寒波襲来の早春――つれづれなるままに――(五)

 たてつづけに二つの映画を見た。「男たちの大和」と「Always 三丁目の夕日」である。どちらもあと数日で上映が終わると聞いたので、都内でかろうじて上映されている場所と時間をインターネットで調べて、仕事のあいまを抜って見て来た。

 呉に行って海事歴史博物館「大和ミュージアム」でこういう映画があることを知った。それでともかく見なくてはと思った。博物館にあった大型模型が映画にも使われたそうだし、あの近くに別に野外セットがまだ残っていて、そちらにも観光客が押し寄せているらしい。そんな噂話に私も釣られたのである。

 でも、何だろうなと思った。あゝいう作り方をされるとかなわないな、と私は少しやりきれない気持だった。映画館の内部では終わりに近づくにつれすすり泣きで一杯だった。私も涙が溢れた。雪の降る中の母と子の別れ、岩壁に手を振る赤子を抱えた将校の妻、なじみの芸者に黙ってあり金を全部渡して立ち去る男、そして僅かな兵隊の給金の中から田舎の母に送金する15歳の少年兵、生き残ったもう一人の少年兵も父母兄をすべて戦争で失い恋人も広島の原爆で逝く。「私は何も守れなかった」と老いた彼は呟く。―――

 私もたしかに涙を抑えがたかったが、後で考えると妙なのである。感傷的につくられていて、完全な反戦映画である。大和の最期については本も多く、私はあまり読んでいないが、こんな個人的なエピソード集にしてよいのだろうかなと疑問に思った。

 映画は戦争の運命をぜんぜん描いていない。「亡国のイージス」という映画も肉親の愛憎のテーマにすぎなかったが、たしかにあれよりは歴史を扱っている分だけ現実感はある。けれどもイメージとして観客の心に残るのは巨艦の自爆出動という愚挙と若者たちの犬死のスペクタクルシーンにほかならない。いまだにこういう映画しか作れないこの国では九条改正ですら難しいのかなと思った。

 けれども、あの映画の製作者は自分では真正面から戦争の運命を描いているつもりになっているのではないかとも思った。反戦映画の意図はなかったかもしれない。製作者の心事を私は測りかねて今でもいる。

 最近つくられる戦争映画は軍人の動作が軍人らしくない。どことなく誇張されていて不自然である。兵役のない国でそれはある程度致し方ないとしても、問題はシナリオである。なぜ日本が戦争しなければならなかったのかが分らないストーリーである。運命感がにじみ出ていない。なぜ軍は自爆とみすみす分って一機の飛行機の護衛ももうなくなってから航行に向わせたのか。あるいは兵は承知で死地へ赴いたのか。

 この「なぜ」を映画は語らないからリアリティがない。否、この「なぜ」はいまだに日本の国民が答えていないので、そもそも映画がトンチンカンになるのは仕方がないのかもしれない。というよりも、この手の映画はいまだに日本人の手では作れないし、作ってはいけないのかもしれない。

進歩のない者は決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ

日本は進歩ということを軽んじ過ぎた

私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた

敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか

今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ

日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか

 映画の中で白渕磐大尉が男たちの死ぬ決意の前の乱闘をおさえてこれを語るシーンがある。遺言からの再現らしい。この語は尊いし、重い。たゞストーリーの全体と画像の展開がこの語を生かす組み立てになっていない。突然この言葉が語られても、観衆には重さがよく伝わらない。

 いったいいつ日本人は自分の戦争を正確に表現する映画を作り出す日が来るのであろう。

 「Always 三丁目の夕日」は昭和33年の東京、私の大学四年生の頃の下町の舞台を再現し、なつかしい事物と風景に溢れていたが、ストーリーはやっぱり人情哀話である。庶民の笑いと涙の物語である。こういう話にしたてないと日本では映画はつくれないのだろうか。

 二つの映画を見た日はどちらも寒く、私は帽子を吹き飛ばされるほどに風も強く、まさに「寒波襲来の早春」だった。

「寒波襲来の早春――つれづれなるままに――(五)」への13件のフィードバック

  1.   私も映画「男たちの大和」見ました。戦争娯楽映画としてはインパクトに欠け、戦争の真実を語っているわけでもなく、我が国がいかにあるべきかを語っているわけでもなく、反戦アジテーション映画でもなく、激しくつまらない映画でした。小学生の頃に場末の映画館で見た「連合艦隊」の方がまだ感動しました。
      映画「男たちの大和」の致命的欠点は先の大戦の再評価を求める人も反戦平和憲法護持の人も双方が見れるように製作者のイデオロギー、メッセージをみごとなまでに消し去っているところにあります。むろんそういうものではない、戦争のありのままを描く映画ってのもあるとは思いますが、それは今の我が国の役者、映画会社の予算では無理でしょう。私は尾道にある実物大戦艦大和のセットを見てそれがプラスチックでできた張りぼてであることを知ってしまっていましたので大和の甲板なり砲台のシーンが紛い物にしか見えませんでした。また人物描写も一本調子で短絡的なお涙頂戴ものに走りすぎています。映画「男たちの大和」の兵士がなじみの芸者と最後の別れをするシーンより、映画「連合艦隊」で特攻機にのった息子(中井貴一のデビュー作)が将校である父が乗っている戦艦大和が沈没していく姿に敬礼した後特攻に向かうシーンの方がよほど感動しました。もっともそういうシーンは史実に反しているとは思いますが。
     映画「男たちの大和」が表現しているのは実は、戦艦大和の運命でも当時の我が国民の姿でもなく、みんな仲良く激しい論争をしない現代日本の思想界・文学界の現状ではないかなと思います。それでも一部の若手保守派サイトの中では感動したなど肯定的な意見が多いようです。私は不可解に思いましたが、映画「連合艦隊」を最後に我が国の戦争映画は、劣悪な反戦メッセージをいれまぜながらもコンセプトは娯楽映画というあまりにもテーマがふらふらした陳腐なものが多すぎました。そういう戦争映画しかしらない若手保守派にとっては、まあ映画「男たちの大和」は感動できる映画なのかもしれません。しかし、私にとってのベスト戦争映画はやっぱり「日本海大海戦」です。戦後日本の戦争娯楽映画の頂点ではないかなと思います。

  2. 西尾先生、亡国のイージスについては原作もお読みになっていただきたいです

    原作の良さがだいなしになったのが「亡国のイージス」という映画

    というか、あれは映画化するのは難しい小説ではありますが・・・

    で、実姉の書いた小説を忠実に弟が再現しようとしたのが「男たちの大和」

    辺見じゅんさんって・・・お父さんの源義(げんよし)さんが、折口信夫先生の門下で、国学に造詣が深く、神道や皇室とも縁があったので、みんな勘違いしてるような気がします

    http://www.studio-y.jp/Henmi_Jun.html

    結構複雑な生い立ちみたいで

    http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/kado2.htm

    http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/kado3.htm

    ま、この人の綿密な取材と今までの実績までは否定しませんが

    お忙しいでしょうから、亡国のイージスの原作をお読みになる時間はないのでしょうが、原作同士を比べると・・・まあ、テーマが違うので比べるほうがおかしいのですが・・・亡国のイージスは現代人に何らかのショックを与える本です

    男たちの大和は・・・もう、そっち系はおなか一杯だよ、という感じですね

    大体、大和を攻撃しとるのが、どこの国か分かりません、あの撮り方じゃ

    ただし、こういう功績もありますので、角川春樹さんがあんなことにならなければ、もっといいものが作れたのかもしれません

    http://www.kawahakkoujo.com/Aogaki_page_2006_1.html

    ちなみに、このあたりは戦艦大和発見http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/475843123X/503-5714246-1844744

    に詳しく書かれています

    角川春樹さんの「青き輝きの菊花紋章」という文章もあります

    「ルック! エンペラーズ・シンボル」

     ジョン・ジュリーが叫ぶ。まさしく、黒潮の厚いフィルターを通して、青くて美しい菊の紋章がある!菊花紋章はそれ自体、青い輝きを放っている。

     続いて、ジョン・ジュリー艦長が吐いた言葉はさりげなかったが、深く私の心を抉った。

    「ジス・イズ・ヤマト!」

    この瞬間、私の全身は鳥肌が立ち、言いようのない敬虔な気分になった。潜水艇の窓ガラスに額を強く押しあてながら青い輝きを見つめていた。この時、私は、はらわたから自分を日本人だと意識した。

    以上、皇室、大和、小説オタでした。

  3. 私は、外人記者クラブの計らいで、銀座にある東映の試写ルームで「男たちの大和」を観ました。 映画の最後に関係者・関係団体が列記されていましたが、監修者として瀬島龍三の名前が連ねられていました。
    この一点でこの映画は私の評価の”埒外”です。
    映画の印象は、西尾先生と同様涙腺に涙が滲んで潤みっぱなしにされたこと(だけ)です。
    自称「(大)天才」の角川春樹氏の金集めとプロデュースの才は感じられました。
    映画では、若い見習い兵に丸太を流して助けた高射長の逸話など事実が挿入されていましたが、「片道燃料」説、ガンルームでの特攻をめぐる大激論シーン、「敗れて目覚める」との白淵発言、天皇陛下の「もう日本に軍艦はないのか」発言など、吉田満氏が「戦艦大和の最期」で描いた虚実の狭間の事柄がそのまま採り上げられていました。 「戦艦大和の最期」は雑誌連載当初、「小説・軍艦大和」がタイトルでした。戦後から戦中を想い起こし主観を投影して描くと、知らず知らず”ウソ”が交じり忍び込みます。”戦艦大和最後の乗組員の遺言”(ワック出版)を読むと、吉田満氏の欺瞞をきちんと論うことは、後世に禍根を残さないために肝要だと感じます。 就而、これを踏襲したこの映画は噴飯です。

  4. わたしは別の感慨を持っています。映画を見た仲間は戦闘シーンでさえむごたらしいいから反戦映画だと言っていましたが、「男たちの大和」はけっして反戦映画ではないと思います。西尾先生が取り上げられた何点かのお涙頂戴式のエピソードは興行たる映画の性格上あの程度はやむをえない表現ではないでしょうか。同じ東映制作の「ホタル」などはひどい反戦映画で、鳥浜トメさんに「わたしはあの人たち(特攻隊員)を殺してしまったんだよ~~~」と泣かせてしまったシナリオに比べれば「男たちの大和」には罪の無い可愛らしささえ感じました。

    この映画の発したメッセージは「世代間の歴史継承」だったのだと思います。一隻の漁船に三世代が乗り合わせて大和の沈没ポイントに向かう。わたしは勝手に仲代達也75歳、鈴木京香45歳、少年15歳ぐらいに見ながら映画の底に流れる声無き声を聞き取ることができました。無為な戦争体験だったという思いを引きずっている仲代が、鈴木京香が義父の遺灰を海に入れる時につぶやいた「父は大和の仲間のことを忘れてはいかん。彼らのことを語り継ぐために生き残っているのだ」という言葉に、生き残りの意味を悟り、思わず号泣します。

    そして年の離れた大人たちのやりとりを見ていた少年が、来た時とは別人のようにきりっと眉を上げて帰りの船の操舵輪を握り締めます。この最後のシーンにこそ、戦後60年という戦後日本の還暦にあたって「歴史の世代間継承」の必要性を端的に表現し得ていたと感じましたが、いかがでしょうか。

    ところで、「男たちの大和」のプロデューサーは坂上順氏でしたが、氏の名誉のために申し添えておきますと、氏は映画「ホタル」当時は東映撮影所長でした。鳥浜トメさんをして「あの人たちを殺してしまった」と言わしめたシナリオを「これはフィクションにしては度が過ぎている」として、修正しようとして最後まで尽力してくれた東映内正論派でしたが、降籏康男監督の偏向色眼鏡に惜しくも押し切られたかたち。今回は「男たちの大和」でそれを挽回していただいたと確信しております。

  5. ピンバック: 星空の下で
  6. ピンバック: なめ猫♪
  7. 「三丁目の夕日」もう終わってしまうのですか?映画館で見ようと思っていたのに、、
    「三丁目の夕日」の時代は、金はなかったが、希望があった。
    今の日本には、金があっても、希望がない。まったく逆になりました。だからこそ、今皆が見たがるのでしょう。
    S33年の人たちは、今でいう何世代なのか?
    団塊の世代は、S22~25年生まれとすれば、S33年時で11~8才。ちょうど、原作漫画の中で遊んでいる子供たちが、将来の団塊の世代だったのです。つまり、この映画は、団塊の世代のノスタルジーであり、世界観、生活観の原点である戦後の一ページであったと言えるのではないか?
    昭和10年生まれの方が見ると、ちょうど22、23才?漫画の中の大学生や若いサラリーマンなどに、親近感を感じるのではないでしょうか?
    原作漫画はよく読むのですが、映画までは見れないM78

  8. ピンバック: なめ猫♪

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です