「『昭和の戦争』について」(九)

「『昭和の戦争』について」

福地 惇

第四章 支那事変も日本の侵略戦争ではない

第四節 盧溝橋事件の突発――日支激突の挑発者は誰か?

 一九三七(昭和十二)年正月二一日、帝国議会の施政方針演説で広田弘毅首相は、「所謂コミンテルンの危険性は近来益々増大の兆候あり」と述べた。だが、政変となり、二月二日 林銑十郎内閣が成立。二月十日、支那共産党は、国共合作・共産革命の武装蜂起停止・土地革命停止、そして紅軍の国民革命軍への合流を国民党に提案したのである。

 六月四日、第一次近衛文麿内閣が成立した。
 
 七月七日、北京郊外の盧溝橋で日支両軍衝突事件が突発した。二十二時四十分、支那側から発砲。この事件そのものは今までも多発していた日支両軍の小競り合いだったので、日本政府は、現地解決そして不拡大方針で臨んだ(今井武夫『支那事変の回想』一頁。臼井『日中戦争』三十三―三十六頁)。

 だが、日本の姿勢とは逆に、八日、中共中央委員会「徹底抗日」通電した。

 九日、蒋介石政府は、大掛かりな動員令を発令した(カワカミ『シナ大陸の真相』一四三、一四八頁)。

 十日、埼玉大和田海軍受信所、北京米国海軍武官からワシントン海軍作戦司令部宛暗号電報を傍受した。それは「第二九軍宗哲元麾下の一部不穏分子は現地協定にあきたらず今夜七時を期し日本軍に対し攻撃を開始することあるべし」とあった(初代海軍軍令部直属攻撃受信所所長和智恒蔵少佐(後、大佐)の東京裁判での宣誓口供書)。

 十一日「午後八時、特務機関長松井太九郎大佐と張自忠との間に二九軍代表の遺憾の意表明、支那軍の盧溝橋からの撤退、抗日団体の取締徹底を期待した現地協定(松井―秦徳純)」が成立した。東京ではこの日午前の五相会議において、支那軍の謝罪、将来の保障を求めるための威力顕示のための派兵も已むなしと陸軍三個師団の動員を内定した。しかし、支那駐屯軍から現地停戦協定が成立した旨の報告が入ったので、軍部は一応盧溝橋事件の解決と認め、内地師団に対する動員下令計画を見合わせた。丁度この頃、支那共産党宛コミンテルン指令の骨子「日支全面戦争に導け」。

 支那共産党が、国共合作宣言を公表したのは七月十五日、蘆溝橋事件の一週間後のことだ。

 十七日、蒋介石と周恩来の廬山談話(四原則の声明)があり、蒋介石「対日抗戦準備」「最後の関頭に立向かう」応戦声明を発表した。

 十九日までに、蒋介石軍は三十個師団(約二十万)も北支に集結、内約八万を北京周辺に配備。この日、南京政府は、この事件に関する地域レベルでの決着は一切認めない、東京は南京と交渉しなければならない、ときっぱり日本に通報してきた。つまり、現地協定拒否の表明である。

 二十日、支那第三十七師の部隊は、盧溝橋付近で日本軍に対する攻撃を再開。

 二十一日、蒋介石総統は南京で戦争会議開催、日本に対して戦争の手段に訴えると公式採択したのである。

第五節 盧溝橋事件の総括――支那民族の特性が見事に現れているこの十年間及び三週間

 ①日本は戦争を望んでいなかった。

 ②東京裁判で中華民国側は、華北に日本軍が侵略したのが原因だと言い張ったが、北平に駐屯していた通称天津軍は一九〇一=明治三四年七月、列国一一ヵ国が支那政府と締結した「北京議定書」に基づき、支那の首都の治安維持のための条約に基づく駐屯だった。

 ③様々な史料で明らかなように、日支両軍衝突を挑発したのは支那側で有り、それは支那共産党の謀略部隊による挑発であった。

 ④盧溝橋事件以後の三週間、日本側は、四度停戦協定を結んだが、支那軍は悉くこの停戦協定を破った。

 ⑤この三週間、日本側は動員令を出すのを控えたが、蒋介石(南京)政府は即座に動員令を発した。

 ⑥この三週間に支那軍は二十五万の兵員を北支に結集したが、日本は事件の平和的交渉を通じて解決しようと必死に努力した。

 我邦は明らかに和平を強く希望していた。しかし、支那の応答は、七月二五日の廊坊(天津―北平間に所在)事件、七月二六日の広安門事件、そして七月二十九日の通州事件であった。特に通州では冀東政府保安隊が日本人民間人およそ二百人を大虐殺する惨酷な事件だ。次いで一万人の日本民間人が居住している天津日本租界が襲撃された。打ち続く残虐な事件の後を追って、八月九日、上海国際租界で日本海軍士官大山中尉・水兵殺害事件突発。ついで起こったのが、八月十三日の第二次上海事変である。

 上海事変に関して指摘すべきは、蒋介石軍は第一次上海事変の後に国際間で取り結ばれた協定=上海停戦協定を踏み躙る軍事行動だった。しかも、英・米・仏は国際法を踏み躙る蒋介石に好意的だった。九月二日、日本政府は、『北支事変』を『支那事変』と改称し日支軍事衝突のこれ以上の拡大を防ごうとした。だが、九月二十二日、南京政府と支那共産党は同時に『国共合作』・『民族統一戦線結成』を宣言して、徹底抗戦の構えを見せたのである。上海の支那軍の妄動を制圧すべく、中支那軍は南京を制圧したのである。参謀本部と現地軍との間に作戦を巡る見解の相違が生じたこと、中支方面軍司令官松井石根が有る意味で最大の貧乏くじを引かされたことをもっと明らかにする必要がある。

 日本軍国主義が昭和初年に立てた大陸侵略、世界征服の「共同謀議」から必然的に発展した侵略戦争が支那事変だったと『東京裁判』は断案した。しかし、この判決が、如何に歴史の事実を無視した、歪曲された「昭和の戦争」論であるかを大凡示すことが出来たと考える。カール・カワカミは言う「日本人の忍耐力は実に驚嘆に値する」と(一五四頁)。

つづく

「「『昭和の戦争』について」(九)」への6件のフィードバック

  1. 「蒋介石も『共犯』かな」

     日本軍と国民党軍の衝突を画策したのが中国共産党でした。。。

     しかし、途中から、蒋介石も全面的に日本軍と対決する姿勢を示したし、さらに、欧米からの援助あることに調子づいて、徹底抗戦に転じてしまったわけですね。。。

     国共合作などの支那共産党の画策や、欧米列強の介入があったにしろ、自分から積極的に日本軍との戦争を選択したのだから、やはり責任は大きいでしょう。。。

     日本としても、蒋介石と上手く手を組むことが出来れば、また違った局面になっていたかもしれませんが。。。

    (日本は、明らかに「引きずり込まれた」という表現が適切でしょうね)

  2. 管理人様

     「つくる会」関連の投稿、旧聞に入る類の投稿は、何処にしたらよいのですか。最新の投稿欄に送ってはいけないのでしょうか?
     

  3. >東埼玉人さま
    「つくる会」関連の投稿は、関連エントリーに投稿していただけるとありがたいです。

    ただし、そうしますと表のサイドバーに表示されません。

    それで、せっかくですので、最新エントリーに福地先生の論文への感想をお書きいただくと共に、「つくる会」関連の投稿を○○のエントリーに書いたことを紹介し、そのアドレスを記入し、誘導していただけるとありがたく思います。

    まぁ、臨機応変にいきたいとは思っていますが、改めてのご質問ですので原則をお答えしました。
    よろしくお願いいたします。

  4. <続き②>   Posted by 東埼玉人

     既に旧聞に属することかも知れないが、西尾先生も取り上げている、『諸君』5月号・西岡治秀「『つくる会』――内紛の一部始終」の記述の一部を見逃すことができない。
     西尾先生も言われる通り、この記事自体、客観的記述を装っているが決して中立公正なものではないが、それにしても、「教科書問題」に直接関係しない問題を何気なく挿入して、実は重要な問題について一方的批判をする、という卑劣な書き方を許せないのである。

     「ある識者」の言うところとして、次のように書かれている。(P172中~下段)

    「西尾氏郵政民営化反対の議論に一理はある。しかしその議論は、詰めていくと関岡英之氏や吉川元忠氏(故人)などの『鎖国経済論』と同じになってしまう。アメリカの年次改革要望書を悪玉に仕立て、アメリカの陰謀を強調したとしても何の意味ももたない。日本の金融は、これまで護送船団に守られ国際競争力がなかったのであり、これから競争力をつけていけばよい話だ。そして郵政民営化は、第二の予算といわれる財政投融資というカネの入口をぶち壊し、官僚と政治家の利権構造を打破することであり、道路公団というカネの出口をいじるよりも、何倍も効果がある。その意味で郵政民営化は小泉総理が言うように構造改革の本丸であり、それを国民は支持した」
     
     この冒頭、「西尾氏郵政民営化反対の議論に一理はある。」というのは慇懃無礼な表現である。何故なら、後半部分「そして郵政民営化は、第二の予算といわれる財政投融資というカネの入口をぶち壊し……小泉総理が言うように構造改革の本丸であり」云々、を認めるならば、とても「西尾氏の議論に一理はある」ことにならないからである。「ある識者」が本当に存在するなら、このような言い方をする筈がない。冒頭の表現は、西尾先生の立場を、一見尊重しているかのように装うために、西岡氏が付け加えたか、または書き換えたものとみる外はない。
     
     この郵政改革は「カネの入口をぶち壊す」もので「構造改革の本丸」であるといった議論は、反対者によって散々に論破されている鉄面皮なものだが、それはここでは追及しない。
     問題は、関岡氏や吉川(きっかわ)氏の議論を「鎖国経済論」と決めつけ、「アメリカの年次改革要望書を悪玉に仕立て、アメリカの陰謀を強調」することに意味がないと、グローバリズムや市場原理至上主義、小泉構造改革等に対する批判を恰も陳腐な議論であるかのように見せかけていることである。「保守派」が経済に弱いのを良いことに、経済の「素人」の議論はこの程度で貶められるものと見ているのであろう。しかし、このような「裏口攻撃」を仕掛けること自体、第一に、正面から議論しては勝ち目がないことの告白であり、第二に、しかし西尾先生のこの間の言論が、単に教科書問題を超えて、攻撃された側にとっては本質的で無視できない、「痛いところを突かれた」ものであることを反証とも言えるであろう。

     以下、記述すると長くなるので、この件に付、批判の意図だけを印し、ここで中止します。

     長谷川様

     お手数を掛けますが、適当なところに移してください。

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