財政規律の問題

 粕谷哲夫君は私の大学教養学部時代の同級生で、住友商事に永く勤め、同社の理事になった。海外経験も豊富で、「つくる会」には強い関心と共感をいだき、協力を惜しまなかった。「つくる会」賛同者の表に名を列ねてもいる。 

 粕谷哲夫 
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 財政規律の問題

 私は西尾幹二氏の旧友であり、種子島氏とも同じ同窓である。

 実は二年ぐらい前だったか、某団体の会長がその会の資金1千万円の不正使用があったのではないかという疑いが出たことがあった。私は西尾幹二氏に、当該団体のような問題が発生すると「つくる会」の運動に重大な事態を招きかねないので、老婆心ながらよく目配りするよう進言したことがあった。

 というのは 現在日本の抱える問題の重要な部分は、他人のカネを預かるものが、その善良なる管理者の義務を忘れて放漫に流れることによって生じたものであることを骨の髄まで認識していたからであった。

 目の前のカネがあり、それが自分のカネではなく他人のカネであれば、放漫な支出に流れるのは、おそらく人間の悲しい性である。巨額な財政累積赤字、銀行の不良債権問題、厚生労働省のナンセンスな施設群の建設とその処分などなど、すべて「他人のカネ」の放漫管理から発生した問題である。こういう危機管理の意識は私自身の職業的体験から醸成されたものである。

 この懸念について西尾幹二氏からは「自分も同じ認識を持っている。そういうことがないようにやかましく言っている」という趣旨の回答だった。 その後の会話から、氏が「つくる会」の資金管理について予想以上の厳しい認識を持っていることを知った。

 またこういうことがあった。前回の採択戦に備えて、「つくる会」は寄付を募った。彼からは1万円寄付の要請があり、こころよく同意した。彼自身は100万円の寄付をし、かつ理事たちにも相応の寄付を求めているという話であった。100万円が多いか少ないか、いろいろな判断はあろうが、小生はかなり大きいと感じたが、逆に氏のこの寄付行動は会の財政節度に対する厳しい認識を示す証として一安心したものである。

 と同時に理事たちは個人的な寄付をたとえ5万円でも10万円でも要請されれば、「西尾氏が会長であると寄付させられるからかなわない」という反発が生じるのではないか?と心配になった。しかし彼はその危惧をとっさに否定した。「理事はいろいろあっても、そういうことは分かっている」というニュアンスだったと記憶する。

 その募金活動は、結果的に目標を超える金額の募金を達成したと聞く。ところが西尾氏は、「募金金額の達成に理事たちは自己の集金力を過大評価している。浮かれてはならない。将来の会の財政見通しはけっして楽観できない。いっそうの財政節度が必要だ」とつけ加えるのを忘れなかった。

 また、「幸い『国民の歴史』の多額の印税が「つくる会」の財政に貢献したが、今後この種の臨時のヒット収入を見込むことは出来ないだろう」という悲観的な見通しを述べたと記憶する。

 コンピュータ問題はそのあとに出て来た問題である。私はコンピュータ・ソフトについても多少の心得はある。なぜ早く相談してくれなかったのかという気持ちは残るが、宮崎氏にこのコンピュータ問題で邪念はなかった、しかし理事一同無知であったというのが私の判断であり、その支出は「無知の代償」といえる。宮崎氏の事後の処理を伴う問題点は、遠藤氏の報告書に詳細にあるようだ。それを見れば分かるはずである。コンピュータ・ソフトの会社からの事後値引きもあったと聞く。

 しかし「無知の代償」を認識した西尾氏は、この件の責任は宮崎氏のみ負うのではなく、理事全員も応分の連帯責任を負うべきであると提議し、合計100万円の負担が合意されたと聞く。しかし宮崎更迭問題がこじれてこの話は沙汰止みなったそうである。

 宮崎氏はいい人ではあったが、教科書採択の状況は厳しさを増したこともあり、西尾氏の求める事務局長像がより厳しいものになってきたことも十分ありうると思う。この事務局長の戦略的機能の問題について、日録によれば宮崎氏更迭の考えは八木、藤岡、種子島の三氏の間に同意され共有されていた。この段階では一枚岩であったと私は理解した。

 企業であれば、そういうコンセンサスが幹部間にあれば合理的な意思決定がなされるであろう。

 その後コンセンサスは突然白紙に戻った。これを知ったときの西尾幹二氏の驚愕と当惑の電話は今でも耳に残っている。

 それ以降の展開はご存知のとおりである。

 誰がこの会を運営するにせよ、まず財務管理に対する根本的な意識の変革が会全体に浸透しない限り、会は資金的に行き詰るのではないかと危惧している。NHKは半強制的に視聴料を請求できるが、「つくる会」の運営資金は会員の寄進によるものである。「会員の爪に火点すなけなしの寄付」である。会員の心が離れれば、会は雲消霧散する。デフレを経て支出管理を徹底している昨今の企業の金銭感覚の厳しさをまねる必要があるのではないか。その感覚は西尾幹二氏が一番強かったのではないか? 

 昨夜来の情報によると、種子島氏、八木氏などの退任が決まったようである。

 新執行部におかれては、浄財の拠出者のことをつねに頭において、効率的な運営を図ってほしい。

 

 

「財政規律の問題」への28件のフィードバック

  1. 今度は住友財閥重鎮からの応援メッセージがあったようです。名門大学生の発言、財界幹部の発言をインターネット上にやつぎはやに掲載する。まさに電撃作戦です。これで八木秀次氏の陣営はインターネットオピニオンの世界においてはちょっと反撃するのは難しいのではないかなという状況までに追い込まれたのかもしれません。ついに文芸評論家山崎行太郎氏のブログが西尾幹二氏支持表明を出したようです。山崎行太郎氏は、日本学生同盟創立者宮崎正弘氏とパイプがあるようですから、オフライン上でひょっとしたら何らかの情報をつかんだのかもしれません。八木秀次氏の方は戦略としてインターネットを使用する戦術を放棄したわけですから、これはもう誰かのブログが本格的に応援批評をしてくれるのは難しいでしょう。

    しかし、八木秀次氏は、文藝春秋社、産経新聞社幹部、準幹部達とコンタクトをとってオフラインの世界ではかなり動いていると思います。どういう手にうってでるか?①雑誌「諸君」か「正論」に格調高い批評としての暴露話を掲載するのか、或いは、②しばらくほおっかむりをして西尾先生の良くない噂を保守論壇に流すのか?

    八木秀次氏にとってはなかなか次の一手が打てないところだと思います。①の手はそもそもやはり思想人としてトップクラスでないとなかなかできない問題であると思います。②の手は、東京大学名誉教授、慶應義塾大学名誉教授、防衛大学校校長とか社会的名誉職についていないと無理でしょう。八木秀次氏は①、②どの手をとるにも少し力不足のような気がします。

    私としては八木秀次氏は、沈黙をしつづけるべきだと思います。まだまだ力不足だったのです。いずれ力がつけば、①、②どちらの手を使ってもよいでしょう。いや、力がつけば、「ああ、西尾先生、あの時はまいっちゃいましたよ。ははは。」と人間的余裕ができ過去の内紛を笑ってすますことができるでしょう。

    八木秀次氏は今、武田信玄軍に大敗北を喫した時の徳川家康の「忍の姿勢と学ぶ姿勢」から今こそ学ぶべきでしょう。そうすれば、この挫折は、八木秀次氏が更に大きな思想家になれる糧になるかもしれません。

    最近は、保守派政治思想集会にも女性達がいっぱい参加するようになってきました。多くの女性の観衆の前で演説をするのは気持ちがいいものです。しかし、原点に戻ればいい。そのようなものに惑わされてはならない。今一度書斎にこもり修練努力すること、思想家八木秀次はまだまだこれからだと思います。

  2. どうして「高池会長代行→総会で藤岡会長移行」が決まったのでしょうか?
    会長は絶対、福地先生です。福地先生でなければなりません!
    ここは西尾先生の影響力行使の出番であると思います。
    人望のない藤岡を絶対に会長にしてはなりません。

    それから「浄財」の問題、まさにその通りです。
    高池執行部は「7000万円返還要求」に応えるべきです。

  3. さて、西尾先生は、近代保守主義と宗教右翼との対立、違いというコンセプトで暴露批評を今後活字メディアに発表する予定とのことですが、ここで気になることがあります。
    近代保守主義(近代文学派、社会科学派)を信奉する人と主教右翼を信奉する人は、根本で異なるのは事実ですが、戦後長い間、近代保守主義者は、宗教右翼団体の力を借りていた(講演会、出版等)のは歴然とした事実です。

    近代保守主義者である西部邁氏は、「私は天皇を心から信奉できる人を羨ましく思う」と宗教右翼の方に話をしていたことを私は直接聞いたことがあります。近代保守主義者は戦後長い間宗教右翼を利用しながら心の底でどこか軽蔑とはいわないまでも知的優位性を感じていたのは事実であると思います。

    そういう状況の中で、近代保守主義と宗教右翼の間の確執、違いを論じて果たして思想的意義があるのかという問題があります。もちろん左派または一般人にとってはあまり知られていない話でありそれなりの興味を引くでしょうが所詮内ゲバ暴露話としか思われないでしょう。

    近代保守主義者は戦後ずっと宗教右翼に対して理解を示すというスタンスをとってきたところがあります。その違い、違和感を感じながらも。それにもかかわらず、違いを鮮明にするということは、当然、近代保守主義とは何かという大きな思想的テーマを論じなければなりません。天皇に対する態度が違う、例えば、宗教右翼の天皇観は絶対天皇制をもくろむもので、戦前の絶対天皇制、すなわち擬似キリスト教であり、それは、天皇という人間を絶対的なるものにする思想の限界・危うさを露呈させると論じるのも一つの手でしょう。

    しかし、宗教右翼が、果たして天皇という神に本当に自らが拘束されている、正真正銘の信仰者であるのかはちょっと疑わしいところもあります。口で天皇陛下は我が国にとって絶対的なるものだというのと信仰はちょっと違うところがあります。天皇はわが国にとって絶対的なる存在であるのは事実であり、だからこそそれは悪しき因習である排斥しなければならないという見解もまた成り立つわけです。本当に天皇に対する信仰をもち天皇に拘束される人は実はなんてことのない一市井人であるといえなくもないところもあります。

    また、最近までの宗教右翼の大きなテーマは首相靖国神社参拝問題や先の大戦に対する歴史認識の問題であり、近代化前から脈々と続く皇統の問題は、皇室典範改訂問題まではほとんど取り上げられなかったという事実があります。皇統の問題について、「女系天皇を認めるのは憲法問題としてとらえるべきである」と今の事態を予測して既に昭和59年に「女帝論」を発表した故小嶋和司東北大学法学部教授は、8月革命説で有名な宮沢俊義東京大学教授の弟子であり、進歩的法解釈学の影響を受けながらそれを超える保守的現実的法解釈学を探求した社会科学者でありあくまでも私見では近代保守主義の憲法解釈学者といえるのでしょう。決して宗教右翼ではありません。

    したがって、天皇だけを機軸として近代保守主義と宗教右翼の違いを論じるには無理があるような気がします。もっと大きな視点で違いを明らかにする必要があるでしょう。天皇だけでなく先の大戦に対する歴史認識、靖国神社に対する態度等。それらをも含めて考察する必要があります。

    私は今のところは、近代保守主義者は個を原点とするが、宗教右翼は集団を原点とし個はそれの囚われの身であるくらいしか、大きな視点で論じるとしたら、違いを明確に示すことはできないような気がします。

    しかし、それは、もはや、近代保守主義と宗教右翼の違いという問題ではない。今では既に古いテーゼですが個と全体の関係という党派性を超えた人間論にならざるを得ないでしょう。そしてそれを批評することは時局論ではなく、極めて文学的営みであり、文芸批評であって決して単なる暴露話、政治思想論では終わらない問題であると思うし、にもかかわらず政治思想論であると言い切れば、その批評にはどこかで破綻をきたす危険性があると私は思います。

    いずれにせよ文芸評論家西尾幹二の質そのものが問われる極めて重い難しいテーマだと思います。

  4. 西尾先生の「100万円寄付」を読み、以前風聞した話、野茂選手、1000万円を社会人野球のため寄付。新庄選手、数百万円新潟中越地震に寄付。その時ジャイヤンツの選手会は100万円だったとか・・・という話を思い出しました。個人が1~5万円は出せる。しかし100万円は違う。その人の生き方が出る。西尾先生は思想は行為・行動であると言っておられるそのままのお人である。そんな人を信じないで誰を信じると言うのでしょうか?「正直者な人間の歩みは音を立てる。しかし猫はこっそり床の上を忍足で・・・」このたびの怪メール事件では、先生ご自身で怪物と戦うことを始められました。「ご自分に降りかかった火の粉は自分で払う」行動に敬服致します。産経新聞にも正々堂々と異議を訴えられました。「うやむやにしないぞ」という先生の気迫を感じました。「作る会」に対する愛情は西尾先生に敵う者はいないのです。国を愛する「前提の高さ」が八木氏&プラス4とは雲泥の差なのでしょう。八木氏は敵わぬ相手に真正面からぶつかり、教えを請うだけの勇気、正直さを持ち合わせていないただの男だったのです。トップに立った時、自分の弱さで周りに迷惑を掛けるような男だと言うことです。女は男のどこを見、品定めをするのか? 彼の女を見るのです。 市場の蝿は去りました。しかし蝿は市場の中から又生じる、どこからか又飛んでも来る、生き物です。油断大敵。誇り高い国作りは家庭のしつけと教科書から、それしかありません。よい教科書が日本の学校で読まれる日のため、私は「創造者西尾先生」を応援します。 

  5. 「100万円」寄付といいますが、
    西尾先生は「国民の歴史」で膨大な印税を手にしました。
    もちろん、つくる会にも行きましたけど。
    「国民の歴史」のかなりの部分はキリストの幕屋の信者の皆さんが自分のお金で買いました。
    それなのに「宗教右翼」への誹謗中傷は許せません。
    そもそも「宗教右翼」とは極左勢力が作った用語です。

    http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1179.html

    西尾先生は椛島さんや手島先生らのもとへ出向き謝罪してください。
    そうでないと、我々は「つくる会高池派」を支援することはできません。

  6.  (ワタスはシンパでもないので)書き込みはあまりしたくないのだが、また一言言わないといかんのか?(覗かなきゃいいんだよな(苦笑))

     私も、『国民の歴史』は10冊購入したが(自分で5冊、残りは親に無理矢理買わせた(笑))、「印税」なんてね、必要経費なんかも認められなくて、ほとんど税金でもっていかれること知ってますか?(たいして、手元には残らないよ)
     それに、あの本を書くのに、「事前投資」として、資料収集にどれだけの費用かかったか知ってますか?

     ざっと見積もって「五百万円(!?)」だそうです。。。

     さらに、これにしたって、古書の価値を知らない税務署の役人は、ほとんど控除してくれないでしょうね。。。
     基本的に、日本の税制は、儲ければ設けるほど税金でもっていかれる仕組みになっているという「基本事項」は押さえておいて下さい。。。

    追伸、

     「神社」保守が、いつのまにか「宗教保守」になって、さらに、なんで「宗教右翼」になっているのか、西尾先生の文章以上に突飛な発想で訳が判らない。。。

     「神社」関係者は批判したけど、幕屋については全く言及していないし、西尾先生がキリスト教(そのものを)批判したことあるか?

     勝手に想像を逞しくすることは控えて頂きたいものですね、余計な混乱を招くだけなので。。。

    (ちゃんと西尾先生の文章を読んでいるのかいな?)

     

  7. 自分は完全な部外者です。
    ですが一言失礼します。

    「国民の歴史」、
    全部読んでいませんが
    自分も購入しました。
    素直に「読みたいと思った」からです。
    海外に住み初めて、
    世界のなかの日本を知る
    その必要性をより感じています。

    国民運動一筋さんのコメントに疑問があります。

    >「国民の歴史」のかなりの部分は、キリスト幕屋の団体信者さんが、自分のお金で買いました。それなのに・・・宗教右翼への誹謗中傷は許せません」

    「かなりの」というのはどいう意味でしょうか。
    団体指令で購入された数字がはっきりあるのですか? 
    皆さんはご自分の意思で購入されたはないのですか?

    こちらのウェッブサイトでは、
    騒動の経過を
    ロムしてきました。

    部外者にとっては
    どちらを信じるかという答えは出せません。
    わかるのは、
    「トップの話し合いが不可能な会」
    であるということです。

    本日、書き込みをした理由は、
    上記の、国民運動一筋さんのコメントに疑問がわいたからです。
    他の購買者のみなさんに対してどうかと思いました。

    国民運動一筋さんのコメントは、
    西尾先生が手にした印税は、
    「キリスト幕屋の団体信者の金である」
    「恩を忘れたのか」というように聞こえます。

    「キリスト幕屋の団体」が
    作る会にどう力がある、どいう団体か存じませんが、

    私は、
    作る会のサポート団体を支持して
    本を購入したわけでも何でもありません。
    「その本」が読みたくて購入したのです。
    そいう人間もいます。

    どうも失礼しました。

  8. 国民運動一筋様

     私は「宗教右翼」ということばを使ったことは一度もありません。誰かが誤引用したのをご覧になったのでしょう。

     私は「神社右翼コントラ近代保守」の対立の流れが現代思潮の中に浮かび上ってきたと言ったのです。

     「キリスト教の幕屋」の方と私は今も勿論深い交流があり、本部には表敬訪問を欠かしません。

     「キリスト教の幕屋」の方は「つくる会」の事務局長人事に介入したり、会を政治的にコントロールしようとしたことは一度もありません。つねに互いに敬意と距離をもってご交際いたゞいています。

  9. 新田均です。

     西尾幹二先生がブログでお書きになったことの内、特に五点について、五月五日までの訂正を求める手紙を配達証明付きで先生に差し上げました。すると、五月二日に拙宅に直接先生からお電話がありました。その時のやり取りの極一部を紹介するとこんな具合です。

    西尾「逐条的というわけにはいかないが、貴方の要求に答えるエッセイを書きます。何故、私が貴方たちの行動を党派的・組織的だと思ったかについて、問題の前史を詳しく書いて材料を提供したいと思います。その際に、あなたの手紙も部分的に紹介します。」

    新田「ありがとうございます。読者に私の主張を正確に理解していただくために、私の手紙を全部載せていただけませんか。」

    西尾「それは、長谷川さんが大変だから難しい。」

    新田「それでは、私がコメント欄に書き込むのはどうでしょうか。」

    西尾「それは貴方の自由です。ただ、せっかく書いても読まれなければ意味がないので、私が書いた後で、『元はこういう手紙です』と書き込まれるのが、いいんじゃありませんか。今は原稿や旅行で忙しいので五月五日までに書くというわけにはいかない。さわりだけでも、五日に出したいが、場合によっては、それも難しいかもしれない。書き始めても一挙に書き上げられないかもしれないので、貴方も一度に全部載せるのはやめて下さい。」

    新田「分かりました。それでは、先生が書き始められたら、私も順次載せていくようにします。ただ、こうやってお話しして、私が「問答無用」「対話不可能」な人間でないことはお分かりいただけましたよね。」

    西尾「そう思っていたら、電話なんかしないよ。それから、私の知らないことについては、あんまりつっこまないでください。」

    新田「先生、今さらそんなこと言われても・・・(笑い)。言論上のことですから、きっちりやりましょうよ。」

    というわけで、私の訂正要求の具体的内容は、西尾先生の筆の進みに会わせて、順次このコメント欄に紹介していくことになりました。ただ、私としても、自ら期限を切った以上、その時点で何のアクションも起こさないというのでは不誠実でしょう。そこで、何故、西尾先生に手紙を差し上げたのか、その理由だけでも先に明らかにしておこうと思います。以下はその理由について触れた手紙の冒頭と最後の部分です。

    前略

     西尾幹二先生。先生の日録に基づいてインターネットその他での議論が広がっているようですね。その議論のきっかけとなり、前提ともなっているのは、三月七日の「『つくる会』顛末記ーお別れに際してー」ですが、そこには多くの虚偽が書かれていて、人々の議論の前提を誤らせ、私たちが謂れのない非難を受ける原因となっています。そこで、それらを以下に指摘いたしますので、ご訂正下さい。

    (中略)

     日録におけるその他の歪曲や事実の相違を挙げていけばきりがありませんが、上記の五点は、先生が私たちを、「全共闘的な圧力」「言葉の暴力」「固い血の盟友関係」「『つくる会』の一角に取り憑いたガン細胞のようなもの」と非難する原点となったものですから、私たちの名誉にとって真偽の認定は重要です。したがって、このいずれもが事実でないことを先生の日録で明示していただくことを求めます。

     これまで先生が活躍してこられた活字の世界では、出版社や編集者に共同責任がありましたので、このような訂正を求める手紙は、先ずはそちらの方に出すのが筋なのでしょうが、この日録については全ての責任がそれを発信した個人にあると考えますので、こうして直接にお手紙を差し上げた次第です。

     この手紙での要求は、根拠を示した上での訂正要求を拒否するような方ではないだろうという、言論人・西尾幹二氏に対する、私にわずかに残された信頼の表現であると御理解下さい。もしも、御自身での訂正に躊躇を感じられるのであれば、この手紙をそのままブログに掲載していただくという方法でも構いません。すこし余裕を見て、五月五日までに訂正していただくことを求めます。

     ちなみに、日録によれば、「つくる会顛末記」を緊急出版されるとのことですが、こちらについては、くれぐれも虚偽記述が改められないままの出版とはならないようにお願い申しあげます。                              草々

                          新 田  均

    平成十八年四月二十八日

    西 尾 幹 二 先生

    

  10. 皇室問題を論じられるということですが、
    先生の『皇室問題は信仰である・・』という発言だったと
    思いますが、成程そうかと安堵しました。

    昨年の小泉首相の「皇室典範改正問題」で大変なことになった。日本の歴史が崩される・・と一時は杞憂しました。
    大阪産業大の所功氏の著書に『女帝論』が見られましたので
    中世宮廷学の権威からのご託宣でしたから、斯くあるべしかなと迷うておりました。

    そう言えば、TBSのキャスターに反発していましたが
    歴史の事実?を提示しても「進歩的文化人」はビクともしない。自分は「宣教師」と自認し、自らの信念・信仰を広宣流布することが役割と任じていると悟ったのであります。

    先生は御著書のなかで「相手の神を突け?」と言ってられましたが、なかなかそこまでは届かないです。

    「天皇」存在は聖徳太子が中華圏からの独立を宣言したものでありましょう。朝鮮半島が中華圏の版図であり属国意識に誇りを持っていた。現在に至って「反日」を掲げるのは独立心の気概がなかった歴史への次男坊の「甘えの主張」のような気がいたします。

    ご無事な旅行を祈念しております。

  11. 「クライン孝子の日記」5月2~3日の日記によれば今回の作る会の騒動は作る会を潰したい中国の陰謀によるものではないかというものでした。それにあいまいな証拠による八木氏らへの批判は名誉毀損にも当たると言われています。
    もし中国の陰謀であれば作る会は分裂状態となったのであるから大成功と言う事になる。ここのコメントも中国の工作員が書き込んで煽っているかもしれない。
    まあとにかく「作る会」を潰すような事がないように、大人の対応をしてもらいたい。西尾氏も八木氏らと一度真摯に話し合ってみてはいかがだろうか。

  12. 「キリスト教の幕屋」じゃなくて「キリストの幕屋」です。
    そういう所に無意識に態度が出るのです。

    「国民の歴史」で新渡戸稲造先生を悪く書いたこともあり、
    西尾先生にいい印象を抱いていない人も多いのです。
    「国民の歴史」の購入はみんなで一生懸命やりました。
    見返りも感謝も求めておりませんが、
    私たちも人間ですから、いろいろ思うところはあります。

    藤岡先生にも今さら「信仰を持っている人を否定していない」
    なんて言われても、数々の宗教否定の傍証を聞いています。

    あくまで個人的見解ですが、もし種子島さんや日本会議が
    新しい会を作るなら、そちらを支援したい気持ちです。

  13. 上のように「キリスト教の幕屋」と西尾先生が(表面的とはいえ)交流があることを示唆すること自体が「キリスト教の幕屋」にとって大きな宣伝効果があるのではないですか。彼らも自分たちが浮いていることは百も承知。黙って手伝いすることで、どこかで団体の名前を取りあげてもらい、それが絶大な宣伝効果になることを狙っているのです。なぜほとんどが個人の自由意志で参加しているはずの「つくる会」活動に宗教団体の名前がでてくるのですか?信者数微々たるものなのに70か80万部というつくる会教科書の1割も購入できるわけないでしょう。高々数千部を組織で買っただけでしょう。1%以下の貢献なのに大貢献したかのように宣伝しないでください。どこの団体にしろ、「私はかくかくしかじかの教団(宗派)に属する者である」と名乗る者は相手にしない方がいいです。99%は宗教の布教や宣伝が目的ですから・・・。

  14.  信者だと「宣伝活動」だと言われちゃうので、カソリック信者である私が弁護しましょう。。。(今さら、カソリックを宣伝する必要はないでしょ?)

     「大人」ですから、教団名くらいは正しく表記して頂きたいものです。。。(苦笑)

     普通に「なんで『幕屋』というんですか?」くらいの世間話をすれば、簡単に判りそうなものですが。。。
     「キリストの幕屋」とは、その昔、イエス・キリストは、教会などない時代、野原に幕を張って説教していたことにちなんでつけられた名称です。。。(キリスト教は幕を張らないな)

     幕屋は無教会主義で、初期の頃の素朴なキリストの教えを学ぶことを志している教団です。。。

     ちなみに、幕屋はキリスト教の布教を第一に考えている団体ではありません。。。
     なぜなら、「私たちの信条」の一番目には、、、

     「我らは、日本の精神的荒廃を嘆き、大和魂の振起を願う」

     とあるからです。。。(だから、つくる会にも協力するんですよ?)

     二番目に、ようやく「我らは、日本人の心に宗教の復興を願い、原始福音の再興を祈る」と出てきますね。。。
     あまり、悪意を持って宗教団体を見ないで欲しいものですが、幼女強姦する牧師がいる世の中ですから、視線が厳しくなるのも仕方ない側面はあるでしょう。。。

     ただし、私は偏見を持たれて差別される時ほど、信仰を強める絶好の機会だと思っておりますが。。。
     キリスト教も、ローマ帝国の支配下で弾圧されながら、信仰を広めていきましたからね。。。

    (余談ですが、西部邁さんは、「プリクラ」と「テレクラ」の区別が付かずに、プリクラのような見ず知らずの異性とどうのこうのと滔々と愚痴っていたそうです。。。orz)←なんつーか、大ざっぱというか、いいかげんなんだよな、世の中に対する認識が。。。だから、アメリカ批判も杜撰になるんだよ。。。まあ、悪い人ではないけどね。。。(--)

  15. >shinさま
    クライン孝子さんは割合、見当はずれなことをおっしゃることで知られているようです。今回のこの怪メールは内部のもののみ知る、大変微妙なニュアンスを含んでいるものであり、中国などの陰謀とは到底考えられません。それこそ妄想ではないでしょうか。

    また、八木さんはあちこちと連絡を絶ち、応答する気配もないそうです。大人の対応に欠けているのはどちらでしょうか。

  16. 新田均氏へ

     あなたがこうして問い掛けてくることはともあれ良いことだと考えます。

     私がもう一度書こうと思っていることは、あなたの知らない、あなたがまだ会員でなかった時代に遡ったころの「つくる会」の説明、また昨年夏にすでに始まっていて、他の理事に知られていない幾つかの重要な未公開の出来事の報告です。

     「日録」では予定されているエントリーが二つほどあり、早くてもその次に書き始めます。しかし私も本業で追われていますので、時期は確約はできません。

     また、あなたのご質問に必ずしも対応して書くことはできません。全体のつながりで判断していたゞくことになります。

  17. 宗教右翼とは、伝統的右派・保守派宗教団体の誤りです。 

    もしかすると、キリスト教信者の怒りをかう投稿をしたのかもしれません。ひょっとすれば、戦前の絶対天皇制が擬似キリスト教うんぬんの話でしょうか?
    戦前の絶対天皇制に擬似キリスト教を見出し、天皇という人間を絶対的なものにすることの危うさを指摘したのは、私でもないしいわんや西尾先生なわけでもありません。故福田恒存氏です。しかも、それは敗戦直後に論じられた西欧近代と日本近代の比較文明論的批評の中で指摘されたものであり所謂宗教論ではありません。

    しかし、天皇を信奉する宗教団体に所属する方が果たして本当に天皇の存在自体に自らが拘束されている信仰者か否かというテーゼは、私独自の見解です。

    近代保守主義者が、伝統的右派・保守派宗教団体構成員に対して知的優位性を感じていたという話は、私が、西部邁氏と直接会った時にそう感じたことであり、この点について西尾先生がどういう思いを抱いているのかは私は知りません。

    ただ、小林よしのり氏が「戦争論」で論壇にさっそうとデビューし、インターネットサイト2ちゃんねるで保守派・右派言論が隆盛を極める頃までは、近代保守主義者も伝統的右派・保守派宗教団体も思想界においてマイノリティーであることには変わりなく両者は良好な協力関係にあったと思います。

  18. 西尾先生の、『「宗教右翼」という言葉を使ったことはない』について

    確かに西尾先生は、「宗教右翼」という言葉はお使いになっておりません。しかし、西尾先生がご自分の主張を補強するか、事態をより明瞭化したいとの意図を以て早瀬氏のエッセーを特別枠に載せられましたが、ここにははっきりと「宗教右翼」という言葉が出ております。

    私は、「4人組み」なるものについては非礼さがあったとて批判的のコメントを載せましたし、また八木氏に関しても「これが真実であったなら」という条件付ではありますが、八木氏は「反社会的性格者」であるとコメントしました。これは、もしそれが真実とするなら、思想家に要求されるべき高潔性が損なわれている分けで、そこに保守の危機があると考えたからです。しかし、ここで私が言った高潔性とは本来はあくまで「自己に対する要求」ということで、他者へ対するものではありません。自己に対するの名誉の規律という意味で使いました。

    私は、岩田氏や早瀬氏の言動を高潔性があるとは見なせません。両名の見識の無さから来る一方的な宗教に対する侮辱と、論理の飛躍が今回の問題をより複雜にしてしまったことは非常に残念としか言いようがありません。が、これは西尾先生も共に連動した行為であると見るべきなのかとも思われます。

    何故、今そのようなことをここで言うかというと、いったん今までの私の書き込みは白紙にさせていただきます。つまり、岩田氏および早瀬氏の両エッセーを特別枠に載せたことで、この事件は、あくまでもは主導権争いであると私には見えたので、もしそこに責められるべきものがあるとするならば、醜い主導権争いを惹起した張本人であると考えるからであります。

    「神社保守」とは如何なるものなのか、これがいかなる理由で近代西欧思想による保守と対立しなければならないのか、私には分かりませんが、これの対立による主導権争いということなら、何も綺麗ごとなど言っておられないので、岩田氏や早瀬氏を使って誹謗中傷することも手段としては仕方ないというところだろうか。


    >今回の一連のつくる会内紛の問題において幸か不幸か世に判明したことは四人組が一つの宗教心から連帯しており、それを支える日本青年協議会及びその日青協がその中枢部を支配する日本の保守界の大御所と一般には思われている日本会議そのものが特定の宗教右翼の影響力の下にあるという恐るべき事実であった。西尾氏も書かれているとおりこの日本国がこの先永遠の繁栄を築き、その高貴さを永続させていくには日本保守界を特定の宗教右翼ではなく真の保守主義者たちの手に取り戻さねばならないのではないだろうか。
    る誹謗中傷を覚悟の上で筆を取ったしだいである。

    >       (文責・京都大学大学院人間・環境学研究科> 修士課程一年 早瀬善彦)

  19. はじめまして、西尾先生のファンでありブログ更新を楽しみにしてるものです。

    ブログ担当者の方にお願いがあります。
    画面の文字サイズを最小にしないと文章の右側が隠れてしまい読むことが出来ません。毎回IEの設定を最小サイズにして文章をコピー、そしてメモ帳に貼り付け読むことでしのいでますが、文字サイズを大きくしても右側が隠れないような設定にできませんでしょうか?
    よろしくお願いします。

  20. 和十郎様へ

     所先生の本務校は京都産業大学です。
     「中世宮廷学の権威」というのも決して間違いではないのですが…、先生の本領は「上代」史にあると思っていたのですが、いかがでしょうか。

  21. >1963さまへ
    技術担当のものに相談しています。
    もし、無理だったら諦めてくださいね。

  22. ちょっと横レス

    不思議な現象ですね・・・
    あっしの場合、IEでもFirefoxでも、文字サイズを「最大」にしても、普通にみることができます

    で、わざと、画面の設定を600×800にしても・・・右のサイドバーが切れるくらい
    それも、横スクロールすれば問題なし

    というか、このスタイルシートで、エントリ本文が切れるはずがない
    なんでかっていうと、Liquidタイプ・・・つまり、「可変」になってたよ
    「固定」幅じゃない
    だから、文字の大きさによって、適当に改行されるはず・・・

    横レス、失礼しました

  23. ちょうど会員の期間が切れたため、
    あらたな会費の振込用紙が届いたのですが、
    振込みを迷っているうちに一ヶ月以上がすぎました。

    いったい、「つくる会」はこれからも信頼する会として、
    活動していくことができるのでしょうか?

    それを見届けてから、再度入会したいと思っています。
    正直なところ、途方にくれています。

    しかし「財政規律」の問題が日録に出て、
    ちょっと安心し、再度応援したくなりました。
    お金の話は、わかりやすく「人間性」がでるので、
    なかなか大切なことだと思うのです。

  24. 第三者は、この騒動をどのような目で見るでしょうか。
    この騒動が「つくる会」将来の為になるのですか?
    誰がこのような会に喜んでお金を払って入会するでしょうか。
    現在会員ですが、次回会員資格を更新することはやめます。

  25. >yamamotoさま
    残念です。

    誰でも、一番苦しい時、大勢が離れて行ってしまうとき、そういうときこそ、じっとがまんして支えることが大切だと、私は思っています。

  26. 長谷川様へ

    なぜ、大勢が離れていくことになっているのでしょうか。
    なぜ、一般会員が苦しむ必要があるのでしょうか。

    僕は、地方で担える役割を務め、中央では信頼の置ける先生方がよい教科書をつくってくださると思っていました。
    今更、誰が一番正しかったのかなんてどうでもいいです。
    みっともない争いをこれ以上表沙汰にするのはやめて下さい。
    会員が恥をかきます。
    何でもあからさまにすればよいというものではないでしょう。
    会員が何のため、誰のために我慢を強いられる必要がありましょうか。
    今、最も我慢するべき人は誰ですか。

  27. >yamamotoさま

    なぜでしょう?

    その理由を見つけ、原因を確認し、二度と同じ失敗を繰り返さないために、今もつれたものを全部解き明かそうとしているのではないでしょうか?

    yamamotoさまのなぜに答えるためにこそ、現在の西尾先生の言論発表が必要だと私は考えます。

    それが困る人、それが恥ずかしいと感じる人、それこそ必要だと思う人、いろいろいらっしゃると思いますが、誰一人、西尾先生の筆を止めることはできません。

    そうして、西尾先生の筆による言論の責任は西尾先生に帰り、その悪評もすべて受け入れるおつもりで書かれるのだと思います。

  28. 「つくる会」の内紛は、利敵行為になっています。
    厳に慎むべき行為です。
    それが出来ないのは、公の心がない証拠です。
    私怨で書き殴っているように見えます。
    それこそ、保守の皮をかぶった何とやらではないですか。

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