猪口邦子批判(旧稿)(八)

アラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』から

 話題の書『アメリカン・マインドの終焉』に、次の逸話が語られている。著者のアラン・ブルーム氏が学生時代の40年前、寮の彼の部屋に、教育のある南部の青年が滞在した。彼は知性的な説明で、黒人が劣っていること、黒人隔離政策には然るべき理由があること、それは南部の独特な生活法の一部であること等を生き生きと語った。

 彼はとても感じのいい、健康そうな若者だったが、北部人のブルーム氏は、ひどく彼に反感を覚えた。しかし後日、北部人なりの地域中心的な反感だったことに気づく。その後米国社会に怒濤のごとく襲いかかった等質化の波に洗われ、今では明らかに病理的な下層階級のタイプの人だけが、かの訪問客と同じ人種主義的見解を抱いているに過ぎなくなった。米国社会は偏見から解放されていった。しかし、同時に「南部文化は失われたのである」と彼は敢えてこの一行で逸話を結んでいる。

 ブルーム氏がまだ若い教師であった頃、ある心理学教授と教育をめぐって議論を戦わせたことがある。心理学教授は、学生の一切の偏見を取り除くのが自分の務めだ、と語ったが、いったい偏見を何と取り替える積りだろうかと、彼には不審の年が残った。偏見の反対概念が何かについて、心理学教授にそれほどの考えがあるとも思えない。

 教授は彼に、四歳のときサンタクロースはいないんだと厳かに教えてくれた齢上の少年を思い出させた。少年はただ知識をひけらかして彼への優越を証明したに過ぎない。しかしサンタクロースのような存在を信じたことから、子供が世界について学んだあらゆること、魂について学んだあらゆることは、知識を得たことで、一瞬にして失われる。知識はときによって、魂を誤って手術し、その力を損なうことにしか役立たない。教育もまた同じである。

 ブルーム氏は心理学教授に次のように言い返した。私は個人的に、学生に偏見を教えるように努めています。今日では無知な世界はもう残っていません。魂は単純化されてしまったのです。学生は何かを信じもしないうちから、すでに信念を疑うことを習得しています。ブルーム氏がそう述べたのは、世界が偏見からどんどん解放されて平板化し、何でも許し、何でも分かるようになる魂の貧しさについて、深い憂慮の念を抱いていたからである。

 「解放の身震いが体験できるためには、それ以前に本当に信じるという経験をしなくてはならない」
 「偏見、それも強い偏見はものごとの在り方についての見方(ヴィジョン)である」
 「誤りは勿論、われわれの敵であるが、それのみが真理を指し示す。それゆえ、誤りを丁重に扱わなくてはならない。はじめから偏見のまったくない精神は空虚である」

 ブルーム氏はこの本の中で米国思想界に決定的な影響を与えて来たのはドイツ哲学であると告げ、とりわけニーチェとハイデッガーに最高の位置を与えている。『ツァラトゥストラ』序説の五に描出された「最後の人間(デア・レッテ・メンシュ)」――「末人」とも訳される――は、今日の工業先進国の人間の姿を予言しているが、ブルームは同著の中で再三再四予言されたこの現代人の魂の衰弱状態、偏見や束縛から解放され、平等になって途方に暮れている「最後の人間」像に立ち戻って、そこから、そのつど叙述を掘り起こしている。

 で、われわれも『ツァラトゥストラ』序説の五を一寸(ちょっと)覗いてみるが、ニーチェは人間がもはや内部に混沌(カオス)をかかえなくなり、「舞踏する星」を産み出すことが出来なくなったと告げる。「哀しいかな!最も軽蔑すべき人間の時代がやって来る。すなわちもはや自分自身を軽蔑することもできない人間の時代が」

 彼らはもはや貧しくなることも、富むこともない。どちらも煩わし過ぎるのだ。誰ももう統治しようとしない。誰ももう服従しようとしない。どちらも煩わし過ぎるのだ。・・・・・・誰でもみ平等を欲し、誰でもみな平等である。それに同調できない者は、すすんで精神病院に入る。・・・・・・彼らは怜悧(れいり)であり、世に起った一切について知識を持っている。だから彼らの嘲笑の種子(たね)はつきない。彼らもやはり争いはする。しかしすぐに和解する――さもなければ、胃を損うことになるからだ。・・・・・・彼らは健康をなによりも重んじる。《われわれは幸福を発明した》――末人たちはそう言って、ぱちぱちと瞬(まばた)きする。――

「猪口邦子批判(旧稿)(八)」への4件のフィードバック

  1. 最近知ったのですが、ツァラトゥストラの語源はゾロアスターだったんですね。ザラスゥシュトラのドイツ語読みなんだとか。
    最初に知ったときは「へーっ!」と唸ってしまった。そのゾロアスターは以外にも一神教で、「アフラ・マズダ」という神を崇める。これは火の神mazudaと書き、日本のmazuda社はそこから由来しているんだとか。経典は「アヴェスター」。最高神mazudaは双子を創造し、自由意思で真実と虚偽を選ばせ、「善霊」と「悪霊」になって対立すると説くらしい。
    この教えはキリスト教もイスラム教もとりいれる天使と悪霊の示しに通じるとある。
    知る人は知る事なのでしょうが、念のため書かせていただきました。
    「2001年宇宙の旅」のテーマソングとしても、ツァラトゥストラはかく語りきが使われ日本で一躍知れ渡った・・・ともあります。
    とにかく私には全てが新鮮なネタであります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です