ハンス・ホルバインとわたしの四十年(六)

 私は『国民の歴史』の中にもう一項目書きたい、と計画し、担当者に打明け、時間切れで不可能になったテーマがある。すなわち「西洋古典文献学・清朝考証学・江戸の儒学国学」である。古代の聖典の探求と復元、その挫折と懐疑、そのとき三つの場所で歴史意識が試され、確かめられた。

 私は別名でこれを「言語文化ルネサンス」と呼んでいる。16世紀から19世紀にかけて地球上のこの三地域に発生した古代の呼び戻し運動、あるいは古代精神の現代への奪還、分り易くいえば神の再生のドラマを指している。再生の前には必ず神の破壊のあるのが特徴である。

 平成12年9月16日、東京杉並公会堂で「つくる会」主催の二度目の私の四時間独り語りが行われ、その題名は「江戸のダイナミズム――古代と近代の架け橋」であった。『国民の歴史』(平成11年10月刊)に盛り込みたくて時間切れで諦めたテーマを語った。この日は田中英道氏の「葛飾北斎とセザンヌ」のスライド比較紹介もあったので、それも入れると延べ5時間をこえる催しとなった。

 それでも、一講演のモチーフはそんなに大きくはない。まとめれば小さくなる。『諸君』平成13年7月号に講演の一部を転載し、連載を始めてから、小さい入り口からどんどん大きくふくらんだ。断続連載で平成16年9月号までに20回を数えるに至って、(しかも終りごろは1回に60~70枚もゆるしていたゞき)終わってから2年近くたってやっと整理の最終段階を迎えている。

 なぜ整理にそんなに時間がかかったのか――勿論小泉選挙や「つくる会」混乱に気を散らしたのがいけないのだが――理由はあまりにテーマが広く、多方面に及んでいることにある。なにしろヨーロッパと中国と日本における古代認識と「古代ルネサンス」のテーマである。古代と近代の衝突の問題である。渉猟した文献は数百を越えた。あちこちに、それぞれが大きな主題を内蔵した複数の重い房を垂らしたような、異様な形態の一冊になりそうである。

 ところで第16章「西洋古典文献学と契沖『万葉代匠記』」にロッテルダムのエラスムスが登場する。この肖像画を描いたのがハンス・ホルバインである。

 第16章の末尾の小部分を以下に四回に分けて掲示するが、勿論、叙述の中心は契沖である。

つづく

「ハンス・ホルバインとわたしの四十年(六)」への1件のフィードバック

  1. 国民の歴史、入手しました。びっくりしました。芸術的、哲学的ですばらしいです。タイトルだけ見て、てっきり退屈な歴史の本か、のんぽりの私にはわかない政治的な本だと思っていました。これからゆっくり拝読します。楽しみができました。

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