以上にみたように、閉鎖型社会から国際化された社会への転換は、多大な努力と本格的な意識革命を要するものである。・・・・・・
この内容空虚な大演説に、私は敢えてもう緻密に反論はしない。私のここまでの叙述で十分反論はなされていると思う。私は猪口氏が学生時代に文学をちゃんと読んでいないな、という印象を持った。が、いかにステレオタイプ化した措辞(そじ)、高校生の作文の域を出ない文章力でも、「非暴力」とか、「世界に役立つ日本」とかいうキーワードだけで、分かったような気になってしまう水準の読者が広範囲にいて、ジャーナリズムはその上に形成されている。私が憂慮しているのはこの点である。
国際政治がお嬢様のディスコダンス場でも、若奥様のショッピングセンターでもないことが全然分かっていない大衆社会の知性上のある野蛮さが、大新聞からテレビまで含むマスメディアを捲(ま)き込んでいる。そして、日本を空虚な不安定の中へいつの間にか運んで行ってしまうのも、匿名社会に特有の、この野蛮さが放つ靄(もや)のような情緒思考である。私が心配しているのはそのことであって、特定の著者の誰彼ではない。
ステレオタイプとはこういう時に使うのだと実感しました。最近の入学試験、入社試験では小論文を書かせますが、良くこういう優等生型の論文が出てくるのではないでしょうか?
それでは、日本型の茶道等のコミュニケーションが全く無益ということになりますが、小生の体験では決してそんなことはありません。しっかりと伝わっています。
彼女の場合、その言外のメッセージは大臣認証式で着たドレスが全てを表現しています。これからどんな悪が顕在化してくるか、心配の種はつきません。
もうずいぶん昔、猪口の講演を聞いたことがあります。その時の話では、猪口が国際政治学者を目指したきっかけは、中3か高1の時にマルタン=デュ・ガールの小説『チボー家の人々』を読んだことだ、とのことでした。第1次大戦前後のヨーロッパを舞台にしたこの小説で、登場人物たちが平和というものについてあれこれ語り合うのに考えさせられたそうです。講演内容を詳しく覚えてないのですが、他に「戦争勃発の本当の直前まで、主人公たちは戦争になるなどとは全然思っていなかった」とか、「戦争というものは、人間(特に男性)の持つ攻撃性によって起こる」とか話していたように思います。
私は「ふ~ん、猪口先生ってあんな長編の名作小説読んでたんだ、読書家だったんだな、すごいな~」と単純に関心したのですが・・・。
猪口は文学を読んでいない、という西尾先生のお話ですが、少なくとも「チボー家」は読んでいるようです。