「つくる会」内紛劇はそれ自体小さな出来事ですが、平成17年(2005年)夏の郵政法案参議院否決による衆議院解散、小泉首相の劇場型選挙とその文化破壊的な帰結とは切り離せない関係にあるように私は考えています。
いま『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』で展開した政治論をここで再論するつもりはありません。8月8日の衆議院解散、9月11日の総選挙という日付を思い出して下さい。
8月12日杉並区で「つくる会」教科書採択、27日種子島副会長が事務局長更迭を執行部会で初めて提案、31日八木、藤岡、遠藤、西尾が浜松町会談で「事務総長案」を考える。9月1日扶桑社総括会議と理事会、9月17日採択活動者会議、この日の二次会終了後、八木、藤岡、西尾の三人で初めて宮崎氏に辞職の意向を打診する。9月25日「つくる会」定期総会。
選挙とそれにつづく日本の政変の目を剥くドラマが進行する最中に、今思うと、もっと辛い、厄介なドラマがわれわれのすぐそばで開始され、進行していたことになります。
あの選挙で「つくる会」と九段下会議でお世話になっていた保守系議員が相次いで反小泉に回り、周知の通り苦戦し、落選者も多数出ました。夏の日、戦後初めて私は「自由と民主主義」が危いと思いました。20年前に「民主主義への疑問」と書いて左翼大衆動員を批判していた私が、今「民主主義を守れ」と言い出したくなっている矛盾に、時代の変化のアイロニーを感じます。
8月15日の靖国講演会で日本会議事務総長椛島有三氏に8月の解散への怒りを述べ、守りたい意中の6人の候補者の名(平沼赳夫、古屋圭司、森岡正宏、古川禎久、城内実、衛藤晟一)を挙げると、まさに二人はぴったり同じ名を考えていたということで、私の地方候補者応援演説(大分、宮崎、静岡)を日本会議が支援してくれる約束になりました。
8月28日大分市に着くとそこに椛島氏がいて、宮崎県の都城まで一緒に旅をしました。そこで氏は講演が終ると夜行で大分へ戻り、私は翌日名古屋へ飛びました。こうして衛藤、古川、城内の三候補の応援演説を辛うじて果したのでした。
これは私が求めて行った無償の講演でしたが、旅費と滞在費は日本会議が配慮してくれました。私は椛島氏とたっぷり談を愉しみました。私と氏、もしくは私と日本会議とは仲間なのです。ずーっと私はそう思って来て、仲間だから共通の目的に向かって、協力関係が築けると考えていました。
日本政策研究センターの伊藤哲夫さんとも永い付き合いで、同じような仲間意識でした。「つくる会」の協力団体である「改善協」の運営委員長を伊藤さんは永年やって下さって、教科書問題に関してもいわば同志でした。
それどころか平成16年2月に「国家解体阻止宣言」を発表し、われわれは「九段下会議」を建ち上げました。外交・防衛とジェンダー・教育問題との二つのテーマに分け、講師を呼んでレベルの高い勉強会をくりかえした揚句、どうしても政治の世界に訴えたいという思いから、志ある議員を呼んで、情報研究会を創りました。日本政治にインテリジェンスの考えを根づかせるためです。そこの議員連盟会長が衛藤晟一氏、事務局長が城内実氏でした。
ここまで読んで読者のみなさんはわれわれの間を引き裂く地殻変動を起こしたものが何であったかお気づきになるでしょう。小泉選挙です。衛藤氏も城内氏も落選し、情報研究会も動かなくなりました。
私は夏の候補者応援の旅(8月28日~29日)を終えて、帰ってみると「つくる会」では「事務局長問題」が起こっていました。8月に入ると、今回も採択戦はほゞ敗北と分かり、諦めと焦りと持って行き場のない怒りが渦巻いていました。案外ケロッとしていたのは宮崎氏でした。そのことが藤岡氏をまた苛立たせたのです。
8月31日に浜松町で八木、藤岡、遠藤、西尾の四人が会談し、積極的能動的な事務局長を探すこと、富士通にいた濱田実氏は運動家としての活躍ぶりを見ているので候補に値するということ、それからじつは藤岡氏が私に、「日本会議の椛島さんに相談してみてはどうか。いい人を知っているのではないか」という提案をしたので、4日前に都城市で別れたばかりの椛島氏の顔を思い浮かべ、話し易いな、と思っていました。じつは当時はこんな空気だったのです。
すると偶然日本会議から9月4日(土)に松原仁氏の五反田での応援講演会に西岡力氏と一緒に出て欲しいという依頼があり、そこで椛島氏と再会しました。西岡氏が先に帰った後二人きりになりました。私はいいチャンスと思い、氏に「大切な話なのでお人払いを」とお願いして、「30分ほど時間を下さい」と申し上げ、「つくる会」の現状を伝えました。
事務局長更迭の一件を聴いて椛島氏が吃驚した表情をなさったのが印象的でした。しかし、余り余計なことを口にしない方なので、私の事情説明を聴く一方でした。私はこう申し上げました。
「企業や労組などで活動してきた人がいいという意見も出ているのですが、なにも方針を決めているわけではなく、能動的積極的な人がほしいのです。宮崎さんはデスク業務はきちんとしているのですが、自分から運動全体の総合的なデザインを描き、具体的なアイデアを出し、攻めていくタイプではない。椛島さんはいろいろな運動家をたくさんご存知でしょう。どなたかいい人がいたら教えてほしい。いま企業にいる人で適任らしい人がひとり提案されているのですが、その人が本当に適任かどうかもまったく分りませんので」
椛島さんはたゞ聞く一方で、質問もなく「そうですか、フーン」と唸るだけでした。そして、大分たってから「分りました。考慮させていたゞきます。」と応じました。「まだ私たちは何もきめていないのです。たゞ人捜しは早く始めないと間に合いませんから。本人には黙っていて下さい。」「はい、承知しました。」といって互いに別れました。
私はそのとき椛島氏と宮崎氏とが旧い学生政治運動の仲間同志だなどとつゆ知らず、この二人はお互いに知り合いらしい、という程度の認識でした。そして、日本会議と私は仲間同志であり、椛島氏も「つくる会」に協力して下さる仲間である、というきわめて素朴な、心安だてな、警戒心のない意識で対応したのが現実でした。
椛島氏との会談の一件はこれで終り、氏からその後提案はなされませんでした。9月末か10月初めのころに宮崎氏から興奮して、「二人の会談の事実を聞きました。衝撃でした」と怒りの口調で電話がかかってきたのを覚えています。椛島さんは本人に喋ってしまったようです。宮崎氏は自分の更迭に半信半疑でしたが、椛島西尾会談の存在を知って、動揺したようでした。
SAPIOでの椛島さんの発言部分は事実と違うと藤岡先生が書いています。きちんと訂正してください。
日本会議が離れると困るのです。
よろしくお願いします。
この件はFAX通信か何かで事実関係を明らかにしなければいけないと思います。藤岡先生にそう伝えます。
新田均です。
藤岡先生のブログで、西尾先生の主張を真っ向から対立する議論が展開されはじめました。これについての私の考えを以下に転載させていただきます。西尾先生のお考えを披瀝していただければ幸いです。
藤岡先生がブログで私の質問の一部に答えて下さいました。そこには、大変意義深い言葉がいくつか含まれていますので、まず、それ指摘したいと思います。次に、また新たな嘘や言い逃れも付け加えられていますので、それを指摘したいと思います。
【意義】
①.藤岡先生の「今でも椛島氏をつくる会にとっての最大の恩人の一人だと思っている」「日本会議がつくる会の人事に介入した事実はない」との証言により、西尾先生ならびにそれに追随した学生諸君の関係他団体に対する非難が事実無根のものであったことが明かとなりました。
②.藤岡先生は、私が公開した資料に対応して、「日本会議以下の具体的な団体名を列挙したことについて、宮崎氏は、そういう具体的な名前は言っていないとして、この私のメモを批判している。しかし、この前後の時期に、いろいろな場面で類似のことを宮崎氏が述べていたことを耳にしていたので、私の記憶の中ではそういう団体名がインプットされていたのは間違いないが、宮崎氏がその場でこれらの団体名を列挙したのかと言われると、確かに私にもそれほどの自信はない。だから、上記のメモのうち、当該箇所を、《(3)宮崎事務局長を辞めさせれば、有力な諸団体が、つくる会の支援から一斉に手を引く。》と訂正したい」と述べられました。
これはご自分が虚偽を広めてきたことをお認めになったということですから、大変勇気ある行為だと思います(ただ、そこに宮崎氏への謝罪がないのは不可解ですか)。あとは、最後にある「有力な諸団体が、つくる会の支援から一斉に手を引く」と言ったという部分を、宮崎氏の証言通り、「宮崎が事務局を辞めたらこれまでのように協力出来ないと言明し、事務局に留まるよう要請された有力団体もある」と訂正されれば完全に事実と合致することになるでしょう。
③.「5月24日に店頭で発売された雑誌『SAPIO』(6月14日号)に掲載された西尾氏の「私が『新しい歴史教科書をつくる会』を去った理由」という文章の中には、次のような一節がある。/《昨年の秋に八木・藤岡の両氏が椛島氏を訪ね、宮崎更迭を理解してもらえないかとお願いしたところ、「宮崎君を何とか雇っておいてください」の一点張りであった。》/私も八木氏も、「宮崎更迭を理解してもらえないかとお願い」していないし、椛島氏が、「宮崎君を何とか雇っておいてください」の一点張りであった、という事実もない。私は西尾氏に、椛島氏が「宮崎君を何とか雇っておいてください」の一点張りであった、などという報告はしていない」との証言により、この八木・藤岡・椛島会談に出席していない西尾氏の記事が、完全な虚偽であることが明らかになりました。これによって、西尾氏ならびに『サピオ』編集部は、椛島氏に対して、訂正し、謝罪する義務が生じたと思います。
【嘘と言い逃れ】
①.藤岡先生は「今でも椛島氏をつくる会にとっての最大の恩人の一人だと思っている」と言われていますが、それが心からのものとは思えません。その理由は次の三つです。
1)西尾氏の日本会議など対する非難は3月7日からはじまっていたのに、それをずっと放置してきた。
2)西尾氏が八木氏に、昨年9月17日に「神社(日本会議)・幕屋では採択はとれない。支部幹部を大幅に入れ替える必要がある」と言い、12月1日には「神社右翼、宗教右翼を追い出せ」と言った時に、その場にいながら藤岡先生は西尾氏に反論しなかった。
3)八木・藤岡・椛島会談を終えた後で、藤岡先生は八木氏に「しょせん『つくる会』は日本会議の支店みたいなものなんだ」と語った。
②.藤岡先生は「12月12日付け八木会長あて4理事声明では、『採択戦の総括』のために宮崎氏を事務局長職に留めておくべきだという論点を打ち出しているが、それは口実にすぎない」と書いています。ところが、12月13日の私への電話では、総括の後に人事をすべきだとの私に意見に対して、藤岡先生は「僕もむしろそっちの考えだ、つまりそちらを正面から議論したい」「ボタンの掛け違いだね、我々の責任ですね」「原則的には、それは全然、賛成ですよ」と言われておりました。
この点について、藤岡先生がそんな発言はしていないと否定されるのであば、私には証拠として音声資料を公開する用意があります。
したがって、「4人組の本当の目的は、宮崎事務局長の処遇問題を解決することではなく、この問題を奇貨として利用し、つくる会を乗っ取ることだったのである」という結論も虚偽だということになります。
③.藤岡先生は 「宮崎氏は『円満退職』案を個人としては受け入れかかったのである。それを妨害したのは、4人組である。執行部は宮崎氏と交渉しているのではなく、氏の背後のグループと交渉しているようなもの」「問題が解決しそうになると、ことごとく妨害する。今回の紛争の元兇は4人組らの小グループであり、その首謀者格の人物こそ、新田均氏その人なのである 」と書きながら、他方では、「今では、(松浦氏を除く)彼らが宮崎氏と大学時代から宗教的信念と政治的立場を共有する学生運動組織に属し、強固な同志的結合体をなしていたことを私たちは知っており、そのグループの中でも宮崎氏は指導者格であったことが分かっている」とも書いています。
もしも、私たちが「強固な同志的結合体」をなしており、「そのグループの中でも宮崎氏は指導者格であった」のなら、何故、宮崎氏が「『円満退職』を受け入れつつあった」のに、私が異議を唱える必要があったのでしょうか、また、異議を唱えることができたのでしょうか。これは明かな矛盾です。この藤岡先生の物言いは、 むしろ、私たちの間には、宮崎氏を指導者とする学生時代以来の強固な同志的結合などなく、ただ、個人の信条に基づいてた行動があっただけだということを証明しているのではないでしょうか。
ところで、藤岡先生の主張するように、私を首謀者とする四人組の「つくる会」乗っ取り計画が今回の紛争の元凶であったとすると、それと中国による工作とはどんな関係があったというのでしょうか。 まさか、「つくる会」の四人組は、本場の四人組の子孫だったとでもいうつもりではありますまい。
なお、藤岡先生にお答えいただいたのは、大変有り難いのですが、何故、12月15日の「会長声明」発表後に、宮崎追放・八木追及に急旋回されたのかについては説明がありません。私としては、西尾先生のお怒りに動かされてのことだと理解しておりますが、それでよろしいでしょうか。また、八木訪中を知っていながら問題にしなかった理由についても、次には、お書きいただきたいと思います。
なんだか、不思議なコメントだねぇ
個々の論立てに突っ込みどころが満載だけど、三段論法の批判はめんどいから、いいや
あのね、新田先生
あなたはどうしてミクロの話にこだわるの?
それが、あなたの性格的なものなのか、マクロの話にもっていきたくないのかは知らないけれど
「つくる会」の膿を出すのはいいんだけどね、一体誰が白血球で誰が病原菌だったのか
構造的な問題によって、つくる会がにっちもさっちもいかないってんなら、それは組織としての寿命・・・というか、そういう形態が既に寿命だってことだよ
もし、そうならばつぶれるだけ
ま、めざわりなんでつぶしたいのかもしれないけど・・・
別にほっといても・・・外部からの病原体か、内部にあるガン細胞かは知らないけれど、そういう「運動体」それ自身の寿命だよ、多分
で、ここで新田先生のみならず、西尾先生にも、藤岡先生にも申し上げておきたい
あのね、新田先生たちが西尾先生とか藤岡先生たちにとってかわろうとしたのかどうかなんて、どうでもいい
ただ、そんなの、既に我々の世代というか、これからの日本は必要としないよ
学者先生たちに言いたい
我々は知性と教養じゃあなた方に劣るものでは決してないし、ある部分の社会経験では凌駕する面も持ち合わせている
勘違いしないでね
あなた方が会社を経営しようとしたときに、プロにゃ勝てないでしょ?
家建てるときに、大工さんにゃかなわない
もちろん、あなた方の専門分野では、我々もあなた方に勝てないでしょう
我々の世代までくらいは、西尾先生や藤岡先生といった人たちの存在が貴重だったかもしれない
いろんな、歴史認識についてのことも教わった
これには、感謝してます
ただね、これからは、我々自身が自らの手で次世代にちゃんとバトンを渡すよ
だからね、先人とおんなじようなことしようとして、おんなじポジションにとってかわろうなんて思わないほうがいい
我々の世代は、上から人を見下ろして何が大事かの説教を垂れる、神のような存在に頼りたくない。
宗教のたとえをもうすこし・・・我々は普通に、きちんとした資料に基づいた歴史が教科書に書かれていればそれでいい。
そんなものが福音の如く示されるのを望んでいない。
だからね、「日本の子供たちに輝く虹を見せる」なんて、肩肘張らなくていいよ
余計なことまで期待してないし
ちゃんとした教科書がありゃ、それでいいよ
そして、専門以外の、時事問題や政治に関するオピニオンを学者さんに聞かされるのも真っ平ごめんだよ
世の中で、自分の今の居場所で、自分の人生が未だになんともなってないような人なら、それでいいのかもしれない
(自己評価に比して恵まれぬ、我と我が身に対するやり場のないルサンチマンってか? くだらない・・・てめえの「頑張り」のデフォルトが世の中より低いことに気づけっての)
だけどね、世の中に自分の居場所を既にきちんと持ってる人は、それが家族のために一所懸命に働いてるお父さんでも、そんなお父さんを支え、子育てをしてるお母さんでも、みんなそう
今のこの状態のあなた方は要らない
世の中の普通の人をなめちゃいけないよ
人生の達人は、そこかしこにいっぱいいるんだよ
偉い先生に教わらなくても、見識は持ってるよ
というか、自分が若いのにこんな事言うのもあれだけど・・・
今の40代ってなんとなく危うげ・・・世代交代はさせられないんじゃないかと思ったりもする
民主の前原さん、結局ダメだったし
八木先生を見ていても、前原さんを連想して物足りなさを感じるのはなぜだろう
新幹線の車内でWEDGEという雑誌に「時代は老・壮・青だ」ってコラムがあってね、「自滅した組織に共通するベテランの排除と若者の暴走」ってあった
よく知らないけど、そのコラムによると、老・壮・青ってのは、中国共産党の政治用語のひとつらしい
だってさ・・・
八木さんが今回の件を「文化大革命だったのか?」という見出しで文章書いてるのを思い出して、ちょっと笑ってしまった
上のコメント・・・ちくっと、文中にマードックの言葉使ってみたりもしてます
だから、その部分(宗教)には突っ込まないように
気持ちのいい言い回しだったんで、使ってみただけ
宗教は、あっし自身が神道なんで、否定はしない・・・胡散臭い新興宗教は嫌いだけど
The Economist
Compose yourself
そろそろ、オピニオン誌もいらないよね
くだらんから、最近は立ち読みで済ませてます。
だって、雑誌の名前と見出し聞いただけで、どんなことが書いてあるのか想像つくもんね
イデオロギーが嫌いで、最近は中国の当局に目をつけられているらしいてっくでした
八木さんや産経のこと調べまくったせいじゃなかろうな・・・って、これは冗談だよ(笑)
「ちょっと横レス」
新田氏の批判ですが、、、
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【意義】
①.藤岡先生の「今でも椛島氏をつくる会にとっての最大の恩人の一人だと思っている」「日本会議がつくる会の人事に介入した事実はない」との証言により、西尾先生ならびにそれに追随した学生諸君の関係他団体に対する非難が事実無根のものであったことが明かとなりました。
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この部分について、ちょっと意見しますが、西尾先生が日本会議がつくる会の人事に「直接に」介入したとは一言も言っていないと思いますが。。。
伊藤哲夫氏もそうですが、椛島事務総長にしても、「本人にはそのつもりはなくても、思わぬ影響を与えることもある」と、暗につくる会の人事に「意図せずに」影響を与えていたという事実を指摘していたと記憶していますが。。。
また、岩田・早瀬の両氏の論考は、日本会議学生部批判と生長の家批判だったので、つくる会の人事とは全く無関係でしょう。。。
西尾先生へ
新田均です。
昨日は続「顛末記」への感想を入れ忘れてしまいましたので、追加させていただきます。
《補足》
西尾先生が「顛末記」を再開され、「つくる会」の過去の思い出を書いておれらます。これは私の問いや要求に対する西尾先生なりの答えだと思うのですが、どうも私が求めていることとはずれているような気がします。
西尾先生が書いておられることは、さまざまな問題について「どうして、自分が、そう思ってしまったのか」という理由の説明にはなっているでしょうが、「事実そうだった」という証明にはなっていません。
私は西尾先生とお話ししていて「この方は、20代の青年ではないか」と思ったことがしばしばあります。しかし、私がいくら西尾先生を20代の青年だと思ってしまった理由を説明しても、西尾先生が70代である事実に変わりはなく、西尾先生が20代の青年であることを証明したことにはなりません。
ですから、繰り返しますが、西尾先生が、いくら自分の思い込みの理由を説明しても、事実の証明にはならないのです。
新田均へ。
新田君、きみは、いつまでみっともない真似をするつもりだね。敵将のブログに未練らしく書き込みを繰り返して。
質問だか反論だか助命嘆願だかしらないが、そんなことは自分のブログで、やればいいだろう。それとも、学会や論壇で生き延びるための外野席向けのパフォーマンスかね。
君が、西尾幹二や藤岡信勝を相手に戦争や論争の出来るタマではないことは、すでにみんな分かっているよ。
みっともないからやめろよ。負け戦になってから、助命嘆願に駆けずり回る、往生際の悪い革命家活動家(君と八木のことだけど)なんて最低だよ。まあー、某所に張り出されていた君らの写真を見たら、やっぱりなー、なるほどなーと思うけどね。
テックさんが指摘しているように、君も八木も、民主の前原と同じで、要するに腰高で、浮ついているんだよ。とてもじゃないが、「日本の将来」なんて託せないよ。
いずれにしろ、君は、君らに続いて西尾批判や藤岡批判に走った「兵隊達」を見殺しにして、自分だけは生き残ろうというつもりじゃないだろうね。
Posted by 松田
藤岡100万円タクシー代事件!?
顛末記あるいはそれに反応した反論その他ですが、あんまり細かい話が多いので、みなさんもそれほど熱心には読まれてはないと思います。余興みたいな感じですね。でも、その中にもぽつぽつとおもしろいエピソードがあります。
私には藤岡先生の「100万円タクシー代事件」がおもしろかった。見出しがインパクトがあってすごいんですが、藤岡先生の反論を読んでみると別にそれほどのことでもない。(藤岡ブログに掲載されているので、コメントもそちらにすべきでしょうが、これらは西尾ブログに付属する一連のブログと考えることもできるので、感想もこちらに書きます)
藤岡先生によりますと、100万円といっても1年分ではない、3年分である、しかも支払いを受けたのではなく、実際には1円ももらってないとか。詳しくは実際の文章を読んでもらいたいのですが、要は毎年50万円くらいはタクシーを使う、採択に走り回った年は90万、つくる会の用事が多かったから40万はつくる会関係だろう、だいたい前後3年分で100万円余計にかかったと思う、その分いくらかでも補填してほしいと要望した、しかし当時財政を担当していた種子島さんの回答は0円であったとのこと。たしかに例年は50万くらいだから、多かった40万はつくる会だろうというどんぶり勘定もすごいですが(ふつうは私用と会用はきっちり分けておいて請求すべきでしょう)、これに対して1円も払わないと決めた種子島さんもすごい。要求自体はある程度妥当だと思うので、100万全部は無理としても30万くらいは補填してもよかったのではないかと思いますが。(しかし改めて、これに較べてコンピューター問題の1000万円という数字がいかにすごいかがわかります。しかもそれは実際に支出されたのです)
こういう金銭問題はたしかに微妙ですが、私が改めて感じたのは、つくる会は営利団体ではなく、大学の先生のサークル活動、ボランティア的団体なので基本的に報酬その他はなくて、多くは自腹を切っておこなわれていた活動なのだなぁということです。この辺は立派だと思います。そして、その所詮はボランティア団体じみたものが、国内はいうに及ばず人民日報にも人事が報道されるくらい社会的にインパクトのあった活動だったのですね。
はじめて投稿する bagabond です。
西尾さん(先生、という敬称は使いません)や多くの人が縷々書いておられますが、どうも膨大すぎて丁寧に読む気になれません。
それに何だか泥仕合のようであり、正直言って「みっともない」という印象です。
あの時こうだった、と言えば反論があって「実はああだった」・・・と水掛け論でしかないと思えます。
どちらかがウソを言っている、あるいは両方ともウソである・・そういう場合はあえて無視すること、これが最も「正直」な態度ではないでしょうか。
「反論」しなければ「ウソ」がまかり通る、と感じることはあるでしょうが、泥仕合の混沌に入り込むのではなく、むしろ水を差すことのほうが大切です。
過去を云々することはやめて、「今後こういう風にしたい(活動したい)」などと、ちょっと「向き」を変えてみませんか?
特に西尾さんには強くお願いします。
たしか、罵倒だけのコメントはダメ、と長谷川様が書いておられたように思いますが、「復讐するは我にあり。」様のコメントは罵倒にしか読めないですね。
当方、日本会議への故無き批判にはコメントしましたが、その後、罵倒も粘着もしていません。
また、新田氏のブログにおいても、此方との対立をあおるようなコメントは書いておりません。
徒に「敵」とか「味方」とか、「戦い」をあおるようなコメントは見苦しい限りです。
水掛け論?水掛け論をするのが、学者の本分でしょう。言い負ければ、学者として、負けたことになりますよ。
前向きの話といっても、闇が明らかにならねば、先に進みません。西尾先生は、つくる会の活動から完全に手を引いたからこそ、すべてぶちまけているのでしょう。第二つくる会というようなものを、期待しているのでしょうか??
神社系の教科書でいいなら、そういう教科書を扶桑社といっしょにつくればよい。反対はしませんが、協力もしません。
今までは、反左翼のものは皆、保守に入れていたが、今後は保守の分裂、主導権争い、保守正統論争が出てくると思う。
初めて書き込みさせて頂きます。
>尊野ジョーイ様
>この部分について、ちょっと意見しますが、西尾先生が日本会議がつくる会の人事に
>「直接に」介入したとは一言も言っていないと思いますが。。。
↓藤岡先生のブログより
> つくる会元会長の西尾幹二氏は、氏の主催する「路の会」の1月30日の会合で、
>「日本会議がつくる会の人事に介入した」との発言を行った。私はこの発言に非常に驚いた。
藤岡先生のブログも、きちんと読んで確認して頂きたく思います。
M78さんへ
この続きを「顛末記三」のコメントに書きます。
今後も永くブログ頑張って下さい!
つくる会三重支部の事は、じかにこの眼で見てきた事ですので、生き証人のコメントです。
例えばこんな事が有りました。
(1)新田氏の書いた「一刀両断・先生、もっと勉強しなさい!」と言う本を、会員各位自腹で買って、学校に配って来てと、松浦氏がほぼ独断で言い出しました。
余りにも勝手だと人も言い、だれも動きませんでしたけど。
本人に意図が無くても売名行為と影で言い出す人も出る始末!
中にはつくる会や教科書採択の事はほとんど書かれていない本ですから、つくる会の人に言える事ではないのですが、指示するならするで、せめて役員みんなで決めるべきでした。
(2)事務局長の意向か本人達の意向で、松浦・新田氏の書いた教科書採択の事が何も書いてない本の宣伝資料も三重支部の経費で何度も送られて来ました。
これも皆の了解取らず本来やれる事でないし、意図がなくても売名行為と取られかねないですよね!
(3)新田ブログに、松浦氏が、私はよく事務局長の三木さんに,余りにも忙しいので辞めると言ったと書いて有りますが、あれも嘘です!
三木さん本人から直接何度も聞きましたが、自分の思い通りにならないと辞めると言い、三木さんから怒鳴られたと言うのが真相です!
そんな事を言うのなら辞めてもらえばいいと影で言う人もいましたけど。
(4)三重支部設立大会準備時の協力者は三木さんだけと書いていますが、これも嘘です!私も含め他の方も、当日やその前後に協力してます!
(5)懇親会の準備も三木さんと2人で行った様に書いてますが、これも嘘です!
設立時も少し手伝ってますし、その後なんかはほとんど私が会議の場所確保や懇親会の準備をしてました!
何年もさせて頂きましたが、とうとうだれからもねぎらいの言葉もなかったですけど。
(6)S氏と言う三重支部役員の方が、週刊新潮に投稿・提出しようとしてました原稿や資料を、新田氏が私の名前で出させてと言ってきたと本人から直接聞きました。
本人いわく、苦労して用意した物を、鳶に油揚げさらわれる様な事をよく平気で言える人だ!
人格が否定された様でお断りした!
松浦・新田は同士を大切にせず、義理と言うものがない!
天狗になり、三重支部を勝手に自分達の組織にしている!
これまで一方的に協力して来たがこちらの頼みは何も聞かない。
あの2人はこう言った活動をやり、学者としての地位を確立したい訳だから、騙されず馬鹿な協力はしない方が良い。
全部決められてこちらが一方的に言い様に使われてる訳だから。と言い残し会を去ってしまいました。
大変頑張って頂いてた方でしたし、動いて頂ける方が少ない中で、残った私たちも本当に困った事も有りました。
とにかく、組織を自分の、或いは一部の人達のものにするのは止めさせるべきだし、協力しては駄目です!
以上、つくる会 三重支部における松浦・新田の正体お分かり頂けましたでしょうか!
勝手に三重支部を自分の組織にするな!!
最後に個人情報にはご配慮をお願いします!
新しい歴史教科書をつくる会 三重支部 生き証人より